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臨時 vol 158 「医療事故調査委員会と死」

医療ガバナンス学会 (2009年7月7日 08:44)


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済生会宇都宮病院  中澤堅次


厚生労働省から再び大綱案の修正が出された。反対意見に配慮して届け出の一
部を緩和したというが、本質は変わらず、新聞見出しからはごまかし的な世論操
作を感じてしまう。本質的な議論はあきらめずに続けなければならない。前回は
病人権利の視点で事故調を考えたが、今回は制度の対象である死について私見を
述べる。

事故調の対象はいうまでも無く医療者が関わった死である。国民の死の80%
が病院で扱われている。つまり、医療者はほとんどの国民の死に関係するが、普
通の国民は人の死に関係することはほとんどないということである。

人々は普段は死のことを考えずに生活し、危機に直面して初めて死を考えるが、
多くはそのまま死を迎え、死者はものを語らず、死の現実は医療者以外には伝わ
りにくい。医師にも死に直接かかわりのない職種があり、関心も捉え方も様々で
議論がかみ合わないこともある。死のほとんどを引き受ける医療側と、ほとんど
死に関係しない人々の間に、死に関して感覚の相違があって不思議は無い。

日本は、戦争というきわめて人為的で悲惨な死を体験し、戦後は死を否定して
新しい時代に入った。世の中全体が死と無関係な時代が長く続き、最近になって
高齢者の死が増加し、死は現実味を帯びてきた。しかし、脳死や人工呼吸器の取
り外しを取り上げるまでも無く、死の解釈はまだ混乱しており、死の存在そのも
のに明確な理解があるとは言いがたい。現代は死生観が存在しない特殊な時代と
いえる。

死は生を受けた人間にとって避けられないものである。地球の自転を止め、沈
む太陽をよみがえらすことと同じように、人間の努力では打ち克つことが出来な
い存在である。また、医学も死に完璧に限界を仕切られたなかで存在し、医療者
がこの事実を理解しないはずはないと思うが、アンチエイジング、神の手、医療
事故ゼロなどと、死との戦いにおいてありえない勝利の幻想が言葉になり、実態
の無い死生観が一人歩きする。

政府と厚労省も同じ過ちを犯しており、後期高齢者医療制度における自己責任、
特定検診による医療費のコントロールなど、人知を過大評価した偏見を国中にば
ら撒いている。

こうした混乱の中で、医療事故死に対する医療者の責任という問題が取り上げ
られている。数多い死の中に過ちが原因で人が命を失うことは現実にあり、過去
には生体解剖など忌まわしい事件に医師が関わったこともある。これからも医療
行為そのものが人々の禍となることは無いとは言えないが、例外なく医療行為は
人々の死の回避を目的とし、正気の医療者があえて人の死を目的に医療行為を行
うことはありえない。

人々の死に関わる過程で起きた事故死を、犯罪による死に当てはめて、第三者
が加わってひとつひとつ責任を問い、疑いを晴らせなければ処分につなぐ仕組み
は、臨床家にとって耐え難い。まして、故意の死という日常の医療行為とは似て
も似つかない犯罪との関わりを検証してもらうために、厚生労働大臣への届出を
強制されることは、時には生命を賭けて人の死に関わろうとする医療者には許し
がたい屈辱と写る。

現代社会にあって人の死は重いが、死生観は個人により異なり、医療者との隔
たりは大きい。死生観は時代とともに変るものだが強制されてはならない。過去
に日本はその過ちで多くの犠牲を払っている。問題はそこまで深刻ではないが、
法制化は世の中の考えを、強制力を持って規定し教育にも反映される。人々と医
療者とのあいだにある死生観のギャップは、決定的な対立関係を残したまま世代
を超えて固定し、新しい混乱が制度を崩壊させるまで、重石として両者の間に存
在し続けるに違いない。

人の死の多くは自然死である。自然死は静かな死という意味では無く、人の力
の及ばない、自然に支配されている避けられない死という意味である。自然死の
多くは病死であり、病死にはほとんどすべてに医療が介入している。医療の介入
は人体に侵襲を与え、頻度はまれでも死に至る副作用は必ず存在する。何万件に
一度の確率にいつ遭遇するかは不明だが、不幸なアクシデントに遭遇することは
いつも頭の中にある。逃げるつもりは無くても、第三者により、事故の良し悪し
の判定を受け、そのたびに殺人の汚名を意識するのであれば、あえてリスクは犯
さない。緊急の現場に関わらないことが最も安全な医療であり、安全だが役に立
たない医療を萎縮医療といっている。

病死の大部分はがんばったがここまでだったという線で折り合をつける。死ま
での経過に善悪をつけると、さまざまな思惑が入り込み、収拾がつかなくなる。
第三者は死に関する限り傍観者の一人にすぎず、思惑が追加されただけで混乱が
収まる訳ではない。良い死も、悪い死も無く、そこに人の死があるというのが自
然死の意味である。

事故調大綱案は医療事故死と故意による犯罪死を同等に扱っている。厚労省か
ら見れば事故死も犯罪死も医者が関係するから同じだが、現場から見ると大きな
脅威となる。殺人を疑われれば現場にはメスもあり、毒薬もある、注射器でも使
いようによって凶器になる。一人で死体のそばにいれば現行犯と変わりない。法
律は国民にその可能性を裏付ける。これは恐ろしい制度である。病者と医療者が
敵対する、こんな環境下では二度と医療を行おうとは思わない。この制度のいい
加減さが”一部の医療者”が強硬に事故調設置に反対する理由の一つになってい
る。

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