臨時 vol 146 「医療崩壊」と職業倫理;医者にとってのインフォームド・コンセント」
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大阪府立成人病センター
血液・化学療法科
平岡 諦
現在の医療危機は「医療崩壊」(1)と呼ばれている。患者にも医者にも不幸な事態である。低医療費政策、患者からの不信感、および医師法第21条を介した検察の介入が主な原因と考えられる。その対応が模索されているが、後二者については職業倫理との関係も論議しておく必要があると考える。
1;インフォームド・コンセントのとらえ方;
「ヒポクラテスの誓い」が「パターナリズム」に基づくとして否定され、それに代わるものとして「患者の自己決定」に基づくインフォームド・コンセント(以下、イ・コ)が法理(生命倫理)として発達した(2)。その背景には情報公開・開示が進み、情報化社会と呼ばれるようになった社会の変化がある。この理念は、日本でも、法理にとどまらず医者の職業倫理の中心理念の一つと成っている(3)。
「イ・コ」は医者にとっては職業倫理の一つであり、「医者のあるべき姿」の一つであり、努力目標であると考えられる。一方、患者にとっては法理(生命倫理)、すなわち司法上当然のことであり、医者の義務であると考えている。医者は職業倫理の一つとして「イ・コ」の実施に努力するが、いくら努力しても情報の完全な共有はあり得ない。医者に優位な情報格差が残る。したがって、患者にとって不都合な治療結果が生じると、「イ・コ」が不十分であったのではないか、さらに、医者が情報隠しをしたのではないか、という疑念が患者に生じやすい。その結果、患者側からのクレーム、さらに司法判断への依頼が増加しやすい。一方、医者は、患者のクレームが自身の非倫理性に対するクレームでもあると誤解して受け取りやすい。誤解の理由は、生命倫理と職業倫理がともに倫理と呼ばれているためであり、また「イ・コ」が職業倫理の一つに入っているからである。
「イ・コ」を職業倫理に導入した時点で、医療側は増加の見込まれる患者からのクレームに対する受け皿を準備すべきであった。受け皿のない患者側にとっては、法理に基づいて司法に頼らざるを得ず、その結果が医療訴訟の増加となっている。
2;医者間の健全な相互評価;
平成10年5月より、私はセカンド・オピニオンを患者に勧める運動を始めた。「イ・コ」を補い、「患者の自己決定」を後押しするためである。その後、医者にとってのセカンド・オピニオンの意義を問う原稿依頼があった。そこで、セカンド・オピニオンとは患者を介した「医者間の健全な相互評価(以下、相互評価)」であること、「パターナリズム」の時代から行われていた「相互評価」に「対診」があるが、「患者の自己決定」の時代になり患者への情報開示が加わって形を変えたのがセカンド・オピニオンであり、その本質は「相互評価」であろう、と論
じた(4)。
「相互評価」のルーツを考えているうちに緒方洪庵「扶氏医戒之略(以下、医戒之略)」に出合った(5)。その最終第12項の後段に、(主治医に隠して相談に来た患者に対しては、主治医に問い合わせ、その治療方針を聞いた上でなければ、診断し助言を与えることは出来ないと言い聞かせるべき(6)、と云う前段に続いて)、「然りといえども実に其誤治なることを知て之を外視するは、亦医の任にあらず。殊に危険の病に在りては遅疑することなかれ。」とある。「相互評価」という「医の任(課せられた仕事)」が「医戒之略」の最後の最後に記載されているのである。
「パターナリズム」の時代の「相互評価」は一患者と一医者間の問題解決のために機能した。しかし「患者の自己決定」の時代、すなわち情報化社会となって、一患者と一医者間の問題が、患者の属する社会と医者の属する専門職集団間の問題となるようになった。解決のための「相互評価」も変化せざるを得ない。最近の例をあげると、2002年2月に発表された米国・欧州の内科4学会が共同作成した「Medical Professionalism in the New Millemmium: A Physician Charter」(以下、医師憲章)がある(7)。3つの基本原則と10項の責務として纏められているが、その最終項には専門職に伴う責任を果たす責務として、「職業全体の信頼を傷付けてはならない。お互いに協力することはもとより、専門職としての信頼を傷つけた医師には懲戒を加えることも必要である。(訳;李啓充(8))」と、「相互評価」が記載されている。
「医戒之略」も「医師憲章」も、始めに医者のあるべき姿が、最後に「相互評価」の重要性が記述されるという同じ構造になっている。すなわち、あるべき姿(モラル)がはじめに述べられ、最後にモラル・ハザードへの対応(自浄機能)が示されている。この構造は、専門職集団がprofessionalism(すなわち自律)を図ろうとするなら必須のものであろう。
戦後日本の医療界でモラル・ハザードが最も問題となったのは「和田心臓移植事件」であろう。当の和田教授はモラルに合致した行為と考え(9)、一方、周囲は「和田教授のモラルは時代錯誤であり、露骨な人体実験に相当するモラル・ハザードである」と考えて批判した(10)、と解釈出来る。検察は証拠不十分で不起訴とし、日本弁護士連合会は「対診」による「相互評価」の必要性を警告し(11)、そして、医者への大きな不信感を社会に残した。不信感の原因は、モラル・ハザードの問題でありながら専門医仲間からの評価が公表されず、仲間内でかばい合ったと受け取られたことであろう。すなわち専門医仲間が「医の任」を果たさなかったため、医者全体に対する不信感を社会に残したことになる。なお本「事件」が、遺体(あるいは一部、例えば摘出心臓)も証拠隠滅・改竄の対象となる可能性を検察に意識させ、医師法第21条による介入の端緒になったのではなかろうかと考えている。
医者のモラル・ハザードに対する日本の現在の対処法はどの様になっているだろうか。医療職の集団である医師会は「医師の職業倫理指針」(3)を持っているが、その中にモラル・ハザードに対するハッキリとした規定は無い。専門医を擁する学会で、そもそも職業倫理を規定した学会があるだろうか。この様にみると、日本の医療職集団はモラル・ハザードに対する自浄機能を全く持っていないと云っても良い状況である。患者からみれば司法に頼らざるを得ない状況である。社会から信頼されず、検察から介入されていると嘆いても、自浄システムを作ってこなかった医者の自業自得と云わざるを得ない。「医師のあるべき姿」をいくら多く述べても信頼回復に機能しないことは明らかである。医療職集団が自浄機能を持ったシステムを作ることが必須の事である。現在の専門分化した状況では、専門医を擁する各学会それぞれが自浄システムを構築すること、これが最重要と考えられる。
ちなみに、「医戒之略」の原作者であるフーフェラントの故国ドイツの自浄システムの状況はどうであろうか。岡嶋道夫・東京医科歯科大学名誉教授によると(13)、「ドイツでは医師職業規則は、医師の憲法とも呼ばれ、医師の義務と倫理を厳格に規定しており、また、医療行為や医療倫理などで問題がある医師に対しては、日本の民事・刑事に相当する処分のほか、医師職業裁判所で、医師も交えた審判により、処分が行われている。」とのことである。また、真野俊樹・多摩大学統合リクスマネジメント研究所・教授によると(14)、「ドイツでは医師会は全員加入である。ここでは、政治的(?;原文のまま)な議論や診療報酬の話はあまりしないようで、むしろ医師の労組が政治的な交渉にあたっているようだ。(中略)日本では考えられないが、ドイツでは医師によるストも行われる。ミュンヘン大学病院でも、2006年3月18日に、大学病院や自治体病院のいわゆる勤務医、医学部を出たばかりの医者中心にストが起きた。」とのことである。この彼我の差は国民性の違いによるものであろうか。
土居武郎はその著書「甘えの構造」(15)で日本人の精神構造を論じている。その中で「明治以前から日本人の道徳観を形造ってきた義理人情が実は甘えの心理を中核にしたものであり、また明治政府によって行われた天皇制の確立が、階級・階層を超越する国家の精神的中心を据えたという意味で、伝統的な義理人情をふまえた上での近代化への試みであった」と述べている。一方、「西洋的自由の観念が甘えの否定の上になりたっていること」、「神は自ら助くる者を助く」という諺を引き、「それは万人が万人にとって敵である世にあって、自立自衛以外に頼むべきものがないことをいうために用いられているのである。すなわちこの諺は神頼み人頼みを戒めることが狙いであり、「旅は道連れ、世は情け」という日本の諺とはその精神が全く反対である。」とも述べている。
現在の日本の医者の道徳観は、明治以前からの「医は仁術」(「義理人情」の道徳観に合致する)の上に、これとは(その精神が全く反対である)「患者の自己決定」(西洋的自由の観念)に基づく「イ・コ」を受け入れた形になっている。小松秀樹は「医療崩壊」(1)の中で、現在の勤務医の状況を「立ち去り型サボタージュ」と名付け、勤務医の考え方は「ささやかな誇り、生き甲斐、自尊心、良心、多額の報酬を望んでいない」などであると述べているが、その通りと思われる。これらは「医は仁術」、および「イ・コ」を含む医者の職業倫理を実行し、自身を倫理的と認識していることの自負心であろう。ところがそこに患者(あるいは家族・遺族)から「イ・コ」(西洋的自由の観念)に基づくクレームが来ると、患者は法理(生命倫理)としての主張をしているにすぎないが、医者は職業倫理に反したとするクレームと受けとる事になる(前述したようにこれは医者の思いこみにすぎないが)。それまでの精神的基盤である「誇り、生き甲斐、自尊心、良心」は傷つけられ、更に裁判となるとその傷はあまりに大きい。低医療費政策による職場環境や自らの待遇の悪さが背景にあり、自負心が傷つけられた時点で「プッツンして」、ついに職場を立ち去ることになる。これが「立ち去り」の構造ではなかろうか。(なお、モンスターペイシェントは幼児期の「だだっ子」と同じである。土居武郎が「「甘え」今昔」(15)の中で述べている「甘ったれ」と同じである。「甘え」とは似て非なるものであり、それを演出している隠れた意図にその本質があると考えられるため、上述の患者クレームとは異なる対応が必要である。)
3;自浄システムと自助システム;
「医療崩壊」と呼ばれる医療危機からの脱却には、患者からのクレームの受け皿を作る必要がある。そのクレームが妥当か否かを評価(「相互評価」)するシステムである。患者からのクレームが妥当であれば会員に懲戒を加える必要があり、そのクレームが不当であれば会員への援護システムとなるであろう。何故なら、学会としての判断を示すこと(勿論公開して社会の批判を受けなければならない)が会員の救いとなるのは、2008年4月25日の最高裁の判決が後押しをすると思われるからである。この判決を突き詰めれば、「診断は臨床医学の本分だから、例外的な特段の事情のない限りは、医学鑑定を十分に尊重すべきだ」と表明したと考えられるからである(12)。医学鑑定に準ずる、学会としての専門家の判断を示せば、司法の力を借りずに大部分の医者・患者間の問題を専門家集団自身で解決することが期待できるはずである。これこそが”professionalism”であり、司法からの自律のシステムであろう。
患者からのクレームの内容は、当然のことであるが、患者に都合の悪い診療結果に起因する。専門医である会員を援護するためには、学会が会員の診療結果を担保する必要が出てくる。診療結果を担保するためには、「診療結果;outcome」を指標とした専門医制度(あるいは、チーム医療では施設認定制度;以下同様)の確立が必要である。「イ・コ」の時代の患者の望む専門医とは、積んだトレーニングの内容や、責任を持った診療だけではなく、「最低限の診療結果が担保された医師」であろう。すなわち、quality controlで云われている構造(structure)、過程(process)、結果(outcome)のうち、これまでの専門医制度は構造(structure)、過程(process)を担保していたが、「イ・コ」の理念に基づいた専門医制度とは、結果(outcome)が担保されていること、そして、「診療結果の最低ライン」を引き上げる努力(自助努力)の見られる専門医制度ではないだろうか。
4;「医療崩壊」からの脱却;
自浄機能を持つ会員援護システムと、自助努力の見られる専門医制度は、専門医集団が自律するための車の両輪であろう。「患者の自己決定」に基づく「イ・コ」は医者の職業倫理の中心理念の一つとして受け入れられている。この理念を受け入れた時点で構築すべきであった車の両輪が、いまだ十分に構築されていないのが現状である。「医療崩壊」と呼ばれる現在の医療危機は、起こるべくして起こったと云わざるを得ない。現在の医療危機から脱却するにはこの車の両輪の構築が喫緊の課題であろう。
(1)小松秀樹;「医療崩壊;立ち去り型サボタージュとは何か」朝日新聞社 2006年。
(2)星野一正;「インフォームド・コンセント;日本に馴染む六つの提言」丸善ライブラリー232 平成9年。
(3)日本医師会;「医師の職業倫理指針」平成16年2月制定。
(4)平岡 諦;「セカンドオピニオンの意義」;日本医事新報 2003年3月1日。
(5)平岡 諦;「対診とセカンドオピニオン」;日本医師会雑誌 130(10);1445,2003、および「医の倫理;ミニ時典」日本医師会発行 平成18年、40-41頁。
(6)杉田絹枝、杉田 勇共訳;「フーフェラント;自伝・医の倫理」北樹出版 1995年。
(7)Project of ABIM Foundation, ACP-ASIM Foundation, and European Federation of Internal Medicine; Medicl Professionalism in the New Millennium: A Physician Charter, in Annals of Internal Medicine 136; 243, 2002 & Lancet 359; 520, 2002
(8) 李啓充;新ミレニアムの医師憲章」、週間医学界新聞:連載;続・アメリカ医療の光と影;第一回;連載再開に当たって。第2480号 2002年4月1日。
(9)和田寿郎;「神より与えられたメス」メディカルトリビューン、2000年。
(10)「和田心臓移植を告発する」保健同人社 昭和45年。
(11)日本弁護士連合会;「和田心臓移植事件に対する日本弁護士連合会の警告」昭和48年3月23日
(12) 井上清成;「裁判での医学鑑定の尊重」MMJ June 2008, 524-525
(13)岡嶋道夫;「ドイツにおける医師の職業倫理」、日本医事新報 No. 4052(2001年12月22日号。
(14) 真野俊樹;「海外医療事情;ドイツ・医療保険制度発祥の国」;Medical ASAHI 2008 August 65-68
(15)土居武郎;「甘えの構造」弘文堂 昭和46年。「甘え」今昔;増補普及版平成19年。