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Vol.172 7月20日〜24日 福島県相馬市健康診断レポート

医療ガバナンス学会 (2014年8月6日 06:00)


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浜松医科大学
森 亘平  大野 航  鈴木 達也

2014年8月5日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


7月20日から6日間、あの3.11から3年4ヶ月あまりが経ったこの日、私たちは初めて福島第一原発にほど近い被災地を訪れました。福島県相馬市は福島第一原発から40km程離れた海沿いの町です。3.11で458人が犠牲となり、今も津波や原発による諸問題が復興の足枷となっており、多くの課題が残存しています。

津波の被害にあった被災者は現在どのような暮らしをしているのか?放射能についてどのような考えを持っているのか?マスメディアや本では得られない現場での体験を求め、相馬市が行なっている健康診断のお手伝いとして参加しました。

率直に言うと、私たちが想像したよりも医師・市民共に「淡白」だと感じました。医師の多くは自ら震災のことを引き合いに出すことをせず、市民もまた震災の影響を受けている悩みを積極的に打ち明けることはあまりありませんでした。健診の中でこんな一幕がありました。私たちが被災者の方に「今日はどこからいらっしゃったのですか?」と何気なく話しかけたところ、「仮設住宅からだよ。津波で自宅が流されちゃったから…」と意図せず震災の話題に入ってしまいました。
時折遭遇したこのような場面で、私たち学生は被災者の体験談に対してどのように反応してよいか戸惑い尻込みしていましたが、医師たちは淡々と応対していました。
亀田総合病院の小原まみ子医師は「診察で意識していることは相手の表情を読むこと。相手の考えていることを察し、時には相手に切り出させる間を十分にとる。そうすれば悩みのある方は自然と話し始めてくれる。」とおっしゃっていました。被災者相手だからといって特別なことをする必要はなく、普段の医師としての診察技術や心構えをそのまま用いればよいとのことです。

3.11後、放射能汚染に関する流言飛語が飛び交う中、最前線でフィールドワークを続けて来た東京大学医科学研究所の坪倉正治医師は、また異なる視点を持っていました。坪倉医師は、自宅帰還をしようか迷う被災者に対して被災者の自宅がある地区名や最寄りの中学校など細かい情報を聞き、放射線量を伝え放射線についての知識を提供している先生です。坪倉医師は「自分には事実と自分自身の考えを伝えることしか出来ない。だからこそ、個人個人の判断材料となりうる個別具体的なデータを提供するしかない。」とおっしゃっていました。線量は低くなっているといっても自宅に帰還するかどうかは被災者1人1人の問題であるため、医師としては決断を行うための判断材料を提供することが適切であるとのことです。

先生方の教えから災害医療を考えるうえで重要な2つのピースが見えてきます。「話を切り出させるスキル」と「現場」です。まず、被災者に自ら話をさせるのはコミュニケーションをとる上で重要なことです。宿泊所に帰った後、前記の小原医師が3.11の一か月後に被災地に入った際の話をしてくださいました。精神的なケアを行おうと接していた医療従事者やその他のボランティアが「お前に俺の気持ちがわかるかっ!」と被災者を怒らせてしまったことがいたるところであったそうです。だからこそ、被災者に対して質問の形式で話を引き出すのではなく、話し方や雰囲気、間の取り方などで自ら話してもらうことは被災者との意思のすれ違いを防ぐと思われます。このようなスキルは一朝一夕で身につくものではありません。常日頃の診療の場で磨かれるものです。医師としての経験と能力が要求されると思います。

次に、医師として現場に入り活動することも重要です。坪倉医師のように実際に現地に入りフィールドワークをすることで被災者に還元できるものが多くあると思います。相馬市より原発に近い南相馬市を車で回ってみるといたるところに線量計があります。その線量は数百メートルの距離でも2倍くらいの差があり、放射線の影響が微細な条件で変わることを実感しました。被災者にとっては相馬市が安全か危険かという大局の話よりも、細分化された情報の方が実生活ではより役立ちます。放射能に対して不安を抱く被災者に対して本当に寄り添うことができるのは坪倉先生のような医師だと思います。

今まで私たちが想像していた災害医療とはD-MATやドクターヘリ、トリアージなど特殊なスキルや急性期に携わるものが多かったように感じます。しかし今回の経験を経て復興までの包括した災害医療を成すものは急性期に携わるスキルだけではなく、より根本的なコミュニケーションスキルや現地での活動でもあることを感じました。

今回の健診に参加させてくださった東京大学医科学研究所の上昌広教授、浜松医科大学の大磯義一郎教授をはじめとし、多くのことをご指導してくださった先生方や星槎グループ、豊栄会、相馬市民の皆様に心より感謝しております。

相馬市より少し南、南相馬市の北部にある山田神社を訪れました。ここでは高台にある山田神社をはじめ建物さえも津波に流され氏子47人が亡くなりました。再建された神社の鳥居にはその慰霊の意を込めてたくさんの鳥の絵が描かれています。その高台に立つと眼下には一面の更地が広がっています。私たち自身があの日この場所にいたとすれば、ここまで津波が来るなど思いもよらないでしょう。残された家の土台がやり切れない空虚さを感じさせます。

浜松医科大学がある静岡県は東海地震が随分昔から危惧されています。東海地震が起きた際に少しでも復興の助けとなれる医師になりたい、今回の体験を経て私たちはなお一層強く思いました。その時に備えて医師になるために、また医師になってからも研鑽を積んでいきたいです。

森 亘平
静岡県焼津市出身。平成21年3月、静岡大学教育学部附属島田中学校卒業。同年4月、静岡県立静岡高等学校入学。
平成24年3月、静岡県立静岡高等学校卒業。同年4月、国立大学法人浜松医科大学入学。現在、医学部医学科2年生。

大野 航
静岡県伊東市出身。平成22年3月、伊東市立南中学校卒業。同年4月、静岡県立韮山高等学校入学。
平成25年3月、静岡県立韮山高等学校卒業。同年4月、国立大学法人浜松医科大学入学。現在、医学部医学科2年生。

鈴木達也
東京都練馬区出身。平成22年3月、私立武蔵野中学校卒業。同年4月、私立武蔵高等学校入学。
平成25年3月、私立武蔵高等学校卒業。翌年4月、国立大学法人浜松医科大学入学。現在、医学部医学科1年生。

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