医療ガバナンス学会 (2013年10月10日 06:00)
この地震医療ネットも投稿が減って、最近は私(とキャンナスの菅原さん)位になりました。管理人の上先生に訊ねましたが、地震医療ネットは閉鎖していない とのこと、何人の方がメーリングリストに残り、この投稿を見てくれるか分かりませんが、また投稿したいという気持ちに駆られました。なぜなら、震災や原発 災害のとき、我々医療人はどう行動すれば良いのか、広域搬送をどのように行えば良いのか、震災関連死や震災(原発災害)後に起こってくる疾病に対し、医師 はどのように関われば良いのかなど、何も解決されていないと思うのです。我々が被った同じような悲劇を繰り返さないためにも発信し続けなければと思い、ま た文字を打ち始めた次第です。
入院患者数は120名となりました。前回の投稿の時とあまり変わりはありません。相変わらず急性期病床は満床状態、療養型も60床に約50人が埋まり、老 健施設に移られるか亡くなられないかぎりベッドは空かない状況です。群馬県から戻られた22名の患者さんは大腸癌の肝転移で亡くなられた方を除き、皆さん 元気です。2名は状態も良く、老健施設にうつられました。
療養型はあと10人位入れられるわけですが、療養型の看護師や看護助手の仕事量をみると、これ以上の患者さんを看るには無理があるようです。以前の投稿で も書きましたが、療養型の患者さんは認知症や麻痺があり、おむつの取り替えや食事の介助など急性期の患者以上に手がかかることが多いのです。膀胱カテーテ ルを入れてしまえば排尿の世話は無くなるのですが、より自然な在宅を目指した看護介護をしており、一度始めた看護の質を落とすわけにはいきません。
看護師や看護助手不足も入院患者を増やせられない理由です。本院は全国から集まってくれた看護師さんたちのお陰で、高齢者の入院増加や引取り手がない介護 老人の長期入院にも対応することができました。しかし、その人たちにとっても福島は永住する場所ではないのです。これは当地に応援に来てくれている東京な どからの医師が家族を連れて来たがらないことからも分かります。家族の世話の心配がなくなったベテランの看護師にとっても、家族が居る古里を捨ててまでも 福島に居続けることはできないのです。
そんな応援看護師の動向を知ってか、県外からの応援看護師への県からの補助金が減らされることになりました(9月から25年1月以降の新規採用のみが10 割、それ以前からの応援看護師は2/3割)。1/3は病院で補填しますが、長く居てくれている看護師に対し、新しい看護師を雇いたいから帰れと言っている ようなものではないでしょうか。
ここに来て福島に来てくれる看護師さんは減ってきています。私は長く居てくれる看護師さんほど、待遇を良くするべきだと思うのですが、本院に元々居る看護師との差別をつけることになり、良い方法はありません。
住居は病院で捜してあげていますが、南相馬も仮設住宅から借り上げ住宅へ移る避難民が多く、新しく建てられたアパートもすぐ埋まってしまいます。どうして も住居が見つからない看護師さんには使われていない病室を提供していますが、これも当初、県からはまかり成らぬと言われ、交渉の末(本人が了解すれば良い のだそうです)許されたことでした。
ある看護師さんが、こちらで買ったテレビや冷蔵庫、洗濯機などの電器器具を後から来る看護師さんのためにと置いていってくれました。本来なら病院で買って 上げなければいけなかったもの、申し訳ないと思うと同時に、今までの応援看護師さん達への思いやりの無さに反省させられました。
本来なら、国が、現在もらっている給与や社会保険を保障しながら、派遣してくれる形が良いと思います。本年3月まで、所沢にある国立障害者リハビリテー ションセンターの看護師さん達が3週間交代で来てくれていました( http://expres.umin.jp/mric/mric.vol243.2.jpg )が、給与は所沢から、本院は往復の交通費と住居のアパートだけを提供していました。夜勤を希望される看護師さん もいたのですが、国家公務員であること、税金計算が面倒になると言うことで、夜勤からは外さざるを得ませんでした。
現在働いている病院での給与を保障し、年金も継続できるように(地方公務員と国家公務員の関係のように)できないのでしょうか。ボランテアとした働いた分(夜勤など)には税金をかけないようにはできないのでしょうか。
高い給料の東京の病院を辞めて、本院に勤めてくれた看護師さんがいました。その看護師さんは、『じゃぶじゃぶ池』(子供達が外で水遊びができる南相馬市唯一の公園、市民やインターネットを通じた寄付金で今年の夏に完成)にお金を寄付されていました。
今までは原発被災者として当たり前のように受けてきた親切な心が、少しずつ無くなっていくような気がしてなりません。