医療ガバナンス学会 (2015年3月24日 06:00)
※このコラムはグローバルメディア日本ビジネスプレス(JBpress)に掲載されたものを転載したものです。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43167
関家 一樹
2015年3月24日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2月3日付の新聞各紙において製薬企業ノバルティスファーマ(以下、ノバ社)が、医薬品医療機器法の副作用報告義務違反で業務停止命令を受ける見込み、との報道がなされた(その後、期間は15日間で3月5日~3月19日と判明)。
そして10日後の2月13日には東京大学医学部附属病院が、白血病治療薬の臨床試験に対する不正関与事件で、研究代表者である黒川峰夫教授に対して文書での厳重注意を行った、との発表がなされた。
この2つの医療ニュースはいずれも昨年(2014年)1月17日から報道されている、白血病治療薬タシグナ(R)(ニロチニブ)の臨床試験「SIGN研究」に端を発している。
SIGN研究は東大病院の血液・腫瘍内科と、同科に事務局を置く研究会組織が主導して行った、医師主導の中立的臨床研究に、当該薬の製造元であるノバ社が不正に関与していたという事件である。
SIGN研究で発生した問題は、次の3点が挙げられる。
●患者さんのがん情報を製薬会社に流出させた
●製薬会社との利益関係はないとして、参加医療施設の倫理委員会の研究承認を詐取した
●製薬会社との利益関係はないとして、患者さんの研究参加同意を詐取した上で、病態に関するアンケートや投薬を行った
今回の処分はSIGN研究事件の一区切りと言えるので、その処分結果を検討してみたい。
◆ノバ社への処分
ノバ社の今回の業務停止命令で直接の理由とされているのは3264症例の副作用不報告である。これは昨年7月31日に、SIGN研究において副作用報告が行われていないことが公表され、業務改善命令が出されたことを受け、改めてノバ社内において全医薬品について副作用報告の確認を行ったところ判明したものだ。
製薬企業における副作用の不報告は、それはそれで重大な問題だが、患者さんに対するものではなく、役所に対する報告義務違反である。
もっとも現在の法制度では、臨床研究に製薬企業が不正関与しているだけでは、同じくノバ社の降圧剤であるディオバン(R)(バルサルタン)で問題とされた薬事法の広告規制か、今回問題とされた研究に付随した副作用報告義務違反、程度しか監督省庁である厚生労働省からの処分事由とできるものがない(刑事法規違反を事由にすることは当然可能であるが、検察庁を差し置いて処分を行うことはできないだろう)。
しかしSIGN研究が社会的な問題とされたのは「実際の患者さんという、人間に投薬する」臨床研究だからであり、厚労省もそのことを加味した上で今回の処分を行っていると受け止めてよいだろう。
このように考えるならば、ノバ社の業務停止命令については江戸の敵を長崎で討っている感がある。
もっとも新たな法規制を臨床研究に対して行うべきかについては、私は反対である。刑法などの既存の法律で、十分に処罰されるべきであるし、そもそも今回の不正関与事件が起きた要因の1つが、大学の自主規制や書類審査を潜り抜けようとしたことにあるからだ。
規制の強化はかえって研究不正を潜伏拡大させる可能性がある。
◆今回新たに判明した事項「責任関係の認定」
昨年(2014年)1月17日に最初の報道がなされてから、東大病院は学内調査・学外調査を経て6月24日に「最終報告」と題する記者会見を行っている。
しかしこの東大病院の最終報告は「最終」とは名ばかりで、その中では事件関係者の責任関係の認定が抜け落ちていた。
制度設計をどうするかはその組織の自由であるが、通常は調査委員会の「最終報告」で責任関係の認定をした上で、処分内容のみを懲戒委員会に任せる。したがって今回の2月13日の発表を持って世間一般で言うところの「最終報告」がようやく完成する。
今回東大病院が発表した責任関係の認定は「黒川峰夫教授に文書による厳重注意が行われました。また、同科元講師にも在職者相当の同様の措置がありました」(同科元講師は既に東大病院を退職)というものである。
つまり東大病院は「研究代表者とその部下には同様の処分が相当である」との判断に至った、ということが新たに判明した。
そもそも「文書における厳重注意」という下限に近い処分であるから、揃わざるを得なかったと考えることもできるが、「研究責任者」と表記されることもある研究代表者の教授と、大学の研究室において支配関係にある講師が、同様の処分というのはいかがなものだろうか。
「研究責任者」という肩書には「責任」を伴わせるべきである。
◆懲戒処分に要した期間について
先述のとおり東大病院は昨年6月24日には「最終報告」と題する記者会見を行っており、黒川教授への厳重注意が行われたのは今年2月5日である。
したがって調査結果が出てから処分までに要した期間は約「7か月」である。ちなみにノバ社は外部調査委員会の調査結果が出てから処分までに要した期間が「3日」である。
ノバ社の処分に合わせて黒川教授の処分を下したのは、明らかにタイミングを見計らっていたということなのであろうが、そのことにどれほどの意義があるのだろうか?
教授や講師は一般のサラリーマンに比べれば一応独立しているものの、大学から給与を受けているという点においては労働者としての地位がある、不安定な状況を長期間継続させてはいけない。
もっとも東大関係者ですら「2~3年かかるのではないか」と平気で言っていた中で、一応の結論を出したことは評価したい。
◆東大病院の「文書での厳重注意」をどう考えるか
では東大病院の出した、黒川教授に対する文書での厳重注意を、どう考えるべきなのだろうか。
大学は刑事責任や民事責任を追及する機関ではない。冒頭のSIGN研究の問題点で上げたように、東大病院は「黒川教授の不正な研究に、東大病院という医療現場や患者さんを利用された」という被害者としての立場もある。したがって本来、民事訴訟の一方当事者として、黒川教授に対して訴訟を提起することも可能だった。
このような立場にある東大病院が、いかにも中立公平な立場を装うことに疑問を感じないでもない。大学の自治という建前があるのも事実だが、それでは刑事事件になった場合、どのような対応をするつもりだったのか、興味のあるところだ。仮に刑事になったかどうかで処分が変わるのであれば、特段自主性はないことになる。
ただ、大学が下す処分の軽重としては、私はこれでも良かったのではないかと考える。
あくまで東大病院が「患者さんに虚偽の説明をした上で、がん情報を流出させ、製薬企業の利益となる研究のために投薬を行った、医師に対しては、文書での厳重注意が相当」という見解を持っている組織だということが判明しただけだからだ。
東大病院が結論を出した以上、これを重い軽いと考えるのは、患者さんや研究者や医師そして私たちである。
研究の世界は「信用」が第一の問題とされるべきである。問題のある研究を行った場合は、研究者としての信用を喪失する、これが正常な因果応報関係である。
この点「東大」というネームブランドに寄って来た相手の寄附金の額を見て、相手のやりたいことを勝手にやらせ印鑑だけつく、それを「研究」と呼ぶのはやはり憚られるべきだろう。
また医学系研究の世界には新たな問題も生じている。名のある学界の重鎮たちと製薬企業の深い関係だ。これは一連の不祥事を受けて、製薬企業が昨年度(2013年)からの寄附金情報を公開し始めたため、新たに判明してきたことだ。
こうした人たちの中には実際に製薬企業の社員を自身の研究に関与させていた人たちがいる。これは今回のSIGN研究で問題にされた構図と何ら変わるところがない。
法規制ではなく、情報公開の促進と、それを受けた上での医師・研究・学会の観察と評価を今後も継続していくこと、これが不正関与事件を抑止する最善の方策であろう。