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臨時 vol 125 「仙石由人代議士インタビュー」

医療ガバナンス学会 (2008年9月15日 11:52)


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   ~ がん対策基本法1年半 成果の少なさに忸怩たる思い ~
              聞き手:ロハス・メディカル発行人 川口恭

――がん対策基本法が成立して1年半経ちます。立法を推進した立場として、現状をどうご覧になりますか。
医療安全調査委員会に関して、厚労省の示した法案大綱と民主党案のどちらが好ましいか尋ねるサイト上の世論調査がありましたね。あれを見てみると、現場の方々が、医療崩壊の危機をどうやって再構築できるのかということと関連して、医療事故についても非常に危機感を持っていることが分かります。それなのに厚労省は、変に官僚的に組織を組み立てようとしていて、組織を作れば解決するかのように思いこんでいます。マスコミの批判を、それで役人はかわすんですな。いや、かわすというより、むしろ焼け太りと言った方が正しい。現場の危機感を常識で持たなくなっていることがよく分かります。
「がん」もよく似ていて、がん対策基本法がなぜ必要だったのかという政治的な意味が、政策担当者に全く分かっていないと思います。米国に遅れること36年の段階で我々の基本法は施行されたわけです。何をすべきかと言えば、医療水準を踏まえたうえで標準治療からの遅れを把握し、国民に対してどのように標準治療を保証するか。それを改めて実施していく機構なり人材をどう作り、そのための予算をどうかけるか。その発想で取り組まないといかんのに、今までの対がん10カ年戦略の延長線上でちょっと修正すればいいとか、各県に計画作らせればそれで何とかなると思ってやっている。
そもそも、がん対策基本計画ができた一つの大きな要因は、患者さんが立ちあがったことですよ。それを基に国民参加の下でどう広げていくかの視点が必要なのに、年間の対策予算200億円が300億円になったとか言って、砂漠に目薬を撒くようなことにしかならず、忸怩たる思いです。
先日も、ある乳がん患者さんから、対策が予防検診に偏り過ぎでないかと批判されましたが、その予防検診すら目標達成が危機に瀕していますね。乳がん検診、子宮頸がん検診に関しては、先進国の中で一歩も二歩もずっと遅れていますよ。科学的データで受診率50%まで行けば発見率が飛躍的に上がり、死亡率も下がると分かっているのに進められない。子宮頸がんのワクチンにしても、「そんな金のかかることはできん」だけで一刀両断してお終い。どうやったら可能になるか組み立てようという発想がないんです。
国民と一緒になって、こういうことが必要なんだ、それはそうだ一緒に創ろうじゃないかと巻き込むことができていない。がん難民が少しでも減るように、ある種の運動を作りだしていかないといけないはずです。ところがそういう方向へは全く行かない。
これね、なぜそうなるかといえば、行政には、今までの反省、何がマズかったのかの総括がないんですよ。
――どうしたら良いでしょう。
がんは国民に一番分かりやすい話なので、これで火がつけば、産科、小児科、外科の問題解決の道筋も見えると、私は思っています。国民を巻き込めば、それは欲しいですね、じゃあ税金を余計に払いましょうという話になってくるでしょう。それが必要なのに、ただ口をあけて医療従事者の窮状も見ないで、がん治療よくしろとだけ言っても無理ですよ。医療従事者が力を発揮できるような条件を整えてあげないと。
国なり地方自治体など政治行政が資源配分を変えるというメッセージを出して、国民に理解を求めて、具体的人材の育成・配置をしないと何も変わりません。なおかつ国民・住民が「我々にも役割を果たさせろ」と言って参加してこないとおかしい。もっと良い医療を作って育てていくには、もはや国民の関与なしでは無理です。そこまで行かないと医療も良くなりません。そういう意味では県立柏原病院の小児科を守る会が一つのモデルだと思います。あれが全てではないけれど。
――組織を作ろうとするんじゃなくて、まず国民を巻き込めということですね。
医療安全調査委員会のような小手先で、マスコミの批判をかわすことを第一義に物事を組み立てたのでは何も解決しません。現状と根本的な意味が分かっていないんですよ。その前に医療の現実を社会で共有することが先です。どんな場合でも100%患者を救えるのが医療だ、なんて変なドグマで医療者を罰していったら、医療者も社会もお互いボロボロになってしまいますよ。官僚が、現場のことをいかに分かろうとしていないか、医官とか薬系とか言っても実際には分かろうとしてないというのを実感します。
薬害肝炎の問題でもそうです。あれを放置したことはヒドイと思って、国会と周辺でだいぶ患者さんの支援をしました。ところが、その総括をするはずの検討会で議論されているのが、日本版FDAを作ろうという組織の話だそうじゃないですか。焼け太りを象徴するそのような組織に導いていこうとする議論が、肝炎対策とどういう関係があるのか、官僚が肥大化するだけで、この人たちの頭は一体何なのかと思います。あれは副作用でも何でもなく製造段階における単なるミスで、米国から警告がされていたにも関わらずウイルス混入しているかもしれない製剤を漫然と放置した。しかも病院にも患者にもその情報を開示しなかったという役人の行動の問題でしょう。開示すると自分たちの責任になるから。いかに自分のところの責任を免れるか、その一点のみに主眼をおいて行動した結果、あんなに被害が大きくなったわけですよ。そこの反省が全くないじゃないですか。
必要なのは、いかにプロフェッショナルを養成する機構を作るのか、この機構のガバナンスをどのように構築するのか、のはずです。日本版FDAが必要だという話の前に、PMDAの5年間とそれ以前とを比較してコストベネフィットを出さなければ始まらないはず。要するに総括がないんです。
厚労省の行動は、組織を変えれば物事も変わるというのが終始一貫していますけれど、それはまことにお粗末な発想です。現実はそうでないのだから。そのことが現在の医師不足をはじめとする現場の崩壊に際しても、どのように対処するのか明確な方針も示せないし、行動もできないことにつながっているんです。で、厚労省の過ちの最大の原因は、現場を見ていないことと、総括・原因分析をしていないことです。
なぜそういうことをしないかと問うと、財源がないと言います。財務省に怒られることはしたくないと言う。自分たちの仕事を何だと思っているんでしょう。
後期高齢者医療の問題、リハビリ制限の問題、慢性疾患の在院日数の問題、機械的に簡単に机上で政策変更するけれど、その結果現場で何が起きるかちゃんと考えているんですかね。そういう変更後の混乱が次から次に起きてくる。これは何なのか。臨床研修制度についても、見直すなら見直すできちんと仕切り直せばいいんですよ。10年経ったら外科医がいなくなるなんてのも、そうならないよう衆知を集めてやっていくべき話でしょう。どうしてそうならないんですかね。
――患者の側、国民の側で、できることはないでしょうか。
何もかもお任せではなく、責任を持って関与・参加する機会は必要だと思います。ただし手段は何なのかは考えないといけません。プロフェッショナルな仕事はプロフェッショナルな有資格者にやってもらうしかないのだから、費用負担という形で参加するのか、自分にできることをボランティアするのか。
私、がんセンターで6カ月に1回検診を受けているんです。検査を受けた後で1週間か10日後にカウンセリングを受けます。画像を見ながら主治医が10分から15分説明してくれるんですけど、その時にいくら払うか知ってますか。厚生労働省の官僚に聴いても誰も答えられないんですけど、再診料の210円だけですよ。病院には700円入っとるんでしょう。そんなんでは、プロに対する報酬としてお話にならん。駆け出しの弁護士でも15分法律相談したら何千円か取りますよ。
知価社会というのだからカウンセリングやコンサルティングしてもらうことを評価しなければおかしいんです。そうでないのなら、インフォームドコンセントなど要求したらいかんですよ。相談窓口を設けよとか、緩和ケアでどうしろこうしろとか、診療報酬を付けない限り、病院は持ち出しになるわけですから、無理に無理を重ねることになるでしょう。費用がかかるのは当たり前で、それを所与の条件として制度を再構築しないと始まらないです。
今のままならインフォームドコンセントしない方が、化学療法の技量上達に努力しない方が病院経営にはプラスになります。そうでしょう、やるとバカを見るんですよ。病理診断だって、がん診療には大変重要なのに、病院の端っこに追いやられて。すべてが悪循環に入っています。誰かが、どういうきっかけか好循環を生まないといかんのです。発想の切り替えが必要です。
細胞レベルで病気を治すだけでなく、病気を抱えた人間を支え、人間そのものを元気づける仁術を今の時代の患者が求め出していると思います。それは単純に見ると医療者の負担を増すことになるでしょうが、そこにはドクターも応えないといけないと思います。コンビニ受診をやめろというのには、裏返しに、コンビニ受診をやめてくれないと丁寧な説明もできないじゃないかというメッセージが込められているはずです。ドクターたちも白い巨塔に閉じこもらずに、人の生命と健康に貢献するプロフェッショナルとして、患者や社会とコミュニケーションを取っていただきたいと思います。肉体的病気には、必ず精神的ダメージが伴います。治療の結果として何が起きようが、死だろうが後遺症だろうが入院の長期化だろうが、医療者とのコミュニケーションのありよう次第で、反応はだいぶ違うんだと思います。
そして、医療者に対してそれを求めるのなら、そこへの直接評価をしないといけないのも当然の話です。プロフェッショナルの技能を生かすには、敬意を払わないといかんのです。費用がかかることは当たり前なんで、患者もシステムを守るために何をするか考えどころです。
(このインタビューを抄録したものが、『ロハス・メディカル』08年10月号に掲載される予定です)
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