医療ガバナンス学会 (2014年8月21日 06:00)
学校法人鉄蕉館と医療法人鉄蕉会は、2014年8月2日、国家戦略特区における新たな措置に係る提案として、4年制あるいは6年制大学卒業生を対象とした4年制の医学履修課程の専門職大学院(メディカル・スクール)を鴨川市に創設することを提案した。医療法人鉄蕉会亀田総合病院は教育病院として、臨床実習を担当する。他に、医療過疎に悩む千葉県、茨城県、福島県の太平洋側の大病院に、教育病院として参加してもらい、病院の強化につなげたい。
メディカル・スクールが創設された場合、以下のような経済的社会的効果が想定される。
1)医学教育を国際標準にすることで世界の医療活動へのアクセスを保つ。
日本の臨床医学が世界から取り残されないようにするには、日本人医師が世界で臨床に携わることができるようになっていなければならない。メディカル・スクールでの教育は世界の医学教育認証基準に合致したものとする。
日本人がアメリカ合衆国で臨床に携わるには、ECMFGの資格試験に合格しなければならない。現在、日本の医学部を卒業していればECFMGの受験資格が与えられる。しかし、2023年より医学部の医学教育プログラムが、アメリカ合衆国とカナダの医学教育プログラムを認証しているLiaison Committee on Medical Education (LCME)の基準、あるいは、World Federation for Medical Education (WFME)のような国際的に受け入れられている基準に基づき、公式な手続きを踏んで認証を獲得していないと、卒業生に受験資格が与えられなくなる。日本の医師の世界へのアクセスを保つためには、世界基準のメディカル・スクールを創設する必要がある。
2)従来の医学部に国際的に通用するよう変化を促す
従来の医学部は国際基準とかけ離れている。無理に基準に合わせようとしても齟齬が生じて、かえって日本の医学教育の評価を下げかねない。国際基準のメディカル・スクールを創設すれば、従来の医学部とメディカル・スクールを競争環境に置くことができ、従来の医学部に変化を促すのに有用である。
LCMEの認証基準によれば、管理者、教員、医学生、各種委員会などの立場、権限、権利、責任について、定款に明確に記載しなければならない。利益相反を避けるための方法を規定と手順書に記載しなければならない。それが遵守されていることを証拠として残さなければならない。医学生が研究室での研究や他の学問的活動、コミュニティでの社会貢献型体験学習に携われる十分な機会を提供し、奨励し、援助しなければならない。卒業生が多様性のある社会で医療実践を行い、社会的包摂を発展させるために、学生、教員、スタッフなどが多様になるようにしなければならない。価値基準の多様な社会で効果的な医療を行うのに必要な中核的資質(例えば利他主義、社会に対する説明責任など)を伸ばすべく計画を立案し、保持しなければならない。
LCMEの認証基準では、全体として、多様性と差別の防止への言及が目立つ。また、社会貢献型体験学習や社会的包摂が強調されている。構成員を多様にするための文言を規定や手順書に盛り込み、それが実際に機能しているようにしなければならない。年齢、信条、性自認、国籍、人種、性別、性的指向に関する差別をなくすことが求められている。
日本の国公立大学医学部は、受験高校出身の受験エリートで占められている。私立大学医学部は、高額所得者の子弟でなければ入学できない。多様性とは程遠い。問題なのは、医学部の指導層にこの状況についての、問題意識がないことである。この状況は、小手先の改革では変更しがたい。多様性、差別への視点、社会性は、日本の医学教育に最も欠けている視点である。日本の医学部の指導層の考え方、財務の成り立ちを180度転換させるのは至難である。変化を促すには、メディカル・スクールと従来の6年制の医学部を競争させるのが効果的である。
3)日本最悪の医療過疎地帯での医療を成長戦略に生かす
埼玉、千葉、茨城、福島県の浜通りは日本最悪の医療過疎地域である。埼玉、千葉、茨城3県の単位人口当たりの医師数は、それぞれ全国47位、45位、46位と最底レベルである。医師不足のために、診療科や病院の閉鎖が相次ぎ、医療提供体制が破綻している。福島県の浜通りは従来から医師不足に苦しめられてきたが、東日本大震災後、医師の離職が相次いでおり、医療サービスの提供に支障をきたしている。
医師数の多い西日本では、東日本より多額の医療費が使われている。医療費には多額の公費、健保組合からの支援金が投入されている。地域によって、国民一人当たりの医療を介しての税金・支援金のかけ方が大きく異なる。国民に不平等が生じている。
西高東低といわれる医療格差の遠因は、新設医大設立以前、医学部が東日本に少なかったためである。
当時の病床数の地域差が固定されたのは、医療計画の基準病床数の計算に用いられる二つの係数が、地域ごとに異なり、現状追認的であったためである。
首都圏の医師不足が深刻になったのは、人口を無視した1県1医大政策と、新設医大設立時期以後の人口変動の地域差が大きかったことによる。1970年、四国4県の人口391万人に対し徳島大学1医学部、千葉県の人口337万人に対し千葉大学1医学部であり、二つの地域に大きな差はなかった。2012年には、四国4県は394万人で4医学部、千葉県は620万人で1医学部のみとなった。
埼玉、千葉、茨城は、人口あたりの医師数、看護師数が日本で最も少ない地域である。一方で、埼玉、千葉は、高齢化のスピードが日本でもっとも速い。今後、医療・介護需要が爆発的に増加する。今後数十年にわたり、医療・介護の膨大な需要が生まれる。従来の医学部の定員増では、医師数の多い地域の医師数を増やすだけで、この問題を解決できない。医療の深刻な供給不足を、無理な強制や誘導ではなく、通常の経済活動としての医療で解消したい。そのためには、この地域で医師養成数を増やす必要がある。
4)建設費用と学費を安くできる
上田埼玉県知事によると、埼玉県立大学に医学部を設置するためには、700億円程度の初期投資、運営費として最大で年間65億円程度の補填が必要である。メディカル・スクールだと教養教育は不要。グラウンドも体育館も不要。既存の病院を教育病院にするので、附属病院を建設する必要がない。このため10分の1程度の費用で設立できる。教育病院に所属する教員の給与は、基本的に病院が支払う。このため学費が低く設定できる。奨学金などを整備すれば、親からの援助なしに医師免許が得られる。
5)人生の方向転換を容易にして社会の活力を高める
メディカル・スクールは4年制大学卒業生を4年間の教育で医師に育てる。社会の変化によって従来の仕事が成立しなくなることがある。博士課程修了後、能力を生かせないまま、ワーキングプアに苦しむ若者が多い。メディカル・スクールは、人生の方向転換を可能にする。さまざまな背景、教養を持った医師が育つ。医師が多様になることで従来にないサービスが生まれる。人生の方向転換が容易になり、社会の活力が高まる。
6)卒業生が輩出される前から地域の病院が強化される
日本医師会は、医学部新設に反対する理由の筆頭に、「教員確保のため、医療現場から多くの教員(医師)を引き揚げざるを得ず、地域医療の崩壊を加速する」ことを挙げている。メディカル・スクールは既存病院を教育病院とするので、近隣病院からの大規模な医師の引き抜きは生じない。全国から優秀な教員を招聘できるので、逆に、メディカル・スクールの創設直後から、教育病院が強化される。
医師不足で病院の運営が難しくなっている千葉県、茨城県、福島県の太平洋側の大病院に、教育病院として参加してもらい、病院の強化につなげたい。
7)国際的な臨床試験に参加できる
日本の臨床試験は、医学部の個々の教室の資金集めの手段として発達してきた。講演料という形で医師に直接金銭が提供されてきた。数々の不祥事で、日本の大学病院による臨床試験は世界の信用を失っている。信頼性の欠如のため、日本の大学病院は世界的な臨床試験に加われていない。メディカル・スクールは、過去を引きずっていないので、個々の教室の利害ではなく、病院、あるいは、病院群の活動として、ガバナンスの効いた臨床試験が可能になる。透明性が高まり、不祥事が生じにくくなる。
メディカル・スクールでは、学生に経験させる疾患数が厳しく求められるために、多くの臨床病院が教育に参加することになる。全体として、従来の大学病院とその関連病院よりはるかに症例数が多くなる。連携すれば、世界規模の臨床試験に参加できる。大きな経済効果を生む。
8)世界の少子高齢化に取り組む
亀田グループは、地域の高齢化に総合的に取り組んできた。在宅医療、在宅介護、施設介護など多様な現場を持っている。従来の医学部が軽視しがちだった医療産業、介護産業に多様なテスト環境を提供できる。
現在、亀田グループが進めている「安房10万人計画」は、首都圏の高齢者に安房で穏やかな人生の終末期を過ごしてもらおうとするものである。主たる顧客は、高齢者ではなく、高齢者の世話をする、あるいは、地元で働く若者である。若者が地域で子供を産み育てられるように、子育て支援、教育、職業教育、就労支援に取り組んでいる。
亀田総合病院の地域医療学講座は、「安房10万人計画」の一環であり、千葉県の補助金により、地域包括ケアの具体像と問題点についてのビデオシリーズ作成、地域包括ケアの規格化に取り組んでいる。
亀田グループは、少子・高齢化に対する総合的な対策を提案・実行していくが、いずれ、この経験を高齢化の進む諸国に輸出したいと考えている。亀田総合病院は、外国の患者、フィリピン、中国からの看護師の受け入れに取り組んできたことも、世界の高齢化問題に取り組むのに有用である。
9)医師人事の合理化
従来の医学部の「医局」は、全体として日本最大の医師人事システムである。しかし、医局は自然発生の排他的運命共同体であり、法による追認を受けていない。やくざの組織に似ている。外部からのチェックが効きにくいため、何でもありの原始的な権力として行動する。派遣病院は縄張りとして、医局の支配下にあるものとみなされる。医局出身者以外、あるいは別の大学から院長を採用したり、他の医局の医師を採用したりするだけで、医師を一斉に引き揚げることがある。全国で、医師の供給を大学だけに求めてきた病院が苦境に陥っているのは、医局員の数がニーズに対し相対的に減少したことに加えて、医局が医局外の医師の参入障壁になっているためである。
実際に、病院から医師は引き揚げるにもかかわらず、他からの採用をさせないように圧力をかけることまで行われてきた。(小松秀樹:医師参入障壁としての医局 医師を引き揚げるが、他から採用することは許さないMRIC by 医療ガバナンス学会. メールマガジン; Vol.368, 2012年1月16日. http://medg.jp/mt/?p=1570)
新たな医師養成機関を創設することで、医師の人事システムが多様になる。比較・選択が可能になり、医師の人事システムがより合理的になる。
10)日本の医学の信用を回復する
医学研究で不祥事が相次いでいる。質の高い論文数も激減している。中国、韓国の躍進と対照的である。バルサルタン事件や、SIGN試験を契機に、日本を代表する医学者たちが日常的に不正を行っているのではないかと思われ始めた。
バルサルタン事件では、京都府立医大、慈恵医大、滋賀大学、名古屋大学、千葉大学で行われた医師主導臨床試験で不正があったと疑われ、厚労省が検察に告発した。降圧効果以外に、脳卒中、心血管障害の発症が抑制されるとする虚偽の成績を拡販に利用した。ノバルティス・ファーマの社員がデータ捏造に関与した。有名教授たちが宣伝に参加し、講演料を得ていた。バルサルタンは年間1000億円を売り上げた。
SIGN試験では、慢性骨髄性白血病の治療薬を、イマチニブ(グリベック)からニロチニブ(タシグナ)に切り替えて副作用の調査を行った。医師主導臨床試験とされていたが、運営にノバルティス・ファーマの社員が関与し、個人情報の取り扱いに不備があった。背景として、イマチニブの特許切れが近づいてきていたことがある。新しい薬であるニロチニブは薬価が30%高い。実態は、ノバルティス主導の拡販活動だったのではないか。
日本の医学部は、組織と組織文化の大変革を必要としている。しかし、単一の制度では変化が期待しにくい。2系統あれば、その間に比較、競争が生じ、変化が生まれる。
そもそも、ヨーロッパの医学は2系統だった。中世の修道院に由来する大学と床屋由来の2系統である。前者は理論重視で、後者は実践に優れていた。『近代外科の父』(森岡恭彦)アンブロワーズ・パレは身分の低い床屋医者出身だった。大学だけの1系統だったとすれば、現在の医学はなかった。
福沢諭吉は、日本の天皇制と幕府による2元支配と中国の王朝による単一支配を比較し、単一支配が人間の自由な思考を阻害すると説いている。「単一の説を守れば、其の説の性質は仮令ひ純上善良なるも、之れに由て決して自由の気を生ず可からず。自由の気風は唯多事争論の間に在りて存するものと知る可し。」(『文明論之概略』より)