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Vol.234 千葉〜会津〜浜通り 点と点が線になることを感じながら

医療ガバナンス学会 (2014年10月15日 06:00)


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南相馬市立総合病院外科
尾崎章彦
2014年10月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


◆はじめに
福岡で生まれ、福島と縁のなかった私は、震災から1年経った2012年に福島県会津若松市に移り住んだ。震災当初は大変な状況だったようだが、少なくとも2012年の時点ではその影響は強く感じなかった。むしろ、翌年からNHK大河ドラマで‘八重の桜’が始まるとのことで、街は活気と期待感に溢れていた。
私が会津若松で過ごした2年半、日々の仕事に追われ、震災を常に意識していたわけではない。しかし、ある出来事が自分の中でどれほど影響力があったかを判断するには、時間が必要なこともある。南相馬に赴任した今、震災は、私にとってそういう存在だった気がする。

◆旭で経験した震災
2010年に東京大学医学部を卒業した後、千葉県旭市の旭中央病院で2年間の初期研修を受けた。1年目の終わりに経験した東日本大震災は非常に印象的な出来事だった。旭市は、津波によって13人が亡くなり、2人が行方不明になるなど、大きな被害を受けた。津波に飲み込まれた方が次々と救急外来に運ばれ、地獄絵図のようになった様は今も忘れることができない。その夜、断水した宿舎に帰り、テレビで被害の大きさを改めて知った。遠い東北で、街が次々と津波に飲み込まれる様には心が痛んだが、目の前の現実を放り出して東北に行くには、使命感も実力もあまりに足りなかった。その時感じた思いは、いったん胸の奥にしまわれたが、後々、私の進路選択に大きな影響を及ぼすことになった。

◆会津若松での外科研修
一般外科医になることを決めた私は、初期研修が終了する段階で、東京大学の外科プログラムに応募した。このプログラムは、医局に入ずとも参加することができ、また、自分で研修先の希望を出すことができた。さらに、プログラム終了後の進路については不問とするなど、参加側にとって大変寛容なものだった。 研修先として20程提示された病院の中には、竹田綜合病院(以下、竹田病院)の名前があった。竹田病院は福島県会津若松市に位置する地域中核病院であり、古くから外科研修に定評があった。震災後、福島県全体で医療者が減っているという情報は聞いていたので、微力でも福島の医療に貢献できる竹田病院での研修は、私にとって渡りに舟であった。早速、竹田病院に希望を出し、晴れて研修が認められた私は、2012年に福島県会津若松市で外科研修を始めた。
竹田病院での外科研修は大変充実していた。上司は、従来ながらの外科技術の伝承を重視するのは当然のこと、腹腔鏡下手術を始めとした新しい技術の導入にも積極的だった。また、若手レジデントの教育においては、その自主性を重んじる風土があった。その恩恵を十分に受けた2年半だった。
病院は、スタッフ2000人にも及ぶ一大企業にも関わらず、医者もコメディカルも垣根が低く、皆仲が良かった。それを象徴するイベントが、一年に一度行われる大運動会である。近隣の小学校の運動場を貸し切り、数百人ものスタッフが参加する。朝9時から夕方までエンドレスで続く競技の他、数々の部署が出店をだし、自慢の料理を振る舞うのである。中には、ヨーヨーすくいの出店を出している部署もある。それはお祭りさながらの様相である。さらに、今年は100M走のスターターを務めるために、会津若松市長まで駆けつけた。創立86周年を迎える竹田病院がいかに地元に根ざした存在であるかを、改めて感じた瞬間だった。

◆浜通りの医療に思いを馳せる
私は、会津若松での研修に関して、3年間を一つの区切りとして考えていた。そのため1年半ほど経つ頃から、その後の進路を考え始めた。その際に芽生えてきたのは、もう少し震災の影響が色濃い場所で診療をしたいという思いだった。
福島県は、会津、中通り、浜通りの3つの地域から成り、会津と中通りは奥羽山脈で、中通りと浜通りは阿武隈高地でそれぞれ地理的に隔てられている。当然、地域毎に医療の事情は異なり、抱えている問題も違っている。もともと浜通りは他の2つの地域と比較しても医療者が少ない地域であったが、震災後は拍車をかけて少なくなったことが知られていた。
竹田病院での日々は大変充実したものであり、また、関東に戻る選択肢も望めばあったかと思うが、浜通りの医療に関わることは、このタイミングを逃すと来ない気がしていた。南相馬市立総合病院にアプライしたのは、外科医として働くことができたことと、また、学生時代にお世話になった上昌広先生が支援していたことを知っていたからだ。幸い、上司や同僚、また、外科プログラムの責任者の理解を得ることができたため、3年間の外科研修を早めに切り上げ、この10月より南相馬に赴任することとなった。
南相馬への道すがら、飯館村では除染作業が続いていた。南相馬市の市街地は想像していたより賑わっていたが、国道6号線から海に車を走らせると、荒涼とした風景が延々と広がっていた。震災の爪痕がまだまだ残っていることを痛感した。

◆最後に
竹田病院での最後の勤務日であった9月27日は、奇しくも前述した大運動会の開催日だった。別れを惜しみながら会津での最後の時間を過ごした私を、参加者皆が万歳三唱で送り出してくれた。一つ一つの出会いに支えられて生きていることを改めて感じ、人々の優しさに感謝した。南相馬でも多くの出会いに恵まれることを願いつつ、今自分にできることを一つずつやっていきたいと考えている。
略歴
尾崎章彦(おざき・あきひこ)
医師5年目。福岡県出身。東京大学医学部医学科卒業。千葉県旭市の旭中央病院で初期研修、東総地域の医療者不足を目の当たりにする。福島県会津若松市の竹田綜合病院で外科研修を行った後、2014年10月より南相馬市立総合病院外科着任。

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