医療ガバナンス学会 (2014年11月7日 06:00)
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/
相馬中央病院内科医
越智 小枝
2014年11月7日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
◆電力を辿る旅
南相馬市から福島第一原子力発電所のすぐ横を通過して6号線を上り、常磐道で東京に至るまでの4時間余りのドライブはそのまま震災前の電力の流れを辿る道です。
消費電力の勾配は、そのまま風景に現れます。看板と田畑の占める農村風景が、徐々に街灯の多い住宅地へ。高速道路に乗ってそのまま進むと、ネオンサインと高層ビルの林立する巨大都市辿り着きます。
改めてその勾配を眺めてみると、まず驚かされるのは都会の消費活動の激しさです。都会の代名詞である電飾と騒音は、それ自体が消費活動であるだけでなく、人々を消費させるためのコマーシャル活動として存在しています。
マッチポンプの消費活動が生活と一体化している都会では、人々が便利なものに慣れている、という次元ではなく、まるで呼吸をするように電力を、物資を消費しているのです。
◆都会から見る復興
このような風土で育った都会の人間が復興に関わろうとすると、どうしても消費を主体に考えがちです。つまり、ヒト・モノ・カネが地域に流入するシステムを作る活動がどうしても目標になってきます。
もちろん企業の誘致や新しい産業を作ることで町が潤うことは重要です。しかし儲かるところに着実に集まるのは、むしろ外部からの人々、という印象を受けます。その結果、地元の人々と温度差ができ、町の復興と人の復興に解離が出てくるケースも少なくありません。
「こうやれば絶対に人もお金も集まる、と思うのに、どうしても地元の方がこだわりを捨ててくれないんです」
産業復興などの支援に行かれた方から、このようなお話を聞くことが時折あります。私はこれまで、この温度差の問題は地元の方が「こだわりを捨てないこと」にあるのだと思っていました。
しかしこの6号線を辿るうちに思ったのは、実は問題はこだわり、ではなく、むしろお金や消費に関する考え方が根本的に違うことにあるのではないか、ということです。
◆消費を強要されない文化
例えば、先日アップルの「iPhone 6」が販売になった日のことです。地元の方々がこんな会話をしていました。
「相馬市の電気屋さんにもiPhone 6がもう入ってるんだって」
「へえ?ここでもそんなに早く欲しがる人いるんだ」
もちろん冗談半分の会話ですが、この地域の消費活動の共通認識を表していると思います。新商品のニュースはどこか他人事で、欲しい人だけがインターネットで手に入れたり都会まで買いに行く。これが相馬の、そしておそらく多くの田舎の基本スタイルです。
不便を感じたから買い替える、というのが田舎の消費活動だとすれば、便利なものがあれば買わねばならぬ、という切迫感あふれる消費活動が都会の感覚です。私も含め都会の人間は無意識にその消費に慣らされているのかもしれません。
相馬に引っ越してから、東京の友人によく「田舎は不便じゃない?」と聞かれます。しかし私は不思議なほど不便を感じたことはありません。インターネットの発達した昨今、食べ物と生活用品に不自由しない町では不便を感じることは、実はほとんどないからです。
逆に言えば、「田舎は不便だ」と考えるものの大半は、都会の中で「作られた消費」だということもできます。
お金が集まるから続く、便利だから買う、という消費者ベースの行動原則は必ずしも相双地区のような地域では「自然な」行動ではない。もしかしたらそれが復興支援の障壁になっているのではないでしょうか。
◆生産の風景
では相双での自然な行動とは何か。十把一からげにはできませんが、私は相双の根本には消費よりもむしろ生産があると感じます。
相双に来て面白く感じたことは、人々が四六時中何かを育てたり作ったりしていることです。特に、空地があるとかならず誰かが野菜や花を育て始めます。
「仮設住宅のあんな小っちゃいスペースになんでネギ植えるんや。しかも食べないで放置されてるし、て思いますね。」
都会育ちのM先生のもらした感想は、都会の感覚を端的に示しています。育てることだけを目的に育てること。これが都会の人間にはすぐには理解しづらい感覚だからです。
国道6号線を下った時に見えてくる相双の基本風景は、何よりも森林や田畑です。実は、これは必ずしも「自然」ではありません。むしろ人工的に高度に計画された、開発の風景でもあります。
では何が一番都会と異なるかと言えば、それは人工・自然にかかわらず常に何かが「作られている」風景だ、ということなのではないでしょうか。このような風土に育った人々にとって、生きることは生産することと密接に関係しているようです。
◆生産と復興
作ることと生きることが一体化した文化では、復興の形も都会のイメージと異なります。そのことを実感したのは、先日東京農大で行われた震災復興のシンポジウム(1)に出席させていただいた時でした。
東京農大は震災直後から相馬市の農業復興の支援に入っていますが、2011年の夏に農大の研究者たちが海岸沿いを視察した時、そこは広大な荒地と化し、わずかに重機のわだちの跡にだけ、ようやく雑草が生えている光景だったそうです。
私であれば、広大な荒地の風景、と表現するでしょう。そしてその土地を農地以外の何かに利用することを考えたと思います。しかしシンポジストの1人、稲垣先生の発想は違いました。
「わだちの跡に雑草が生えている、だから混層を決意した」
それに協力したのが、岩子地区の農家である佐藤紀男さんご夫婦です。大勢の方の協力の結果生まれた相馬復興米は、今年は既に1000トンが出荷されました(2)。
このお米は復興を象徴するだけではありません。生産過程で応用された混層技術、除塩技術、製鋼スラグを活用した土壌改良技術などの様々な農業技術は、今後全国の農業に応用され得る先端技術でもあるのです。
◆生きることは作ること
「作って測る、測って作る。だけど作らないという選択肢はない」
シンポジウムの最後に農大の先生が言われた言葉は、私はひどく衝撃を受けました。
「作られもしないのに生きていても仕方ねぇ」
確かに、仮設住宅の住民の方々からそのようなつぶやきを聞いたことはありました。しかしこの言葉が、「作らないという選択がない」ほどに強力なものだということを、私はそれまで本当の意味で理解していなかったのです。
「農業にはひとつの哲学がある。それは、自然がつくりだす「具体的なもの」のもつ価値を、守り育てようとする姿勢である。自然の活動の背後にある見えない力が、目に見えて、人の体を養う『具体的なもの』となって、この世に出現してくる。・・・農業とは『具体性』に固着しようという人間の営為なのだ」(中沢新一『農業』より(3))
相馬の復興は、必ず作ることから生まれています。それは作物という具体性に対する固着が生んだ知恵であり、力です。
◆創生の原点
温故知新という言葉がありますが、昔を知らなければ新しい物も生まれない。相双に来て、改めてかみしめる言葉です。
モノとお金の豊かな地域から相双に支援に来る人々は、連綿と続く農村の「作る」という文化を見落としがちです。しかしそこには、踏まれても踏まれても蘇る自然と戦ってきた人々の知恵が凝集されているのです。
節約、省エネ、エコ・・・消費社会の中で消費を抑える努力だけでなく、生産社会へと回帰していくこと。これがしなやかな社会へのカギなのかもしれません。
物流の勢いに惑わされず、新しい目で東京と相双のモノと文化を見つめ、そこに学ぶこと。それは相双だけでなく、日本の衰勢をも左右する大事な営みなのではないでしょうか。
(1)http://www.nodai.ac.jp/news/category-detail.php?new_id=2197
(2)http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=29731
(3)中沢新一 著.「リアルであること」.幻冬舎文庫、1997年