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臨時 vol 178 「放たれる市場原理主義医療」

医療ガバナンス学会 (2008年11月27日 09:58)


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獨協医科大学神経内科
小鷹昌明 (おだかまさあき)


 2007年は医療崩壊にブレーキがかかるどころか、一層加速化された1年であった。
たしかに”医療崩壊”という言葉はそこかしこで耳にするようになった。しかし現実には、言葉がひとり歩きしているとしか考えられない。声を大にして尋ねたい衝動に駆られてばかりの1年であった。
「本当に医師を増やす気があるのか?」
「医療費抑制政策の方針転換はしないのか?」
「医師の過重労働を取り締まる気があるのか?」
「僻地への医師の招聘の見込みはあるのか?」
「これ以上医師の労働環境を悪化させることに危機感はないのか?」
「権利のみを主張する患者側の認識に変化はないのか?」
「救急医療の現場に軽症患者が殺到することに矛盾を感じないのか?」
「無知なマスコミ報道に医療不信を掻き立てるような悪意はないのか?」
「不当逮捕が医療崩壊を加速させることに気が付かないのか?」
「司法は医療訴訟を正しく判断できるのか?」
「患者の側からみても、疲れきった医師に診てもらいたいのか?」
「医師はそのことをどう思っているのだ?」
誰に尋ねたいかと言えば、その対象は国、行政、国民、医療者、患者などである。だが、あまりにも漠然としていて、空気を相手にしているようで虚しくなる。
結局、2008年を迎えても、「医療崩壊」と皆それぞれ口にはしながら、
「状況が改善される兆しはまったくないし」、
「いつまでたっても人員は増えないし」、
「頑張っても評価されず、体は疲れるし」、
「完璧な医療を期待する無茶な要求は減らないし」、
「相変わらず感情的な報道は多いし」、
「仕事に追われ続ければ親の面倒はみられないし」、
「労働基準法が順守される見込みもないし」、
「結局は医師の聖職意識とボランティア精神に頼るしかない医療政策しか打ち出されないし」、
「行政と医療者と患者、それぞれが被害者感情を持っているし」、
「不当な判決はなくならないし」、
「一部の攻撃的な患者をたしなめる手段はないし」……
というわけで、「もう一層のこと医療崩壊は行く所まで行って、医療の質も医療費負担もアクセスの悪さも仕方がないことだと諦めて、期待することをやめたらいいのに」と投げやりな想いを強くする一方で、「そんなことになっていいはずがない」と叱責する感情との葛藤に苛まれる年始まりであった。
医療の市場が、低迷した資本主義市場とダブって見えてしまうのは、私だけではないはずだ。サブプライムローンで冷えきったアメリカの市場経済。原油や農作物の価格が高騰し続けている。はやいところ底が見えない限り、再生ファンドは手を付けない。医療の栄枯盛衰はひじょうに厳しく、諸行無常の響きすらある。
慌てて医学部の定員を増やしても即効性はない。ドクターバンクを立ち上げようとも、奨学金で医師を確保しようとも、応募する医師がいなければお話にならない。ひとり数役の総合医構想もよいが、産婦人科のような訴訟リスクを考えると怖くて手を出せない。看護師に医師の雑務を引き受けさせるのもよいが、医療事務を雇えるだけの施策が必要だ。署名を集めたり、報酬を上げたりして医師を招聘できるなら医師不足なんて問題にならない。「救急患者を断らない」と息巻く現場感覚ゼロの議員の発言は空を切る。救急患者の”たらい回し”も、いっそ全部引き受けてERの廊下にでも置いておけばいいのか。ドクター・ヘリなどと格好のいいことを言っても、近くにいい病院があれば無用の代物である。議会の決議も結構だが、その前に金を出す方が先決である。僻地勤務を義務化するなど人権無視も甚だしい。本末転倒に気が付かないのか。
医療には、”コスト(安い医療費で診療する)”、”クオリティ(質の高い医療を提供する)”、”アクセス(近くに病院がある)”が求められるが、この3つすべてを叶えることは不可能である。既に医療経済の専門家によって常識化されている。
コストに関しては、国民皆保険制度で行われている今の医療が、世界でもっとも安い値段でコストパフォーマンスが良いことを知らない人は単に勉強不足なだけ。厚生労働省の官僚だってさすがにそれは否定しない。「もうこんな医療サービスは無理です」と言っているだけである。従って、これ以上は医療費が下がるということはない(と思う)。では、上がるかというと短期的にはそれもない。
医療費の個人負担が増えると困るということは、原油や食料価格が上がると困るということと同じくらい議論の余地はない。今の与党ではそこまで踏み切れない。「原油高騰が続けば日本の省エネ技術が発揮できる」などと、わざとアサッテの方向に話しを進めて議論を混乱させている輩には付き合う気はない。
クオリティを下げることは、金のない病院が水面下でやむにやまれず行うことである。これを前面に掲げることはできない。良識のある医療者のプライドにかけてこれだけは避けたい。医師は急には増えない。
それでも医療費を大幅増額する気はない。その条件下での医療政策の答えは、”アクセス制限”のみである。コストとクオリティを維持するためにアクセスを犠牲にする制度が導入されている。
「設立母体の違う病院の統合は難しい」と言ったところで、医師がいなくなっては仕方がない。当面、いくらアクセスが悪くなったとしても集約化は確実に断行される。1ヵ所に医師を集めればその中で勤務する1人ひとりの負担は分散される。しかし、少し考えればわかることで(いや考えるまでもなく)、この方針は効率的かといえば、まったく意味をなさない。病院のベット数や診療時間に限りがあれば、底抜けに患者が訪れるわけではない。入院できる患者にも限界が生ずる。自然と遠方から訪れる患者は減る。つまり一定以上の患者の診療を不可能にするシステムなのである。
地域に医師を少人数で配置し続ければ、疲弊した医師はどんなに恨まれようが、責められようが、しがらみを断ち切って遠い地へ去って行く。集約化が進み地方には医師がいなくなるという現状がすでに散見されている。地方は地域住民を守るか、医師を守るかの選択に迫られている。
医療者が「こうした自体に陥ったのは、国と国民の選択した結果による」といくら叫んだところで、国民からは「そんな選択はしていない、国と医療が勝手に仕向けてきたのだろう」と反論される。まったくその通りなので私たちには答弁の余地すらない。ただ一言、「そんな政策に加担したつもりはない」と漏らすだけである。
原油高騰に対し多くの人が自助努力を行っているように、「どんな業界も厳しいのだから医療者もそうするべきだ」という声も聞かれる。しかし、「医療崩壊が進み、国民皆保険制度が保てなくなれば、その下で仕事をしている医師が困る」という意見はまったく当を得ない。なぜなら、「医療が崩壊しても困らない」と主張する自助努力のできる医師の多くは、そのような「保険がなかったら医療機関への受診を控える」などという市場では仕事をしない。命のかかった世界において、「金に糸目を付けない」という患者の行動原理はある程度まで真実である。
皆保険制度と混合診療の禁止には、そうしたモラルハザードを防いでいるという側面もある。市場においては、「規則や法律に違反していないのだから、いいではないか」というのが最近の世相である。規則やルール、法律には必ず盲点がある。グレーゾーンと言ってもいい。そういうところをかいくぐって成功するのが今の勝ち組である。「困らない」と言っている神の手を持つ医師が、こうした”勝ち組病院”に流れてくることが市場なのである。
医局長である私の最大の仕事は医局人事を担当することである。「大学人事ではダメである」と息巻く人は、「地域医療計画に基づいて医師を適正に配置するべきであり、都道府県医局を設立し、すべての公立病院や公的病院の採用を一本化すれば実現可能なはずである」と指摘する。しかしそれは結果であって原因ではない。医療崩壊が起きたのは大学人事のせいではない。むしろ、地域医療を支える大学の医局人事を否定した時点から、医療崩壊が始まった。大学病院を巻き込んでの市場原理がスタートしたことを改めて知るべきである。
医療制度の破綻をあげつらう論争が増える中で、確かに近頃、医療者の品格が落ちたと感じる部分もないわけではない。医療費削減の旗印のもとで、経営の厳しい病院はいつも金の話である。誰の稼ぎが多いだの、どのやり方が儲かるだの、そんな話ばかりしている。国が決めた診療報酬に従い、利益の薄いところは撤退し、報酬の厚いところに寄っていく。正直、さもしい気持ちを拭えない。
わが病院でも、7対1看護体制の導入(看護師の手当ての厚い病院は報酬が高くなる)、室料差額の見直し(部屋代の値上げ)、薬剤購入費の削減(できるものはジェネリックへ)、価格競争に基づいた医療機器と医療材料の購入(安いメーカーから買う)、診断書料の見直し(診断書料の値上げ)、医療費未払い患者からの徴収強化(取り立て)、採用医薬品の削減(在庫を抱えない工夫)などを検討し、収支を改善させる論議がなされている。
職業人の品格は、仕事に対する自信、情熱、プライドが支えている。良質な医療をしたことではなく「いくら稼いだか」を価値とされる職場では、医師の品格を維持することは難しい。だからと言って、「こうした医療をしたい」とか「あるべき理想の医療をしたい」とか、夢の姿を追いかける情熱をぶつけたとしても、その場の空気が速やかに5度下がるだけである。過重労働に喘ぎ、実質的な報酬を得ていないと感じている有能な勤務医が、医療の価格が倍になり、患者数が半分になるという病院のささやきに耳を貸したら……。果たしてどうなるであろうか?

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