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Vol.147 アメリカのMaster of Public Healthプログラム

医療ガバナンス学会 (2014年7月1日 06:00)


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アメリカのMaster of Public Healthプログラム

アメリカ疾病予防管理センター
感染症疫学者
塩田 佳代子 (DVM, MPH)

2014年7月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp

 私が公衆衛生に関わる獣医師になろうと決意したのは、父の仕事の都合で南アフリカ共和国に住んでいた頃でした。アパルトヘイト廃止直後で、まだまだ差別が露骨だった時代です。スラム街には上下水道が整備されていない建物が密集し、治安も最悪で、住む人たちの健康状態も酷いものでした。人も家畜も極限まで痩せ細り、親しかった友人の一人はエイズで亡くなりました。アフリカと聞いて思い浮かべるような動物の王国、自然の宝庫とかけ離れた姿の中に身を置き、小学生だった私は「人も動物も、みんなもっと元気だったらいいのに」と当たり前のことを思いました。そこが全てのスタート地点でした。帰国後、人と動物の健康に関わる仕事がしたいと思い獣医学部に進学し、その後公衆衛生や感染症疫学の知識を深めるため、アメリカのエモリー大学に留学しました。本日はこの場をお借りし、エモリー大学と公衆衛生学修士号(Master of Public Health: MPH)のプログラムについてご紹介させて頂きたいと思います。

【Rollins School of Public Health】
エモリー大学の公衆衛生大学院、Rollins School of Public Healthは、アメリカにある約40校の公衆衛生大学院のうち、6位にランキングされている名門校です。(*1) しかし、日本における知名度は高くなく、この記事で初めて名前を聞いたという方もたくさんいらっしゃると思います。実は私も、当時留学準備を手伝って下さった先輩から、「Rollinsは非常に綿密に教育プログラムを組んでいて、公衆衛生を基礎から学ぶには大変優れた大学院だと評判が高いから、是非出願してごらん」とアドバイスを頂き、そこで初めて存在を知りました。実際に留学を決意してからも、親には大学名を覚えてもらえず「エマリーだっけ?エミリーだっけ?」と言われ、友人からは「なんでボストンでもニューヨークでもカリフォルニアでもなく、南部に行くことにしたの」と不思議がられ、実際私自身、渡米前に少し不安になりました。しかし、Rollinsで2年を過ごした今は、この大学を選んでよかったと自信を持って言えます。これから公衆衛生大学院への留学を考えていらっしゃる皆さんに、選択肢の一つとしてRollinsを強くお勧めしたいです。数ある名門大学の中から、なぜあえてRollinsなのか、なぜアメリカ南部なのか、お話させて下さい。
まず、Rollinsは先ほど述べたように公衆衛生大学院のトップ校の一つであるため、大変人気が高く、一学年約500〜600人と大所帯です。そのうち約20%が留学生で、中国、韓国、ベトナム、タイ、インド、サウジアラビア、ナイジェリア、ケニアなど、20カ国以上から学生が集まっています。ネットワークが重要な公衆衛生分野で、これほどたくさんの人と繋がりを持てることは大きな強みになります。一方、日本人は一学年に0〜2人と非常にマイナーです。日本語を話す機会はほぼないので寂しくなることはありますが、英語の上達にはもってこいの環境です。
RollinsのMPHプログラムは通常2年です。1年で卒業可能な大学院もありますが、その場合入学してすぐに卒業後の進路を決めて動き出す必要があるため、私のように今回が初めての留学という人には少し厳しいタイムスケジュールになります。修士論文を書く必要のない大学も多いです。一方、2年のプログラムの場合、好きな授業をたくさん取ることができ、腰を落ち着けてどっぷり勉強に浸ることができます。時間をかけて研究プロジェクトに取り組み、修士論文としてまとめることができ、進路について考える時間もじっくり取ることが可能です。教授やプロジェクトメンバーと関わる時間も長くなるので、いい関係を築くことができます。私の場合、一年目は慣れないことだらけで失敗の連続、英語も自分が思っていたより全然使い物にならず自信消失、という状態だったので、2年間のプログラムを選んでよかったと思います。
Rollinsのもう一つの売りはロケーションです。アトランタには、米国疾病予防管理センター(Centers for Disease Control and Prevention: CDC)、アメリカがん協会、カーターセンター、国際ケア機構など、公衆衛生をリードする多くの機関が本部を置いています。Rollinsにはこれらの機関から講演者が毎日のように訪れ、現場での経験を踏まえて授業やセミナーをしてくれます。共同研究も非常に活発で、これらの機関のプロジェクトに在学中から関わることができます。また他の州、他の国で活躍されている公衆衛生分野の著名人も、CDCなどを訪れる機会が頻繁にあるため、そのついでにRollinsで講演をしてくれることがたくさんあります。
また、Rollinsではメンター制度が非常に充実しています。修士論文の指導教授以外に、学校のことをなんでも相談できるメンター、キャリアについてアドバイスしてくれるメンターが学生一人一人についてくれます。メンターはRollinsの教授はもちろん、CDCなどの機関で働いている人から選択することが可能で、2年間サポートしてくれます。こういうことが可能なのも、Rollinsがアトランタにあるからこそでしょう。私は日本にいる頃から憧れていた先生方にメンターとして面倒を見て頂くことができました。先生というよりも、親戚のおじさんのように親身に話を聞いてアドバイスをしてくれたので、アメリカのサポート制度は本当に充実しているなと実感しました。

【MPHの授業スタイル】
近年アメリカでは、学部の間に公衆衛生学を専攻できる大学も増えてきたようですが、MPHの学生の多くはそれ以外の学科から進学してきます。化学、生物、数学などはもちろんですが、歴史や音楽、コンピューター科学などから来ている学生もたくさんいます。そういった背景から、MPHプログラムでは公衆衛生学を基礎の基礎から教える必要があるため、他の修士プログラムに比べて授業数が少し多いです。授業は1コマ1時間半〜3時間で、それを一週間に9〜11コマ履修します。1年目は専攻ごとに決められた必修科目が主になりますが、2年目は好きな科目を取ることが可能です。授業の種類は非常に多様です。Rollinsは(1) Behavioral Sciences and Health Education、(2) Biostatistics、(3) Environmental and Occupational Health、(4) Epidemiology、(5) Health Policy and Management、(6) Global Healthの6つの専門学科から構成されており、それぞれの学科が思考を凝らした授業を展開しています。その中からどれでも選択することが可能ですが、逆に、全学科最低一科目を取り知識の幅を広げるよう求められます。私は入学当初、なるべく自分の関心のある分野の知識を深めたいと思ったので、この方針をあまり好きになれませんでした。しかし実際受けてみると、今まで全く気付かなかったような新しい発見がたくさんあり、公衆衛生学の多様なアプローチを知ることができたので、非常に重要な時間だったと思います。
それぞれの授業で、文字通り山のような課題が出るのは他の大学院と同様です。知識と技術をまさに叩き込まれているという感じがします。その中でもMPHの特徴は、多くの授業がグループワークを課してくることでしょう。公衆衛生の問題は一人では解決できず、グループで協力し多面的なアプローチを取る必要がある、という精神から、効率的にグループワークを行えるよう在学中にしっかり訓練されます。形式は様々ですが、与えられた議題についてグループでディスカッションをして一本のエッセイに仕上げたり、グループでデータを解析して結果をプレゼンしたりします。英語が得意でない留学生は、言わずもがな苦労します。私が初めてグループワークをしたのは、授業が始まった最初の週でした。紙一枚の参考文献を読んで、8人ずつのグループで意見を出し合い、まとめた答えを発表するという簡単なものでした。しかし、紙が配られて10秒後には私以外のメンバーは既に資料を読み終え、意見をどんどん言い始めます。その頃まだ始めの数行を読んでいた私は、何の話をしているかも分からず、結局発言したのは自己紹介した一瞬のみ。(ちなみに、ディスカッション中に発言しなければ参加点はもらえません。TAがしっかりチェックしています。)授業は語学の上達など待ってくれないのだと、当然のことを痛感した瞬間でした。

【Rollinsでの研究生活】
RollinsはHIV/AIDSの研究で特に有名ですが、それ以外にも様々な疾患やトピックをカバーしています。前述の通り、他の研究機関と共同でプロジェクトを実行しているため、学生は豊富な選択肢から好みの研究テーマを選ぶことができます。一学年500〜600人のうち、多くの学生が複数の研究プロジェクトに所属していることからも、選択肢の多さが分かります。研究を開始する時期は個人のタイミングで決めることができますが、逆に人気の教授のプロジェクトは授業開始前から水面下で取り合いになります。
私は、マダガスカル島の人獣共通感染症のサーベイランス、中国四川省のリアルタイム感染症届出システムを用いた疫学調査など、6つのプロジェクトに関わらせて頂きました。PCRや細菌培養などのラボ実験、SASやR等を用いた統計解析、地理情報システム(GIS)を用いた空間分析など、毎日手を替え品を替え研究生活を楽しませて頂きました。授業で学んだことをすぐに実践にいかすことができる環境が整っていたのは、技術と知識を確かなものにする上で非常に重要だったと思います。

【サマープラクティカム】
アメリカのほとんどの公衆衛生大学院では、在学中に現場で数百時間以上お仕事をすることが卒業条件の一つになっています。Rollinsでは、2年間のプログラムの間に200時間以上働かなければ学位をもらうことができません。学期の間に終わらせることももちろん可能ですが、アメリカならではの長い夏休みは、学生にとって大きなプロジェクトに打ち込むチャンスです。そこで、Rollinsの学生は2学期が終わる5月上旬から8月下旬まで、アメリカだけでなく世界各国様々な場所でインターンをします。ただし学校がプロジェクトを一人一人に用意してくれる訳ではないので、自ら学内外のチャンスを探して応募しポジションを取ってくる必要があります。
私の場合は、多くの先生にご助力頂き、タイの世界保健機関オフィスにてインターンをさせて頂くことができました。感染症のサーベイランスやレギュレーションに関わる部門に所属し、様々なプロジェクトで勉強をさせて頂きました。たとえば、タイ東北部におけるレプトスピローシスの感染リスク低減プロジェクトでは、地域の医療ボランティアの方々と協力し、疾患に関する基礎知識を住民約7000人に提供し、感染症を地域全体で協力して予防することを促進しました。その効果をアンケートや血清陽性率に基づき統計的に評価し、修士論文でまとめる機会を頂きました。学校で教えて頂いたことを現場で応用し、様々な分野の専門家たちと協力してプロジェクトを進めるのはとても貴重な経験でした。チャンスを与えて頂いたことにとても感謝しております。

【MPH卒業後の進路】
MPHを取得した後の進路は様々です。CDCや州の保健衛生局、NGO、国際機関、大学等の研究機関、医療コンサルティングカンパニーに就職する人、疫学者育成フェローシップに進む人が多いです。PhDに進学する人や、医学部に進学する人もいます。留学生はアメリカに残る人と母国に戻る人が4:6くらいでしょうか。私は卒業後、CDCにてノロウイルスのサーベイランスをさせて頂くことになりました。CDCは連邦機関なので、テロ対策などのため、外国人が働くことはどんどん厳しくなってきています。その中でこのようなチャンスを頂けたのは、Rollinsで2年間を過ごすことができたからだと思います。在学中からCDCの人と話をし、2年間かけてじっくり研究に取り組むことができたことのはRollinsを選んだからこそでした。

【最後に】
アトランタは前述の通りまさに公衆衛生の拠点という感じですが、この分野に従事する日本人の数はとても少ないです。公衆衛生の分野でご活躍されている先輩方にお会いし、たくさん刺激を頂きたいと思っておりますので、CDCの見学や観光等でアトランタを訪れる機会があれば是非ご一報ください。(アトランタは南部風情漂う素敵な都市なので、観光もオススメです!)また、RollinsのMPHに興味のある方、アメリカでMPHを取得することに関心のある方は、是非kshioda.atl[at]gmail.comまでご連絡ください。何かお役に立てることがあれば幸いです。最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。

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略歴:
1987年生まれ
2012年3月 東京大学農学部獣医学専攻卒業
2014年5 月 Emory University, Rollins School of Public Health, Department of EpidemiologyにてMPH修了
2014年6月〜 Centers for Disease Control and Prevention (CDC)勤務

参照文献:
*1: Public Health, US News & World Report, <http://grad-schools.usnews.rankingsandreviews.com/best-graduate-schools/top-health-schools/public-health-rankings>

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