臨時 vol 141 「精神科現場からの提言」
医療ガバナンス学会 (2008年10月7日 11:39)
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医療訴訟
吉岡隆興
精神科
医療安全調査委員会法案が非急性期医療(慢性期医療、精神科医療、終末期医
療、在宅医療など)に与える影響(精神科現場からの提言)
この提言は医療安全調査委員会法案の施行後の近未来像を予想したとき、
日本社会が崩壊し、暴動さえ起こりかねないと危惧するゆえに提示するものである。
細木ユニティ病院 精神科部長
吉岡 隆興
<一言で言えば急性期医療を精緻化し、敷衍化すれば慢性期医療が崩壊するということ>
今回の医療安全調査委員会問題は医師法第21条問題と度重なる医療問題、なかんずく福島県立大野病院事件の出現に対して、日本医師会と厚生労働省の思惑に一致がみられ進められたものであることは周知の事実であろう。ここで日本医師会としても何とか医師の訴追を免れようと、また専門的判断を優先できるようにとの意気込みにて努力をしたことは明白である。担当者の方の努力は大いに多とするところである。
ただ如何せん、ことは厚生労働省の権能を超えたものであり、また司法における強固な現実指向性に翻弄され、その実施大綱案は、日本社会にとって破滅的なものとなっている。
司法においては、現実性、精緻性、統一性が根本原理であるのに対して、医療界は、創造性、不確実性、独立性の中で発展してきたものであり、また日本医師会が職能集団と言うより、平たく言えば生活集団であることを考えれば司法界に対抗するすべはなかったのも無理はない。しかし厳しく言えば、救急医療や医療の最下流を支える現場(慢性期医療、精神科医療、終末期医療、在宅医療など)を全く判っていないことが致命的であった。この法案が通過すれば、日本の慢性期医療、終末期医療、在宅医療、精神科医療は壊滅する。
そしてその結果、急性期医療も崩壊する。最下流の支えが崩れたとき、すべての医療が崩壊し、社会が崩壊する。老人介護のための激増する自己負担金、家族労働負担は絶望的レベルとなり、入院を政府に強訴するか、暴動が起こる可能性が高い。政府は倒れる。
ところが日本全国の医師がこの法律の社会的影響が見えていない。医師会も全く理解していない。また厚生労働省、国会議員も然りである。
以下のことが現実問題となる
社会システムから見て
(1)統一的終末期医療の強制(全員胃瘻と人工呼吸器の強制)
(2)高齢者はすべて総合病院へ入院せざるを得ない
(3)満床で壮年期が治療を受けることが出来なくなる
(4)在宅医療の崩壊。ホスピスの廃止
(5)膨大な数の日本国民の中堅層(壮年期)の生産現場からの離脱
(6)老人の介護のため生活破綻、家族の崩壊 出産数の減少
(7)爆発的な高齢者医療費の増大(数兆円の規模で増大)
(8)多量の高齢認知症患者の地域での放置、虐待、殺人
(9) 慢性期の患者を担う医師の訴追(数万件)
(10)精神科医療の崩壊、単科病院の崩壊
(11)介護保険制度の崩壊
(12)医師は慢性期医療から撤退する。
(13) その人なりの死に方や尊厳死などの概念さえ日本から消滅する
医療界から見て
(1)慢性期医療の医師が数十の届出件数を抱え、常に警察通報と損害賠償の提訴に怯えながら生活することになる。
(2)すべての医師がいとも簡単に民事訴訟を起こされる(弁護士に一言依頼すれば2千万円ぐらいは容易に手に入る。その誘惑には誰も勝てない。)
(3)老齢期の患者の診療においては、家族とのインフォームドコンセントは何の役にも立たなくなる
(4)標準的医療としてすべての終末期に胃瘻と人工呼吸器使用をしないと安心できない。
(5)自殺患者を生前一度でも診ていれば責任を追及されるようになる(10年連続3万人を超す自殺者の50%が自殺する一ヶ月以内に内科などを受診している。)
(6)在宅医療は警察通報と民事訴訟の宝庫となる
(7)「かかりつけ医の意見書」を書いたり、ケアマネの指導した場合、患者の死亡時は責任を取らされる
(8)日本医師会の主力である開業医が最も危険である
(9)日本の医師は激増する弁護士の生活費を稼ぐ存在となる
決定的に問題なのは、委員会の発表する過失、改善策なるものを含む調査報告書は、裁判において鑑定文の代わりになるということである。だからこの調査報告書を用いて警察が刑事裁判を起こせば勝訴し、遺族の誰かが民事裁判を起こせばほとんどの場合これも勝訴するということである。遺族は労せず数千万円を手に出来ることになる。この誘惑には誰も抗することは出来ない。
ある患者の死亡の過程において、過失も、改善するべきことも全くないと言うことはありえない。調査報告書の原型となるといわれる「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」の精緻さ、誠実さは大変なもので、たとえ100歳の患者であろうと助けることが出来たはずだとの熱意に満ちて分析している。
司法においては、ある医療行為が誠実に行われても(現場的最善)、不満足な結果となった時、他によりよい方法(論理的最善)があったと判断されるときは、その医療行為には過失があったとみなすというのが原則である。(論理的最善-現場的最善=過失)
大野病院事件においても裁判官は、担当医の医療行為は、「過失ではあるが現状では一般的に行われる術式であったので、その過失は処罰するほどではない」ということで無罪にしているだけである。誠実に懸命に現場的最善を果たしたから無罪になったわけではない。私はこの突きつけられた現実の重みに震撼とさせられた。日本の慢性期医療、在宅医療、精神科医療、特に認知症患者の治療過程は果たして大丈夫なのか。否むしろ絶望的だと。
当然司法関係者に悪意があるわけではない、むしろ職分に忠実に行動して業務上過失致死傷罪の適用をしているだけである。(因みに司法関係者は法律が変わればその法律に基づく行動を取ると明言している。)
以前であれば、提訴にしようと思えば、弁護士の選択、依頼、カルテの保全そして何よりも鑑定してくれる専門医を探す手間が要ったわけである。そして医師の過失を立証する必要があったわけである。しかしこの法律ができれば、それに関する労力は、ほとんどないに等しい。依頼された弁護士もまた定型文の訴状に、原告の住所、氏名を記入するだけである。私が弁護士ならすべての臨床死に関し民事訴訟を起こし勝てる自信がある。
日本医師会や厚生労働省にこの民事訴訟を止める手立ては絶対にない。
日本医師会、厚生労働省は、患者の死亡に関して、以下の如く主張するかもしれないが、ほとんど意味をなさない。
(1)「警察通報するべきかの判定において、その「治療過程の特殊状況とその死」を勘案する。」
しかし、この委員会には司法関係者、医療利用関係者も含まれる。問題視されるのは「死の直前の在り様だけでなく、その中・長期の治療過程も当然問題視されるわけであるから、中・長期における拙劣な、非専門的な医療を「法の下での平等」を絶対的規範とする司法が認めることができるはずがなく、また最大限の治療努力をしていないことを許す医療利用関係者はいない。転医義務違反や予見可能性と回避義務違反などにて簡単に反論できる。委員会での議論は専門医の意見などほとんど意味をなさないと思われる。(たとえば腎不全の認知症の患者が、時に不穏状態になるという理由で、腎透析を受けられずに死亡した場合、司法関係者の「付き添いを増やせばいいことで、ただの努力不足」、医療利用関係委員の「人権無視」の追求に医師側が何を持って反論できるだろうか。多くの裁判例を見ても、医療に対する判断は定性的であり、定量的ではない。(如何にしたかが問題で、時間や人数が足りないなどの経営的な、量的なことは基本的に勘案しない)
(2)「警察は専門家の専門的判断を優先し謙抑的に行動するはず。」
しかし、これは単なる医療界の希望である。司法界の重鎮も「検察がこんな斟酌をするはずがない」と言う。日本の司法が法律を緩めるなどと言うことほとんどありえないことで、だから曲がりなりにも信用できるわけである。また第三次試案にはそれらしき文章(「本試案の内容は、厚生労働省、法務省、および警察庁の間で合意したものである。」)があるが大綱案には全くない。後日主張しても「当時の担当者の発言」でおわりである。
(3)「疾病自体の経過としての死亡であることが明らかとなった事例等については調査は継続しない。」
しかし、救急医療や慢性期医療、精神科医療、終末期医療、在宅医療などにおいては「疾病自体の経過としての死亡」と明らかにすることが出来ない症例がほとんどではないか。特に私の担当している高齢、認知症患者などはほとんどが多臓器不全の死亡である。
ここでなぜ、医療界、医学会においても賛成派が存在するかであるが、第3次試案に対するパブコメで日本外科学会、日本心臓外科学会などが賛成している。そのほか修正、反対、などの立場を俯瞰すると、単一臓器、あるいは単一系統の疾患領域の学会が賛成している様である。特に外科などは時間的余裕もあり、また自己完結しやすいからであろう。また医療問題が起こった時、素人的な判断でなく専門家的な判断をしてもらえれば、解決すると自信があるからであろう。反対に救急医療も含め、多系統になるほど修正、反対になるようである。
最も多系統の疾患を扱う、慢性期医療、精神科医療、終末期医療、在宅医療などの分野は明確には反対を表明できていない。専門的判定機構は必要であるとの概念までで思考が停止しているようである。たぶん各論的問題が噴出したとき、右往左往するのであろう。重ねて述べるが、誠実に医療行為をなしても、司法が判定するときは誠実と言う概念は何の意味も持たない。彼らもまた誠実に法の適用をするだけである。
業務上過失致死傷罪を多臓器不全を扱う慢性期医療、精神科医療、終末期医療、在宅医療などの医療行為に被せたとき、実際の一線で行われている医療行為に関し、医療界は、現場的最善を主張できても論理的最善は主張できるはずはない。
日本外科学会、日本心臓外科学会の方々も次の論をご理解いただきたい。
究極の精神科各論的な問題において、例えば心筋梗塞の患者が、死にたいと言っているといって紹介されたとき、今までは恐る恐る入院させていたが、この法律が出来れば、専門医がいないということで断るしかないということである。外科や循環器内科から見れば、なぜと言うかもしれないが、現今の循環器内科の精緻さを見れば精神科医のレベルでは全く対応できない。死亡すれば当然届出が必要になり、過失だらけであるという調査報告書が出ることになる。警察通報と民事提訴は確実である。下卑た表現が許されるなら、精神科の内科的レベルは人様に見せられるレベルではないということである。
また手術の必要があるが、死にたいといって徘徊している場合、あるいは病識がなく興奮して点滴も不可能な患者の場合、外科単独で診ても、精神科単独で診ても、どちらにとっても恐怖である。しかもそれが高齢認知症の患者であればなおさらである。しかし精神科と外科と閉鎖病棟がある総合病院は実は日本には数えるほどしかない。(私の県で完全に機能しているのは、わずか2ベッドである。)法律が出来ればやはり、入院は警察通報と民事提訴されるのを覚悟で受けなければならない。
今後は各学会がその賛否を決めるとき社会的影響、将来の状況まで想定した上で決定すべきである。各学会が連携、合議することが必須であろう。医師法第21条における法医学会の見解問題もまた然りである。もちろん学問的精緻さ、向上を目指したわけであることは間違いないが。
ここまではやや総論的に述べたが、以下は近未来の予想を各論的に述べる。
専門的医療を受けずに死亡する患者にかんして
(以下は時系列的に記述している)
(精神科、療養型病床、特別養護老人ホーム、自宅での看取り、ホスピス)
精神科の高齢認知症患者
(1)多臓器の機能低下状態
(2)脳梗塞、心不全、腎不全、糖尿病ほか
(3)脱水、不眠、徘徊、不穏
(4)精神科入院
(5)入院患者48名に精神科医一名
(6)専門医はおろか内科医もいない
(7)容易に症状悪化
(8)内科病棟入院が必要な状態となる
(9)徘徊、無断離院、不穏、点滴自己抜去にて転院拒否される
(10)救急病院も高齢認知症患者は拒否的
(11)家族と相談し、専門的医療を受けずに経過(転医義務違反)
(12)専門的治療は出来ずに症状悪化
(13)多臓器不全に近い状態で原因不明死
(14)医療事故的死亡(医師法第21条の異状死)に近い状態での死亡
(15)医療安全調査委員会の届け出るべき事例(1)に該当
(16)厳密には届出範囲(1)に該当
(17)医療安全調査委員会へ届け出不要事例でも医師法第21条に関しては届出必要
(18)管理者が届け出なくてもよいと判断しても主治医には義務あり
(19)地方委員会で調査
(20)医学的評価をする。内科の専門医が過失の存在や改善策を提案
(21)司法関係、医療利用側関係者が精神科の特に内科的医療の低さを指摘
(22)医療関係者が司法関係、医療利用側関係者を説得できず
(23)重大な過失(標準的な医療行為から著しく逸脱した医療)と認定し公表
(24)警察に通報される
(25)公表された委員会の報告書(改善点があれば根拠となる)により逮捕
(26)裁判にて不作為型医療事故と転医義務違反、予見可能性と回避可能性論、注意義務違反論、業務上過失論、契約不履行論など、どの根拠でも簡単に有罪
(27)さらに殺人罪における(構成要件的故意)A:このような治療では死期を早めることになることを承知して実行していること。B(因果関係):その実行と患者の死に因果関係があること。の二つを満たす
(28)最悪の場合、殺人罪となる
(29)主治医と一緒にこの治療を考えた家族は共同正犯で同じ殺人罪の可能性あり
逮捕・有罪を防ぐため精神科主治医のする事
(1)できるだけ専門的医療の必要な患者は入院させない
(2)入院後は食事ができなくなれば全員胃瘻造設、
(3)頻回に他科、特に内科へ診察に行かせる
(4)24時間の付き添いを家族に了承させ、内科への転院をはかる
(5)転院が出来ない時は退院し内科通院をしてもらう
(6)内科病院からの転院は、大学病院や医療センターにしてもらう
(7)生活能力低下を理由の診療所などからの入院依頼には対応しない
(8)大学病院や医療センターに転院する約束が出来ない人は入院をさせない。
社会的結果
(1)精神科への高齢認知症患者の入院は出来なくなる
(2)総合病院に高齢認知症患者があふれ、一般の治療が不可能になる
(3)総合病院からあふれた患者は自宅に帰される
(4)家族は仕事を休まざるを得ない
(5)仕事を休めない家では放置に近い悲惨な介護を受ける
(6)徘徊にて行方不明、交通事故死が頻発する
(7)尊属殺人の頻発
(8)患者死亡時は虐待で家族が逮捕される
療養型病床、特別養護老人ホーム グループホームの患者
(1)症状悪化ですべて高度総合病院へ
(2)専門的医療を強制される。
(3)24時間の付き添いを強制される
(4)経済的に破綻する
(5)入院継続が不可能となる
(6)療養型、特老とも引き取らないから自宅へ
(7)介護保険だけでは不可能で家族は仕事を休まざるを得ない
(8)仕事を休めない家では放置に近い悲惨な介護を受ける
(9)患者死亡時は虐待で家族は逮捕される
(10)家族崩壊
●結果
高齢者医療費の爆発的膨張。
高度総合病院は高齢者で満床となり壮年期は治療が受けられない
壮年期の労働不可能状態。
虐待、尊属殺人の頻発
自宅での看取り患者 ホスピスの患者
(1)多臓器の機能低下状態
(2)癌、脳梗塞、心不全、腎不全、糖尿病ほか
(3)家族と相談し、専門的医療を受けずに経過(転医義務違反)
(4)専門的治療は出来ずに症状悪化(最終期には心神喪失状態)
(5)多臓器不全に近い状態で原因不明死
(6)医療事故的死亡(医師法第21条の異状死)に近い状態での死亡
(7)以後は高齢認知症患者のケースと同じ。同意した家族は共同正犯となる(殺人罪の可能性)(家族の誰かが訴えれば主治医は逮捕、有罪確実)
●結果
(1)日本の社会を支えてきた家族の同意による終末は不可能になる。
(2)在宅死が不可能となる。
(3)すべての高齢者が総合病院にはいらざるを得ない
(4)家計の破綻、国家財政の破綻
(5)日本的風土の破綻、
介護保険システムの崩壊
介護保険のシステムの中に、「かかりつけ医の意見書への記入」、「ケアマネが医師の意見を聞き実施する」という項目があるが、これも医師の責任という意味では、訴訟の可能性(たとえば自宅介護中に徘徊、事故死などあれば指導した医師の責任が問われる)があり、「かかりつけ医の意見書」さえ書けなくなり、崩壊する。
(家族、年齢、費用などを考えて)自己流の断続的な治療をする患者
その死に対してもすべての医療者は結果責任を負わされるため、
標準的な治療を受けるよう常時患者を説得しなければならない。
(1)検査に来なかったのは医師の説明が、努力が足らなかった。
(2)専門医に掛からなかったのも主治医の説明が、努力が足りなかった。
(3)専門病院に入院できなかったのも主治医の努力が足りなかった
(4)一度でも診察しているわけであるから症状が悪化するのを予見できたにもかかわらず回避努力を怠った。
●結果
以上の根拠で家族の誰かが委員会か警察に訴えれば、逮捕、有罪、損害賠償医師は一度でも診た患者は常に経過に責任を持たなければ有罪、損害賠償日本人は本人が希望する高齢期は送れなくなる。
(医者にまったくかからないか、総合病院でのある意味で悲惨な最期のどちらかしか選択できない)
高齢者の診療にかかわったすべての医師(診療所・病院にかかわらず)は多数の医療訴訟に見舞われる。
自殺者に関して
すべての臨床医が訴訟の対象となる
この法律は施行後、すぐに実施不能となる
医療安全調査委員会の取り扱い件数は年2000件を想定しているようであるが、
(1)自殺した人(日本では10年連続3万超)の40~60%(1万5千人)は、自殺する以前の1ヶ月間に医師(多くは一般医)のもとを受診している(WHO)。
(2)平成17年の精神及び行動の障害患者の総数(認知症は含まない)が265万人。自殺者数は500人に一人でも5300人。
(3)自殺の場合は警察が関与するから、委員会には原則すべて届けるしかない。厚労省の見解も自殺の場合は届ける必要があるケースがあるとのこと。国内において一件でも届け出違反を指摘されれば、以後は自殺者全員の届出になる(4)高齢認知症患者(200万人)などの多臓器不全での死因不明の死亡。
(5)在宅での医療事故死.他科での医療事故死も多数
(6)合算すれば優に一万件は超える。
(7)「疾病自体の経過としての死亡」ということで中止としても、膨大な数になり法律の実施は不可能となる。
(8)自殺した以上、調査報告書において過失、改善点など必出。
(9)公表された書類を持って遺族の一人だけでも刑事、民事裁判の窓口に行けば、訴訟となり敗訴はしない。
(10)自殺に関して一般医でも予見可能性、回避努力違反、注意義務違反が指摘されれば
精神科だけでなく、すべての一般医が訴えられる事になる。
不満家族の行動
(1)家族とは三親等までで最低でも10人はいる
(2)三親等は本人およびその配偶者の両親、祖父母、曾祖父母 子供、孫、曾孫、兄弟、叔父叔母、甥姪
(3)10人以上の家族に症状の変化ごとに治療方針の説明をすることは不可能
(4)死亡後経過に納得しない家族が一人はいる
(5)主治医を訴えようと思えば、書類一枚を医療安全調査委員会に提出
(6)地方委員会の公表を待つ
(7)公表書類を警察に持ち込めばすべて終了
(8)それも面倒であれば異状死だと警察に通報
(9)警察が地方委員会に調査を要請
(10)公表される内容に過失や改善点が少しはある。
(11)不作為型医療事故と転医義務違反、予見可能性と回避可能性論、注意義務違反論、業務上過失論、契約不履行論で逮捕
(12)起訴し有罪
(13)不満がある家族が民事にも提訴(労せずして誰でも1千万円以上位の賠償が取れるから、主治医の努力に納得していても、誘惑に勝てない人が続出する。)
(14)裁判を嫌う病院からは示談金をもらえる
(15)裁判で争っても敗訴にはならない
(16)医療訴訟が増大
●結果
(1)介護者がいないということだけでは精神科には入院できなくなる
(2)高齢者の診療にかかわったすべての医師(診療所・病院にかかわらず)が過失がなくても、多数の医療訴訟に見舞われる。
(3)医療訴訟が膨大な数になる(数万件)
治療方針に同意した家族の危険性
(1)高齢認知症患者の家族
(2)介護と医療に困って入院させる
(3)専門的医療が必要になる
(4)転院先が決まったのでと24時間の付き添いを要求される
(5)24時間の付き添いは不可能
(6)専門的医療を断念する事を主治医と決める
(7)死亡したとき主治医が医療安全委員会に報告する
(8)治療方針に関して家族の関与を調査される
(9)調査報告書が公表される
(10)日本全国に自分の家族のプライバシーが公表される
(11)専門的医療を受けさせなかった事がわかる
(12)家族や周囲の人に非難される
(13)時に重大な過失(標準的な医療行為から著しく逸脱した医療)と認定される
(14)主治医が警察に逮捕される
(15)治療方針に同意していたという事で共同正犯となる
(16)刑法上の罪に問われる
(17)主治医が殺人罪に問われれば自分も殺人罪を問われる
あとがき;
実は医療にとって更なる大問題が出現しています。
弁護士の棚瀬慎治氏がm3.comの「医療維新」のインタビュー(2008年3月19日)で語っておられる「改正検察審査会法」のことです。少し長くなりますが引用します
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2004年5月28日に、「検察審査会法を改正する法律」が公布されました。この法律は、2009年5月27日までに施行するよう定められています。
現行と大きく異なるのは、検察審査会が第一段階と第二段階の二階建てになるという点です。
(1)検察審査会が「起訴相当」とし、検察が「不起訴」などとした場合、検察審査会の再度の審査に付され、
(2)検察審査会が再度、「起訴相当」とした場合に、検察に代わって「指定弁護士」が起訴する――という形になります。
つまり、検察の判断にかかわらず、起訴が可能になる新たな仕組みが誕生するわけです。患者遺族が捜査機関に告訴し、検察が「不起訴」としても、その後、検察審査会で再度「起訴相当」とされれば、「必ず起訴」されるのです。
――検察官に代わって起訴を行う、「指定弁護士」とは何でしょうか。
これは現行制度にはありません。裁判所が指定するもので、検察官の代替役を果たす弁護士です。検察審査会が第二段階で「起訴相当」とした場合、起訴を行います。その後の刑事裁判でも、検察官の代わりに指定弁護士が公判の維持に当たり、尋問などを行います。
また、第二段階の検察審査会では、弁護士は法的助言を行う役割も果たします。
つまり、新たな仕組みでは、検察審査会への不服申し立てから起訴に至るルートで、弁護士が関与する機会が増えます。前述のように、医療事故を扱う弁護士はそう多くはありませんので、医療に精通していない弁護士がかかわる可能性も十分に考えられます。しかも、検察審査会は国民で構成するため、どうしても患者側の視点に立つ傾向にあります。
――新たな制度が始まれば、”医療事故調”を設立しても、「医学的に不当な起訴」の問題は、必ずしも解決しない恐れがあると。
現在の刑事裁判をめぐる問題として、医療に精通していない警察・検察が捜査・起訴を行うことが挙げられます。現在、厚労省は”医療事故調”の創設を検討していますが、それによりこの問題は解決するかのような説明をしています。医師などが参加する医療安全調査委員会で診療関連死の死因究明などを行い、報告書をまとめますが、そのうち調査委員会が警察に通報するのは、故意または重大な過失に限るとしているからです。また「遺族が警察に告訴しても、すぐ捜査はせず、調査委員会を使う」といった説明も聞かれます。
しかし、このように調査委員会で医療者が専門的に死因究明を行っても、検察審査会法が改正されれば、全く別のルート、つまり医療の専門家の視点を通さずに起訴されるルートが誕生するのです
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上がインタビューの内容です。
これから後、医療安全調査委員会の制度や改正検察審査会法が始まると、社会の中で誠実に対応した、医師や看護師、消防士、救急隊などの活動に関してその不完全さが追求され、警察官さらには裁判官などにも刑事訴追が適用される時代が来ます。最後には、命を賭して防衛活動や災害救助活動をする自衛隊員にも刑事訴追が適応されることになり、公共のために責任感を持ち努力する人間が皆無となるでしょう。
私は誠実に行われた社会的活動に対しては刑事免責すべきだと考えます。福島の事件のような刑事訴追が他国にはないのはそれが国家の根幹を成すことを、どの国も知っているからです。幸運にも日本民族は60年の長きにわたり、祖国のために死んだ自国民を持ちませんでした。このことが誠実な、他人のためになす社会活動に対する価値観を鈍らせ、日本人の内向的かつ潔癖性向と交叉し、現在のような自虐的な行動を招来させていると思われます。犯罪的な破廉恥な医療があれば徹底的な糾弾をすべきです。しかし誠実に行われた医療活動は刑事免責にすべきです。そして他人のために努力することや他人を思いやる心を再度、日本の根幹となすべきです。不幸な結果となった家族は国家が支えるべきです。そのことが国民全体の安寧につながり、しかも日本人の本来持っている精神性に合致する在りよう、別して言えば、最も心豊かに生きられる在りようです(他人のために努力することや他人を思いやる心がこの国では最も崇高な価値と尊敬されてきたものです。宗教的規範にすがらず情や廉恥心などの人間関係にて自己を律してきたのです。それが国の根幹であったのです。今流に言えばセーフティネットであり、このことが脆弱になるに比例して、社会的混乱や幸福感のレベル低下が出現していると考えます)。これはためになす言説ではなく、現実に30年間、精神科医として、多くの人の心の変化を見てきた結論です。
日本人はここで踏みとどまり、もう一度日本人としての自我を取り戻す必要があります。世界はグローバル化していると喧伝されますが、実際は民族性、宗教性などに基づく再編期に入っており、それぞれが自我を取り戻そうと必死に努力しています。
日本人ももう一度その精神性、自我に基づき民族としてまとまりを取り戻さなければ、グローバル化に飲み込まれ、自我を失った悲惨な状態となることでしょう。
誠実に職務を果たす医師、看護師、警察官、消防士、自衛隊員その他の人々の心が一度崩壊すれば、もうこの国に未来はないと考えるべきです。喜ぶのは外国だけです。
まずすべての医師が団結し、刑事免責を日本の社会に根付かせるべきです。
(法律を変えれば可能です。これを簡単と見るか、困難と見るかは覚悟一つでしょう。;司法関係者は法律が変わればその法律に基づく行動を取ると明言しています。)
次回はその方法について提言します。
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