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Vol.218 倫敦通信(第10回)~暑さ対策 ー英国 VS 日本ー

医療ガバナンス学会 (2013年9月9日 06:00)


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星槎大学客員研究員
インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院客員研究員
越智 小枝(おち さえ)
2013年9月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


倫敦通信とは名ばかりでこの半年ロンドンの外からばかり書かせていただいて居りましたが、7月よりようやくロンドンに落ち着き、現在Public Health England(PHE: 英国公衆衛生機関)の異常気象・災害対策室のオフィスに出入りさせていただいております。この部署は8人程の主要スタッフが切り盛りしており、男性はその うち2名。医師のバックグラウンドを持っている方は2名のみです。

現在、一番のトピックは日本と同じくHeatwave (熱波)です。英国では最高気温が24℃、最低気温が18℃を超えると熱中症警報が発令され、ロンドン地下鉄でも「移動の時は飲み水を持参しましょう!」 という放送が毎日聞かれます。日本の猛暑を知っている身としては大げさな、と思っていたのですが、外気温が25℃前後となると、地下鉄の構内は40℃を超 えるそうですので、ロンドンの方が暑さに慣れていない、というだけの理由でもないようです。

オリンピック前後より、この熱中症対策に関し「Summer Resilience Network(SRN:夏場対策ネットワーク、とでも訳すのでしょうか)」という委員会が立ち上がり、2週間に1回テレフォンカンファレンスを行ってい ます。委員会のメンバーは公衆衛生(PHE)の外に内閣府・病院・家庭医・気象庁・地方自治体・研究機関などの多岐にわたる20施設ほどのメンバーが参加 します。

このような横断的な話し合いがなされる一方、熱波対策の広報はほぼPHEが一極化して行っています。PHEの発行する熱中症に対するガイドラインでは (1)、「自分の周りに独り暮らしのお年寄りがいたら声を掛けましょう」などというものから、Mass Gathering(大勢の人が集まる場)における「行列をつくるようなシチュエーションは極力避けましょう」「コミュニケーション手段を持たない旅行客 などの為に、両替所・ホテル・交通要所にお知らせを配りましょう」などの内容まで、一つのガイドラインで網羅されています。

日本では、それより以前の2007年より「熱中症関連省庁連絡会議」というものが設立されています(2)。これは、消防庁、文部科学省、厚生労働省、気象 庁、環境省など熱中症に関係する省庁が集まって話し合いをするもので、横断的な話し合い、という点でSRNの試みとよく似ています。しかしこの2つの会議 を見比べると特に2つの点で大きく違います。

まず1つは、日本ではマニュアルが細分化し、英国では(比較的)一本化されていることです。日本では厚生労働省が主に職場や仮設住宅の熱中症対策、環境省 が主に一般の熱中症対策、その他消防庁や教育委員会、医師会、自治体、スポーツ協会などが別途マニュアルやガイドラインを作成しています。このように役割 分担をすることで、各々の対象者に内容のきめ細かい情報を提供できるという利点があります。しかし一方で、情報の一元化がなされていないため、情報を検索 する人々がどこで情報を検索すればよいのか分からず不便である、という欠点もあります。

もう1つは、対象の違いです。SRNがHeatwaveという気象条件に注目し、ここから派生する健康被害の全体をカバ―しようとしているのに対し、日本 では熱中症という疾患予防から派生する取り組みを扱います。熱中症で毎年1000人以上が亡くなる日本では、熱中症以外の対策まで手を広げる予算も人員も ない可能性があります。しかしこの結果、熱波によって生じる熱中症以外の様々な問題が看過されてしまう危険性もあるのです。

例えば熱波のアウトカム評価として、SRNでは熱中症による死亡率だけでなく、全死亡の統計を前年までの平均値と比較します。なぜかというと、気温が高く なって増加する死亡は熱中症による直接死亡だけでなく、脱水や溢水に伴う心疾患や脳梗塞、腎疾患の増悪などの間接的な死因もあるため、全疾患を合わせた死 亡率が増加していないかどうかを見る方が、高気温のインパクトを鋭敏に評価できる可能性があるからです。

それ以外にも、水温上昇によってアオコが増加し酸を発生する健康被害、クラゲの増加、食中毒対策、消費電力上昇による停電対策、地球温暖化への影響など、 さまざまな内容が、「熱波による健康アウトカム」として話題に上っていました。またそれらの情報をどこの部署が測定するか、有効な対策についてどのように 科学的なエビデンスを確立するか、などが話し合われます。

このような日英の対策の違いに、勿論優劣はありません。要は人が健康であれば何でもよいと思います。しかし、この熱波対策vs熱中症対策という差は、公衆衛生主導と医療主導の差が顕著に表れた一例だと考えています。

医学と公衆衛生学の考え方の一番の違いは、前者が(比較的)専門性や疾患特異性を重視するのに対し、後者は(比較的)包括的で知識の幅や色々な職業との連 携を重視する学問だということです。また前者が病院の中で患者さんを待つことが多い(比較的)受け身の体制であるのに対し、後者は疾患前の予防に努める (比較的)能動的な行動を期待されます。このため医療主導だと熱中症という疾患を中心に、公衆衛生主導だと熱波という原因因子を中心に議論が進められるの だと思います。

誤解を避ける為にしつこく(比較的)と書きましたが、医療と公衆衛生を両極化するつもりはありません。どちらの領域にも交絡する部分はあります。しかし日 本のように公衆衛生関係者に医療関係者が圧倒的に多い国では、特にこの違いをしっかり意識する必要があると思います。自省も込めてのことなのですが、医師 の仕事の延長として公衆衛生学を見てしまうと、どうしても疾患や患者さんという枠の中で見てしまい、これらの問題が社会の延長、自分自身の延長にある、と いうことを忘れてしまいがちだからです。

そして同様の事が、災害時の公衆衛生についても言えると思います。災害は「緊急事態」ですが「特殊な事態」ではありません。災害特有の疾患や対策などはな く、むしろ災害をきっかけに元々あった社会問題が露呈した、という要素の方が大きいのではないか、と思います。社会と病院の架け橋としての公衆衛生の役割 を、もう少し学んでいきたいと思います。

1) https://www.gov.uk/government/uploads/system/uploads/attachment_data/file/201039/Heatwave-Main_Plan-2013.pdf
2) http://www.env.go.jp/chemi/heat_stroke/ic_rma/1901/index.html

略歴:越智小枝(おち さえ)
星槎大学客員研究員、インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院客員研究員。1999年東京医科歯科大学医学部医学科卒業。国保旭中央病院で研修後、 2002年東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科入局。医学博士を取得後、2007年より東京都立墨東病院リウマチ膠原病科医院・医長を経て、2011年 10月インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に入学、2012年9月卒業・MPH取得後、現職。リウマチ専門医、日本体育協会認定スポーツ医。剣 道6段、元・剣道世界大会強化合宿帯同医・三菱武道大会救護医。留学の決まった直後に東日本大震災に遭い、現在は日本の被災地を度々訪問しつつ英国の災害 研究部門との橋渡しを目指し活動を行っている。

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