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Vol.313 オンライン講座への過度な期待

医療ガバナンス学会 (2013年12月25日 06:00)


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東邦大学理学部情報科学科准教授
日紫喜 光良
2013年12月25日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


JBPress 2013.11.23(土)付「オピニオン」への、内原正樹氏(昭和大学医学部3年生)の寄稿「医学教育にオンライン講座の導入を-高いスキルと教養を 持った医師を低コストで育成するために-」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39229)を読んだ。オンラ イン講座の導入が大学間の壁さらには大学の壁をも取り払い、すべての人に学びの機会の平等をもたらすであろうことは確かだろう。だから、教養科目の講座が オンライン化されれば医学生でも授業時間外に教養科目を学ぶ機会を得ることができる。そういえば今でも放送大学があるではないか。

ところが彼の意見でユニークだと私が感じたところは、教養科目のほうではなくて医学教育の一部こそ大学間で共通化・オンライン化したらどうかと主張してい ることである。教養を高めたい医学生にとってオンライン化されるべきは教養科目か医学教育か?それに答えを出す前に、内原氏の意見の要旨をおさらいしてお こう。

来春から国内有名大学の講義の無料受講、そして単位取得が、MOOC(Massive Open Online Course, ムークと発音)と一般によばれる大規模公開オンライン講座を通じて可能になる(参考「日本版「ムーク」来春始動 大学講義を無料ネット配信」日本経済新聞 Web版2013/10/11 20:42 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDD110O6_R11C13A0TJ2000/)。彼はさらに一歩進んで、 MOOCが医学教育のありかたを変えることを期待している。

医学教育には基礎医学・臨床医学とも実習の他に、俗に座学とよばれる、講義を通じて行われる教育がある。そして、特に低学年では座学が占める割合が多い。 彼は「4年生までの医学教育のうち約7割は座学授業が占める」という。座学が一日のほとんどを占めているので、医師である以前に市民として重要な経済、政 治、法律といった医学以外の教養を積む機会が少ないと彼は考えている。

そこで彼は座学の代わりに、それぞれの科目を教えるのが上手な先生の映像講義や3次元コンピュータグラフィックスなどを利用した教材をもつMOOCを導入 することによって、「教育の質が上がる」であろうと主張する。具体的な教育の質とは何かを彼は提示していないが、彼が友人から引用したという言葉を借りれ ば「暗記中心の医療に関する学習はもっと効率よく行う」ことが可能になるということであろう。
それによって空いた時間を医学以外の教養を積むために使いたい、とは書かれていないが、結果として「幅広い教養を身につけた医師が大量に輩出される」ようになるらしいので、そのように時間が使われるのであろう。

また、良質な教材の継続的な利用によって、「教員の負担が減り、臨床や研究を手厚くできるはず」であろうと言う。さらには、「長期的には学費削減にもつな がって、ある程度以上の富裕層しか受験できないといわれる私立医学部受験の門戸も、より多くの人に開かれることにつながるだろう」と彼は予想する。以上が 彼の意見の主要部分の要約である。

驚くことに、彼にとって、臨床実習以外の基礎医学・臨床医学(臨床医学も含むであろうことは、友人の言葉として「医療に関する学習」とあることから明らか である)の勉強とは暗記をすることらしい。これについては賛否の分かれるところだと思う。確かに医学生の視点からはそう感じる者も多いだろうが、教えてい る側は決してそうは考えていないと思う。それぞれの分野は、単なる事実の積み重ねではなく、対象へのアプローチの方法論について過去からの積み重ねがあ り、それを教えるのが講義であろう。試験勉強はそれとはまた別のものであり、講義で聴いたことを思い出しながら、教科書とノートから自分の頭の中に知識体 系をつくる孤独な行為である。学生のときはそれほど意識しないが、後で振り返れば、そういう意味だろうかと思い出される。

百歩譲って、暗記が目的だとする。座学のMOOC化が暗記の効率化につながるか。MOOC以前から、学生が個別に電子化教材を用いて行う学習方法はe- learningという名前で存在していた。その研究から、(1)短期的には講義形式のほうが記憶保持の程度が高いが、長期的にはあまり変わらなくなる [1]、(2)電子的な教材は学生が講義対象への興味を増したりやる気を出したりする点で、講義を補強するために役立つ[2]といった報告が出ている。 従って、少なくともMOOCを講義の補助に使うのは問題ないと考えられる。

さらに進んでMOOCを医学生の教育の中心に据えることが可能かを考える際に、(3)e-learningを活用できる学生には、自立心、責任感、積極的 な動機づけといった特徴がある[3]という知見は興味深い。これには頷ける。だからこそ、彼の意見の中心である「座学授業のオンライン化が進むことで、教 育の質が向上するのはもちろん、教員の(教育への)負担が減り、臨床や研究を手厚くできるはずだ。」は、ごく限られた場合にしか成り立たないと私は考え る。すなわち、彼の期待-教員の教育負担の削減-が実現するには、導入した大学のすべての学生の自発性・やる気・基本的な学力が十分で、教材の理解の前提 になる勉強や、inverted/flipped classroom (反転授業)に備えた予習をすべての学生が自立して行えなくてはならない。さもなければ、能力の不十分な学生への個別的教育を大学教 育から外部化(言い換えると理解力の乏しい学生は家庭教師を雇わなくてはいけないことにする)できれば、そういう学生の指導を教員は負担しなくてよい。し かしそれは日本の大学の姿として現実的ではないと思う。

実際、コースを最後までやり通すMOOC受講者の割合はCourseraの場合およそ10%程度だという。しかしほとんどの受講者は冷やかしである。その ため、条件を限定すれば修了者の割合はもっと高い。例えば、最初の課題を提出した受講者の修了率は45%、本人確認のための付随ソフトウェアを購入した場 合は70%を超えるという[4]。日本の医学生に日本語の医学教材を与えれば修了率がもっと高くなる可能性はある。それでも、MOOCを中心に据えていい と言い切れるほど高い率だろうか?

大学に入学した学生の資質には幅があるのが普通である以上、教員の教育への手間はやはり残るどころか、オンライン化によって、さらに手間をかける必要が出 てくるのではないか。もちろんこれは思考にすぎないので、ひょっとしたらそうではないかもしれない。MOOCをやってみて検証するのも一つの方法だろう。

さて、これまでの話では、教育とは暗記を促進することである、という内原氏の考えに沿って思考を進めてきた。彼の考えに寄り添って考えても、どうやら、オ ンライン化は手間を省きたいという意図に反して、手間を減らすとは限らないようである、それならば、思い切り手間をかけることによって暗記を超えた新たな 教育のやりかたが出てくるのではないか。

それを裏付ける面白い言葉がある。SPOC (Small Private Online Course)という、MOOCとはオンラインであること以外は正反対のやりかたの教育である(BBCによる紹 介:http://www.bbc.co.uk/news/business-24166247)。ハーバード大学ケネディスクールやカリフォルニア大学 バークレー校で実験的に始められた。定員があり、ケネディスクールの場合500人である。ケネディスクールの場合国際政策についての論説を課して選抜を行 う。合格したら、オンラインでの受講だけでなく、毎週、課題を提出しなくてはならない。

SPOCの特徴は、MOOCが講義のおこなわれている教室を複製することだとしたら、SPOCは教室を作り出すことだという。つまり、オンラインで参加している学生に個別に柔軟に対応することによってそれぞれの学生が何かを得られるようにすることである。

ハーバード大学はMOOCをやめてSPOCに移るのではなく、マトリョーシカのように、MOOC, SPOC, そして正式の課程と、より少人数で権威のある課程に向かって、才能のある人々を集めるための戦略として位置づけているようにもみえる、とみる人もいる。

また、内原氏は、教育のオンライン化が「学費削減にもつながって、ある程度以上の富裕層しか受験できないといわれる私立医学部受験の門戸も、より多くの人 に開かれることにつながるだろう」という。オンライン化が学費削減につながる理屈はいろいろ考えられる。例えば教員を削減するのか、それとも、入学者をう んと増やして、薄く広く学費を集め、そして少ししか卒業させないしくみにするのか?どちらも異論が出そうであるから、彼の考えをはっきりと書いてほしいも のだ。そしてSPOCの例は、オンライン化が教員の削減に向かうべきではない良い例である。むしろ、教員を増やすことで、オンライン化の効果が増大すると 予想される。

内原氏の主張のうち、MOOCによって「離島研修をする際にも、空いた時間を見つけて勉強を行うことが可能になる」というのは同意できる。そしてまさに同 じ理由で、MOOCは卒後教育にこそ威力を発揮するであろう。極めて忙しい職場は新しい知識の学習のための環境という点において離島とあまり変わりがない といえる。

以上から、最初の問いへの私の答えを出したい。医学教育にMOOCを導入すれば、理解の助けになることは十分予想され、それが結果として他の勉強をする空 き時間を生み出すかもしれない。一方で、座学をMOOCで置き換えても、大多数の学生がMOOCに適応できるかどうか疑問である。従って、もしも大学共同 で医学教育のためのMOOCを開発するとすれば、卒後教育にまず焦点を当てるべきであると考える。そして、文章通りに読めば内原氏が「医学を」MOOC化 したい動機である、自分が通っている大学で教えられていないと彼が考える教養を身につけるという目的には、「教養科目の」MOOCを利用すればよい。つま り、教養を身につけたいから座学をMOOC化せよというのは、筋違いの主張である。

なお、MOOCと座学の比較は、実験してみたら面白いだろうとは思う。しかしHawthorne effect(簡単に言えば、実験を行う側の熱意を被験者が感じて、やる気が出る効果)を除外するのは難しいだろう。だからといって、実験でない実践に意 味がないと考えるわけではない。

最後に、医学教育用MOOCのさまざまな可能性として、内原氏が指摘するように医学教育の低所得者層への門戸開放を主張する意見もある。また、私が強調し たい卒後教育への有用性も主張されている。そういったさまざまな視点がBMJに紹介されている[5]ので、一読を勧めたい。

参考文献
[1] Peroz I, Beuche A, Peroz N. Randomized controlled trial comparing lecture
versus self studying by an online tool. Med Teach. 2009;31(6):508-12. PMID: 19811166.
[2] Varghese J, Faith M, Jacob M. Impact of e-resources on learning in
biochemistry: first-year medical students’ perceptions. BMC Med Educ. 2012;12:21. PMID: 22510159; PMCID: PMC3353857.
[3] Naidr JP, Adla T, Janda A, 他. Long-term retention of knowledge after a distance course in medical informatics at Charles University Prague. Teach Learn Med. 2004;16(3):255-9. PMID: 15388381.
[4] Steve Kolowich. Coursera Takes a Nuanced View of MOOC Dropout Rates. Wired Campus April 18, 2013. http://chronicle.com/blogs/wiredcampus/coursera-takes-a-nuanced-view-of-mooc-dropout-rates/43341
[5] Harder B. Are MOOCs the future of medical education? BMJ. 2013;346:f2666. doi: 10.1136/bmj.f2666. PMID: 23624666.

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