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Vol.308 ロンドンから相馬市に赴任した内科医は見た

医療ガバナンス学会 (2013年12月18日 06:00)


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メディアが書けない自殺者、ロコモティブシンドロームの増加…

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

相馬中央病院内科医
越智 小枝
2013年12月18日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


私は2011年の東日本大震災の半年後から英国インペリアルカレッジ・ロンドンの公衆衛生大学院へ留学していましたが、この度留学を終え、本年11月に相 馬中央病院内科の常勤医として勤務を始めました。相馬中央病院は現・相馬市長の立谷秀清氏が設立した病院で、規模こそ小さいものの地域に密着した診療を 行っています。

●相馬市への移住の決意
「原発の近くに支援に入るなんて勇気があるね」と言われることがよくありますが、これには2点、修正したい点があります。

1点目は、私は「支援」に入っているつもりはない、ということです。私が相馬市に移住した理由には様々ありますが、何よりも相馬市の地域復興の在り方が公衆衛生学的な視点から見て興味深かった、という点が挙げられます。
また、現在相馬市という小さな町に研究者、教師、アスリートなど、あらゆる分野で一流の人々が集まっており、そのような人々との交流のチャンスも与えられています。そういう意味で、相馬への移住は私自身が学ぶチャンスであり、第2の留学だと思っています。

2点目は、相馬市に住むのに勇気はいらない、ということです。もし相馬市で放射線量が測定されていない町であったら、もちろん私も移住はためらったと思い ます。しかし実際には南相馬市立病院の坪倉正治医師を中心とした被曝調査チームにより住民の放射線の内部・外部被曝量に関してはデータが蓄積しており、住 むには安全だと考えるには十分でした。
余談になりますが、ロンドンで知り合った放射線医師には、「あの被曝量じゃ研究にならないからあまり興味ない」とすら言われてしまいました。
また被曝量が少なすぎるせいで、政府とグルになって被曝量を低く見せている、という「風評被害」まで出ているそうです。私自身は坪倉先生チームと知り合い であることもあり、このデータの信頼性は自分が移住を決めることができる程度に高いと思っています。坪倉医師の拠点は南相馬市ですが、先生は相馬市にも毎 週訪れます。行政区などということにこだわらず、相双地区が一丸となって調査チームを受け入れていることがこの地域の特色である気がします。

相馬市は震災前の人口が約3万7000人、そのうち479人(1.3%)の命が津波により失われ、4000人以上が避難生活を余儀なくされました(1)。
しかしこの状況でも、相馬市長の一声の下に市外からの大勢の避難者を受け入れたそうです。これは地方自治体の行政にとっては大きな負担だったと思います が、その結果、相馬市は自身が被災地でありながら他地域を支援する、という独特のカラーを打ち出し、支援活動家たちの拠点となりました。
外部の方を柔軟に受け入れる相双地区の雰囲気もまた、私が「長期留学」(ひょっとしたら生涯留学になるかもしれません)を決めた大きな要因です。

●相双の自主自立と柔軟性
相双地区に支援に入っている団体には、子供たちや教師の方々の精神面のフォローを行う相馬フォロアーチームや、仮設住宅健診を行う東大医科研チームなどが あります。中でも注目すべきは、相馬高校に支援に入っている代ゼミ名物講師(藤井健志先生・安藤勝美先生)の活動でしょう。
このお2人の行動力もさることながら、教員でありながら塾講師を受け入れる、という高校側の柔軟性も素晴らしいと思います。
このような鷹揚で柔軟な発想は、相馬市の人々に共通した美徳なのかもしれません。実は本年の6月より、整形外科医として埼玉県で開業している私の父(越智 浩一・越智整形外科)もまた、相馬中央病院で月1回の勤務をさせていただいています。その父が相馬での経験を同窓会報に投稿した際、相馬で診た患者さんを 次のように表現していました。「…その背中に諦めは見えない。柔らかいが、人からの労りは受け付けることはない。傾いてはいるがまっすぐな背は、そう語っ ている。…」これはまさに相馬市全体の雰囲気を語っていると思います。

例えば、らいふねっと相馬、という独居老人への声掛けボランティアは、すべて地域の住民で構成されたボランティアです(2)が、そちらの理事長の阿部孝志 さんとお話しする機会がありました。その時に伺ったのは、「外から来た人のボランティアは長く続かない」「あくまで大人のためのボランティアなのだから、 無理に若者たちを参加させようとも思わない」の2点でした。

震災当時相馬高校で剣道部の顧問をされていた荒義紀先生も、同じ気概を持っていらっしゃいました。私自身は9歳の時から剣道をたしなんでおり、どこかに行くたびに防具を持参して地元の稽古に入れていただく性癖があります。
私が最初に相馬高校で稽古をさせていただいたのは2011年の7月。剣道界は元々学生不足に悩んでいますが、震災直後の相馬高校の剣道部も男子3人、女子 3人の小さな部活でした。稽古の後に、「震災がなければこういう先生方は来てくれなかったんだから、おまえら感謝しろ」と生徒を諭す荒先生の言葉が心に沁 みました。
翌年の剣道部は5人戦で戦う福島県の地区大会に3人チームで出場し、1人でも負けたら負け、という厳しい状況で、なんと男子は優勝、女子は準優勝を飾りま した。 「『被災者』という目で見ていた周りの教師の目つきが本気で悔しがる目に変わったんだ」と嬉しそうに(ちょっとワルそうに)言う荒先生の笑顔は、 まさに「柔らかいが、労りを受け付けない」という表現がぴったりでした。

●行政と民間
私の勤務する病院の理事長であり相馬市長でもある立谷秀清先生もこの例に漏れません。相馬市はマスメディアに市の窮状を訴えて支援を求める、ということを やらないため、知名度はあまり高くないのかもしれませんが、その分のエネルギーを地元の文化のテコ入れに使っている、という印象を受けます。
立谷市長は「短期対応は『救命』と『衣食住』だが、中期的な重点課題は『医職住育』。今回の相馬の場合『備える』を加えて『医職住育備』となる」(3)という明快なプランを持ち、住民健診・被曝健診の実行や巨大な備蓄庫を建てるなど、有言実行の方でもあります。

一方、それでいて欧米にならったシステム重視の復興計画などには全く興味を示しません。「リヤカー部隊」「長屋」「寺子屋」など地元に古くからある活動を NPO化することで継続させる、という姿勢を貫いています。ご本人は自分を「悪代官」と自称されますが、どちらかと言うと地域の顔役、と言った方がイメー ジが近いかな、と思っています。

復興に成功している地域には必ずこのような個性とリーダーシップを持った人物がいますが、3.11の直前に起きたニュージーランド大地震で壊滅的な被害を 受けたカンタベリー市では、Canterbury Earthquake Recovery Authority(CERA)のCEOがそれにあたるかもしれません。復興対策室のアリステア・ハンフリー医師とお話しする機会がありましたが、彼も 「リーダーシップなくコミュニティーの復興はあり得ない」と断言していました。
カンタベリー市ではコミュニティーを中心に据え経済・社会・建築・文化・自然を5つの軸に置いた復興計画を立てています(4)。相馬の健康を中心に据えた 医職住育備はこれに匹敵するメッセージ性があると思っており、この2市を比較することで東西のリーダーシップの違いを比較できないか、というのが私にとっ て目下興味の対象です。

●新たな挑戦
このような相馬市ですが、震災後2年半を迎え、新たな課題を抱えているようです。一番は、復興のスピードの格差により、現在の相馬市の状況を「復興が完成 した」と感じ、安定を求める人々と、「復興はまだ成っていない」と感じ、発展を求める人々とに温度差が生じていることです。

相馬市は災害直後の混乱期にどこよりも早く仮設住宅を建て、その後も復興住宅、復興長屋を建てたり、私のような外部からの人間を次々と雇い入れたり、とい う「攻め」の復興を目指してきました。その間、復興をつかさどるリーダーたちは常に市議会委員などの地元の人間であり続けた、という点も、特筆すべきだと 思います。

しかし元々食べ物も水も空気も美味しく、ゆったりと生きてきた城下町の方々にとって、この「急変」は耐え難かったのかもしれません。発展にはエネルギーを 要しますから、少し休みたい、と思われる住民の方の気持ちも理解できるような気がしますし、そのような方々にこれ以上頑張れ、と言うことは酷だとは思いま す。

しかし復興は完成したのでしょうか?
インフラと表面的な社会機能を見れば、相馬市は定常状態に戻った、と見えるかもしれません。しかし仮設住宅健診など、災害の少し後から相馬市の保健・医療の現場に参加させていただいている立場から見ると、私自身は後者の意見に賛成です。
例えば災害の後、様々な理由により地域のロコモティブシンドロームが増加しています(5)。住民1万人当たりで医師数を数える、というほどの地域の医師不足もまだ解消されていません。

もう1つ懸念されるのは、自殺率の増加です。これは他の市になりますが、2013年に入ってから自殺率が増加した、という話を聞きました。このような事実はマスメディアで報道をしてしまうと社会の自殺率を増加させてしまうため、報道ができないようです。
自殺される方の多くは家族も家も仕事もある、ごく普通の方々のようです。平均的であるがゆえに支援の対象とならない人々の間に、見た目の復興と実際の生活 とのギャップによる精神的なストレスが増えているのかもしれません。このような人々を救うためには、社会そのものの活力を底上げする必要があると感じま す。

急速な高齢化という社会問題をどこよりも早く経験している多くの被災市では、客観的に考えて現状維持を求めれば健康が増悪することが必至です。さらに、今後被災地では急速に人的・経済的支援がなくなっていきます。

つまり、たとえ今が災害前の状態だったとしても、発展を目指さなければ健康は決して安定はしないだろう、という予測がつくのです。

●チャンスの前髪
しかし見方を変えれば、今この町が直面している問題、高齢者の廃用症候群、医師不足、介護不足、教育問題などの多くは、災害がなくても10年後、20年後に日本全体が直面する可能性が高いものばかりです。
そういう意味では被災地は高齢化社会の最先端を行く街でもあります。災害という機会に人・モノ・カネが集まってくる。この機会を十分に利用してどこよりも先にこの問題に備えることができる。
市長の言う「医職住育備」の「備」の部分にはこのような側面も含まれているのではないでしょうか。

日本の私を含め、相双地区に入ってくる比較的若い人材は、災害という機会を利用してこのような最先端の社会問題に取り組もうとしている人ばかりです。走り疲れた住民の方々も、是非こういう若いよそ者のエネルギーを利用していただきたいと思っています。
私が相馬市長の運営する病院に留学を決意したのは、まさに地域に「使って」いただくためなのですから。
地域の災害復興と地方行政は災害公衆衛生の中でもとても注目を浴びている分野ですが、このようなケースに巡り合えたことは私にとって僥倖でした。

今後この相馬市が今の勢いを殺さずにどのように発展していくのか。例えば私が80歳になった時にまだここに住みたい、と思える街であるのか。これからは内部の人間として自身も努力しつつ、じっくりと観察していきたいと思います。

<参考文献>
(1)東日本大震災における死者・行方不明者数及びその率(県別および市町村別)2013(平成25)年3月11日(月)現在(2年経過).
(2)越智小枝.倫敦通信(第5回)~高齢化社会の先を行く街、相馬市.MRIC Vol.24 2013.
(3)相馬市長立谷秀清メールマガジン 2011/04/04号 No.250
(4)Canterbury Earthquake Recovery Authority. RECOVERY STRATEGY / MAHERE HAUMANUTANGA.
(5)越智小枝.倫敦通信(第9回)~相馬健診、その先にあるもの.MRIC Vol.198 2013.

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