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Vol.173 私が相馬で働いた理由

医療ガバナンス学会 (2014年8月7日 06:00)


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相馬中央病院
内科医 森田知宏

2014年8月6日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


私は今、相馬市にある相馬中央病院で勤務している内科医である。昨年は、研修医として南相馬市立総合病院で3ヶ月ほど研修し、今年の4月から相馬に赴任した。大阪出身で、1995年には阪神大震災に遭った。幸い、家屋や家族に被害は出なかったものの、家中に散らばっていた皿の破片と、その秋にイチローを擁するオリックスが「がんばろうKOBE」を合言葉に優勝したのを覚えている。

地震という共通点はあれども、私は福島には縁もゆかりもない。そこで、私が相馬に来た理由を考えてみたい。

一つ目は、土地の魅力である。私が相馬地方に興味を持ったのは東日本大震災がきっかけだ。2011年の夏、飯舘村で行われた健康診断の学生ボランティアとして、私は初めて相馬地方にやってきた。そこで、相馬地方の歴史に衝撃を受けた。現在まで累々と続く相馬家の歴史は、野馬追に代表されるように相馬地方の生活に色濃く反映されている。相馬家の家来の子孫がいまも馬を飼っていたり、農家にも「うちは○代前にこの土地を開いた」と語る方がいる。大阪の現実主義のなかで育てられた私にとって、この価値観は非常に面白かったし、昔の城下町を彷彿とさせる街並みは見るだけで面白い。

二つ目は、人の魅力である。私は、南相馬では南相馬市立総合病院の金澤幸夫院長、及川友好副院長にお世話になった。お二人とも臨床医として大変尊敬できる方々であり、震災当時も卓抜したリーダーシップを発揮された。放射線被爆に怯える市民のために内部被曝線量測定を行う、10年後の相馬地方のために南相馬市立総合病院で研修医を育てるなど、混乱期を前向きに切り抜けてきた方々である。一方、相馬市には立谷秀清市長がいる。私の勤務する病院の理事長でもある。震災直後から、答えのない問題に次々と適切な政治的判断を下して住民をパニックから救った方である。「震災後、体調を崩して亡くなる人をゼロにしなければならない」という課題を掲げ、コミュニティ形成のためにデザインされた仮設住宅や、2011年夏から行われている仮設住宅の住民検診はその一端である。相馬では他にも多くの方が交流している。教育関係者、物理学者、医療関係者などが入り混じる交流から、業界を飛び越えた企画が次々と実現している。近くで見ていれば、その交流の渦に入りたいと思うのは当然だろう。

最後に、医師としての成長だ。私は相馬市内で最年少の医師であるが、主治医として、他の医師と同様のことが要求される。このプレッシャーの中、目の前の患者について勉強することは非常に有意義である。さらに、相馬中央病院には、分子生物学者の加藤茂明先生が来ている。世界のトップレベルの論文をいくつも書いている先生が、私のあいまいな質問に対して本質的な答えを下さる。勉強する環境としても本当に恵まれている。

相馬地方の人口構成は日本の20年後に相当すると言われている。つまり、ここで起きる問題は、日本の将来に起きるものと同じと言える。先進的な対応が必要な状況が続くが、それが近いうちに解決できるかもしれないという期待を抱かせるのも相馬地方の魅力と言えよう。

以上、相馬地方の魅力について述べた。私は、相馬地方での学習は、都内の一流病院の研修に勝るとも劣らないと考えている。さらに、この魅力は、内容の差こそあれどんな地域にも存在するはずである。本稿が、その地域でのやり方を生み出すヒントになればと願う。

【略歴】
森田 知宏
2012年3月東京大学医学部医学科卒業。2012年4月より亀田総合病院にて初期研修。
2014年5月より相馬中央病院 内科医として勤務中。

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