最新記事一覧

Vol.246 ”HOHP”サードステージへ:新たな『男の料理』の試み

医療ガバナンス学会 (2013年10月15日 06:00)


■ 関連タグ

南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹 昌明
2013年10月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


『男の木工』が軌道に乗ってきたので、”HOHP”による次のプロジェクトとして、『男の料理』を開催した。それは、警戒区域を解かれたものの、まったく復興の進まない小高区再生のきっかけになることを目的としたものだった。
ありがたいことに、小高区民を中心に合計で37名の参加があった。レシピは餃子とサラダで、地元洋菓子店のパティシエによる食事菓子も振る舞われた。それはとてもとても心温まるひとときだった。
本稿では、このプロジェクトの企画立案から準備、開催に至るまでを紹介する。

昨年の4月のはじめに私がこの街で勤務を開始した頃は、20キロメートル以内は警戒区域に指定されていた。だから赴任した直後は、まだ小高区には入れな かったし、バリケートまで車を進めたところで、「この先はどんな世界が広がっているのだろう」と思っていた。そして、4月の16日に指定区域を解かれて程 なくしてから、私ははじめてそのエリアに足を踏み入れた。
時の止まっていた当時の現場についてを、いまさら述べるつもりはない。ただ、一点だけ伝えたいのは、小高駅前で洋菓子店を営んでいた、すでに無人となった店舗の前に置かれていた立て看板に関することである。
そこには、「頑張っぺ小高 必ず小高で復活させます!!!」の文字が刻まれていた。避難するときに地元復帰に対するゆるぎない決心を、この店の主人は書か れたのだろう。スイーツファンが支持しそうなメルヘン風の漂う素敵な佇まいの店だった。何度か書き直したようなその文字は、強力なメッセージとして私の脳 裏に焼きついた。
それから私は、用事があって小高区に出向くたびに、――その多くは、研修医や来訪者の被災地案内を目的に行くことが多いのだが――、その看板を目指した。 こともあろうか、私のなかにおいてそこは、被災地ツアーコースのひとつの目玉になっていたのである。そしてその度に、「この人のために何かできることはな いか」というような思いを抱き、僭越ながら看板を見るにつけ、そうした考えを強くしていった。

私は、「小高区再生のためのきっかけには何が相応しいだろうか」ということを考え続けていた。そして、1年以上が過ぎて、ようやくその算段を練るときがやってきた。
皆が楽しい思いに浸れて、『男の木工』の経験上、ただ物を提供するというイベントではなく、何かの作業を通じて得られるもの、そして継続して小高区に馴染 むもの。単純な発想かもしれないが、”料理教室”を候補にあげた。そして、場合によっては小高区から避難している飲食店関係の人たちの協力を得ることで、 店舗復活の足がかりとなるようなイベントとして機能してもらうことを考えた。
ただ、小高区でそれを行うための最大の難点は、水が使えないことであった。驚くべきことに、いまだに下水道が整備されていないために、このエリアでは水が 出ない。その結果、日中は入れるのだが夜の寝泊まりは禁止されている。このため、駅前通りに”ふれあい広場”という憩いの空間があるのだが、人の集いはま ばらであり、陰鬱とした状況が広がっている。しかし、水が使えないからこそ、私はここで”料理教室”をしようという気持ちをさらに強くした。すぐ真向かい には、そういう状況にもかかわらず理髪店を再開させた住民がいる(もちろん、洗髪も可能にしている)。そんななかで、「水が使えなくては何もできない」と いう言い訳は通用しない。
水の出ないところで”調理教室”を開催する。それも『男(優先)の料理』教室である。それは、ものすごくチャレンジングなことかもしれない。しかし、けっ して、特別なことをしようというのではない。水が出ないからこそ、いろいろな意味で”ヤル意義”はひじょうに高いと思う。その最大の狙いは、行政へのプ レッシャーであった。

気持ちは固まったが、では実際に教室を開催するにはどうしたらいいのだろうか。
食の乏しいイギリスで2年半、自炊を繰り返してきた経験があるとはいえ、私に料理を教えられるはずがない。目をつけたのは、当院の管理栄養士の女性2名であった。「水の出ないところで料理教室をやりたいのだが、いかがだろうか?」と。
「水をあまり使わないレシピなら可能かもしれないけど、”料理教室”を開催するのは結構大変よ。続けてやるのでなければ、1回くらいなら手伝ってもいいよ」という返事だった。彼女らは、調理指導の経験があり、教室を開催するノウハウも有していた。
このときも”世の中、回るときは回る”ということを実感した。彼女らのツテで、株式会社『味の素』からの協力を得られ、移動式キッチンカーによるボランティア支援を受けることができた。また、保健センターから調理器具を無料でレンタルすることもできた。
あとは、商工会や区役所への承認や当日の運用を手伝ってくれるスタッフ集め、告知と動員であった。

イベントを企画するなかでいつも考えることなのだが、それは、何かサプライズを付加することである。せっかく料理教室を開催するのだから、特別なメニューを用意したい。そこで着目したのが、冒頭で述べたパティシエによるスイーツであった。
小高区では、知らない人がいないほど有名な洋菓子店である。ここの店主に腕を振るってもらえれば、それを楽しみに参加者も増えるだろうし、何よりも(私の勝手な思い込みかもしれないが)、「小高での復活」の願いを叶えてあげることにもなると考えた。
商工会を通じて私は、彼とのコンタクトを試みた。ご主人は、南相馬市原町区の仮設住宅に避難していた。ただ、内容は変わったものの仕事は続けていて、依頼 を受ければ全国どこにでも駆けつけて、お菓子の製造指導や講演などを行っていた。そういう意味では、けっして仕事が失われたわけではなかったのだが、自分 の店を無くした寂しさは、何となく伝わってきた。
そして、電話口で「小高区の水の出ない場所なのだけれど、復興の足がかりとして料理教室を開きたい。もしご協力いただけるなら、そこで腕を振るっていただけないだろうか」と打ち明けた。
彼からのいきなりの返答は、「いいよ、オレ何か作るよ。もし、設備がないならオーブン・レンジ持って行くから」であった。即決だった。
私は心底、「救われるなぁ」という気がした。原発被災地という特別な環境での活動であるからして、いろいろとナイーブな問題がある。その結果、非難される こともある。でも何かをはじめようとすると、こうして気持ちの通じ合うこともある。それはそれは、とてもとても、何とも言えない幸せな瞬間であった。

街の栄養士会のメンバーや商工会の人たちの賛同を得ることもできた。そして、栄養士と協議を重ねることで、メインレシピは、水をあまり使用しない”餃子” に決定した。街の住民から、「先生たち”料理教室”をするなら」ということで、ジャガイモを大量にいただいた。その結果、サラダはマセドアンサラダに決 まった。
そして、病院職員のなかにも、医師や看護師、助産師、事務職員を中心として、当日手伝ってくれる同僚が何人も現れた。

準備は整いつつあった。最後に残された支度は告知である。あらゆる限りの手法を用いての宣伝活動を開始した。用意したチラシは約700枚、それも自分のプ リンターを用いての手作りの印刷であった。そして、社会福祉協議会職員による戸別配布、市の図書館や道の駅、スーパー・マーケットなどへのチラシ設置の依 頼、ラジオでの告知、さまざまな関係者を通じての案内、それらをほぼひとりで行った。
開催1ヵ月前の時点での参加希望者は、3人であった。「これがこの街の現実か」と思った。私は、宣伝活動を強化した。広報誌と地元新聞に掲載を依頼し、チラシ500枚の再配布を試みた。
徐々に、「広報誌に載っていたので」とか、「スーパーに置いてあったチラシを見た」とか、「社会福祉協議会の職員に勧められて」ということで、希望者が増 えていった。開催2週間前には17人に増え、1週間前の締め切り日には31人になった。この時点で基本的には募集を打ち切ったのだが、それ以降も参加の問 い合わせが相次ぎ、最終的に事前登録者は35人まで膨れあがった。
が、しかし、当日は雨だった。私は、「天からの水に恵まれた」と理解した。2名のキャンセルが出たものの、差し引き37人の参加をいただいた。スタッフとボランティアの方々を含めて、総勢60余人による大イベントとなった。
「努力が報われるってこういうことなんだなぁ」と思い、どういうわけか泣けてきた。

被災地で活躍されている人はたくさんいる。私のしたことなど些細なことかもしれないし、もしかすると自己満足かもしれない。だが、じっとしているだけでは 何も変わらない。私は私のできることを、(良かれと思って)やっている。価値の是非は、きっと歴史が証明してくれる。ただ、「いまは喜んでくれる人がいる のならば、それだけでもやる意義はある」、そう思ってやっている。
当日の市民の声として、「冷凍餃子なら食べるけど、餃子を中身から作ったのは初めて」とか、「料理はしないが、皆さんとおしゃべりしながら作るのは楽しい」と語ってくれた。
洋菓子店のご主人による創作スイーツ4点が、テーブルを飾った。それは、野沢菜や沢庵など漬物を取り入れた塩ケーキや、ヨーグルト入りの揚げスコーンといったものだった。そして、参加者の前で「小高で初めてのお菓子作りが実現した」とご挨拶された。
管理栄養士の2人は、「せっかくだから、もう1回くらい手伝うよ」と言ってくれた。実際のところは、開催5日前から当日まで限定で水が使えるようになっ た。行政は、「この日に何とか間に合わせました」と打ち明けてくれた。本活動を取材した地元新聞社や市は、それぞれのメディアで大きく取り上げてくれた。
そして何より、第2回目の開催として、小高区でそば屋を営んでいた店主のご協力による”そば打ち教室”が既に決定した。それは、新ソバの流通後の11月を予定している。こんな被災地にも確実に希望はある。飲食店でつないでいける継続的イベントになることを願っている。

MRIC Global

お知らせ

 配信をご希望の方はこちらのフォームに必要事項を記入して登録してください。

 MRICでは配信するメールマガジンへの医療に関わる記事の投稿を歓迎しております。
 投稿をご検討の方は「お問い合わせ」よりご連絡をお願いします。

関連タグ

月別アーカイブ

▲ページトップへ