医療ガバナンス学会 (2014年7月29日 06:00)
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株式会社スポーツバックス
澤井芳信
2014年7月29日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
しかし、高校生として、まず夏の予選前に乗り越えなければいけない壁がある。体を追い込む辛いトレーニング?いや違う。夏休み前に行われる「期末テスト」である。
我が母校の京都成章高校は文武両道が求められていた。私たち野球部員も試験で赤点を取ろうものなら、練習に参加させてもらえない。授業中に寝ていても練習に参加させてもらえない。なので、勉強しなければ野球をさせてもらえないというルールがあった。私たちとしては大会に集中したいところだが、本来、学校とは勉強するところであり、その本来の目的を忘れてはいけないのである。しかし、練習は普通に行われるわけで、どうにか工夫をして勉強しなければいけない。使える時間はみんな同じ、24時間。いかに工夫をするか。当時私の考え出した勉強法は、帰宅してから勉強をすると練習の疲れから眠たくなるので、帰宅したらすぐにご飯食べ、風呂に入って寝る。そして深夜に起きて、勉強をする、といった方法であった。テストは何とか赤点を取らずに済んだ。何を私が伝えたいかというと、テストでいい点数を取ることが目標に対して、どう工夫をするかが大切、ということである。
私たちの学校での「文武両道」は、スポーツも勉強も頑張るということであったが、ここで勘違いしたくないのは、授業に出ていることで勉強をしている風になるということである。テストでは優劣が出ると思うが、その良い結果を得るために工夫をしているかどうか。そこが大切である。自身が工夫して行動するというものを大切にしたいと私は考えている。
これはスポーツにも言えることであり、教えられたことをそのままやるだけで、自分で考えようとしない選手がたまにいる。指導者に聞けば答えが返ってくると思っている。誰かが答えへと導いてくれると考えているのである。では、その指導者がいなくなって答えを教えてくれる人がいなくなったらどうするのか。その時に必要なのが自分で考える能力である。
勉強ができれば野球ができるものではないし、野球ができれば勉強ができるわけではない。しかし、目標に対する工夫を考えるだけで、両方の結果が変わってくるのではないだろうか。
私は野球をやってきたので野球の例えでしか言えないが、その工夫により、自身の感覚が生まれ、センスに繋がる。人間は考えることにより、無駄を省き、シンプルになっていく。その訓練を学生のうちに行っておかなければいけない。
学生だけではない。指導者にも考えてほしい。教えすぎていないか、自分の考えを教えることで自己満足になっていないか。教えている選手の人生に責任を持てるのか。選手はスポーツを辞めた後、まだ自分の人生がある。そこで考える能力、自分で道を開いていける能力がないと苦労するであろう。学生スポーツは本来、教育の場であると私は考えている。
今は自身が考え、行動する能力が求められている。これまで体育会出身者やスポーツ経験者は企業に必要とされてきたが、今はスポーツにおいて教えるというシステムが弊害になっているようにも思う。なぜそうするのか、なぜこうなるのか。本来のスポーツ選手は常に結果を出すために自問自答しているはずだ。その能力をもっと伸ばす教育が必要であり、その経験が後の人生においても必要となってくる。
そういった教育が本当の文武両道に繋がるのではないだろうか。
文武両道の意味をもう一度考え、私も進んでいきたい。
<略歴>澤井芳信
京都成章高校では主将を務め、98年夏の甲子園準優勝。卒業後は同志社大学に入学し、硬式野球部に所属。3年時には関西学生リーグベストナインを取得。大学卒業後は、社会人野球「かずさマジック」(元新日鉄君津硬式野球部)に入団。(株)新昭和に配属され、4年間の現役生活を経て引退。現在はアスリートのマネジメント会社を設立し、株式会社スポーツバックスにてアスリートのマネジメントを行なう。