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Vol.8 マドリッド宣言の「お粗末な理解」(意図的な誤訳)を基礎とした日本学術会議の報告書

医療ガバナンス学会 (2014年1月15日 06:00)


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健保連大阪中央病院
顧問 平岡 諦
2014年1月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


前稿(MRIC Vol. 314, 2013.12.26)において、日本学術会議の報告書、「全員加盟制医師組織による専門職自律の確立-国民に信頼される医療の実現のために」 (2013.8.30発表)の問題点を述べました。今回は、報告書の欺瞞について述べます。それは、「自律(オートノミー;autonomy)」から「自 立(independence)」を無くして、単なる「自己規制(self-regulation)」にすり替えている点です。すなわち、「自律の概念に 当てはまらない内容に対して、自律という言葉を用いる」という点です。
この欺瞞を見抜いてください。そして「全員加盟制医師組織による専門職自律の確立」を「現場医師への官僚統制の強化のための懲罰(処罰)システムの確立」 と読み替えてください。そうすると、報告書の内容がスッキリと見えてきます。決して「国民に信頼される医療の実現のために」ではなく、「現場の医師の偏在 を強制的に解消したいという、厚労省の望む官僚統制強化、そのお先棒を担ぐために」と言うことができるでしょう。

このような自律の「勝手な解釈」は、世界医師会のマドリッド宣言の「お粗末な理解」(実は「意図的な誤訳」)からきているようです。報告書はマドリッド宣 言の英文とその翻訳を「参考資料3.」として挙げています。報告書では「専門職自律」に片仮名の「プロフェッショナル・オートノミー」を当てています。参 考資料として挙げたマドリッド宣言の中のprofessional autonomyから採ってきているのでしょう。
世界医師会はカントの自律の概念を援用して、患者の人権(権利、自己決定)を擁護するための医の倫理を作ってきました。前稿でも書きましたが、それが patient autonomy(患者としての自律)、clinical autonomy(あるいはclinical independence;個々の医師としての自律)、そしてprofessional autonomy(医師会としての自律)です(括弧内は著者訳)。マドリッド宣言がprofessional autonomy(医師会としての自律)の内容をもっとも詳しく述べています(詳しくは拙著「医師が『患者の人権を尊重する』のは時代遅れで世界の非常 識」、ロハス・メディカル、2013)。
世界医師会の言うprofessional autonomyは「医師会としての自律」を意味します。報告書のタイトルは「医師組織による専門職自律の確立」です。「医師組織が自律する」のではあり ません。「professional autonomyの概念に当たらない、プロフェッショナル・オートノミーという言葉を用いる」、これは日本医師会と同様の(拙著で述べたように、日本医師 会は片仮名のプロフェッショナル・オートノミーを「個々の医師の在り方」として使用しています。本報告書では、「医師会の在り方」をも含んだ使いかた、す なわち巧妙なあいまいな使いかたをしていますが、自律から自立を除いて、単に自己規制の意味に用いています。いずれも)、欺瞞に満ちた使い方です。これ は、マドリッド宣言の「お粗末な理解」からきています。本稿でその「お粗末さ」を明らかにしていきます。

まずは、マドリッド宣言の「全うな理解」です。マドリッド宣言の第1,2項に「professional autonomy」「clinical independence」という言葉が出てきます。これらは何を意味しているのでしょうか。
世界医師会は「患者の人権を擁護する」ため、ジュネーブ宣言(1948年)で、個々の医師が第三者の意向から自立(independence)することの 必要性を掲げました。それが次に示す第10項です。■I shall not use my medical knowledge to violate human rights and civil liberties, even under threat. 私は、たとえ脅迫の下であっても、自分の医学的知識を、人権や国民の自由を犯すためには利用しない。■
主語「I」は「個々の医師」です。「even under threat たとえ脅迫の下であっても」が「第三者の意向からの自立」を意味しています。それは「患者の人権を擁護する」ためです。個々の医師がこれを宣誓することに よって、社会はその自立を当然のこと(個々の医師の権利と考えることもできる)として認めるのです。マドリッド宣言の前文(第一文章の目的語部分に相当) では、「the individual physician’s right to treat patients without  interference, based on his or her best clinical judgment」と表現し、このような「個々の医師としてのあり方」を「clinical independence」と呼んでいます。「based on his or her best clinical judgment」とは「個々の医師の自己規制(self-regulation)」です。自己規制による自立、これがカントの自律の概念に相当するので 「clinical autonomy(個々の医師としての自律)」と世界医師会は呼んでいます。「clinical independence」は「clinical autonomy」と同義語として用いられていますが、「independence」の方がより重要であるので、主に「clinical independence」が用いられています。
それでは「professional autonomy」は何を意味しているのでしょうか。その内容に相当するのが、前文、第一文章の主語部分、「the collective action  by the medical profession seeking for the benefit of patients, in  assuming responsibility for implementing a system of professionally-led regulation」です。前半の「the collective action by the medical profession  seeking for the benefit of patients」は何を意味するでしょうか。ジュネーブ宣言で「clinical independence」を宣誓した医師、すなわち「seeking for the benefit of patients」の医師、その集団行動とは、やはり「患者の人権を擁護する」ために「第三者からの自立」を宣言することではないでしょうか(医師会とし ての自立)。この宣言が、目的語の「clinical independence」を「enhance」(そのような医師のあり方を助長)することになります。後半の「in assuming  responsibility for implementing a system of professionally-led regulation」は何を意味するでしょうか。これが組織内の「相互評価システム」(a system of self-regulation)の構築のことです。このシステムが、「患者の人権擁護」を守らない医師を評価して、教育あるいは排除することになりま す。そして、目的語の「clinical independence」を「assure」(保証)することになります。自立を宣言し、相互評価システムで自己規制をする、このような医師会のあり方 を、世界医師会は「professional autonomy」と呼んでいるのです。
世界医師会は、patient autonomyを守るための「個々の医師のあり方」をclinical independenceと呼んでいます。第三者の意向が強い時、個々の医師だけでは自立を維持することが難しくなります。そこで個々の医師をバックアッ プするための「医師会のあり方」を考えたのがprofessional autonomyです。さらに世界医師会の下、各国医師会が協力してprofessional autonomyを守ろうと呼びかけているのが、マドリッド宣言と言うことになります。

つぎに報告書の中のマドリッド宣言の「お粗末な理解」について述べます。
第一に、「physicians」「the medical profession」のどちらをも「医師」と訳しています。それによって、「個々の医師」か、あるいは「医師集団(医師組織)」か、いずれを表すのかを曖昧にしています。
第二に、「professionally-led regulation」と「self-regulation」とを別物として訳すことによって、「医師集団自身のself-regulation、すなわち、構成員の相互評価」の意味を隠しています。
第一と第二の結果、第2項にある「the medical profession has a continuing responsibility to be self-regulating.」を「医師は自己規制を行う持続的責任を負う」と訳しています。そうすることで、「医師集団自身のself- regulation、すなわち、構成員の相互評価」の意味を完全に削除しています。第3項では「a legitimate system of professionally-led regulation」を「専門家自身による規制の法制化」と誤訳し、さらに、第8項では、「self-regulation」「(the process of) professionally-led regulation」のどちらをも、突然に「自律」と訳しています。ここで「自律」から完全に「自立(independence)」を削除し、自律すな わち懲罰(処罰)システムに置き変えています。こうして、「自律の概念に当てはまらない自律という言葉を用いる」という欺瞞が成立するように、翻訳が行わ れています。すなわち「意図的な誤訳」と言えるでしょう。
この翻訳は中田力委員によるとなっていますが、一人の力で、これほど見事に「欺瞞が成立」するように訳せるはずはありません。同じような翻訳をしている日 本医師会の医の倫理の関係者(特に参与の弁護士の方々)の力が働いているのでしょう(日本医師会参与・手塚一男弁護士が日本医師会ホームページに書かれて いる「医師とプロフェッショナルオートノミー」(医の倫理の基礎知識、基本的事項No.6)の問題点は別稿で論じます)。

マドリッド宣言の「お粗末な理解」(「意図的な誤訳」)で行ってきたことが、本文(p.14)に纏められています。そこでは、「professional autonomy and self-regulation」を強引に「professional self-regulation」に置き変えています(とても日本を代表する科学者の集まった委員会のすることとは思えません)。それは、自律 (autonomy)から自立(independence)を完全に排除するためです。そして「自律的」を「排他的」と置き変えようとしています。それが 次の文章です。
■上述した1987年の「プロフェッショナル・オートノミーと専門職的自己規律に関するマドリッド宣言」は、医師の自己規律の在り方 を”professional self-regulation” として表現した。■ これは真っ赤なウソです。「上述した」(p.8)所に記載されているように、英文タイトルは「Declaration of Madrid on professional autonomy and self-regulation」です。その内容は「医師会の在り方」「医師会としての自律」を示しており、「professional」は「the medical profession」を、「autonomy」で「自立(independence)」を、「self-regulation」で「組織内の相互評価シ ステム」を意味しています(詳しくは拙著の旧マドリッド宣言の項を参照)。
■このマドリッド宣言は、2009年に改訂され、そこでは新たに”professionally-led regulation”という表現が採用された。前者と後者の差異をどのように理解するかについては議論のあるところだが(筆者注、委員会は批判されない ように、ここで逃げを打っています。そして次に、世界医師会の医の倫理の経緯を振り返るのではなく、それとは切り離して勝手な解釈を行います)、後者の意 味を積極的に受け止めれば次のようになる。すなわち、プロフェッショナル・オートノミーとは、自律的組織を非医師・第三者の関与を許さない排他的なものと して運営するのではなく、運営において医師が主導的な役割を持ちつつ(professionally-led)、非医師・第三者の関与を重要なものとして 位置付けるものである。■ 自律的組織とは、第三者からの「自立(independence)」を宣言した組織であって、決して排他的な組織ではありませ ん。「自律的組織」が「非医師・第三者の意見を聞くこと」は当然のことです。しかし、「自律的組織」が「非医師・第三者の関与を重要なものとして位置付け る」ことはありません。「非医師・第三者の関与を重要なものとして位置付ける組織」は「自律的組織」ではありません。したがって、報告書の内容は矛盾して います。その矛盾は「自律(autonomy)」から「自立(independence)」を削除し、「自律の概念に当てはまらない内容に対して、自律と いう言葉を用いる」、すなわち「professional autonomyの概念に当たらない、プロフェッショナル・オートノミーという言葉を用いる」という欺瞞からきています(日本医師会と同様です)。

日本学術会議の報告書の構造をまとめると、次のようになります。
「医師の自律的組織の基礎づけ」にとって重要なものとして、世界医師会のマドリッド宣言を挙げています。その翻訳には「意図的な誤訳」があります。第一の 「意図的な誤訳」は、「自律(autonomy)」から「自立(independence)」を消し去っていることです。「自立している組織の自己規制 (self-regulation)は、組織員間の相互評価システム」ですが、「自立していない組織の自己規制は、単なる懲罰(処罰)システム」となりま す。この「自律から自立の削除」を隠すために第二の「意図的な誤訳」をしています。それが「自己規制」を「自律」と翻訳していることです。
第一の操作(「組織としての自立」の削除)により、「自律的組織」が「排他的組織」にすり替えられ、さらに「非医師・第三者の関与を重要なものとして位置付ける組織」、すなわち「非自律的組織」へと変換されていきます。
「非自立的組織」を「自律的組織」と呼ぶのが、報告書の第一の欺瞞です。「非自立的組織」のなかの「懲罰(処罰)システム」を隠すために、これを「自律」と翻訳しているのが、報告書の第二の欺瞞です。
「懲罰(処罰)システム」を持つ「非自律的組織」を、全員強制加入にしようとする報告書は、決して「国民に信頼される医療の実現のために」ではなく、「現 場の医師の偏在を強制的に解消したいという、厚労省の望む官僚統制強化、そのお先棒を担ぐために」と言うことができるでしょう。

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