医療ガバナンス学会 (2014年7月28日 06:00)
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/
相馬中央病院内科医
越智 小枝
2014年7月28日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
「リスクはこれだけ低い、だから、相双にいても安全なんだよ」
数値を見せながらそういう言い方をすることは可能です。しかしそう言い続けることで人々の重荷を減らせるのでしょうか?
そこに、学問としての放射線防護学と生活される住民の方のギャップがあると思います。
今の福島の問題は、決して高くはないがリスクである、という被曝量の問題について、いかに語り合うか、という一点に集約しています。
「でもやっぱり、他の地域の物の方が安全ってことよね」
「最近、何となく怖くて魚は食べなくなったわねえ」
地元でもそのようにおっしゃる人は少なからずいらっしゃいます。なぜかと言えば、いくら「リスクが低い」と言われても、それは「リスクゼロ」にはならないからです。
例えばスーパーの食品で、ラベルに「添加物なし」と書かれたものと書かれていないものがあった場合には、後者の添加物に関しては不明でも「添加物なし」と書かれているものを買ってしまう傾向が、人にはあります。
それと逆の状況が「福島産」「宮城産」「茨城産」というレッテルに起きているようです。
一番難しいのは、リスクがある、ということを前提にした場合に、「リスクが低い」と言われれば言われるほど皆に信じてもらい難くなってしまう。そのような心理がどうしても存在することです。
「リスクが低いと言うと必ず『御用学者』と呼ばれる」
相双で被曝量測定を行っている方々が口を揃えておっしゃることです。リスクがあると言うと不安を煽るのだから、低線量の放射線は体に良い、ということを強調してみよう。そう考えた方々もいらして、相当の批判を受けたこともありました。
後から考えると賢明なやり方ではありませんが、その背景にはこのようなコミュニケーション上の葛藤があったのではないかと思います。
●放射線を避けると増える骨関節のリスク
放射線そのもののリスクだけを話していると、とにかく放射能を避ける方、避ける方へと思考が進んでしまいます。もちろん何のリスクも冒さずに放射能を避けることができるのであればそれでよいのでしょう。しかし放射能を避けようと過剰に反応することは、別のリスクを呼び込むことがあります。そのことはきちんと語られないといけないと思います。
放射能を避け「過ぎた」結果のリスクとして私自身が最も心配しているのは、骨と筋肉の疾患です。
骨の形成に重要な因子にはビタミンDやカルシウムの摂取、日光、適度な運動が必要になりますが、ビタミンDを豊富に含む食事は魚・キノコ・乳製品。いずれも被曝を恐れる人々が口にしなくなってしまうものです。
ちなみに離乳期のお子さんにビタミンDや日光が足りないと、「くる病」という病になります。現代に増えていると言われている疾患ですが(3)、お母さん方が放射線を恐れ過ぎるとこの疾患が増加する危険性もあるかもしれません。
以前新聞のインタビューで同じことを唱えた医師が、「放射線に汚染された食べ物を摂らせようとしている」といういわれのない非難を受けたことがありました(4)。その医師自身は純粋に魚やキノコの摂取量が減ったことを懸念されていたのですが、
「放射線未測定の地産の魚やキノコを食べろと言った」
と故意に拡大解釈した方によって扇動的に報道されてしまったためです。しかし彼の言いたかったことは、これまでの相双の食文化を守ることであって食材の話ではない、ということは強調しておかなくてはいけないと思います。
●原発事故によって健康意識は高まるか
もう1つ、放射能自体のもたらし得る害悪と、原発事故によって起こり得る社会へのベネフィットというものも分けて考えなくてはいけないと思います。特に前述の放射線授業のような、健康に対する意識を高める活動が、ここ相双では増えてきています。震災からわずか3年しか経っていません。これまで健康のために何かをする必要もなく、健康な生活をされていた人々が、あえて健康について考えなくてはいけなくなった。今現在は、まだそのことに対してストレスと感じている方は少なくないでしょう。
恐らく冒頭の高校生のコメントも、そのようなストレスから発しられているのではないかと思います。
しかし、普通であれば健康などに関して全く興味を持たない年頃の子供たちが、真剣に「健康とはなんだろう」「幸せとはなんだろう」と考える機会がある。これは教育の面でも貴重なことではないかと思います。
「放射線に気をつけた結果、健康のことを考える人が多くなった」
そういう結果を見いだせる可能性があると感じます。子供たちだけでなく、お年寄りが少しでも健康に興味を持ってくれたら。そういう考えの下に、仮設住宅を回って健康についての講話をされる医療者もいます。南相馬市立病院の健康に関する仮設懇談会などもそのような試みの1つです。これは毎月テーマを決めて、医療者が仮設住宅を回って講話をするという活動で、もう2年以上続いています。
医師という職業は病気を診る職業ですが、実は病院では人々を健康にすることはできません。健康とは環境・経済・精神・宗教・身体などいろいろな要素が複雑に絡み合って成り立っています。何よりも、健康になろうと思う人が増えない限り、高齢化社会の健康を保つことはとても難しくなります。
原発事故は起こらなければよかった。でもこれが起こらなければ人々が健康に目を向けることが10年遅れていたかもしれない。大きなマイナスの中に、小さなプラスの活動があることを、忘れてはいけないと思います。
●災害から始めよう
今の相双を悩ましている問題は、過去の被曝から思考を前に進められない方々がいることです。このような人々と共に前に進むにはどうすればよいのか。まず変わらなくてはいけないのは、専門的知識を持つ科学的者たちだと思います。
相双では健康というキーワードを中心に様々な知恵が集まってきています。それまで狭い世界の専門家であった方々が徐々に自分たちの視野を広げることで、その専門家から人々へなされる説明も少しずつ形を変えていきます。
例えば今回の災害の後、放射線の専門家の方々が、徐々に「放射線にまつわる、被曝以外の健康被害」について考えられるようになってきました。仮設住宅を回られることで実際に避難をされた方々の現場を目の当たりにされたからです。
また、アグリサイエンスカフェに見られるように、農業という行為が農家の方々の健康に果たし得る役割を認識された方も多いようです。教職員が、子供の健康を守るために放射線のことを学ばれる機会も増えました。
病院で病気を見るだけだった医師が少しずつ社会や行政に目を向けてきています。さらに、現地に入ってこられるジャーナリストの方々もその広報に一役買っています。
今まで主に医療者主導であった健康に関する問題が、今相双地区では放射線というキーワードを元に、多職種連携の社会問題として認識されてきています。来るべき高齢化社会において何よりも大切なその活動の芽が、ここ、相馬にはあります。
この新しい芽が相双の風土で育まれれば、いつか負の遺産が正の遺産に変わっていくかもしれない。そのように考えます。
(1) http://www.youtube.com/watch?v=ftJw6CH-lU4
(2) http://www.youtube.com/watch?v=sIAom3VWqpk
(3) http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2013/10/1017.html
(4) キノコ・魚は放射能汚染で出荷制限中なのに、福島県相馬市が避難者に「魚」と「キノコ」を積極摂取するよう呼びかけ(3/14 河北新報)
【略歴】おち さえ 相馬中央病院内科医、MD、MPH、PhD
1993年桜蔭高校卒、1999年東京医科歯科大学医学部卒業。国保旭中央病院などの研修を終え東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科に入局。東京下町の都立墨東病院での臨床経験を通じて公衆衛生に興味を持ち、2011年10月よりインペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に進学。
留学決定直後に東京で東日本大震災を経験したことから災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ世界保健機関(WHO)や英国のPublic Health Englandで研修を積んだ後、2013年11月より相馬中央病院勤務。剣道6段。