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Vol.289 これからの被災地支援に対して迷っておられる方へ

医療ガバナンス学会 (2014年12月15日 06:00)


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南相馬市立総合病院・神経内科
小鷹昌明

2014年12月15日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


被災地の復興支援に来た人たちが、次々に撤退を表明している。まずは、復興のシンボルと目されている、ある一般社団法人の組織に属していた若者の手記を紹介する。

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退職の意向を代表に伝えました。復興支援員としての勤務をここまでとします。理由は複合的でなかなかまとめられませんが、「復興支援と冠の付く活動にモチベーションが意地できなくなった」ということだけは、はっきりと言えます。
「疲れた」といえばそうかもしれません。3年半やってきて、振り返ってみて、そして今を見て、残るものと今後のことを天秤にかけました。もしかしたら、復興支援というものは、無形的なものしか残らないのかもしれません。
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震災から3年半を迎えて、被災地ではさまざまな現場で人の移動がはじまっている。来る人、帰る人、就職する人、転職する人、いろいろである。ここへきて支援者の出入りが激しいのは、一言で言うなら、ひとつの区切りというか、そろそろ先のことを見据えようという気運が高まってきたからだろう。
そもそも震災後の痛手から立ち直った人々は、とりあえず仕事を再開するなり、新たな職に就いたりした。中には、復興支援事業に関わるような何かがしたくて、何かの役に立ちたくて、何かを求めてやってきたものもいたのではないか。しかし、ひと通りの仕事を覚え、ある程度の人脈を築き、期待に応えたかのように見えた人でも、必ずしも何かを残せて、何かの役に立てて、何かを満たしてくれたかどうかはわからない。そういうことに気づいた人たちが、形を変えようともがいているのである。
善い悪いを言うつもりはないし、判断できる立場でもないが、“原発再稼働決定”なんて話しを聞くと、いくら放射線のことを気にしない私でも、心情的には「僕らは何のためにここで放射線と闘っているのだろう」という気持ちになる。“原発”や“放射線”、“津波”や“地震”のような問題は、個人でどうこうできるものではないのだから、理想と現実とがマッチすることはない。そういう目に見えない相手との尽きることのない葛藤が、支援を限界へと導いてしまう。

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意地を原点に遠くまできました。今振り返ってみればいろいろな人と出会って、悩んで、共感して、笑って、そうした瞬間に自分が立ち会えたことを嬉しく思います。「私の復興支援はここで終わりだ」というものが見えてきましたので身を引きます。公私を乖離させてやるだけやりました。だからここで終わりにします。
そう判断した今の自分に後悔はありません。選んだ自分だけの気付きを忘れません。選んだ自分を疑いません。次の未来を選ぶのも自分だから、自分と上手に付き合っていきます。
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若者が、やりがいを追求するあまり、3年以内に職場を去るということは珍しくない。ステップアップという正当な理由もあるであろう。そういう意味では、ここも特別な地ではなくなったということなのかもしれない。彼の言うところの、「復興支援と冠せられた活動にモチベーションを保てなくなった」という言葉が、それを雄弁に物語っている。前向きに解釈するなら、まさにそれは、少しずつ地元が機能し出した証なのかもしれない。

街が機能してきた実例をひとつ紹介する。
南相馬市中央図書館内にあるカフェ、“ビーンズ”では人員不足から日曜の営業が行われていなかった。駅前という立地条件にも関わらず、県外からのボランティアや、のんびりしたい市民のための憩い場がなかったのである。
それを見かねた一般市民の何人かが立ち上がった。呼びかけに応じたご家庭の主婦たちが、研修を積み、喫茶店営業のノウハウを学び、そのメンバーたちの総力で、1年後には日曜営業を再開させてしまった。私は、もともとの経営者との調整や、PR活動に携わったが、後は「何とかなると思うから頑張って」と励まし続けた。
南相馬市のポテンシャルには確かなものがある。私のような支援者たちの仕事は、結局のところ「大丈夫、ゆっくりでいいから、疲れない程度に!」と最後まで、上手に応援することだけである。そして、それが軌道に乗った時点で役目を終える。

ほぼ日常的な毎日が繰り返されるだけの街になったとはいえ、震災の影響から抜け出せない人たちがいる。この街で、いまだに復興支援に従事している人は、“仕事としての割り切った価値を見出した人間”と、“この街が好きになった人間”とであり、好きになった人間というのは、住民としての生活基盤を築いたもので、言うならば、何かをしたいというよりは、市民として生活に満足した人間である。つまり、「継続できる有意義な何か」を見出した人たちである(私は、「相馬野馬追」に出陣し続けたいということと、南相馬市小高区の再生をもう少し実感したいという理由がある)。さらに言い方を変えるなら、単発的なイベントや期限付きのボランティアということではなく、被災地で機能しはじめた“持続可能なシステム”の中に身を置くことに成功した人たちである。

私は、一定の期間を終えた人たちに対して、被災地に残った方がいいとか、去った方がいいとか、そういうことは言うべきでないと考えている。居たいと思えば居ればいいし、居る必要がないと判断した時点で帰ればいい。支援を止めたいと思えば止めればいいし、やる意義を感じているうちはやり続ければいい。
「そろそろ・・・」の定義は、本人の中にしかない。当たり前だが、他人がとやかく言うことではない。要は、その人の工夫であり、満足度であり、言うならば気持ちだけである。
ただ、もし、被災地への支援に行き詰まりを感じている人がいたとしたら、ヒントになるかどうかはわからないが、改めて私の想いを伝えておく。
何度も述べるようだが、ここは既に、県外から支援に来る人たちにとっての主役の場ではない。内容は、時期・場所・人によって変化していくのだから、“やりたいこと”を探すというよりは、“活動をしている今の人たちをまず知る”ということの方が先決である。去ったものも多くいる中で、新たな試みをはじめたものもいる。活動をはじめた人が、何を思って、何を目指して、何をやろうとしているのか。あるいは、あえて何もやろうとしていないのか。そこを見誤らないようにすべきである。
まずは地元で立ち上がった人たちを眺め、活動をはじめた人たちを見守り、そして、何か心に響くものがあったのなら、でき得るならば住民として暮らしてみることである。市民目線がない限りは、本当の課題はもちろんのこと、この街の魅力にも気づかないだろう。
先にも述べたように、持続的な活動を続けている人たちとつながりを持つことである。実例で示したように、カフェ営業のスキルをコツコツと積み上げているような人たちを、どうか応援してほしい。それは、ものすごく地味な支援かもしれない。しかし、それを受ける当人にとっては、大きな大きな支えになる。そういう地道な活動をしている人にしか本当のニーズはわからないと思うし、そういう人たちのことがわかれば、おのずとやるべきことが見えてくる。

今回の考察も、私の個人的な意見であって、すべての事例に共通するものでは当然ない。「私は違う理由で復興支援を終えた」という人もたくさんいるであろうし、南相馬市の復興支援体制に何かものを申したいわけでもない。
混沌とした被災地の状況がお伝えできて、そうした現場を一度は体験してみたいと願う人がひとりでも現れたのであれば、この文章の意味があったのではないか。

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