医療ガバナンス学会 (2015年2月3日 06:00)
※この文章は『福島民報』2015年1月5日「民報サロン」欄に掲載された寄稿エッセイを、許可を得て転載したものです。
一般社団法人ふくしま学びのネットワーク事務局長
前川直哉
2015年02月03日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
私はもともと兵庫県尼崎市の出身で、母校でもある神戸市の私立灘中・高の教員でした。昨年の春、福島で活動するために職を辞し、福島市へ転居してきました。県内の高校生たちの学びをサポートするため、地元の方々と一緒に非営利の団体「ふくしま学びのネットワーク」を四月に立ち上げ、事務局長を務めております。
兵庫県出身の人間にとって、一月は特別な月です。二十年前の平成七年一月十七日、阪神大震災が神戸の街に大きな被害をもたらしました。当時私は高校三年生で、大学入試センター試験の二日後。学校での自己採点を終え、さあいよいよ国公立大の二次試験に向けた特別授業が始まるという日の朝五時四十六分に、日常は突然壊れました。家族は全員無事でしたが、家中の家具が倒れ水道や電気はストップ。同じ尼崎市内にあった両親の経営する喫茶店は半壊しました。
高校がある東灘区の惨状は想像を絶するものでした。私の通っていた灘高は、阪神大震災のニュースでたびたび映された、高速道路が横倒しになった現場から北に一kmの場所にあります。学校の建物は何とか崩壊を免れましたが、周囲は地震と火事で甚大な被害に遭いました。体育館は、始めはご遺体の安置所に、その後は数カ月間にわたって避難所となりました。もちろん、授業などできる状態ではありません。
とても、大学進学どころではない。水を運び、食料を確保しながら、私はいっときその年の受験を諦めかけました。しかし灘高の先生方は、ぐちゃぐちゃになった職員室の中から必要な書類を探し出し、私たちの大学受験を懸命に応援してくださいました。翌月には、残念ながら全員はそろわなかったものの、例年とは場所を変えての卒業式も挙行してくださいました。当時、先生方が口々に話してくださった言葉が、強く印象に残っています。
「震災によって、たくさんの物が壊れた。街すらも壊れてしまった。しかし、人が人に伝えたこと、人が学んだことは、どんな災害があっても壊れない。だから、今こそ君たちは学ぶんだ。それがこの街の復興につながる」。
後日伺った話では、そうお話される先生方の中にも、自宅が全壊した方、親戚が犠牲になられた方が大勢おられたそうです。きっとあの年の福島でも、同様に多くの先生方が生徒のために奮闘されたと思います。私はたくさんの方に支えられてその年の大学受験に合格し、大学入学後は教育学部へ進学。教員になる道を歩みました。自分が励まされた「今こそ学ぶんだ」という言葉を、誰かに伝えるために。
私は神戸で先生方から、大切なバトンを受け継ぎました。そのバトンはひょっとしたら何世代も前から、幾多の災害や戦争を越えて、受け継がれてきたものなのかもしれません。それを生涯懸けて、福島の子どもたちに手渡していくことが、私の使命だと思っています。もし、福島で出会った子どもたちが将来、どこかでこの「学びのバトン」を誰かに渡してくれたなら、一人の教員としてこんなにうれしいことはありません。
※「ふくしま学びのネットワーク」は非営利の団体で、活動の趣旨にご賛同いただける皆様からの会費・寄付により運営されています。団体の活動や賛助会員・寄付のお申込方法については、下記の公式サイトをご覧ください。
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