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Vol.5 社会保障制度改革国民会議報告書を読む(3) 医療・介護分野(上)

医療ガバナンス学会 (2014年1月9日 06:00)


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この記事は『厚生福祉』2013年12月20日、第6041号からの転載です。

亀田総合病院副院長
小松 秀樹
2014年1月9日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


医療・介護分野については記述量が多い。そこで、筆者の判断で内容を8項目に分類して要約し、それぞれの項目に筆者のコメントを付けた。
委員の一人が、会議内容に沿って報告書をまとめたとされている。報告書には、会議で述べられた各委員の個人的意見が採用されているところがある。しかし、 日本の行政主導の会議は、事務局が大きな権限を有し、担当省庁の意向に沿わない意見が記載されることはない。筆者コメントは、報告書が基本的に厚生労働省 に承認されたものであることを前提とした。

I 官と民
【報告書要約】
(a) 西欧・北欧の病院は国立・自治体立であるのに対し、日本では私的所有が多い。公立の医療施設は全体の14%、病床の22%でしかない。公的セクターであれば強制力をもって改革できるが、そうなっていない。
(b) 政策当局は報酬で誘導。しばしば梯子外しがあった。政策当局と提供者との信頼関係の再構築が必要である。
(c) 日本の医療費の対GDP比は決して高い水準にない。日本の医療機関は相当の経営努力を重ねている。

【筆者コメント】
私的所有と公的セクター
日本の医療機関で私的所有が多いのは、歴史的に形成されてきたことである。1930年代、「医療の社会化」論が喧伝され「私的な医療供給はすなわち営利的 かつ非公共的な存在とみなされる傾向が強かった」が、実際には「開業医こそが、病院への接近可能性からみた公共の利益の体現者だった」(猪飼周平『病院の 世紀の理論』有斐閣)。医療の進歩で開業医の役割は小さくなったが、私的医療供給の役割が大きい状況は現時点でも同じである。報告書は、西欧・北欧を例 に、医療を行政が提供するのが望ましいと示唆しているが、行政はサービスの提供を不得意とする。
医療に関する知識、技術、環境は大きく変化する。サービス向上のためには、世界を認識し、必要に応じて迅速に自らを変えていく必要がある。しかし、行政組 織は権力の暴走を防ぐために、様々な法律上の制約を課されている。しかも、無謬を前提とする。事実の認識に基づいて、安易に改善を図ることは許されていな い。
行政が直接サービスを提供すると、サービス向上が望めないばかりか、費用がかさむ。権力を持つが故に、自らを甘やかすからである。千葉県の平成24年度病 院事業会計の決算見込みによると、病院事業全体で、収益440億円、費用427億円で13億円の黒字だとしている (http://www.pref.chiba.lg.jp/byouin/press/2013/24jigyoukessan.html)。
しかし、収益の内106億円は負担金・交付金すなわち税金であり、民間と同じ言語を使うとすれば、93億円の赤字となる。民間病院なら1年持たずに倒産す る。これを黒字と説明している限り、事実の認識に基づいて改善努力を続けるなどできるはずがない。日本の医療は私的セクターの関与が大きいが故に、比較的 小さい費用でサービスが供給されている。

強制力
報告書は、政策を強制できないので、診療報酬による誘導がなされてきたとする。しばしば予想が外れ、修正のために梯子を外してきた。これは反発を招いた。 しかし、これゆえに厚労省が信頼されないのではない。最大の理由は、自らの責任逃れのために無理な規範を現場に押し付け、常に現場を違反ギリギリ状態に し、自らの都合で違反を摘発してきたことである。
需要を測定して、サービスの提供量を調節するなどということは、旧共産圏の失敗が示すように、人間の能力を超えている。期待のありようやサービスの質が需 要を大きく左右するので、需要を独立変数として推定しようとしても失敗する。需要を正しく把握できたとしても、供給量決定に権限と予算争いが絡む。需要の 予測もできないし、客観的なデータに基づいて供給量を決定することもできない。だからといって市場経済に任せてしまうと、医療費が高騰する。国民皆保険を 維持しようとすると、診療報酬による誘導をやめるわけにはいかない。梯子外しを行わないとすれば、政策を修正できず、医療の地域格差のような不合理が継続 することになる。保険診療である以上、診療報酬による誘導は必要不可欠である。見通しは必ず過つと覚悟すべきである。大きな梯子外しは当然非難される。現 場の実情をしっかり認識することで、できるだけ小さな梯子外しで済むようにしなければならない。
強制力は危険である。厚労省が強制力を持っても必ず失敗する。強制力の性質によっては、失敗が修正されず、とんでもない事態を招きかねない。強制力は失敗の絶対値を大きくし、厚労省の存続を脅かしかねない。旧共産圏のような権力を望むべきではない。

II 医療計画制度
【報告書要約】
(a)日本では病床数が過剰だった。1985年、医療計画制度で病床規制が始まった。医療計画は病床過剰地域での病床の増加を抑えることはできても適正数まで減らすことはできない。
(b) 日本では病床数が多いものの、病床の機能分化が不明確で、医療現場の病床当たりの医師・看護職員数が国際標準より少ないことが問題だった。医療の機能分化 を進める必要がある。急性期医療に人的・物的資源を集中投入し、回復期の医療や介護サービス、在宅医療・在宅介護の充実を図る。
(c) 二次医療圏における人口構成や有病率等のデータを基に医療ニーズを予測し、地域事情に応じた医療・介護サービス提供体制のモデル像を描く。
(d) 二次医療圏をデータに基づき見直す。

【筆者コメント】
病床規制の問題点
病床規制は新規参入を不合理に抑制している。結果として、合理的な退出のシステムがない。医療システムは動的平衡にあるのではなく、出入りのない凍結状態 に近い。許可病床は既得権益化し、能力のある病院の増床を抑制している。集約化を阻害している。参入と退出が生じる動的環境でなければ、変化は生じない。 医療を進歩させることも、サービスを向上させることもできない。
病床規制の最大の問題点は、埼玉県、茨城県、千葉県などで極端な医療人材不足を招いたことである。これは、1970年代の新設医大以前の医療供給を、その まま追認したことに起因する。すなわち、基準病床数の計算式で使用される二つの係数、平均在院日数、年齢階級別退院率を地域別とした。地域で稼働している 病床数をそのまま追認する数値とした。これが、西高東低の医療費の地域差を固定化した。
さらに、埼玉県や千葉県など人口の多い県と、中国、四国、九州などの人口の少ない県が1県1医大政策で同等に扱われたことが、地域格差を拡げた。千葉県で は、医師、看護師が大幅に不足しているため、多くの許可病床が稼働していない。東北での医学部新設が議論されているが、統計的には、東北より、埼玉県、茨 城県、千葉県の方が、人口当たりの医師数は少ない。
2012年、千葉県で、看護師が極端に不足していたところに、大量の病床が配分された。結果として看護師争奪戦が生じた。病床配分に対し、実際に稼働可能 な病床を作れるかどうかに関わらず、手あげするのが合理的行動である。手あげした病院の多くは看護師を養成していない。千葉県では、どうにか病床を稼働さ せてきた病院の経営が脅かされる状況になった。
埼玉県、茨城県、千葉県の問題は、病床数が少ないことではなく、医療人材が不足していること、集約されていないことである。十分な医療人材が集約されれ ば、平均在院日数を短くでき、現在より少ない病床数でも十分な急性期医療を提供できる。病床数の多い西日本でも、医療の近代化、効率化のためには、医療の 集約化が埼玉県、千葉県以上に求められる。西日本でも、進歩のためには動的環境が必要である。

病床規制改革の提案
1) 7:1看護基準の病院の活動を複数の指標で評価し、一定以上の活動と社会への貢献を義務付ける。指標として、平均在院日数、全身麻酔件数、救急車搬送数、救急車搬送からの入院数などを設定する。定められた条件をクリアできなければ、7:1看護基準を認めない。
2) DPC(診断群分類包括評価)対象病院については病床規制を廃止する。
3) DPCの包括部分の点数について、在院日数による傾斜を強める。一定時間をかけて、病院にとっての経済合理的在院日数を7日程度になるよう設定していく。

III 医療・介護サービスの在り方
【報告書要約】
(a) 救命・延命・治癒・社会復帰を目指した「病院完結型」の医療から、自宅での生活のための「地域完結型」の医療福祉に転換する。人生の最終段階における医療の在り方について国民的合意を形成していく。
(b) 患者は、病状に見合った医療施設、介護施設、さらには在宅へと移動を求められる。スムーズな移動のために、地域ごとの医療・介護・予防・生活支援・住まいの継続的で包括的なネットワーク、すなわち地域包括ケアシステムづくりを推進していく。
(c)人生の最終段階を穏やかに過ごし、満足のいく最期を迎えることができるよう支援する。
(d)「いつでも、好きなところで」から「必要な時に必要な医療にアクセスできる」への転換が必要。このために、緩やかなゲートキーパー機能を備えた「かかりつけ医」の普及が必要。大病院への外来受診は「かかりつけ医」に相談することを基本とする。

【筆者コメント】
医学モデルと生活モデル
誰にでも必ず訪れる死を前提に、それを忌み嫌うのではなく、穏やかな死を迎えられるよう、社会が個人を支援していくとしている。筆者は、この方向に全面的 に賛同するものである。生命維持を最大目的とする大病院には、「気持ちよく『往生できる』サービス資源と機能がない」(大井玄『人間の往生』新潮新書)。 大病院の高価な重装備が、穏やかな終末期と経済的に相性が悪いこともあるが、日本社会で死についての議論と思考の量が十分でないことも、死の扱いをぎく しゃくさせている。病院医療は、病者から人々を遠ざけ、しばしば「居場所」を奪う。
報告書では、病院完結型、地域完結型ということばが使われているが、十分な説明がなない。筆者はこれを医学モデル、生活モデルとして理解した。20世紀初 頭、治療医学の存在が大きくなった。医学が病気を定義し、病気の状態からそうでない状態に戻す営為が治療である。病院が治療の場であり、病院が健康に関わ る主体になった(猪飼周平『病院の世紀の理論』有斐閣)。しかし、近年、社会福祉分野では、病気の定義、診断、治療から構成される医学モデルより、病者や 障害者の生活の改善を重要視する生活モデルの考え方が重要視されるようになってきた。生活の質となれば、医学に任せるのではなく、病者や障害者の生活を支 える多様な主体が関わることになる。
筆者は、泌尿器科医として、手術といういささか乱暴な手段で、悪性腫瘍を取り除いたり、体内にある管の通過障害を解除したり、感染源となる臓器(しばしば 機能を喪失している)を摘除したりする単純な作業に35年間従事してきた。治療するかしないかは、治療による利益と不利益を天秤にかけて、利益が不利益を 上回らなければならない。しかも、利益が患者の生活に大きな意味を持つ必要がある。手術は大きな侵襲を伴うので、患者の生活への影響を考えざるを得ない。 医学モデルがそのまま当てはまるわけではない。
しかし、泌尿器科領域では、医学モデルのやり過ぎが過去にしばしばみられた。例えば、自治体によっては、80歳以上の高齢者まで前立腺がん健診が行われて いる。前立腺がんを何としても早期発見・早期治療するのだとして、診断のために前立腺を30回も穿刺して組織を採取する施設があった。低い確率ではある が、前立腺生検だけで死亡することもある。しかも、早期前立腺がんの多くは、放置しても前立腺がんで死亡するわけではない。前立腺がん以外の疾患で死亡し た80歳以上の男性の前立腺を詳細に調べると、半数以上にがんが見つかる。生活モデルの考え方なら、生涯無症状のがんは、発見されない方がよい。
治療には不利益を伴う。前立腺がんの根治手術では、全体として患者の半数に尿失禁が生ずる。放射線療法後の放射線性直腸炎が発症すれば、断続的に出血し、 完全に治癒することはない。内分泌療法では、筋力が低下する。内分泌環境の変化によって寿命を縮めるとする意見もある。政治家や作家だと、気力に影響を与 えて、政治行動や作風に微妙な影響がでる可能性が否定できない。
数年前、学会で「高齢者の早期前立腺がんは、治癒してもしなくても、残りの人生が大きく変わるわけではない。必ずしも、つらい治療を実施する必要はない」 と話したところ、ある大学の若い教授に、「がんは何としても治癒しないといけない、がんなのだから」と真顔で反論され、医学への惑溺ぶりにびっくりしたこ とがある。

医療・介護・在宅のスムーズな移動
地域包括ケアに特化した特別な医療施設や介護施設があるわけではない。地域包括ケアの重要ポイントは、医療施設、介護施設、在宅の間のインターフェイスに ある。介護施設にケアマネジャーが所属していると、施設の利害が優先されるとして問題視されるようになった。インターフェイスでは、情報をスムーズにやり とりすることに加えて、患者の立場に立って活動することが強く求められる。施設から独立した専任の相談員が、全体を見渡し、施設間のやり取りに関与する制 度を設けてはどうだろうか。筆者は、相談員としては、ソーシャル・ワーカーが望ましいと考えている。
病気になった利用者が介護施設から退去を要求され、途方にくれることがあると聞く。後述のように、地域のネットワークの構築し、各施設ではなくネットワーク側に雇用された相談員を置くことができれば、利用者に最も適した施設を必要に応じて紹介することができる。

ゲートキーパー機能とかかりつけ医の質保証
「緩やかなゲートキーパー機能を備えた『かかりつけ医』」というコンセプトには、二つの問題がある。第一は利益相反である。日本医師会幹部の言動は、日 医が開業医の報酬を増やすために活動していることを示している(小松秀樹「悪役としての日本医師会」http://medg.jp/mt/2013/01 /vol28-12.html、 http://medg.jp/mt/2013/01/vol29-22.html)。
診療報酬を出来高払いにしたまま、開業医にゲートキーパー機能を持たせると、利益相反に起因する困った事態を招きかねない。
第二は質保証である。患者の大病院志向には合理的理由がある。開業医の質に疑問を感じているからである。日本の大病院の医師の質を向上させているのは、複 数の医師による定期的カンファレンスである。診療内容が常に検証されている。単独開業では質向上が日常業務に組み込まれていない。このため開業してから時 間が経過するとレベルが低下していく。開業医の質を保証するには、複数の医師による開業、診療内容の継続的チェックが不可欠である。

IV 健康の維持増進
【報告書要約】
a) 国民の健康の維持増進、疾病の予防及び早期発見等を積極的に促進する。
b) 確率論的医療の予後改善効果、費用対効果を検証すべきである。データによって医療システムを制御する。

【筆者コメント】
医学モデル(病院完結型医療)への固執
報告書は、疾病を予防し、あるいは、疾病を早期発見し治療することによって、疾病でない状態を長く継続することを提唱している。生活モデルではなく、医学 モデルの論理である。医学モデルとしても問題があり、期待と結果が混同されている。早期発見・早期治療が良い結果をもたらすかどうか、疾患によっても、個 人の状況によっても異なる。有益ならば促進すればよいが、証明されない限り、有益とは見なされない。かえって有害になることすらある。会議で、「確率論的 医療の予後改善効果、費用対効果を検証すべき」という当たり前の正しい意見を述べたのは医師である。嚥下障害の高齢者に対する胃ろうの是非が大きな議論に なっていることは、日本の高齢者の寿命が限界近くまで達していることを示している。医師の実感としては、予防に費用をかけてもほとんど寿命を延ばさない し、医療費が増えることはあっても削減できるとは思えない。
生老病死は避けられない。「健康の維持増進」を望んでも必ず失敗する。厚労省は医学モデルにとらわれすぎている。「早期発見・早期治療」が規範となって一人歩きしている。今後、地域包括ケアを推進していくのに、厚労省自身の考え方を変える必要がある。
幸せな老後の必要条件は、衣食住と排泄の確保であり、十分条件は他者とのつながりの中での「居場所」の確保だと考える。筆者は、後期高齢者の健診の目的 を、残りの人生を困らないようにするために、手助けが必要な高齢者をスクリーニングすることに切り替えるべきだと考えてきた。がん健診より、運動機能の確 認、認知症検査、社会とのつながり(社会的包摂)の確認こそが必要である。入浴や排泄に困っていないかどうか、会話をした相手の人数と会話時間、外出の頻 度などは、高齢者の幸せに直結している。

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