医療ガバナンス学会 (2013年12月11日 06:00)
大学生になって上京すると、今まで別世界だと思っていた日本の中心「東京」に自分がいるということが最初は信じられなくて、新宿の高層ビル街や渋谷のスク ランブル交差点に行くたびに嬉しくて、気分が高揚していたほどだ。こうなりたいと思えるような大人たちとの出会いも多々あり、世界もぐんと広がった。例え ば、看護学部を卒業して起業している川添高志さんや、看護職でありながら研究をしている児玉有子さん、途上国で眼科医をしている服部匡志先生、挙げ出すと きりがないくらいたくさんの魅力的な看護師や医師、その他様々な業界で働く社会人たちがいる。すごい人たちに会って話しているということだけで私は嬉し かったのだが、「何がやりたいの?」と問われたとき、私は自分のやりたいことが明確でないし、強みもないことを痛感した。SFC(慶應湘南藤沢キャンパ ス)には、自分の強みを把握しており自己ブランディングが上手く、将来のビジョンが明確でそれを実現するための努力を惜しまず、過程を楽しみながら夢に向 かって動き出している学生もたくさんいた。(11/22-23に東京ミッドタウンで開催されたSFCの研究発表会ORF:open research forumでもSFCの学生の熱いエネルギーをひしひしと感じられた)
東京は、自分さえ動けば面白いものにすぐ手が届く。新宿まで2時間以上かかる群馬県民からみると、ちょっと電車に揺られれば日本の中心にひょいと行けてし まう環境は本当に恵まれている。私はその環境を最大限に活かそうと、課外の勉強会や交流会などによく行っていた。今まで知らなかった世界は新鮮で、人との 出会いが楽しくて仕方なかった。見聞も広めようと、映画やドラマも積極的に見た。
その中で最近、30年前に放送されたドラマ「おしん」を見た。言わずと知れた日本の名作である。おしんは他の人と違って、自分の頭で考えて行動を起こす人 だ。例えば、女でも一人で生きていけるようにと手に職をつけるため、髪結いの師匠に弟子入りを懇願したり、震災後何もかも失って夫の実家に引き揚げて農作 業の毎日を送っていたが、そこでの明るい将来が見えなくなったら、1人で東京へ帰り夫婦別居をしたり、というような自分で人生を切り拓いていく生き方が多 くの人の共感を呼ぶのだろう。
自分で物事を深く考えるか否かという選択が、その後の人の人生を大きく左右する。人から言われたことしか出来ない人間は、奴隷と同じだ。果たして、私は自分の頭で考えているだろうか?
振り返ってみると、大学の勉強も言われたことをやるという受動的なものが多く、アルバイトといえば大体は言われたことをすればそれで良かった(逆に自分で 考えて行動すると裏目に出て怒られることもあるくらい)。マニュアル化する社会に疑問を覚えるし、スマートフォンの普及で便利になったことも多いが、時間 の浪費もしやすくなった。「時間が勿体ないからゲームはしない」と言う友人がいたが、私はたまにはゲームもしたくなってしまう。勉強会や交流会、映画など によりインプットはたくさんしても、自分自身で考えて意見を発信するというアウトプットを十分にしないまま次へ次へと進んでいった。自分でも気付かないう ちに「今が楽しければいい」という思考に飲み込まれ、将来のことを真剣に考えようと思ってはいても、後回しになっていた。子どもの頃なりたくないと思って いた「自分で考えていない(ように見える)大人」に、知らないうちに私自身もなりつつあった。
自分の頭で考えられるようになるには、色々なことに関心を持って、それに対する自分の意見を持ち、言語化して人に伝える訓練が必要だ。ふと思い出すのは小 学校に、教育目標として貼ってあった「自分で考え、判断し、行動する子ども」という言葉だ。与えられるのを待っているのではなく、自分で考え、能動的に行 動することが、私は大学生である今でも十分にできているとは言えない。今本当にやるべきことは本を読むこと、色々な背景を持った人に会って視野を広げ、社 交性を磨くこと、世界や日本の違う文化圏に行ってみて多様な価値観に触れること、加えて看護師として大事だとよく言われるのは感受性を高めることだ。しか しそれらを体験しただけで終わりにしないで、自分自身でそれについてじっくりと考えてみることが重要で、意見は発信していかなければ人には伝わらない。考 えることにも学ぶことにも終わりはない。「難しい」と言って思考をそこで終わりにするのは簡単だが、逃げないで考え続けることをやめない人間でありたいと 同時に、これからはインプットだけでなくきちんとアウトプットをしていきたい。
【略歴】粒良 夏未(つぶら なつみ)
群馬県前橋市生まれ。前橋女子高校卒業後、慶應義塾大学看護医療学部入学。現在3年生。