特別号 「現場からの医療改革推進協議会」第三回シンポジウム抄録セッション6 臨床研究
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医療再生を目指して 患者と医療者の信頼関係再構築
11月9日(日)
6)臨床研究 13:00~15:00
西田 幸二(医師, 東北大学医学部眼科学 教授)
中島 利博(医師, 聖マリアンナ医科大学 客員教授)
河野 修己(ジャーナリスト, 日経バイオテク)
加治 一毅(医師・弁護士)
武藤 徹一郎(医師, 癌研有明病院 名誉院長)
誌上発表
足立 信也(医師, 参議院議員)
橋本 信夫(医師, 国立循環器病センター 総長)
松本 慎一(医師, ベイラー研究所膵島移植センターディレクター)
竜 崇正(医師, 千葉県がんセンター センター長)
臨床研究をめぐる諸問題
西田 幸二(医師, 東北大学医学部眼科学 教授)
近年わが国のライフサイエンス分野においては、研究成果の早期の社会還元を実現するため、基礎研究成果を臨床まで橋渡しするトランスレーショナルリサーチの基盤整備が国策として進められている。臨床研究については、患者さんの安全性の担保やデータの透明性・信頼性の確保のため、従来のような開発グループのみが主導となって行うのではなく、データセンターの設置やCRCの育成など、薬事法下のGCPに準拠した実施体制の整備が進められている。
そのような取り組みの中で、今後さらに解決すべき課題も明確となってきた。たとえば、臨床研究は人を対象とした試験的医療であるため、生命倫理を十分に意識した実施が要求される。それと同時に、早期の社会還元のためには、迅速な審査が必要とされる。しかしながら、現在各大学・研究施設・企業において個々の倫理管理部門体制には隔たりがあり、再生医療、遺伝子治療、医療機器、創薬など各先進医療分野に関する倫理的判断が成熟していなのが現状である。そこで、これらの施設の枠をこえて、各分野の専門家からなる、信頼性、迅速性・安全性のある独自の倫理委員会の設置が一案と考えられる。また、質の高い臨床研究を実施するためには開発者にかかる費用負担が大きく、多くの場合、公的な研究費のみでは不十分である。
これらの問題点を解決し、”できるだけ早くできるだけ多くの患者を救う”ことのできる先進医療社会を実現するためには、産官学が融合し患者と対話して、先進医療の臨床研究・産業化・世界普及に向けた環境整備を行うことが重要である。
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ベンチーベットーベンチャーから見えたこと
中島 利博(医師, 聖マリアンナ医科大学 客員教授)
私はこれまで基礎生物・医学研究者として転写制御とリウマチの病因研究を行って参りました。また、幾つかのバイオベンチャーの起業と経営を通じ、私立単科医大の教員として研究費と人材を確保の非常に良いツールとして活用することができました。現在は、主として人工関節・関節リウマチの臨床では本邦で有数の実績を誇る病院にて臨床に携わっています。それぞれの立場からみえた”光と影”について実体験を通じ感じたことをお伝えし討議に参加させていただければと考えています。また、キルギス共和国での支援活動を通じ見えてきた、いわば新しい形の臨床研究の可能性についても報告します。
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河野 修己(ジャーナリスト, 日経バイオテク)
日本の臨床研究は今、様々な問題を抱えている。ICHにより統一的なGCP基準が確立している治験(承認申請を目的としたデータ取得のための臨床試験)に対して、各実施機関が独自に審査を行っている臨床研究では、その質の低さを指摘する声が少なくない。米国でも欧州でも、臨床研究を実施する際には治験とほぼ同様の申請手続きや審査が義務づけられている。これに対して日本では、臨床試験と治験がまったく別のルールの基で実施されている。
最大の問題は、臨床試験の結果を共有する仕組みがない点だろう。論文などで試験結果が公表されなければ、無効だったり副作用が発生していても、また同じ試験を他の研究機関が繰り返してしまう可能性がある。また、各実施機関のIRBに審査が任されているため、臨床試験の質のばらつきが大きいとの指摘もある。
現在、厚労省は臨床研究指針の改訂作業に入っており、臨床試験の登録制度や副作用被害の補償制度などが盛り込まれる見込みだ。
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臨床研究における法律関係の整備
加治 一毅(医師・弁護士)
近時,iPS細胞等の再生医療分野を中心に,臨床研究の基盤整備強化が急速に進められているが,足下の基礎的な法律関係にはまだまだ課題も多い。例えば,臨床研究には多施設間,場合によっては多国籍にまたがる共同研究が必要になるが,契約書ひとつ巻かれていないことも珍しくない。そのため,研究情報の利用可能範囲と守秘義務の関係が不明瞭なまま研究が行われ,研究成果の帰属主体もはっきりせず,論文のオーサーシップについて当事者間で諍いが生じるといったことも起こり得る。
また,被験者から提供された生体資料が誰に帰属するのか,それを商業ベースで流通させることは可能なのか,得られた研究データはどのような権利保護を受けるのかなどといった問題も必ずしも明らかでない。
このような多数の関係者を含む臨床研究において,その複雑な権利関係を整備するにはどのような考え方があり得るだろうか。
例えば,特許権を例にとると,その管理は,iPS特許のように関連特許を集約して一括管理していく方向へと向かっている。しかし,依然として,個々の特許権自体は,複数の権利者の共有になっていることが多く,共有者の全員の一致がなければ出願やライセンス供与が出来ない。多数当事者が関与する共同研究では,利便性を著しく欠くこともある。
一つには,これを各当事者から構成される別個の独立した法組織に全てを権利帰属させ,各当事者はその構成員として多数決原理に則り権利行使するという方法も考えられる。場合によっては,一種の社会奉仕として参加している被験者もその中に組み込むことも出来るかもしれない。
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がん難民救済の方策
武藤徹一郎武藤 徹一郎(医師, 癌研有明病院 名誉院長)
がんには、1)どこでも治せるがん、2)技術・設備により治療効果に差の出るがん、3)現代の医療では治せないがん、の3種類がある。1)は検診・健診で発見される胃・大腸の早期がんが代表的であり、2)は肝・直腸・食道のがんなど、専門医あるいは先進的な治療機器の有無が治療成績を左右する。最重要課題は3)に属する肝・肺がん、高度進行がん、再発がんなどで、”難治がん”と総称しうる治らないがんである。現代の医療体制の中ではこの”難治がん”に対する対応が最も遅れており、いわゆる”がん難民”を生み出していると考えられる。
要は”難がん患者”のQOLを保ちながら、本人ならびに家族にとって納得のいく医療を提供できる体制を、いかに構築するかということに尽きる。具体的には外来化学療法体制の構築、臓器別診療体制に基く集学的医療、ならびに難しい症例の治療方針を決めるCancer Board, Tumor Board体制の構築であり、これを達成するためには病・病連携、病・診連携が欠かせない。
癌研有明病院では、”難治がん”に正面から取り組むことを新病院の目標の1つに掲げており、我々の取り組み方が地域のがん医療の一助になることを期待している。当然のことながら、がん拠点病院がこの業務を担うことが期待されており、各地域の状況に応じた覚悟が各病院に求められていると思う。
がん化学療法の治験の対象となる患者さんの多くは”難治がん”の方々であり、日本の治験体制が遅れていることの背景にがん医療体制の現状があることを指摘したい。
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医療機器や医薬品の臨床応用研究推進
足立信也(医師, 参議院議員)
平成18年の科学技術白書によれば、日本の科学研究費(購買力平価)はアメリカの39.5兆円に次いで15.6兆で第2位であるが、中国、韓国の急激な延びに比べ微増にとどまっている。対GDP比でみると3.14%で日本は第1位となるが、その内訳は民間の資金のしめる割合が81%で最も高く、政府支出は最も低い。使用割合も民間企業が76%と最も高い。
日・仏・米・英・独の比較では日本の研究者一人当たりの研究費は2141万円で最も低く、科学研究費の中で医薬品工業が占める割合も8.7%で最も低い。世界の主要な科学論文誌に掲載された論文数を見ると、論文占有率は第2位であるが被引用度は低く、医学論文の占める割合は27.5%でこれも最低である。
2005年、米は新規医薬品の承認までの期間が約5か月弱で年間73薬、仏は15か月で年間45薬であるが、日本は24か月もかかり年間13薬しかない。医療機器市場での日本のシェアは2000年の15%から2003年には11%に低下し、2003年の医療機器の輸出額3900億円に対して輸入額は8500億円(うちアメリカが5360億円)で4633億円の輸入超過となっている。つまり、これまで臨床応用研究よりも治験開発研究に偏重していた日本の科学研究がそのどちらも低下しているのである。
WHOの評価で健康レベル1位、応召性6位、負担の平等性8-11位、総合1位を誇った日本の医療をわずかOECD加盟30か国中27位の人口対医師数(310:206人/10万)で、22位のGDP対医療費(9.4:8.2%)しか使わずに維持することは不可能である。
この状況では医学水準の低下、革新的医薬品・医療機器・新技術の開発意欲の低下、研究者の海外流出が強く懸念される。ヘルシンキ宣言に基づいた治験・臨床応用研究の被験者の権利の確立、及び被害者救済を目的とした被験者保護法を成立させ、世界で最も速く高齢社会の進む日本で医療機器や医薬品の臨床応用研究をさらに進め、医療・介護分野を成長産業に戻す必要がある。医療人材を養成し、研究者が産業界と協同して民主導で進め行政が後押しする、という発想に基づいた法整備を行わなければならない。評価の迅速化によって公的医療保険適用の迅速化が可能となると考える。
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臨床研究雑感
橋本 信夫(医師, 国立循環器病センター 総長)
今春、国立循環器病センター着任以来多くの現場の意見を聞いてきた。臨床研究推進の障壁にはシステムそのものの問題と現場で直面するシステムのディテールの問題と大別できる。後者の原因の多くはシステムを作る側に現場の知識と経験がないか、フィードバックがなされていないか、あるいは単なる無責任の結果としか思われない。しかしこれは研究費の創設と運用をつかさどるそれぞれのレベルの担当者が忠実に自分の責任を果たす結果でもある。誰もが自分の責任範囲を忠実にこなす結果、全体としての不都合を誰も責任を取らない。現場の問題が反映されない研究費の運用が長くまかり通る結果となっている。研究費の単年度使用の不合理性は長く論じられて改善の方向が見えてきたことは喜ばしいことであるが、研究に何が必要かの視点がない。本来、研究とはある中間結果が出た時点、時点で刻々と方針と方向を変えて行くものであり、最初の想定と異なる進路変更こそが飛躍の鍵である。しかし研究費の多くが毎年度4月に内訳を申請し、以後の変更はほとんど認められない。備品の修理はその研究費で購入した備品に限られる。3-5年間の研究費があるとすると、その期間内で購入した備品は大抵その期間内では壊れない。修理が必要なのはそれ以前の研究費で買った備品であり、これを修理はできない。文部省科研費では実験補助員を時給1030円でしか雇えない。優秀な研究補助員は経験と知識と技能を持っており、研究推進に必須である。10年、15年のキャリアを持つ彼らを明日の保障のない年収200万円以下で束縛する残酷さには憤りさえ感じる。また研究費当該年度の入金は遅く、それまでに必要となった費用を研究者が立て替えざるを得ない場合があり、安給料で講演や執筆の収入も厳しく制限されているナショナルセンター医師、研究者の叫びは物悲しくさえある。単なる研究費の増額は豊かな社会のなかでの飢餓を生むに等しい。ロスを許さぬシステムが大きなロスを生んでいる。手かせ足かせの鎖を解き放ち、知力、眼力、走力を持った彼らが大平原を疾走する姿を一日も早く見たいと思っている。
私は本年3月まで脳神経外科医として過ごしてきた。脳神経外科領域は医学全体から見れば特殊な狭い領域であり、この分野での話を普遍化して考えることができるか疑問であるが、異なった視点からの意見として一瞥いただければ幸いである。この領域の最も権威あるjournalはNeurosurgeryとJournal of
Neurosurgeryである。本邦からの掲載論文数は両紙とも臨床研究、基礎的研究ともに15-25%を占める。医学全般においては臨床研究における主要誌はJAMA,NEJとLancetであるが、3誌における2000-2005年の全掲載論文12,064篇中日本からの論文はわずか116篇であるという(政策研ニュース No.21 p12, 2006より)。同期の基礎journal(Cell, Nat. Med., Nat. Immun., Nat. Gen)での掲載数は世界4位であったが、先の臨床論文では世界8位、なんと米国の2.2%にすぎないという。このように脳神経外科を含め、幾つかの臨床専門領域におけるアクティビティは高いが、医学全般にかかわる臨床論文の少なさが問題視されている。
日本脳神経外科学会は昭和42年に専門医制度をいち早く設立し、事実上専門医でなければ脳神経外科医療ができないシステムを構築してきた。これは当時の交通戦争による頭部外傷を救急医療の現場で”脳を知らない”一般外科医も行っているという現状に対する危機感が根底にあったためと思われる。専門医試験合格率は60数パーセントと厳しく、学会の最も力を入れる活動として試験の適正化と厳格化を堅持してきた。その中で欧米諸国と際立って異なる点として、専門医の数を制限してこなかったこと、そして研究を重視してきたことがあげられる。専門医の適正数に関しては多くの議論があり、ここでは言及しないが、欧米、特にヨーロッパにおいては専門医数を厳しく制限し、脳神経”外科”に特化する方向を取った。歴史的に脳神経外科医が行っていた脳血管造影は放射線科に完全に譲った。その結果、その後台頭してきた血管内治療法は完全に放射線科医の領域となった。本邦においては引き続き脳神経外科医が脳血管撮影を行ってきたので、血管内治療という新たな手法は脳神経外科医の手によって行われることになった。米国においてもcardiologistが冠動脈ステント留置術の延長として頸動脈ステント留置術を行っている。米国の指導的立場にある某脳神経外科医は、米国には冠動脈ステントを行うcardiologistが10,000人おり、彼らが生きて行くためには頸動脈に進出しなければならないからだと言う。私は欧米での講演などで、radiologistやcardiologistの行う頸動脈ステント留置術中に患者が脳梗塞を起こしたらどうするのか、予防的治療としてステント留置術を受けた患者が脳梗塞を起こしたらそのradiologistやcardiologistが診ることはあるのか、などと基本的質問として聞くが勿論立派な答えは返ってこない。先ほどの米国脳神経外科医は、smartなcardiologistは優秀な脳神経外科医を友人として持っている、とスマートな答えをくれたが、現実の医療現場では、それはリスクのうち、と考えているようである。欧米では脳神経外科医の数を絞り、手術に特化する方向を目指した。これは血管が細くなったら広げる、余分なものが頭の中にあれば、取り除くということであり、医療のfragmentationということができる。米国はここにおける問題点に気づき、10年ほど前から血管内治療のできる若手脳神経外科医を強力に育成している。また医療の断片化に強い警告を発する指導者がいる。ヨーロッパでは堅固なギルドのようなシステムのもと、方針の転換は絶望的である。あるドイツの指導者は、ドイツ脳神経外科は手術に特化する方向を選び、radiologyや traumatologyやoncologyなどを次々に削ぎ取っていった結果、neurosurgeryとしての基礎体力を失いつつあると言っている。
もう一点、日本の脳神経外科領域では研究を重視してきた。これは第一に数を制限しなかったことによりマンパワーに余裕があったからできたことであり、第二にかつての医局講座制のヒエラルキーの中で、ステップアップのために研究業績が必要であったこともあげられる。確かに博士号取得のみを目的とした意義の少ない研究があったことは事実である。これらの点においては本邦の他の領域と同じである。しかしこのような環境のなかで研究の面白み、醍醐味を知り、研究者としても活躍してきた脳神経外科医は少なくない。歴史的には外科の一分野として発展してきた領域ではあるが、現在はneuroscienceのなかの外科的アプローチに基づいて予防と治療を行う領域であると考えている。外科手段に特化したヨーロッパの方向性は前途洋々とは言い難い。欧米の研究センターなどに多くの若手脳神経外科医が留学して脳腫瘍、脳虚血などの基礎的研究を行っているが、彼らに対して研究所の仲間は、高給の取れる(はずの)脳神経外科医が安い給料で研究に没頭する様は理解できないようである。過日、あるフランスの有名脳神経外科医にそれだけ沢山の手術をしているのになぜ論文発表しないのかと聞いたが、彼の答えは、その施設長から、あなたには手術をするために給料をだしているのであり、論文を書くためにだしているのではない、と言われたとのことであった。また、日本人の手術手技に関する発表はこうすれば手術がうまく行く、という秘密を教えるデティールが多く、欧米の発表は、私がやればこのようにうまく行く(だから私のところに患者をおくりなさい)という傾向がある。多くの点で欧米の専門医のあり方はギルドに近いものであり、われわれの考え方と最も異なる点である。また”ギルド”に入るまでのcompetitionは厳しいが、入ったあとのcompetitionやquality controlは一般に希薄である。
私は2005年World Federation of Neurosurgical Societies (WFNS)からScoville Prizeを受ける栄誉を得た。これは規定によれば5大陸の担当WFNS VicePresidentが各々各大陸から数名の候補者を出し、委員会の投票で4年に1人だけを選出するものである。脳神経外科の領域においても他の外科領域同様センター化された巨大施設での手術件数は本邦有力施設の比ではない。その中で私個人というよりも、本邦の脳神経外科医が選ばれたということに大きな意義があると思っている。外科医としての貢献が評価されたものと思うが、研究者としての功績も加味されたものと思っている。 私は日本で研究し、日本で手術の教育を受けた。医学研究はscienceとしてuniversal truthの部分と、その研究を行う土壌、指向性、環境、経済など多彩な要素がかかわってくる部分がある。脳神経外科医として研究する機会を与えてくれた環境と、外科医として上も下も共に育つという日本独自の外科医教育システムがうまく働いた結果であり、欧米追従型でない日本独自の教育システムのひな形になればと思っている。
過日、朝日新聞朝日広告欄に森ビル社長の森稔氏が都市のデザインについて氏の思いを書いておられた。「ニューヨークやパリには広大な公園はあるが、街角には緑は少なく、四季折々の風情には欠ける」、この最初の一文が極めて印象的であった。この視点が必然的に日本の都市のあるべき姿を明確に提示する。すなわち「日本の気候ならば、街角や建物の屋上にだって広葉樹や草花がすぐに育つ。
中略。 日本の持ち味を活かした環境共生都市ができるはずである」と続く。しかしこれを「ニューヨークやパリの街角は四季折々の風情には欠けるが、広大な公園がある」という認識から始めると、ニューヨークやパリのようなばかでかい公園を作ろうとして風情のない日本の街角が生まれるだけの結果を生むことになる。広葉樹や草花がすぐ育つはずの気候は、雑草がすぐ生える面倒な気候、となってしまう。医学研究や外科医の教育にも当てはまる視点の移動であると思う。
脳卒中の外科的医療において日本の果たしてきた貢献は極めて大きい。しかし、高血圧性脳出血の外科的治療に関する新たなRCTを行おうとしていた米国脳外科医との会話のなかで、彼は、ほとんどのアイデアは日本発であるが、日本からのデータはメタアナリシスの対象にならない、と語った。このような過去に対してはわれわれはすでに厳しい反省をしており、それをもとに現在は臨床試験の在り方について学会として取り組んでいる。
その一つとして、超急性期脳梗塞に対する局所線溶療法の効果に関する多施設共同ランダム化比較試験(MELT Study、主任研究者 小川彰現岩手医科大学学長)が2002年より3年間の予定で開始された。これは中大脳動脈閉塞による脳塞栓発症6時間以内の治療法として、脳血管内にマイクロカテーテルを挿入して血栓を溶解する局所線溶療法と薬物療法を比較する臨床試験であった。治療適応の有無は急性期脳梗塞のCT画像(初期虚血変化)をもとに判断される。
その準備段階として、佐々木真理医師(岩手医科大学放射線医学講座)らは、まず参加希望施設に急性期脳梗塞のCT画像の提出を依頼し、各施設における画像の質をチェックすることから始めた。その結果、約100施設から提出されたCT画像のうち、実に半数が画質不良で、初期虚血変化の診断に耐えうるレベルではないことが判明した。佐々木医師によれば、初期虚血変化はCT値で1か2といった非常にわずかな変化であるため、S/N比が重要になる。特に当時普及し始めていた最先端のマルチスライスCTでは、薄く早く撮ることによってS/N比が低下し、画質が置きざりにされていた。一見高精度の画像に見えるが、診断に値しない画像が世の中に横行し、しかもそれに気づかないまま使用されていたということである。多施設共同研究においては、すべての施設で同じ物差しを使うことが大前提であるのに、現実はそうではなく、また自施設のCT画像が初期虚血変化の診断に耐えうるレベルではないことを大半の施設が認識していなかったということは極めて重要な指摘であった。
その後、佐々木医師らが各施設の撮影条件を統一するために要した努力は月並みではない。この経験をもとに、佐々木医師らは急性期脳梗塞におけるMRIとCT検査の標準化を目指すASIST-Japanをその後立ち上げた。 MRIにはCT以上に多くの撮像法があり、同じ撮像法でも磁場強度やメーカーによって画質や画像の持つ意味が違うため、標準化は非常に重要である。しかし、MRIにおいては検査法や解析法が施設やメーカーによって驚くほど異なっている。佐々木医師らは、ある撮像法について、どんな装置で撮像しても同じ条件で簡単に観察できる方法を提案し、それが妥当であることを科学的に証明した。
この一連の臨床研究で明らかになったことは 1)新しい技術(マルチスライスCT)が必ずしも精度の高い結果(画像)を生み出しているわけではない。2)使用者は利便性(薄く早く撮影する)に目が行き、精度(S/N比)が下がっていることを認識していない。3)他施設共同研究を行う場合、測定機器、方法の標準化を行わないと、想定以上のバラツキがあり、判断を誤ることがある、などである。しかし、最も大きな収穫は研究者が医療機器開発メーカーに標準化を促したことである。本来、機器開発製造販売メーカーには他社にはない機能、性能をアピールすることによって販売を伸ばしてゆくという宿命がある。標準化と反対方向の特性が最大のセールスポイントである。しかし、佐々木医師らのアクションによって、撮像条件など標準化対応機能をもった製品であるということがセールスポイントの一つである、ということがメーカー側の共通認識となった。開発メーカーに発想の転換を迫り、メーカーはそれに対応した、ということができる。
臨床研究という言葉で対応すべき内容は多方面にわたり、また様々なレベルでの議論や提言が必要であるが、今回、国立循環器病センターに着任して臨床研究を含む研究者の現場の声を聞いて思うことと、今まで脳神経外科医として活動するなかで思ってきたこと、そしてその中での臨床研究の逸話からのメッセージを一つ紹介した。
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臨床研究をめぐる問題点(日本の研究費、IRB)
松本慎一(医師, ベイラー研究所膵島移植センターディレクター)
膵島移植は、提供された膵臓から特殊な技術を用いて、インスリンを分泌する膵島細胞のみを分離し点滴の要領で移植する安全性および効果の高い治療である。現時点では、血糖値が不安定な1型糖尿病患者が対処となっており、移植を受けた患者は、ほぼすべてで血糖値が安定化する。長期成績の改善、免疫抑制剤の副作用の軽減などの課題もあり、現在米国では実験的治療として位置づけられてい
る。
米国では多くの研究機関があるが、ベイラー研究所の大きな特徴として探索医療に重点を置いていることがあげられる。特に、すべての研究は臨床応用そして一般医療への展開を目指すことになっている。研究を臨床へ導くため、IRB、知的財産部、FDAへのコンサルタント、研究コーディネーターが研究をサポートしており、ユニークなシステムとして基金部門がある。基金部門は将来性がありそうなプロジェクトに対して必要なだけの額の資金を様々な方法を用いて集め、プロジェクトが完結するように支援する。臨床研究は膨大な金額がかかるため、基金システムは重要である。
このような研究サポートのシステムを用い、ベイラー大学病院(ダラス)やベイラーオールセインツメディカルセンター(フォートワース)などベイラーの主要な病院で現時点でおよそ700の医師主導治験が実施されてる。
現在、私自身、米国ベイラー研究所にて膵島移植を実施しているが、日本からの技術導入によりきわめて高い成功率を達成している。その結果ベイラーにおいて我々の膵島移植プロジェクトは、糖尿病の最先端治療として非常に重要なプロジェクトとして位置づけがされている。特に、膵島移植による血糖値の安定化がもたらす糖尿病性腎症の抑制は、人工透析の回避、移植腎の生着延長などの効果が期待されている。
このように、ベイラーでは将来性があると評価したプロジェクトには、先行投資を含めてきちんと医療になるまでのサポートのシステムが確立されている。
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がん専門病院同士のベンチマーキングこそが、がん医療の質の向上と医療崩壊を食い止める!
千葉県がんセンターの取り組み
竜 崇正(医師, 千葉県がんセンター センター長)
がん体側基本法の制定により「がん医療の均てん化」が都道府県の責務となり、10年後がん死亡率の20%低下を目指すこととなった。しかしながら法律はできたが、低医療費政策の中これをどのようにして達成できるであろうか。
1)日本のがん医療は世界一
日本のがん医療は世界一である。WHOと厚生労働省の人口動態統計によれば、2005年人口10万あたりの悪性新生物死亡数は女性82..4で2位のフランスの98.8を大きく引き離している。男性は159.5で1位のスエーデンの141.2についで2位である。20007年の日本人の平均寿命は男性79.19と1位アイスランド79.4についで2位、女性は85.99歳と2位のスイス83.9を引き離してダントツの1位である。アイスランドの人口は28万であるので、実質日本は世界一の長寿国であり、この事実は国民全員が理解しているものと思われるが、日本は世界一「がん」の死亡率が低いことは理解されていないようだ。
2)厚労省の無為無策と日本の医療現場の不透明さが、医療不信を増幅
なぜ国民は日本の医療に不信感をもっているのであろうか、それは長期のビジョンに沿った「国家戦略が無い」ためと「日本の医療の不透明」によると考える。
(1)がん登録法が必須
アメリカでは1971年ニクソン大統領によりNational cancer act(NCA)国家がん対策法が制定され、がんの基礎および臨床研究がすすみ、国の法律として「がん登録法」が制定され、さらには徹底的分煙禁煙政策により1990年代後半にはがん死亡率を低下させることに成功している。日本は遅れること35年、1906年にやっと「がん対策基本法」が議員立法により制定されたが、がん登録法もたばこ対策もが盛り込まれず、しかも予算の裏付けのない骨抜きの法律となってしまった。がんの生存率は、戸籍紹介によって生死と死亡原因を明らかにしたデーターから算出されるべきであるが、国の法が無いため都道府県の対応にまかされ、個人情報保護条例の制約のため、正しい生存率が算出できないのである。
(2)日本の医療の過小評価は医療の不透明さが原因
GNP比8%の低医療政策の中、日本が世界一のがん医療レベルを維持しているのに、国民がそれを理解していない大きな理由は日本の医療の不透明さが主たる原因であると思われる、日本人は本来「口下手」であり、討論の習慣が無く、自分の意見を素直に述べたり、疑問点を聞き返したりしない民族のようである。医療現場においても、「護るべきは患者の権利」の原則を軽視し、「くさいものには蓋」をする体質で情報開示に大きく遅れをとったこと、などが原因である。特に少数の悪徳医師や医療事故を繰り返すリピーター医師の行為を見てみぬ振りをして結果的にかばってきたことも、国民の不信を招いた大きな理由である。さらに医療事故の際のあ「診療録の改ざん」などの隠蔽工作があったことが、その医療不信を決定的にしたと思われる。これらの反省を踏まえ、各医療機関では徹底的情報開示と自浄努力に踏み出し始めた。日本医師会では平成17年11月に「自浄活性化推進に向けて」というハンドブックを出して医師の職業倫理に反する不正行為、反省なき医療行為に厳しく対応するように方針転換をしてきている。
(3)徹底的情報開示による医療の透明性の向上が、医療崩壊を防ぐ必須条件!
千葉県がんセンターでは、医療の質の向上を目的に、医療事故や医療事故といえないような患者にとって不都合な結果もホームページに公開してきた。さらには、千葉県がんセンターでは「患者情報は患者のものである」との基本理念から、カルテ開示を積極的に推進してきたが、電子カルテ内のすべての患者自身の情報を参照できるようなシステムの開発をすすめ、1月にはスタートする予定である。今後は、国家的対応として患者情報をICカードなどにより患者自身が所持するなども必要であろう。
3)がん専門病院同士のベンチマーキングこそが「がん医療の質の向上」に必要
―がん医療の質の向上と生存率の向上を目指してー
医療崩壊のなか、世界一の日本のがん医療を護り向上させるためには、個々の病院がそれぞれ努力をしているだけでは限界がある。がん専門病院同士が連携して医療の質を比較しあって、国民に公表していく取り組みが必要だと考え、がん医療の質の向上に関する研究会、Cancer quality initiative(CQI)研究会を昨年12月に発足した。この趣旨に賛成する栃木、神奈川、千葉、愛知、四国の5つのがんセンターが、胃、大腸、乳腺、肺、肝の5大がんの医療の質を平成19年7月からのDPCデーターを用いてベンチマーキングして、国立がんセンターを中心して各がんセンターを結ぶ多地点テレビ会議で公表した。データーを全て提出し、臓器担当を各施設が分担して公表した。胃がんであればAセンター、乳がんはBセンターが担当とし、自センターのデーターを他施設が発表する形になった。治療のやり方処置の仕方、在院日数など、5施設のデーターがあまりにも異なることが明らかとなった。これは各センターの序列化をするのではなく、他施設の差を知り、自施設の医療の質を向上させるのが目的である。12月4日の公表後、各施設では治療プロトコールやクリニカルパスの変更が直ちに行われ、それぞれの施設の医療の質が格段に向上する結果となった。その後、第2、3回CQI研究会において前立腺がんや婦人科がんなどの医療の質に関しての討議を行った。本年は平成20年7月からのデーターを集積してのCQI研究会が企画されている。昨年から各施設がどのように医療の質が向上したか、その成果が大いに期待される。
4)全がん協でも、がん医療の質を検証する班がスタート
全国がんセンターの30の施設が集まって組織されている全国がんセンター協議会(全がん協)で医療の質を検証する班が組織され、昨年、今年とがんの治療成績が5年生存率として公開された。この生存率は国のがん登録法がないため、地域がん登録を行っていない都道府県では経過追求が甘くなるため、生存率がよくなってしまう欠点がある。しかし治療成績を公開することは、国民の信用を得ることになり、かえって国家がん登録法の制定の必要性をアッピールすることもできると考えている。
全がん協の斑が立ち上がったことにより、岩手、宮城、大阪、九州など4つのがんセンターが加わり、9施設でのベンチマークが可能となったとなった。全がん協の試みにより、がん医療の質を高いレベルの到達目標を設定し、がん診療連携拠点病院やその他の病院や、国民に示すことができ、日本のがん医療の質は飛躍的に向上するものと考える。
5)千葉においてがん診療連携拠点病院同士のベンチマークもスタート
来年2月11日に日本対がん協会のご支援を受け、千葉県内の13のがん診療連携拠点病院のベンチマークを行う研究会が予定されている。これにより、千葉県内の医療の安全性と医療の質の向上が期待できると考える。ベンチマーキングで、手術時間や在院日数、合併症などが大きく異なっていた場合は、お互いに技術支援をし合うことにより短期間で県内のがん医療がレベルアップできるものと考える。抗がん剤治療に関しても、プロトコールを同一にして、費用・時間・副作用の比較、副作用対策に用いた薬剤の種類と量などをベンチマーキングし、質の向上を図る予定である。
6)ベンチマーキングは医療崩壊を救う道!
地域がん診療連携拠点病院ではがん医療は全体の20-30%である。がん医療の連携ができれば、循環器や糖尿病高血圧など、他の医療分野においてもベンチマーキングすることにより、格段の連携強化と医療のレベルアップに繋がると思われる。医師や看護師の激減と低医療費政策のため、地域病院の内情は火の車である。全ての医療をひとつの病院で診療するのは不可能であり、各病院の連携と役割分担が生き残りの道である。病院同士の連携とベンチマーキングしていくことによって、共にステップアップしていくことが期待でき、医療崩壊を救う道であると考えている。
7)解決すべき問題
(1) がん登録法の制定
(2) がん対策の基本は「がん医療のレベルアップと質の向上」に
がん対策は、がん医療のレベルアップが中心となるべきで、相談業務や形だけの緩和医療研修をいくらやっても、がんの死亡率の低下にはつながらない。がん医療の質の向上のための人員が雇えるように拠点病院の体制を強化し国が資金提供すべきである。現在のルールでは、がん登録士、診療情報管理士、MSW、電子カルテ管理のSE,がん体験者などを雇うことはできない。義務つけられているのはがんの死亡率の低下を目指す体制強化とは関係の無いことばかりである。
(3)医療法の再改正により低医療政策からの脱皮をしなければ、より良い医療は提供できない。特に療養型病床の削減は高齢者のがん患者や認知症の患者、脳梗塞の患者の在宅介護のため、家族が仕事をやめなければならないところまできている。
(4)医療現場の負担は大きく、医療行為をしていると犯罪者にされる現在の仕組みを改めなければ、医療崩壊は止まらないであろう。