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臨時 vol 143 「福島大野事件判決解説2」

医療ガバナンス学会 (2008年10月9日 11:37)


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        ■□ 医療水準論について □■
                   大岩睦美(医療・法律研究者)


1 民事訴訟における注意義務、医療水準論
過失とは、行為者が客観的な注意義務に違反することをいい、注意義務の内容として結果予見義務、結果回避義務が存するが、民事医療訴訟においては、直截に注意義務違反が存するか否かが争われる。その際、当該医師が負うべき注意義務の基準となるのが、「医療水準」という概念である。
民事訴訟における医師に課された注意義務の内容として判例は、「いやしくも人の生命及び健康を管理すべき業務(医業)に従事する者は、その業務の性質に照らし危険防止のため実験上必要とされる最善の注意義務を要求される」( 東大梅毒輸血事件(最判昭和36年2月16日,民集15-2-244))とし、昭和50年頃までこの流れが続いた。その後、未熟児網膜症裁判において、「人の生命及び健康を管理すべき業務に従事する者は、危険防止のための実験上必要とされる最善の注意義務を要求されるが、この注意義務の基準となるべきものは、診療当時のいわゆる臨床医学の実践における医療水準である」 (未熟児網膜症高山日赤事件(最判昭和57年3月30日判時1039-66))と判示され、注意義務を論ずる上での原則的基準が示されるに至った。
つまり、医療水準に満たない治療を行うことによって生じた悪しき結果については、医師は予見すべきであり、その治療により生ずる悪しき結果を回避すべき義務があるのであるから、結局、医療水準に満たない治療の結果生じた悪しき結果については、結果予見義務、結果回避義務が満たされることとなるのである。
2 福島大野事件第一審判決
本判決は、刑事訴訟における医療水準を示し、医師の胎盤剥離中止義務の存否について次のように判示した。「臨床に携わっている医師に医療措置上の行為義務(=注意義務)を負わせ,その義務に反したものには刑罰を科す基準となり得る医学的準則(=医療水準)は,当該科目の臨床に携わる医師が,当該場面に直面した場合に,ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の,一般性あるいは通有性を具備したものでなければならない。」
ここで、一般性、通有性が必要とされるのは、「臨床現場で行われている医療措置」と 「一部の医学書に記載されている内容」とに齟齬があるような場合に,(1)臨床に携わる医師において,容易かつ迅速に治療法の選択ができなくなり,医療現場に混乱をもたらすことになるし,(2)刑罰が科せられる基準が不明確となって、明確性の原則が損なわれることになるからである。
本件において、検察による一般性と通有性についての立証として,一部の医学書やC鑑定に依拠した医学的準則が主張されているが,これが (ア)医師らに広く認識され(一般性)、(イ)その医学的準則に則した臨床例が多く存在する(通有性)、といった点に関する立証がされるには至らなかった。
3 明確性の原則 について
近代刑法の基本原則である罪刑法定主義(憲法31条)は、あらかじめ明確な条文により犯罪行為を明示することにより、(a)何が犯罪行為であるかを告知して、国民に行動の予測可能性を与え、(b)同時に法執行機関の刑罰権の濫用を防止することを要請している。なぜならば、自己の行為が適法か違法かをあらかじめ判断できなければ、「違法であることを知りながら敢えて違法な行為をした」が故に刑罰が科せられるとする責任主義に反するからである。
本件では、検察により、一般性、通有性を有さない一部の医学書にのみ記載されているような事項を根拠とした医療水準が主張されたが、裁判所は、そうした基準に依拠するならば、医師が治療時に「いったい何をすれば犯罪になるか」がわからなくなってしまい、医療現場が混乱するばかりでなく、そもそも、そのような不明確な基準で国民を罰することは、明確性の原則、罪刑法定主義という基本原則に反し許されないものであるとして、検察の主張をしりぞけた。
4 まとめ
本判決により、(1)刑事訴訟においても医療水準論が用いられること 、(2)刑事訴訟における医療水準は当該科目の臨床に携わる医師が,当該場面に直面した場合に,ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の,一般性あるいは通有性を具備したものでなければならないことが明示された。
一方で、前稿の結果回避義務の認定とも共通する問題ではあるが、医療水準論における本件の基準は、一般的な医療行為に関しての基準を示したに過ぎない。先端医療等、臨床症例が殆どない治療については、常に結果回避義務が認定されてしまう、あるいは常に医療水準に反する治療と認められてしまうこととなりかねないため、本件の基準が適用できないという課題が残る。先端的医療行為における注意義務の内容、その基準となる医療水準概念の適用に関しては、裁判上争われるような事件の発生を待つのではなく、専門的先端的医療に携わる医療者側で議論の上、妥当性ある具体的基準を定立して提言していくことが必要であろう。

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