医療ガバナンス学会 (2013年12月10日 06:00)
“野馬追”の地だけに、この街にはたくさんの馬がいる。3月11日の震災当日、南相馬市には、過去に中央競馬で勝ち鞍を残した功労馬が35頭繋養されてい た。競走馬としての役割を終え、残りの半生を過ごすために、この区域に送られてきた馬たちである。多くは”野馬追”に参加しながら、母屋の隣の馬房で家族 同様に大切に育てられていたのである。
しかし、馬だから例外というわけではなく、津波で流された馬もいれば、移動していった馬もいた。避難先で亡くなったりもした。
そんな中で、私がお世話になっているライディング・センターの厩舎(きゅうしゃ)には、往年の中央競馬会サラブレッドの”サブジェクト”や”ノーリーズ ン”、”キネティクス”、”ワンダフルデイズ”、”ゴッドオブチャンス”、”ブレ―ブテンダー”などがいて、震災後もずっと在厩していた(1頭は移動させ たが、すぐに帰厩した)。その中には皐月賞(さつきしょう)を制した馬もいた。
正直私は、この土地に来て野馬追を観覧し、乗馬を習うまでは、馬というものにはほとんどまったく、これっぽっちも興味はなかった。しかし、何の因果か、毎 週その鞍にまたがっている。そのようなことをしていれば、誰だってどうしたって愛おしくなるし、できれば”人馬一体”という贅沢な瞬間を味わってみたくも なる。
“乗馬”というスポーツは、今まで私の経験してきた趣味・特技といったものとは、明らかに一線を画する趣きであった。いつもとは違う景色、動物のぬくもり と息づかい、馬の動きに合わせて乗る一体感というものは、言い方は難しいのだが、すなわちそれは、「身体はもちろんのこと、心というか、魂を使う技能的ス ポーツだ」ということである。「通わせる」というイメージを常に頭に抱かせる競技である。
早朝暗いうちから、おもむろに厩舎から引っ張り出されてきた馬に乗るわけだから、どうしたってお互いの理解というか、気遣いというものが必要である。「どちらも朝からお疲れ様」的な。
馬も眠いなかで始動であり、馬と私との準備体操が始まる。馬は軽いジョギング(インストラクターさん騎乗による慣らし運動のようなもの)、私はストレッチ である。ほどよく馬の身体が温まってきた時点で(私は、ふにゃふにゃしているので、馬の方が先に準備を終える)、とりあえず鐙(あぶみ)に足を通す。
姿勢を正すと、馬は何となく歩き出す。馬場を4、5周させると、やや走らせた方がいい雰囲気になってくる。常歩(なみあし)から軽速歩(けいはやあし)へ と移行させるのだが、ここまでは調教された馬なら何とかこなしてくれる。だが、ここからの練習は、初心者と上級者では圧倒的な違いを見せる。私のような初 心者では、まったく指示が入らない(もしくは、予期せぬ動きを取られることがある)。その度に、「腰をしっかり割って(騎座)、バランスで乗り、あごを引 き、背筋を伸ばし、目は正面を見て、あぶみはセンベイ1枚分、踵を下げて、こぶしは固定、手綱を短く、ワンツー・ワンツーで、堂々と」というような指導が 飛ぶ。
「一度に、あれもこれもできません!」という言い訳は一切叫ばず、「ハイ、分かりました」と、大声で返答する。何というか月並みな感想だけど、難しいだけに楽しみ甲斐は十分にある。
乗馬をはじめて以来、日増しにどんどん馬に対する関心が増してきた。上手に騎乗できるようになるためとはいえ、馬をできるだけ理解したくなってきた。そん な中で、冒頭述べたように野馬追に出陣しているこの地域の馬の多くが、元競走馬であることを知った。往年時代には、中央・地方を問わず競馬場を疾走してい たのだ。
私のような昨日今日乗馬をはじめた人間が言うのもどうかと思うが、”競馬”には馬を愛する多くの人たちの関与と苦労とがある。単に馬と馬との競走だけでは なく、活躍を願って競走馬を無事に育てる生産者がいて、レースに出走できるように地道に鍛える調教師や厩舎スタッフがいて、馬たちの競走生活を支えている 馬主がいて、そしてもちろん、レース場で能力を最大限に発揮させるための優れた騎手がいるわけである。
そして、華々しく競馬界を、文字通り駆け抜けていく。優駿で重賞を果たした馬もいれば、残念ながら早期に退場を強いられる馬もいる。故障によって、予後不良(すなわち安楽死処置)と判断される現実もある。
競走馬が引退する時期については、種牡馬や繁殖牝馬としての期待の大きさや健康状態、馬主の意向などの要因が作用するのだが、その後の用途としては、種牡 馬や繁殖牝馬、競馬場の誘導馬、馬術競技、農業系学科の教育機関(高校・大学)の実習に従事する使役馬などの選択肢がある。
さらに、野馬追のような伝統的な馬事文化の存在する地域や草競馬が盛んな地域では、これに参加することを目的とした個人に繋養される場合も少なからずある。
乗馬を習いはじめた理由として、確かに私は、「”野馬追”を観覧することによって、自分もそれに出陣したい」という願望があった。単純と言えば単純な動機 だが、でも、そういうシンプルな部分が人間にはあってもいいと思ったし、この地で生活していて、それをやらない手はないと考えていた。
だが、実際に習いはじめて分かったことなのだが、どうやら私が「乗馬が上手くなりたい」と願う本当の理由は、もっとずっと奥深いところにあった。
それは、この街に送られてきた、元競走馬への哀愁だった。これまで何となく想像はしていたが、競走馬の生涯をはじめて理解した。どれほど強かった馬でも、 やがてその勢いは止まり、勝てなくなった馬は、否が応でも引退の道を敷かれる。その競走馬としての生き様が、私の人生ともオーバーラップしているのかもし れない。
大学病院で培ったスキルは、この地での活動に対して、もちろん有益に働いている。しかし、巨大組織のフロントラインに立っていた過去の自分からみれば、こ の地での己が――もちろん、それは自ら望んで来たわけなのだが――、何となく”一線を退いた”というか、”閉塞した過去からのリセット”というか、そうい う想いがあったのではないかという気持ちに駆られるのである。
厩舎からは、時折闘争的な嘶(いなな)きが響く。狭い馬場にも関わらず、それでもその中で軽やかな駈歩(かけあし)・襲歩(しゅうほ)を見せる。そんな姿を見ると、「遥か昔の競走馬時代を思い出しているのかな」というような感慨に耽る。
馬たちは、この地に送られてきてからの生活をどう思っているのだろうか?
「馬の瞳は優しい」と言われるが、もちろん何も語ってはくれない。「馬は優雅で美しい」と言われるが、もちろん今の私に対しては、何も表現してはくれな い。指示に従ってくれることもあれば、反応しないこともある。どんな姿になろうが、何歳になろうが、彼らには疾走していた若き日のプライドがある。馬で あったとしても、いや馬だからこそ、人間との共存を承認したその日から、長い長い葛藤と妥協と折り合いとがあるのだろう。
インストラクターさんは、「馬に負けるな」というようなことを言って、乗馬技術の向上のアドバイスをくれるが、その狙いとするところは、「早く馬との共存を図れ」という意味なのだろう。人と馬との一体が、やはり乗馬には何より大切なのである。
ここには中央競馬会を去った馬たちが、人間たちと一緒に野馬追に出場しながら余生を送っている。”都落ち”や”望郷”などというと少し寂しい気もするが、それでもどこか優美なのは、もしかしたら、馬が本来の自然な姿に戻っているからなのかもしれない。
いまこの地で私が馬に憧れる理由のひとつは、自身がこの地の暮らしに何となくの陰りをみせ、風化する震災と、方向性を模索している私の活動とを、かつて競馬馬だった彼らの余生に重ね合わせ、どこかで自分と物憂げな馬とをダブらせてしまうからなのかもしれない。
今は、「上手く馬に乗れるようになりたい」と切実に思っている。それは、きっと私が、ここに来た証のひとつになると思っているからで、ここでの医師の活動を通して本来の自分の姿を取り戻したいからである。
そんな中で、「先生、いつの間にか駈けられるようになったね」とか、「この調子なら”野馬追”大丈夫だ」と言われれば、私にも新たな目標が湧いてくる。も う少し、この地での活動を続けていきたい気持ちになってくる。それは、今の私にとって、何ものにも変えがたい希望である。