医療ガバナンス学会 (2013年12月26日 06:00)
報告書では、「専門職自律(プロフェッショナル・オートノミー)」という言葉の誤魔化しによって、本来の狙いを隠しています(日本の科学者が集まって作成 した報告書ですので、この言葉の理解の無さによるとは考えがたいので、判った上での誤魔化しでしょう)。本来の狙いを明かすためには、この誤魔化しの構造 を明らかにする必要があります。そのために、「自律(autonomy)」という言葉、「プロフェッショナル・オートノミー(professional autonomy )」という言葉、その本来の意味を確認していきます。
まず「自律(autonomy)」の意味です。ご存じのように、これはカント(Immanuel Kant, 1724-1804)の造語です。カントは、神に近付くための、自己規制(self-regulation)による本能からの自立 (independence)、これを自律(autonomy)と呼びました。自律こそが動物と違う人間らしさ(humanity)であり、神に近づき得 る自律こそが人間に尊厳(human dignity)を与えるとしました。自己規制の無い自立は単なる自立、自立の無い自己規制は単なる自己規制、どちらも自律の概念には当たりません。自己 規制と自立を、コインの裏表のように分けることができないものと見るのが、カントの自律の概念です。
カントの自律の概念は、個人だけでなく、組織(法人のような個人とみなせる組織)にも適用することができます。適用するには第一に、組織の目的達成のため に、「何からの自立(independence)が必要か」を明らかにすること、そして第二に、「自立に必要な自己規制(self- regulation)システム」を構築すること、この二点が必須となります。「何からの自立(independence)が必要か」を明らかにしていな い組織は、自律していない組織であり、自律していない組織の自己規制システムは、単に強制のための懲罰(処罰)システムにすぎません。
次に、「プロフェッショナル・オートノミー(professional autonomy )」の意味です。ナチス・ドイツでのホロコーストに多数の医師が関与していたことを反省して、世界医師会は「患者の人権擁護」のための方策を考えてきまし た。そして、「患者の人権擁護」のためには患者、医師、医師会、それぞれの自律が必要だとして、patient autonomy(患者としての自律)、clinical autonomy(個々の医師としての自律)、professional autonomy(医師会としての自律) と呼んでいます(括弧内は筆者訳です)。
まずpatient autonomy(患者としての自律)の内容です。医師に「お任せの医療」から患者の「自己決定の医療」(すなわち、医師からの independence)に変わったのは、患者が自身の人権を守るためです。いろいろ考えた(self-regulationの)末での自己決定です。 つぎにclinical autonomy(個々の医師としての自律)の内容です。「患者の人権擁護」のためには、医師が「患者第一;To put the patient first」を考えた(self-regulationの)末での診療を行う必要があります。そのためには「第三者の意向からの自立 (independence)」が必要です。自立していなければ、第三者の意向を優先させて、患者の人権問題を起こすことになりかねないからです。最後に professional autonomy(医師会としての自律)の内容です。第三者の意向が強い時、個々の医師だけでは「患者の人権擁護」は難しくなります。そこで医師会は個々 の医師をバックアップする必要があります。そのためには、医師会も「第三者の意向からの自立(independence)」が必要です。また時には、第三 者の意向を介して、あるいは介さずに「患者の人権問題」をひき起こす医師が出現します。「患者の人権擁護」のためには、このような医師を教育、あるいは排 除するための懲罰(処罰)システム(a system of self-regulation)が必要になります。
以上の世界医師会の考えは各国の医師会に受け入れられて、「世界の常識」になっています。残念ながら日本医師会はprofessional autonomy(医師会としての自律)の考えを受け入れず、片仮名のプロフェッショナル・オートノミーを「個々の医師のself- regulation」の意味で使っています。
以上が、「自律(autonomy)」および「professional autonomy(医師会としての自律)」の本来の意味、「世界の常識」です。
本来の意味を確認したところで、報告書にもどります。報告書は全員加入の新組織を作って「専門職自律(プロフェッショナル・オートノミー)」を確立すると 言っています。しかし、新組織が「何から自立(independence)するのか」、「何から自立(independence)する必要があるのか」を 示していません。これが新組織の在り方を変えてしまいます。自立(independence)を明らかにしていない組織は自律した組織ではありません。自 律していない組織の懲罰(処罰)システムは単に強制のためのシステムとなります。その結果、新組織の狙いは、全員強制加入で懲罰機能を働かせるための新医 師会制度(いわば「徴医制」)となってしまうのです。
報告書の中の「専門職自律(プロフェッショナル・オートノミー)」は、「個々の医師としての自律」を示しているようにも受け取れます。組織の自律を意味す るのか、個々の医師の自律を意味するのか、報告書は曖昧です(科学者が書いた報告書とは思えません)。いずれにしろ、個々の医師が「何から自立 (independence)するのか」、「何から自立(independence)する必要があるのか」を示していません。報告書(p.14)では、 ■(医師の臨床上の判断の自由が)保証されていることが不可欠である」■と言っています。第三者から保証されると言うことであれば、第三者からの自立 (independence)は有り得ません。社会から保証されることが不可能であることは後述します。
以上で、報告書の「専門職自律(プロフェッショナル・オートノミー)」が、世界医師会のprofessional autonomyとはまったく異なるものであり、カントの自律の概念にまったく当てはまらないものでることを示しました。このような「誤魔化した言葉の使 用」は本来の狙いを隠すためでしょう。このような「専門職自律(プロフェッショナル・オートノミー)」の使いかたは日本医師会も同じです。日本医師会も 「何から自立(independence)する必要があるのか」を示さずに(示せずに)使っています。その結果が医療不信、医療崩壊をもたらしていること は、拙著(2)で論じた所です。参考にしてください。
報告書の「専門職自律(プロフェッショナル・オートノミー)」がカントの自律の概念に当たらなくしている理由、すなわち本報告書の問題点の根本は、新組織 設立を必要とする、その第一理由(p.9)にあります。■第一に、医師が専門職として患者の利益を自らの利益の上に置き、専門職としての能力と倫理の水準 を維持し高めるために、専門職自律の原則に立って自己規律を行う全員加盟制医師団体を設立することは、国民にとって医療の質保証の基本的土台であり、これ は医師の「プロフェッショナル・オートノミー」として世界に普遍的な考え方である。■
これが「世界に普遍的な考え方」でないことは、もうお判りいただけると思います。そうです、足りないものがあるからです。それは医師としての自立 (independence)、医師団体としての自立(independence)です。「国民にとって医療の質保証の基本的土台」として、ここに書かれ ている内容は必要なことです。しかし、「第三者の意向からの自立(independence)」を宣誓・宣言すること、すなわち「患者の人権擁護」を宣 誓・宣言することが、最も必要なのに欠けているのです。「世界の常識」が最も重要とする自立(independence)が抜けているので、この考えは 「世界の非常識」となります。そして、カントの自律の概念とは異なるものとなるのです。
報告書の考えを「世界の非常識」にしている点を、もう一つ挙げます。それは、「オートノミー」の考え方についての補足の中に現れています(p.14-15)。
■オートノミー(autonomy)という概念は、患者の側からも「患者のオートノミー」として主張され、ここでは患者の自己決定の尊重が医師の側にとっ ての倫理原則にならなければならない。このような理解に立ってはじめて、医師の専門職自律は社会的に承認されると考えられる。■
「患者の自己決定の尊重が医師の側にとっての倫理原則にならなければならない」、この考え方は日本医師会の医の倫理と同じで、「世界の非常識」です(上述 の拙著参照)。「世界の常識」は「患者の自己決定(人権)の「擁護」が医師の側にとっての倫理原則にならなければならない」です。「世界の非常識」となっ ている理由の第一は、(医師という状態の)人間が、(患者と言う状態の)他の人間の人権を尊重することは当たり前のことです。患者の人権(自己決定)を無 視すれば法律違反で罰せられます。当たり前のことは倫理原則になりません。第二に、単に「尊重」するだけでは「時には、第三者の意向を優先させる」ことが 起きて「患者の人権問題」になります。これでは「社会的に承認される」ことは考えられません。報告書(p.14)では、上述したように、基本的考え方の第 一に■(医師の臨床上の判断の自由が)保証されていることが不可欠である」■を挙げています。しかし、「社会から保証される」ことは有り得ないのです。
「医師の専門職自律およびそれを担う全員加盟制組織の必要性」、その基本的考えがそもそも「世界の非常識」だと言う事です。
「世界の非常識」を基本的考えにして作ろうとしている新医師組織、その狙いは報告書の中には出てきません。隠されています。厚労省の「専門医の在り方に関 する検討会」(会長は高久史麿・日本医学会会長)の報告書の中でも、「新たな専門医の仕組みは、プロフェッショナルオートノミー(専門家による自律性)を 基盤として設計」するとしています。ここでも「何からの自立(independence)が必要か」ということは述べられていません。専門医の在り方を 「自律的に」決めようとするなら、本来は日本医学会が決めるべきです。それを厚労省の検討会で(すなわち、他律的に)決めようとしています。「プロフェッ ショナルオートノミー(専門家による自律性)」という言葉を、誤魔化して使っていることを意味します。
医療が崩壊すれば、社会から非難されるのは厚労省です。医療崩壊は現場からの医師の「立ち去り」から起きます。医療崩壊を起こしている(起こしそうな)現 場に医師を強制的に張り付けるためにはどのようにすればよいか、厚労省は考えました。その一つが専門医制度を利用した「医師の偏在の是正」です(「専門医 の在り方に関する検討会」報告書)。もう一つが官僚統制の強化が図れる新医師会制度です(日本学術会議からの報告書)。すでに日本医学会は法人化により日 本医師会からの独立をきめました。これら一連の動きから考えられる新組織とは、「医療を崩壊させないために」、「専門医を含めた医師の地域・診療科による 偏在を是正する」ための、日本医師会から独立した日本医学会を中心とした、全員強制加入で懲罰機能を持たせた新医師会制度(いわば「徴医制」)と言う事に なります。
厚労省の下、日本学術会議、日本医学会、日本医師会、それぞれの上層部が一団となって、現場の医師の孤立を招く医療不信を利用しながら(3)、現場の医師 の官僚統制の強化を図ろうとしています。その手段は「専門職の自律(プロフェッショナル・オートノミー)」という言葉の誤魔化した使い方です。これに誤魔 化されないことです。そして現場の医師として出来ることは何でしょうか。それは「患者の自己決定(人権)を尊重する」ことを当然のこととし、「われわれ医 師は、患者の自己決定(人権)を擁護する」と宣言することです。個々の医師としても、それぞれの医師集団としても、「われわれ医師は、患者の自己決定(人 権)を擁護する」と宣言することです。そうして初めて、社会から信用され、医療不信が解消し、官僚統制を撥ね退けることができるようになるのです。
ちなみに、日本看護協会の「看護者の倫理綱領」(2003年)は次のように宣言している。■第4条:看護者は、人びとの知る権利及び自己決定の権利を尊重 し、その権利を擁護する。第6条:看護者は、対象となる人々への看護が阻害されているときや危険にさらされているときは、人々を保護し安全を確保する。 (解説)対象となる人々の生命、人権が脅かされると判断した場合には、害を為さないために、疑義の申し立てや実施の拒否を行う。■
これこそが「世界の常識」であり、世界医師会のジュネーブ宣言の第10項に相当する内容です。■ジュネーブ宣言;第10項:I shall not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat. 私は、たとえ脅迫の下であっても、人権や国民の自由を犯すために、自分の医学的知識を利用することはしない。■
医師として、出来るだけ早く、看護者の倫理レベルに追い付きたいものです。
医療界の一連の動きの中心人物は高久史麿・日本医学会会長でしょう。今後は、ご高齢の高久史麿会長から若い金澤一郎・日本学術会議・元会長にバトンタッチ されていくようです。両氏の動向を見守って行く必要があります。本稿に対するご批判、ご意見など、また、動向に関する情報など、 bpcem721@tcct.zaq.ne.jpまで頂ければ幸いです。
(1)「日本医学会の法人化と、全員加入で懲戒処分機能を持つ新医師会構想」(2013.2.20. MRIC Vol.47.)
(2)「医師が『患者の人権を尊重する』のは時代遅れで世界の非常識」(ロハス・メディア、2013)
(3)「医療事故に係わる調査の仕組み等のあり方に関する検討部会『とりまとめ案』に対する反対意見」(2013.6.21. MRIC Vol.153.)