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Vol.219 研修関連施設はこうして築かれた

医療ガバナンス学会 (2013年9月10日 06:00)


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南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹 昌明
2013年9月10日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


私たちのこの被災地病院には、多くの臨床研修医や医(看護)学生が実習と見学に来ている。来院者たちは、被災地医療に関心があるということもあるであろう が、要するに、「2年以上が経過しても、いまだ復興のままならない震災の爪痕の残る土地を一度は見てみたい」という好奇心からである。
そこで私たちは、彼らに何を経験させたらいいのだろうか。もちろん、診療の一部に加わってもらうとか、津波の襲った沿岸部を見て回ってもらうということもあるが、それ以上に、街で活動する人たちに会ってもらいたいということがある。

私は赴任して間もない頃、すなわち、まだ研修医が来ていなかった昨年の春、地域を支える主な医療機関や介護・福祉施設、NPOやボランティア団体に面談を 申し込んだり、代表の人に来院してもらったりしていた。医療・介護・福祉関係者に対して、紹介なしにアポイントを取り付け、ご挨拶と聴き取りとを繰り返し たのである。
その理由は、「病院で診療だけをしていても、この街の医療問題は、けっして解決しない」ということを早々に理解し、「この街が、いま、どういう状況に置か れていて、何が問題なのか、そして、それを少しでも解消していくには、いかに行動すべきか」ということを把握したかったからである。そして、「何か連携で きることがあったら、協力して街の復興に貢献したい」ということを打診し、協働体制を構築したいと思ったからである。
実際に取りかかってみると、それらの一つひとつは骨の折れる地道でローカルな作業であったが、少しずつ街の医療の現実をうかがい知ることができた。そし て、最終的には、かなりの部分で面識や人脈が広がった。いまから考えると、この初動があったからこそ、私はこの街の暮らしが有意義になったのかもしれな い。
もう一度述べるが、聴き取りの範囲は、応急仮設住宅に始まり、障害者(児)の就労支援や生活支援、療育支援を行っているNPO団体や復興支援のボランティ ア団体、さらには訪問看護(リハビリ)ステーションや特別養護老人施設、地域包括支援センター、ニチイ学館などの介護事業所、『日本ALS協会』や『パー キンソン病友の会』、『認知症の人と家族の会』などの患者会、歯科医師会や消防署、地元の観光協会や物産協会、学習塾、民泊施設、市民活動サポートセン ター、臨時災害FM局、警戒区域から避難を余儀なくされている洋菓子店、営業を縮小した喫茶店、殺処分を免れた牛を保護している牧場、水道の復旧していな いエリアで営業を再開した理髪店に至るまでさまざまであった。

こうした取り組みによって、訪問看護師との連携がうまく図れるようになったり、患者をいくらかスムーズに転院させられるようになったり、もっと言うなら、 医療環境の不備に対して腹を立てなくなったりという効果が少しだけあったが、それよりもこの作業が、後日予期せぬ好循環を生み出したのである。
それは、ご縁でつながった施設の多くが、来たるべき研修医や医学生のための実習施設として機能していったのである。現在私たちの病院で展開している”地域医療枠”での院外研修先の多くは、このときに開拓し、信頼を築いていった施設・機関なのである。
南相馬市では福祉や介護施設が不足しているために、行き届かない行政の仕事をNPOやボランティア団体が担っている。そこで働いている職員の活動を実体験 し、非営利で社会貢献するこれら団体の意義を理解することが、特にこの街では重要なのである。それは、私がこの地に来たときの試行錯誤の追体験であり、こ の病院でしか研修できないことなのである。

だが当初は、こうした施設に”ぽっと出”の研修医を訪問させることが、果たして街の正しい支援になるのかという一抹の不安はあった。当然のことだが、それ は「県外の人間がいきなり出現することによって、却って地元の人々に迷惑をかけないか」ということだった。特に、「障害児の支援事業所をお訪ねすることに よって、これまで少しずつ築いてきた子どもたちの平穏が乱され、不安や動揺を助長したりはしないか」ということであった。
しかし、それは杞憂に終わった。
障害を持つ子どもの療育支援や放課後支援の場を提供している『きっずサポート・かのん』という団体があるのだが、彼らの運用するブログに以下のような文章が掲載された。

『医療支援でこの街に来られている小鷹先生のご紹介で、病院に研修に来ている医大生が見学にいらっしゃいました。小鷹先生は、外部からの見学者が入ること で、事業所の子どもたちに迷惑がかかることをとっても心配されていましたが…。いま通っている子たちは、なぜか日頃よりずっとずっと立派な立ち振る舞いが できることがわかりました。特に今回は、男子医大生ということもあって、『かのん』ガールズは「かっこいい~!」と目の中にたくさんのハートが…。ここで は個別療育支援を行っていますが、どのお子さんもいつにも増して「目力」がアップしていました。先生のおかげで、『かのん』キッズたちは、外からのいい刺 激をいただいていることに感謝しております。』
私が推進してきたことには、――と言っても、その場の思いつきで行ってきたことだが――意味があった。それはとても嬉しく、そして、事業所にとっても新た な気づきであった。子どもたちは、見知らぬ研修医や医学生に対して、少し大人を意識した対応を見せるようになったのである。そのコミュニケーション効果 は、相手の気持ちを読むことの難しい障害児たちにとって、ソーシャル・スキル訓練そのものだった。

『被災地といえども、障害者といえども、働かなければ人間ダメになる』と語ってくれたのはNPO法人『ほっと悠』である。そこは、障害者の就労支援団体であり、私が病院以外の医療・福祉関係機関においてはじめて訪れた施設だった。だから印象は深く、衝撃も大きかった。
そして、「この街はどんな感じですか?」という、いきなりの質問に対する理事長(女性)の回答が、先のセリフだった。彼女と私とでは、”この街をどうにかしなければならない”という認識では一致していたが、方法論に関しては大きく考えを異にしていた。
私は、お互いの支援体制の構築を目指したかったのだが、彼女は、支援とか被災とかいうこと以前に、「まずは働くべき」ということへの原点に立ち返った人 だった。そういう意味では、「障害者だから援助してもらおう」ということではなく、たとえ軽作業といえども「援助を受けずとも、いかにして社会参加を果た すか」ということを考えていた。それを一般的には”自立支援”と呼ぶのかもしれないが、正確に表現するなら、自分たちで自立しようという”自己自立”で あった。
「”障害者”と”疾病者”というものを混同させてはならない」ということを教わった。当たり前のことなのだが、障害を有した人間が必ずしも支援を受けなければならない弱者ということではない。
当初から大きな勘違いをしていたのである。そういうことに気づかせてもらったことで、私は最初のギャップを埋めることができて、この街の活動をスタートさ せられた。そして、こうした経緯を踏んだからこそ、その後から彼女たちとの信頼関係は堅く、さまざまな活動を協働で行うようになった。研修医たちは、この 団体と共に仮設住宅の廃品回収に回ったり、缶バッチや名刺を作ったり、メールを宅配したりしている。

この街の人たちの病院受診には、まだまだ物理的、心理的、社会的障壁がある。病院までのアクセスが悪いということもそうだが、医療機関にかかるつもりのな い独り暮らしの高齢者も多い。病院・訪問看護師、施設ヘルパー、ケア・マネージャー、救急救命士など、いずれの施設でも人員は不足している。支える術がな い。だから、教育と啓蒙の観点から、そして、住民と意思疎通を図る観点からも医師が社会参加を果たす意義がある。
私は、大学病院生活が長かったせいか、ここに来るまで病院外で行われている介護・福祉活動という仕組みがまるでわからなかった。病院外においても医師ので きることがあって、(医師というより)シャカ医(=社会)としての仕事そのものが被災地でのインフラたり得るということに気がついた。研修医の活動が、こ の街では確実に機能している。それは、とても得難い充実した経験なのではないか。

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