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Vol.244 倫敦通信(第11回)~グローカル*時代の災害と公衆衛生

医療ガバナンス学会 (2013年10月11日 06:00)


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星槎大学客員研究員
インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院客員研究員
越智 小枝(おち さえ)
2013年10月11日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


Public Health England (PHE)のメンタルヘルス部門のルーシーさんから相談を受けました。「災害時のメンタルヘルスのフレームワーク」の英国版を作りたいのだが、日本の震災 の経験を聞かせて欲しい、というものです。被災地に入っていらっしゃる精神科の先生方のご意見を聞かせていただき、それを元にディスカッションをしてきま した。

その中で、とても印象的だったのは、「’心の健康(well-being)’ と ’メンタルヘルス’ は違うのよ」という言葉です。
「WHOでも、災害後のメンタルケアのフレームワークのピラミッドの頂点に精神科診療があるけれども(1,p20)、これだと心の健康問題は全て精神疾患 につながるような印象を受けてしまう。そうではなく、健康が中心にあって、その周りを様々な社会的・環境的な因子が取り囲んでいる。疾患はその中のごく一 部に過ぎない、という事を示したい」
というのがディスカッションの中心となりました。

メンタルヘルスに限らず、私たちが健康を考えるときには、どうしても病気を中心に置いてしまいがちです。心の問題は心の病の専門科、足腰の健康は整形外科 や理学療法の先生方…このように疾患ごとに専門科に任せてしまうような考え方は、最終的に健康被害は「医療問題」にすぎない、という窓口待機的な考えへと つながってしまうのです。実際、これまでに被災地から発信された健康関連の論文の多くは「高血圧」「脳梗塞」「糖尿病」など、疾患別の研究が殆どなのです (2)。しかしこのように病気や治療に注目することで、「健康になるためには、薬も手術も無力だ」という事実を私たち、とくに医療関係者は忘れがちです。

私自身医師をやりながら患者さんから学んだことは、「病気」があることと「健康に」生きていくことは別物なのだ、ということでした。例えば私の専門として いる膠原病・リウマチ内科では、多くの患者さんが疾患と一生付き合わなくてはいけません。今でこそ良い薬が次々販売されていますが、30年以上前に発症し た方の中には手足の変形や疾患の後遺症によって車いす生活・介助の必要な生活となっている方もいらっしゃいます。それでも利き手交換をして絵を楽しまれて いる方や、お店をやっていらっしゃる方、そうでなくても人生に対して泰然と構えていらっしゃる方に、「先生、もっと人生楽しまなきゃだめよ」と何度も諭さ れました。精神的にも生活上でも余裕のない私よりも、患者さんの方が数段「健康な」生き方をされている、と学ばせていただく事が多々ありました。

もちろん疾患の状態と健康状態は関連しますし、健康に生きるためのサポートと自助努力は必要です。しかし、逆に言えば疾患の有無に関わらず、人々が身体的・精神的・社会的・経済的に健康になるには、医療以外の多くの地域活動が必要なのです。

と書いたものの、実はこのような試みは日本の文化に深く根付いています。また災害をきっかけに、被災地ではこのような活動の掘り起しや、更なるアイデアが 次々と生まれています。今回のディスカッションでも、日本の被災地における取り組みは、PHEの方々にはとても新鮮であったようです。
「弁護士の相談窓口と、メンタルクリニックが連携を取る事で新たな窓口になる」
「地元の方が参加する声掛けボランティアで地域が活性化した」
などという相馬市の実例を紹介したところ、とてもユニーク!と聞いてもらえました。英国の褒め上手を差し引いても、興味を持って聞いていただけた印象でし た。こうした試みは、日本、あるいは被災地の風土の中から自然発生的に生まれてきたものなのかもしれません。しかしある意味世界に先駆けた智慧の宝庫にも なり得るのです。

ハイチ地震以降、「短期的かつ一方的な支援が被災地の地域医療の長期的な復興を阻んでいる」と唱える人が増えています。つまりコミュニティそのものが持つ 文化と歴史に基づいたしなやかさを失わずに復興を目指す重要性に、世界的も気付き始めています。しかし、未だ災害援助の費用のうち、地域力の強化にかける 費用は100分の1に過ぎず(3)、コミュニティ力による復興の実例は、政治家や投資家を説得するための非常に貴重な史料なのです。

このような背景を踏まえ、実際に日本の取り組みをPHEでお話しすると、とても興味を持って聞いてもらえます。そしてむしろ日本国内での反応の方が薄い、 という印象を受けます。例えば2年前の国土交通白書(4)では地域の復興について非常に分かりやすくまとめられているのですが、これも「添付の参考資料」 として扱われているにすぎません。

日本はこと災害に関して、先進国随一の豊富な経験を持っています。当然、災害時のコミュニティ力に関しても、最先端を走っていると思います。しかしその経 験をそのまま発信しようとするあまり、そのレベルに世界がついてきていない、という印象を受けます。例えばヨーロッパでは、どうやったら小さな子供にまで 浸透するような災害教育をできるか、ということでd-Bugという子供向けのテキスト作りなどを行っています(5)が、そのような方に「津波てんでんこ」 の素晴らしさを伝えるには、日本の文化・歴史・小学校教育のシステムなどから説明した上で、このような教育が日本ではなぜ浸透したのか、までを伝えられな ければ、「すごいとは思うけど、そんなのうちの国には無理」と言われて終わってしまうでしょう。

“・・・ある現実的な体験は、体験として固執する限り、どのような普遍性ももたないし、どのような歴史的教訓も含まない。ただ、かれの「個」にとって必然 的な意味をもつだけである。この体験の即自性を、一つの対自性に転化できない思想は、ただおれは「戦争は嫌いだ」とか「平和が好きだ」という情念を語って いるだけで、どんな力をももちえないものである。”
第二次世界大戦の体験について述べた吉本隆明のこの言葉は、そのまま東日本大震災の体験に当てはまると思います。

体験することは重要です。しかしその貴重な体験が「即自性(つぶやき)」で終わってはいけないと思います。震災後、人々の「つぶやき」を丁寧に拾い上げ、 公共という対自性へと還元した地域が、現在成功を収めています。しかしまだ、これをグローバルな対自性に転換する、すなわち被災地の体験の希少性を保ちつ つ普遍化するような努力と人手がまだ足りないのではないでしょうか。世界中の被災地が、日本の被災地の貴重な経験を自身の文化的・歴史的価値観の下に最構 成できるような形で発信することも必要だと感じました。

*グローカル: グローバル化する世界の中で地域のアイデンティティを守る為に生まれた運動であり、地域性を保ちつつ世界に対して開けているコミュニ ティ、という概念。「Think global, act local(グローバルに考えローカルに活動する)」ともいわれる。

<参考>
1. http://reliefweb.int/report/world/building-back-better-sustainable-mental-health-care-after-emergencies
2. Ochi S, Murray V, Hodgson S. The Great East Japan Earthquake Disaster: a Compilation of Published Literature on Health Needs and Relief Activities, March 2011-September 2012. http://currents.plos.org/disasters/article/the-great-east-japan-earthquake-disaster-a-compilation-of-published-literature-on-health-needs-and-relief-activities-march-2011-september-2012/
3. Barnet-Vanes, A. et al. The Lancet, Volume 382, Issue 9893, Page 679, 24 August 2013
4. http://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h22/hakusho/h23/pdf/kp1s0000.pdf
5. http://www.e-bug.eu/

略歴:越智小枝(おち さえ)
星槎大学客員研究員、インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院客員研究員。1999年東京医科歯科大学医学部医学科卒業。国保旭中央病院で研修後、 2002年東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科入局。医学博士を取得後、2007年より東京都立墨東病院リウマチ膠原病科医院・医長を経て、2011年 10月インペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に入学、2012年9月卒業・MPH取得後、現職。リウマチ専門医、日本体育協会認定スポーツ医。剣 道6段、元・剣道世界大会強化合宿帯同医・三菱武道大会救護医。留学の決まった直後に東日本大震災に遭い、現在は日本の被災地を度々訪問しつつ英国の災害 研究部門との橋渡しを目指し活動を行っている。

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