報告に時間差ができてしまったけれど、実際には第三回臨床研修検討会の1時間後の話である。全国医学部長病院長会議の代表として小川彰・岩手医大学長が1時間ほどプレゼン。嘉山孝正・山形大医学部長も一緒に検討会からハシゴして来た。
このプレゼンで驚いたというか認識が足りなかったと思ったのは、いわゆる地域の医療過疎の深刻さ。人口あたりでは医師がいても、面積あたりにすると大変なことになってしまう。たとえば、岩手県に9つある2次医療圏の1つ「宮古医療圏」は、面積が東京都全体の1.2倍あるのに病院が4つしかなくて(ちなみに東京には658病院、23区だけで436あるという)総合病院は1つだけという。「岩手にはタライ回しはない。回すだけのタライがない。断ったら死ぬしかないので、必ず搬送を受けて、手に負えない時は盛岡まで送る」。この1つしかない病院が崩壊したら、と想像するだけで恐ろしい。
プレゼンはかなり長かったので、質疑応答で議論になった部分を断片的に拾っていくことにする。
「国民の求める医師像が間違っているのでないか。もはや赤ひげの時代ではない。地域の理想の医師とは、
(1)一般の処置ができ
(2)救急処置ができ
(3)専門医が必要な時は速やかに連携できるような診療判断ができ
(4)専門性を持っている、
これでないか。
(4)については、医師自身のインセンティブを考えた時に必要だと思う。先ほども嘉山先生と話していたのだが、こう考えると問題は内科の先生。たとえば消化器内科の専門はあっても高齢者の肺炎も急性腹症も糖尿病も診られるというような必要がある」
「外科の志望者が3分の2になっている。このままいくと盲腸のような急性腹症でも手術できずに死ぬような時代が来る」
「若い医師の仕事の選択基準で、ずっと右肩上がりなのは、時間の自由が効くかどうか。全年齢で大学病院の労働時間が長く、それが大学病院離れのひとつの原因になっている」
「外国と日本とでは医師の置かれている状況が違う。診療科によって全然インカムが違って、ファミリープラクティスは一番下だ。米国で各学会が専門医のバースコントロールをしているのは、自分たちのインカムを下げないため。必要性から議論されているわけではない。日本のどういう医師でもインカム同じという悪平等の不平等の中で、その家庭医についても、国民の求める医師像からして本当に求めているのだろうか。安易な増員には反対だ。社会制度の基板なくして専門医・家庭医は語れない」
土屋
「家庭医の安易な増員には反対と仰ったが、家庭医と言った場合に実は皆さんの描くものがバラバラだ。果して何を基準に合わせるか。小川先生の『理想の地域の医師像』、これは日本の土壌を考えると家庭医と呼んでいいのでないか。米国の専門性に欠けたファミリープラクティスとは違うと解釈したい」
阪井
「2点伺いたい。臨床研修の影の部分を強調されて、たしかに地域医療崩壊の大きな原因なんだろう。しかし果たして以前の状況、大学の専門科に入っている医師が交替で僻地を支えるというのは、医師にとっても地域の患者にとっても良かったのか。お互いにあまりハッピーな状況でなかったような気もする。それを臨床研修が顕在化してくれたとも言えるのでは」
小川
「少なくとも医師数からすると、全国李学部長病院長会議のデータからすると、以前は大学に70%くらい残ってたのが人口50万人未満の都市しかない県については30%まで下がっている。その人達がすぐに地域医療のお手伝いをできるわけではないけれど、その人たちが大学に入った分、専門医を取ったばかりぐらいのがグルグル回っている。ドクターバンクというお笑いのような話があるが、岩手の地域医療支援委員会は大学にあって私が委員長だ。でも、誰を出せばいいかというのは私には分からない。医局がクオリティコントロールをやっている。1人で地域を任せても大丈夫かというようなこと。それから人間の世の中だからA君とB君を一緒にすると取っ組み合いの喧嘩になりかねないからできないとかいうような。専門医取ったばかりだから地域へ行きなさい、その代わり3年後で子供さんが高校生になる時には都会に戻すからというような。それが今全くなくなっちゃった。地方において絶対的な医師の不足は見えている。臨床研修で1万5千人の医師が消えちゃったんだから」
阪井
「クオリティコントロールが大事だということ、数が足りないということは全く異論ないのだが、そうではなくて消化器内科をやっていた人がいきなり呼吸器や子供も診るようなことでいいのか、ということ」
小川
「それはそれでいいんじゃないか。自分自身は専門性あるが、糖尿病も高齢者の肺炎も診られますよというのが理想で、将来開業するんだとしたら、そんな全員が大学に残って教授になるわけじゃないから、おじいちゃんも診るようになるんであって。その時のトレーニングが効いてきてというのが現実的な話だ」
阪井
「つまり、それは地域へ行くのがトレーニングということになる。地域へ行く前にトレーニングしないでいいのか」
小川
「医学部が6年一貫教育になって、ドラスティックに大学が変わってきている。昔は臓器別で講座ができていたけれど今は内科一般になっていて、内科医である限り大体のことは診られるようにしようと、学生の時からそうしている」
阪井
「もう1点、外科医が減って腹症でも死ぬというような話だったが、そうではないんでないか。外科医というのは、心臓外科とか脳外科とか言わない一般外科であっても、メスを振るって全身麻酔かけてというようなことをしているんだから大変な専門だと思う。少数にして、1人がたくさんの症例を手術する方が安全なんでないか」
小川
「それも当然ある。小さな病院をあちこちに作るより、今は交通の便がよくなっているから集約化してセンター化するのは最低限必要なことだろう。それすら地方ではできない」
阪井
「いや、現状の外科医が多すぎるんでないか。少ない方が腕が上がるということはないか」
小川
「欧米ではクラブメンテーション医療というのが一般的。それぞれ専門の医師が自分の担当分野だけ診る。しかし1人の患者さんをトータルに診る医師がいない。外科医は手術をいっぱいしているけれど、それで上手になるかと言えば決してそんなことはない。たとえば動脈瘤のアウトカムは、日本に比べてはるかに悪い。なぜか。日本のように手術した医師が退院まで責任を持つということになると、術語にこういうことが起きるから、前もってこういうことに気を付けておこうかと工夫するようなことがある。しかしクラブメンテーション医療だと、それぞれ分化してマニュアルに従ってやるだけだから、自分の後ろで何があるか知ったことじゃない。日本の場合、トータルに診ているので、いわばテーラーめード医療になっている」
阪井
「術後管理まで全部1人でやった方がいいということか」
小川
「それは時と場合による」
土屋
「小川先生に確認したいのだが、地域の理想の医師像というのが、卒前教育がよくなっているから身につくんだということで理解してよいか。阪井先生の質問は医学部の教育だけでは不十分じゃないかということだったと思う。家庭医をどう捉えるかという話ともつながってくるが、卒業したら家庭医の能力が身についているということか」
小川
「その方がやっている医師にもインセンティブになると思う。何科の医師でもインカムが変わらない現状では、何らかのインセンティブが働かないと、人は動かない」
土屋
「たとえば救急処置ができるという条件があってけれど、それを医学部卒業でできるようになると?」
小川
「今現在そこまでパーフェクトにできてないが」
土屋
「言葉じりを捉えるようだが、だとしたら、そういう能力を身に着けるには、どこでどのようにトレーニングしたらよいのだろう」
小川
「大学の中で医療をしていれば身につく。問題は内科だ」
土屋
「先生のところは内科の実習をしている?」
小川
「させている。卒前から」
土屋
「患者を扱えるようになる?」
小川
「扱えるようにはならない。というのがクリニカルクラークシップがかけ声ばかりで、どんどん後退している。CBTを国家試験化して実習の資格を与えてほしい。先生方は学生のころにだいぶ実習をしたと思うのだが、今は国民がなかなかそれを許さない時代になっている。資格持った学生でないとクリニカルクラークシップができない」
土屋
「それが認められてない現状では、卒前の実習は?」
小川
「やろうとしているけれど、どうしても知識偏重になる」
土屋
「そんな状態の人を一人診療所には出せないだろう。出せるようになるには、体系的なトレーニングを作らないと国民が安心して身を委ねてくれない。今現在の状況だと卒後でないとトレーニング組めないのだから」
嘉山
「小川先生は、今まさに崩壊寸前の岩手を何とか支えるという視点でずっと発言されている。この班では、今後医師の数が増えた時にどうするのかをメインに検討しているので、若干ズレがある。我々だって卒後研修すべてを否定するわけじゃない。ただし、あの程度のことなら、外科へ直接入局していてもプライマリケアは習ったものだ。だからさっきから何度も同じことを言っているが内科が問題。大学院大学で臓器別になっちゃった。昔は内科でも全部診られた。だから医療安全の面からもよかった。外科であれば全部診て糖尿病のコントロールまでトレーニングを受けた。現在の医師が足りないところでの専門医の話とOECDに追い付いた時に質をどう担保するのかということと、小川先生はできる医師のことを話していて、土屋先生はできない医師でも質を保証するという話をしている。この班会議からポンと出すと色々な影響が出るので危険ですよということを小川先生は言っている。班長はドラスティックな改革を考えているんだろうが、そのためにはソフトも必要。インカム変わらない中で質を担保するには、無駄なようでも大勢入れて少数精鋭にセレクトしていく過程が必要。米国では最初からセレクトされている」
土屋
「学術会議と学部長会議の欠点は脳外科が強すぎることだ(笑)。たとえがす
ぐに脳外科の話になる。引っかかるのは外科なら大丈夫だということだが、本当
かしらと思う。コモンな内科疾患であれば、一般診療で1人でも大学病院と同じ
ようにコントロールできるのでなければ価値がない。外科医を地域へ送るにして
も的確にトレーニングをオンザジョブでやる必要があるんでないか」
嘉山
「外科ができると言ったのは、卒後研修と同じ程度ならという意味」
土屋
「一般診療できると定義するとトレーニングすべきだろう。ドラスティックにやるつもりは全くなくて、どうやってソフトランディングさせるかが主要な研究テーマなので、ご心配なく。これ以上ガチャガチャにしろと言うつもりはない」
小川
「先ほどのホスピタルボリュームの話。1人あたりの手術数が多いからといってアウトカムがいいとは全然言えない」
外山
「嘉山先生、小川先生のお話は非常に共感するところも多いが、違うと思うこともある。私はアメリカに12年いて心臓外科医をしていた。むこうの事情はアップトゥーデートに知っているつもりだ。胸部外科のプログラムが360余あって、しかし100%fillしているのは240しかない。自分たちの専門性とインカムを守るために数を絞っているというけれど、実際にはどうしてこんなにfillされないのかという話をしている。それは先ほど小川先生の仰ったライフスタイル、価値観の変化がむこうでも起きているのであって、それをどうやって解決していくかが問題になっている。今は間違いなく心臓外科医は足りなくて、それを解決するために国がお金を使っている。日本は国がお金を使ってない欠点があり、それを我々は言わなければいけないし、政治にやらせないといけない。
技術を要する外科系と内科系とで考え方を分けることには同意するが、内科医にも広さが必要なことは間違いない。それともう一つ、阪井先生が言われたことは事実だ。日本には心臓外科医が多すぎる。2500人の専門医がいて、症例が5万。米国では45万例に、たかだか3000人弱しかいない。症例数と技術のスペリオリティの問題はあるし、トータルに1人が最後まで診るというのも必要だろうが技術を磨くと患者さんのアウトカムが向上するのは間違いないから、専門医の基準を厳しくすることには大賛成だ」
嘉山
「心臓外科と我々脳外科とは違う。脳は1つの臓器と思われているが、小児奇形から脳腫瘍から外傷から全部やっている。それと日本の脳外科の成績がいいのは、みんなで診ているから。オペレーターが若くても必ずトップランナーが一緒についている。米国では1人1人がコンペティターなのでそういうことはない。心臓外科が心臓の手術しかしないんであれば数が多いという議論は分かるが脳外科ではチームによってやっていくんで、その辺は科によって事情が違うんじゃないか。その辺も加味して考えてほしい」
外山
「日本の脳外科が幅広いのは承知しており米国と一緒にやれというつもりはない。卒後研修と専門医との問題の共通項を見直さないといかん。手術症例をたくさん経験している医師をつくれば、さらにもっと良くなるんでないか」
嘉山
「私は2000例と有数の症例数を経験しているが、10年目までは1例もやらしてもらえず、そこから一気に増えた。そこに来るまでに淘汰されるのだが、みんなで診ている中でセレクトは曖昧にされる。でないと術後管理をやってくれる人がいなくなっちゃう。この日本の風土は患者にとってはよいことだと思う」
土屋
「淘汰された残りの方はどこへ行ったのか」
嘉山
「易しい手術をやっている。神経リハビリに回った方もるし、神経麻酔科医になっている人もいる。手術にしても外傷とか急性期とか色々あるから。とんでもない難しいのはセレクトされた人間だけがやっている」
海野
「脳外科にしても心臓外科にしても、米国に比べても人数割が多いのは私から見れば一緒。小川先生が指摘された地方の問題に関して、ひとつのアイデアとして家庭医・総合診療医というのが助けになるんじゃないかということと、もう一つ地域の基幹病院に対する大学病院の派遣機能が削がれている現状をどうするのかという二つの考えることがあると思う。地域にそういう病院が絶対に必要であること、それは動かない。そこで小川先生に伺いたいのは、産科とか小児科とかが少ない診療科間の偏在については、どのような解決策があるとお考えだろうか」
小川
「これは難しい。特効策は基本的にない。一つはインセンティブ。インカムもあるだろうが、しかし今はインカムだけでは全然ダメ。正常な生活を営めることが大きなファクター。田舎の公的な病院で小児科を標榜しているようなところで医師3人だとすると、3人いれば多い方だけれど、外来が終わって当直に入って1時に1人、3時に1人、5時に1人患者がやって来て、8時になったら250人待っている、それが終わってもまた同じこと、こんなのが3日に1度回ってくる。1人でも辞めたら3人とも辞めざるを得ないのは目に見えている。今開業する人たちの多くがお金が儲かるからじゃない。このまま働かされたら死んじゃうから、家族を顧みない生活が限界だから。昔は自宅と診療所が同じ開業医がほとんどだったけれど、今は必ず離して夜間の責任は負わないようにしている。病院からあと1人でもいなくなったら病院の機能が絶えるというギリギリの状況なんだ。地域のお医者さんは宝なんだと住民と一緒になって医師を守ってくれないと、もはや我々だけではどうにもならない。その意味では大阪だかどこかのお母さんたちが小児科を守ろうと活動してくれたという話は元気づけられた」
嘉山
「科の偏在については根が深い。アメリカでも一番難しい手間のかかる医療はインドやイランから来た人がやっている。アメリカで一番人気があるのは耳鼻科。医療界だけの問題じゃなくて、困難な科に行くことをリスペクトする社会じゃないと、そういう科にはいかない。産婦人科だって、今急に減ったわけじゃなくて少子化で需要が少なくなるという話が報じられるようになった途端に減り始めた。社会全体で取り組まないと直らない。マスメディアの皆さんもその辺考えて筆をふるわないと将来業務上過失で捕まっちゃうよ」
業務上過失は別にして、この指摘は医師の研修どうのこうのを超えて、本当にその通りだと思う。医療者がメディア人に対していらだちを抱くのは、リスクを負っていることに対する敬意が全く感じられず、自分たちは安全地帯にいるくせに石を投げてくるからだろう。現在のメディアの中では、いかにリスクを取らずに商品を上手に仕上げるかというテクニックの教育が行われているので、順応してきたメディア人たちはリスクを取ることに対する敬意を本質的に欠いてしまう。ただ、メディアの行動を変えたければ、リスクを取ったメディアをもっと褒めてあげないといけない。
話が脱線した。
渡邊
「高齢社会では全人的医療のできる医者が求められていると思う。それなのに日本は専門分化が進んで逆行している。小川先生の地域の理想の医師像というのは、我々が考えていた家庭医そのものであり、家庭医は素晴らしいという話をしてくれるのかと思ったら、その増員には反対だと言うので大混乱している。家庭医の定義をどのように考えているのか」
小川
「理想の地域の医師と家庭医というのが実態としてイコールであるならば、それで構わない。ただ単にインカムの問題で専門性が必要と考えるならば、アメリカのファミリープラクティスはそれではない。それを指して育てようとしているのなら、国民の要求と乖離しているのじゃないかと思う。ぜひ定義を明らかにしてご議論いただきたい。日本医師会、プライマリケア学会、定義が全部違う。定義してから進めないと混乱する」
有賀
「大学院大学のタテ割について。昭和大でも4月から一緒くたの大講座制にして、救急も生き死にかかわらない程度の分はその大講座の中に入れてしまった。その中でグルグル回れば相当幅広く診られるような仕組みはつくりつつある。医学部長病院長会議として、内科学の体系は全体としてそのような方向性にあるのだろうか。もしそれでうまくいくなら医学部の途中で国家試験を入れて、そのまま臨床研修のようなこともできると思うのだが」
嘉山
「大学によって温度差がある。山形大では私が学部長になってすぐ内科を分けるのをやめた。そもそも自然現象を勝手に人間が区分けしているだけだから。治療は専門でできなくてもよい。診断、どういう治療が必要かさえ判定できれば用は足りる。わりばし事件も、プライマリーケアとしては満点だった。しかし今何が必要かということの想像力が足りなかったから問題になった。医療界だけじゃなくてマスメディアも会社も全部、人間力がないので自分の知っていることしかできないのが問題だ」
有賀
「全体としてモディファイされる?」
嘉山
「検討会で福田先生にまた元に戻っちゃったんじゃないかと言った位、大学の授業がアドバンスコースになっていてコアを教えていない。山田さん(?)あるいはハリソンの診断学のようなものをきちんとやってない」
有賀
「全国のたくさんの大学の内科の先生たちが必ずしもそういう方向じゃないとすると、やはり専門医として何とかするしかないのだろうか」
嘉山
「いくら言っても、各大学の学部長が2年とか4年で代わっちゃって、いくら意識統一しても元の木阿弥になっちゃう。そうは言っても10年前に比べれば大学も変わってきている」
土屋
「2つだけ。地域の理想の医師像に専門性が入っているが、大都会で開業する時にはインセンティブになると思うが、1人診療所では専門性の発揮しようがないということ。大学へ戻るキャリアパスはあるのだろうか」
小川
「開業する時には皆結構な歳。専門大得意ですよ、この分野なら盛岡まで行く必要ありませんよというのと、専門医に回して診てもらってから帰してもらってというのとが判断できればいいだけ。都会も田舎も変わらない」
土屋
「研究する心が大事というのはその通りだと思う。では、大元の大学院で、文部科学省のがん専門プロフッショナルのような職業人を育成するという時に授業料を取るというのはいかがなものか、むしろレジデントのように給料を払いながら養成するべきなんじゃないか。大学院どういう使い方があるだろうか」
嘉山
「あれはものの見事にやられた。がんプロは一番もらったところで9700万円、これが3大学、少ないところは12大学で5000万円だった。あれでどうやって教育しろというのか。とんでもないプログラムだった。日本の大学院の一番の欠点は片手間ということだ。ウチは講義も試験もやる。学者としての専門家を育てるということを考えたら当然必要だ」
小川
「先生のおっしゃったことは重要。個人的見解だが、単に学位をあげるという場なんじゃなくて、色々な意味での生涯学習の場になるんじゃないか。それができるかどうかは、高等教育費が少なすぎる現状では具現化するのが難しい。医療費と教育費の抑制を改善しないと難しい」
土屋
「あっという間に時間が過ぎてしまった。お互いに消化不良だろう。大変お手間だが再度お越しいただければと思う」
(この傍聴記はロハス・メディカルブログhttp://lohasmedical.jp にも掲載されています)