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Vol.156 震災時、建設費高騰を予測していた相馬市の“奇跡”

医療ガバナンス学会 (2014年7月15日 06:00)


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被災地に赴任した内科医が見た: 復興住宅の建設が進まない理由

※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。

http://jbpress.ismedia.jp/

相馬中央病院内科医
越智 小枝

2014年7月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


仮設住宅は4回目の梅雨を迎えています。

「ここには浜風が吹かないからまるで福島(市)みたいに暑いのよ」
先日お会いした住民の方から伺いました。
それまで海の見えない所で暮らしたことのなかった方々にとって、潮騒や浜風から隔絶された生活は、私のような東京出身の人間には想像がつかないほどストレスになるようです。診療所や健診でも、仮設住宅の生活環境についての不満は非常によく聞かれます。
住宅というものは、人々が生活の大半を過ごす場所であり、健康に対しても非常に大きな影響を与えます。海外においても仮設住宅住民の健康状態の悪化が報告されており*1、また相双地区においても、2012年の健康診断の調査では、仮設住宅の高齢者で足の筋力の低下した方が多かった、との報告もあります*2。

●遅れる復興住宅

しかし被災地では、災害公営住宅(復興住宅)の建設は遅々として進みません。2014年2月のニュースでは、福島県では入札価格の高騰により県と建設事業者との折り合いがつかず、建設計画が延期となった場所もあるとのことでした。
このため福島県が予定する4890戸の災害公営住宅のうち、用地が確保されたのは60%にすぎず、2014年1月現在、着工したのは1割未満の453戸、最も早い入居は2014年10月となるとのことでした*3。

そのようななか、相馬市では他の被災地に比べ住宅の復興が非常に早いようです。2013年5月に最初の復興住宅、井戸端長屋が完成し、また2014年度末までにわずか3万人の人口の相馬市だけで9カ所410戸が入居可能となる予定です*4。
もちろん既に仮設住宅で亡くなった方もいらっしゃいますし、健康状態の悪化により療養施設に入所された方も多く、入居中の方にとってはこれでも遅すぎる、という感はあるとは思います。

しかし相馬市は避難所から仮設住宅への移行、仮設住宅から復興住宅への移行の両者ともに、被災地の中でも最も対処が早かったと言えるでしょう。何がこの復興のスピードを決めたのでしょうか。

●震災当日からの住宅計画

一番の幸運は市役所の機能が災害直後から保たれていたことでしょう。相馬市役所の会議室には、今でも当時の会議で用いたホワイトボードが保存されています。そのホワイトボードと市の作成した資料を見ながら、市役所秘書課の阿部勝弘さんが話して下さいました。
「当市では津波が襲った、という情報が入った瞬間に、食料や水の確保と同時並行で避難所と仮設住宅の計画を立て始めたんです」
相馬市では津波による死者が457人、全人口の1.2%。人的被害だけでなく、相馬市全居宅棟数1万5616棟のうち、約30%に当たる5584棟が被害を受けました。
また市内の避難所に避難した市民は最大4545人(3月14日)、全人口の約12%に及び、相馬市にとっては空前の危機であったと言えます。このような混沌の中で、相馬市はいくつかの幸運に恵まれました。

●仮設住宅に必要なもの

その「幸運」について述べる前に、仮設住宅を建てるまでのプロセスを簡単に説明します。
一言で「仮設住宅を建てる」と言っても、実は様々な準備と情報が必要です。日本では、災害対策基本法により、仮設住宅の設営は県が行うとの規定があります。しかし県の本部は当然のことながら現地の状況には詳しくありませんので、市が以下のものを具体的に申請しない限り、着工がスタートしないのです。

1.被災者数
2.仮設の必要件数
3.用地の確保

すなわち、なるべく早く避難者の人数を把握し、仮設住宅に必要な用地面積を算定することが喫緊の課題になりました。このため市役所の方々は避難所に常駐し、避難者名簿や住民基本台帳と死亡者名簿を合わせることで行方不明者数を把握したようです。

●相馬市の「幸運」

生存者をいち早く確認するためのもう1つの試みは、被災者1人当たり3万円の現金支給を行う、と決めたことでした。この支給のためには対面式の身元確認が必要とし、避難所にて一人ひとりの身元を確認しながら支給を行いました。これは生存者を正確に確認するために非常に有効であったと言います。
「夜中に全員分のお金をひたすら封筒に詰めるのが大変でしたよ」と阿部さんは苦笑していました。
限られた人数で対面式の支給を行う、ということは非常に手間のかかる作業です。もっと人口の多い都市であれば、このような方法は恐らく実現は不能であったことでしょう。そういう意味では人口2万人という相馬市のサイズは、そういう意味で1つの幸運であったと思います。

相馬市がもう1つ幸運だったことは、震災前にGISシステムが既に導入され、その技術者が市役所にいた、ということだと思います。
GISを用いて3月12日撮影の航空写真と、市の家屋データを重ね合わせることで、震災直後より津波被災区域の住民を把握することが可能であり、これがその後の被災者支援金の支給を行う際にも有用であったそうです。
さらに、相馬市には工場誘致のための敷地が元々確保されていました。この土地を仮設住宅の用地として申請することにより、相馬市は被災3県の中でもいち早く県への申請を行うことができました。
この結果、資材の調達が困難となる前に着工、6月17日には避難所のすべての人々の入居が完了しました。

●復興長屋の構想

今回の震災では、家族が津波に流され、あるいはお子さんを連れて避難されることで、これまで2世帯、3世帯で暮らしていた多くの高齢者が独居状態になりました。
「相馬市では孤独死を出さない」という目標の下、建設されたのが復興長屋と呼ばれる共同住宅です。
これはバリアフリーのグループホームに近い設計ですが、個々の住宅で独立した生活は可能です。さらに訪ねてこられたご家族やヘルパーさんの寝泊まりする場所もあります。
1日に1回は皆で食事をする、というルールを設けることで、顔を見せない人をすぐに把握し、孤独死を防ごう、という試みです。1棟めが2012年5月に完成し、復興庁・国交省の国庫補助を受けた復興住宅の第1号として注目を集めました*5。

被災地の復興が住民の方にとって耐えがたいほどに遅い、そのことは否定しません。しかしその中でも最善の努力がなされている、その試みを共有し、将来の災害に備えなくてはいけないと思います。
特に、復興住宅や仮設住宅に関して、デザインやコストに関する研究は多々なされていますが、実際の現場で「どのように建てるか」ということに関してのノウハウは、ほとんどシェアされていません。
今後起こり得る災害に備え、地方自治体がどのようにすれば可及的速やかに大量の住居問題を解消できるのか。相馬市を含め、様々な自治体の試みをもとに、自治体のサイズと気質に合った対策が必要と考えます。

●偶然を幸運にした人々の力

相馬市のケースをお聞きすると、「たまたま」GISが導入されていた、「偶然」工場誘致のための土地があった、「ちょうどよく」XXXが手元に合った・・・。
様々な幸運の上に成り立っているだけかのように聞こえます。しかし多くの偶然を幸運に変えたことは、そこに働く人々の力があってこそだと思います。
「相馬市が幸運だったのは、立谷(秀清)市長の勤続年数が長かったことだと思います」
市役所の何人かの職員の方に、このようなことをお聞きしました。
「立谷市長のリーダーシップが復興を早めたのは間違いありません。でも、その市長の下で何年も働いていたスタッフだからこそ、リーダーの意を汲んでいち早く動けたのだと思います。どんなに良いリーダーであっても、職員との息が合う前の新しいリーダーだったら、今回のようにいかなかったと思います」

確かに、例えば災害当日に「仮設住宅を!」と市長が提案した時に、もし市長と市役所職員との信頼関係ができていなかったならば、「今それどころじゃない」と、無視されてしまう可能性もあります。
また「被災者の人数を把握しなくては」と思い立っても、現金支給のアイデアや、GISシステムの有効活用など、指令を実現可能な形にして行動に移せるブレーンの方々がいなければ、これほど早くの行動は不可能だったでしょう。
「これをやろう、と言った時に、反論する前に『じゃあ、どうやるか』とすぐに皆が考え始める。そういうチームができていたことが、早い復興につながったと思います」

古くからの知り合い同士で構成されているからこそ、ニュアンスが分かる。そのため規則のある中でも個々人が自由度を担保して、柔軟な動きができるのだと思います(参考記事)。日本人特有の「空気を読む」という文化が、いい意味で生きているのかな、と感じました。
農作物だけでなく、相双地区は人材も「地産地消」です。地力のある人々の多くが地元にとどまっていて、次々と斬新なアイデアを実現するブレーン集団が存在しているのです。震災の後は、その人々に刺激を受けて支援チームのブレーンたちも集まってきており、相双地区は現在「頭脳のるつぼ」になっていると思います。

今、相馬市ではGISの担当者と保健データの担当者が話し合い、GISデータと健康診断データを突合することでより正確な健康被害を把握できないか、という試みがなされています。医療だけでなく、教育の面でも様々な試みがなされているようです*7。
まだまだ課題は山積みなのだと思いますが、この復興のエネルギーを現場で見られる、自分自身の幸運にも感謝しています。
*1 GIULIANI, A. R. et al. 2013. Well-Being and Perceived Quality of Life in Elderly People Displaced After the Earthquake in L’Aquila, Italy. J Community Health Jun;39(3):531-7
*2 http://www.city.soma.fukushima.jp/housyasen/kenkou_taisaku/kenkou_tyousa/index.html
*3 福島民報2014年2月1日 災害公営住宅入札不調 資材、人件費が高騰 建設用地確保も進まず
*4 相馬市住宅再建瓦版第6号2014年2月1日
*5 http://blog.goo.ne.jp/cityplanning2005/e/e38c2f08822b7a18ebf8688b81aeefb7
*6 http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2012/09/post_5110.html
*7 細田満和子、上昌弘(編). 復興は教育から始まる. 明石書店
【略歴】おち さえ 相馬中央病院内科医、MD、MPH、PhD
1993年桜蔭高校卒、1999年東京医科歯科大学医学部卒業。国保旭中央病院などの研修を終え東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科に入局。東京下町の都立墨東病院での臨床経験を通じて公衆衛生に興味を持ち、2011年10月よりインペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に進学。
留学決定直後に東京で東日本大震災を経験したことから災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ世界保健機関(WHO)や英国のPublic Health Englandで研修を積んだ後、2013年11月より相馬中央病院勤務。剣道6段。

 

 

 

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