医療ガバナンス学会 (2014年5月14日 06:00)
医療の格差を認めるか否か、国家のあり方が問われている
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/
武蔵浦和メディカルセンター
ただともひろ胃腸科肛門科
多田 智裕
2014年5月14日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
具体的には、新たに「選択療養」( http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/committee2/140327/item1-1.pdf )(患者と医師の合意のもとの混合診療を実施する制度)という制度を設け、認められる「混合診療」の範囲を大幅に広げるとされています。
大手メディアは「(岩盤規制の緩和による)成長戦略の柱(日経)」「患者の選択を広げる(読売)」「患者が選択可能(産経)」などと軒並み歓迎すべき方向として報道しています。
一方、日本医師会は「必要かつ適切な医療は基本的に保険診療により確保するべきである」として、”到底容認できない”との声明( http://dl.med.or.jp/dl-med/teireikaiken/20140409_2.pdf ) を出し、患者団体である日本難病・疾病団体協議会も「国民の誰もが、わが国の到達した先進的な医療を安心して受ける事ができるよう、国民皆保険制度を堅持 し、充実させてください!」と反対しています。 ( http://www.nanbyo.jp/appeal/140403yobo.pdf )
混合診療解禁については以前にもこのコラム(「解禁してはいけない「混合診療」」) ( http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/3086 ) で取り上げましたが、一言で言うと「医療に貧富の格差を認めるのか否か」というイデオロギー問題です。
国民的議論は必要な事柄だとは思うのですが、それ以前に、そもそも日本の国民皆保険制度が極めて「社会主義的」な制度であることが十分一般に理解されていない気がしてなりません。
●国民皆保険制度の意義とは
現在の「国民健康保険法」は、1959年に施行されました。この法律が施行される前の日本の医療の状態は、以下の図1のようなものでした。
http://expres.umin.jp/mric/mric.vol111.pptx
・国民皆保険がない場合(注:人物名は架空のものです、以下同)
架空の6名の収入と、各人が支払える医療費を、現在の紙幣価値で示した表です。保険がない場合、所得に応じて、受けられる医療にかなりの格差があったことは想像に難くありません。検査どころか薬代も満足に支払えない人たちが大勢いたことでしょう。
江戸時代にタイムスリップした医師を描いたドラマ「仁」 ( http://www.tbs.co.jp/jin-final/ ) の最終回にも、主人公の南方仁が坂本龍馬に国民皆保険制度を提案するシーンがありました。
では、「国民の医療の機会不均等は寒心に堪えない」との趣旨のもと、”全国民強制加入”の国民皆保険制度が2年がかりで導入されて、医療はどう変わったのでしょうか。現状は、ざっくりとしたものですが、次の図2のようになります。
http://expres.umin.jp/mric/mric.vol111.pptx
・国民皆保険を導入した場合
所得に関係なく6名全員が平等に普通の医療を受けられるようになったことがお分かりいただけるかと思います。
この制度が功を奏して、日本が世界1位の平均寿命を達成し、医療費も低く抑えられ、WHO(世界保健機構)が日本の医療を世界一と認めたのも以前述べた通 りです(「世界一なのに『外国に倣え』と言われても」)。 http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/1337
●社会主義的な国民皆保険制度の弊害とは
しかし、貧しい人が救われ、みんなが平等に医療を受けられることを目的として制定されたこの国民皆保険制度は、その成り立ちからして極めて社会主義的な側面があります。
社会主義国は、貧富の格差がなく誰もが平等な社会を目指しました。しかし、そのリーダーであったソ連が1991年に消滅したことをきっかけに、東ヨーロッパのすべての国が社会主義を放棄し、現在は北朝鮮など数カ国しかありません。
全国民を平等に扱う社会主義国が激減した理由は、「みんなが平等であり、いくら頑張っても給料が同じなので、さぼるやつが多かった」ことに尽きます。
同様に、現在の社会主義的な日本の医療の最大の問題点は「”料金が一律”であるために、頑張ろうとするインセンティブが働きにくい」ことです。
健康保険は、病気のリスクや医療機関の受診回数によって保険料が上下する仕組みではなく、所得に応じて保険料が決まります。医療を利用する側にとっては、 病院に行かずに自分でできることは自分でなんとかしようとする自立心は芽生えにくいと言えるでしょう。そのため、本来は医療を必要としないコン ビニ的な受診・検査が増えてしまうのです。
また、医療を供給する側にとっても、全国一律の点数で最低限の収入は保障されています。これは見方を変えると、無理して設備を充実させてもそれに 見合うほどの収入が増えることはないということです。サービスを必要以上に充実させると、逆に経営が傾いてつぶれてしまうことも起こり得るのです。
その結果、旧式の検査機材で時代遅れの医療を行っていたり、他業種の感覚からすると当然のサービス(待ち時間短縮のための予約サービスとか、検査結果をプリントまたはデータとして渡す)を十分に行っていない医療機関が存在するのも厳然たる事実です。
でも、これらは「広く、平等に」を目指した制度の成り立ちの経緯からすると、当然とも言える負の側面なのです。
●国民皆保険制度を壊すと後戻りは不可能
最初の「選択療養」(混合診療の拡大)に話を戻すと、これにより「選択肢が増える」のは、保険診療に加えて、自費診療の医療費を支払うことが可能 な高所得者層だけです。ですから、「選択療養」の導入は”広く平等に”という国民皆保険制度の趣旨とは真っ向から反する施策なのです。
自費で治療を追加可能にして、その結果生じる格差を認めるのか、それともこれまで通りにすべてを全国一律の保険で行い、”平等に”医療を提供するよう規制をかけ続けるのか、どちらを選ぶかは国家のあり方そのものに関わってくる問題です。
安倍首相は混合診療の拡大を強く指示していると報じられているので、競争のもとで生じる医療格差を認める方向に進みたいのでしょう。
でも、それは医療を行う側にとっては、規制で守られた枠組みから飛び出し、競争で淘汰される世界の中で今まで以上に切磋琢磨することを余儀なくされること になります。同時に、医療を受ける側も、支払える金額によって受けられる医療に差がつくことを強いられるようになるのです。
いったん国民皆保険制度を壊す方向に舵を切ってしまえば、後戻りはほぼ不可能です。
社会主義的な国民皆保険制度はもはや壊すべき存在なのでしょうか? もう一度、50年以上前と比べたときの利点と欠点を比較して、広くみんなに考えてみてほしいと私は思うのです。