臨時 vol 110 救急医の刑事免責に関する大村私案について
● 自民党で検討開始
報道(毎日新聞2008年7月30日東京朝刊)によれば、自民党は7月29日、救急救命に関係した医療事故について、事故を起こした医師らの刑事責任を免除する刑法改正の検討を始めた。自民党の「医療紛争処理のあり方検討会」で、座長の大村秀章衆院議員が、刑法の業務上過失致死傷罪の条文(211条)に「救急救命医療により人を死傷させたときは、情状により、刑を免除することができる」との特例を加える私案を示した。この検討会で配布された資料に記載された特例の趣旨を以下に示す。
救命救急医療においては、重篤な救急患者に対して、緊急に救命処置を行う必要があり、かつ、専門領域以外の重篤な救急患者に対処することも多いことから、事故と隣り合わせの状況と言える。
このような特殊性を有する救命救急医療において、他の分野と同様に刑事責任を問われる可能性があることが、救命救急医療に携わる医師の萎縮を招き、現在の救命救急医療の危機的状況の一因との指摘がある。
このため、救命救急医療に携わる医師が安心して医療を行うことができるよう、救命救急医療における刑事処分について、特例を設ける。
本稿は大村私案によって、「医師が安心して医療を行うことができるよう」になるのかどうか、法的観点から若干の検討を加えるものである。なお、本稿の作成にあたり、法律の専門家から協力を得たことを付言しておく。無論、文責は全て筆者が負うものである。
● 大村私案の法的意味
まず明らかにしなければならないのは、「情状により、刑を免除することができる」との文言の意味である。これは、刑の任意的(裁量的)免除を規定したものである。刑の免除の判決は有罪判決の一種である(刑事訴訟法333条、334条参照)。構成要件に該当し、違法かつ有責であって、犯罪は成立するが、刑は科さないというものである。有罪である以上、逮捕および勾留により身体を拘束されても刑事補償を請求できない。
任意的免除(例えば、刑法36条2項、37条1項但書、105条、113条但書、170条(171条)、173条、201条但書、211条2項但書)というのは、必要的免除(例えば、刑法80条、93条、244条1項(251条、255条)、257条1項)の対義語である。免除するかしないかの判断を裁判官に委ねるという意味である。
以上の意味を分かり易く例えるならば、本私案は、いわば「救急救命医療により人を死傷させた」場合に限り、業務上過失致死傷罪の法定刑の下限を、1万円の罰金(刑法211条1項、15条)から、0円の罰金に引き下げるようなものであるといえよう。
法定刑の下限を引き下げることは、刑事司法に対し、社会に対する介入について消極的になれと命じるのではなく、積極的になれと命じる結果になることもある。例えば、窃盗罪(刑法235条)の法定刑は、平成18年改正により、「10年以下の懲役」から、「10年以下の懲役又は50万円以下の罰金」に変更された。これは、量刑全体を下方へ修正するよう求めているのではなく、従来起訴猶予で処理してきたものを罰金刑で処理するという趣旨であると理解されている*。
業務上過失致死傷罪においても、例えば逆に、罰金をなくしたり、執行猶予を付けられなくした方が、よほど検察官は起訴をためらうであろう。
医療における刑事事件で医師が恐れるのは、刑罰というより、メディアの報道と警察・検察の捜査、さらに、長期にわたる裁判そのものである。しばしば科される罰金50万円はこれらに比べると脅威といえるようなものではない。懲役や禁固刑が宣告される場合も、多くは執行猶予が付いている。大村私案は決して警察・検察の捜査や、裁判を阻むものではない。
検察は、現状でも医療に対する業務上過失致死傷罪での起訴は抑制的に行っているとの立場をとっている。裁判所の判決において、科される量刑の分布が、1万円の罰金の付近に集中しているという現象もみられない。仮に集中しているとすれば、この改正は、いわば量刑を引き下げる効果を持ちうる。そもそも、犯罪は成立するが刑罰は科さないという処理は、刑法の本則からはずれるところである。極めて例外的な場合にしか採りようがない。
以上の点からすれば、本私案による刑法改正は、ほとんど意味を持ちえない。とても「医師の刑事免責」と題しうるようなものではない。医療の正当化根拠とその範囲を積極的に呈示するようなものではなく、司法に対する歯止めとなりうるようなものではない。現在、医療従事者は、医療の素人が死傷結果から遡って医療を裁くことに対して恐怖を抱いている。大村私案はこの恐怖を一分たりとも拭うものではない。むしろ逆の意味すら持ちかねないのである。
● なぜ救急医療だけなのか
「救急救命医療」との限定の合理性にも大いに疑問がある。そもそも「救急救命医療」との概念の外延が確定可能なものと思われない。これは憲法31条の求める刑罰法規の明確性に反するものである。いったい、放っておけばまず1時間以内に死ぬという状況、1日以内に死ぬという状況、1か月以内に死ぬという状況(このような状況の区別をなしうるかも疑問である)のどこで線を引くというのであろうか。1時間で線を引くとすれば、医師は患者が1時間以内に死ぬという状況に陥るまで治療すべきではないという行為規範を設定しかねない。割り箸事件のように、客観的には重大な疾患があったが、主観的にはそれを認識できなかった場合は「救急救命医療」にあたるのか。これを仮に「救急医療機関に救急来院した生命に関わる重大な疾患を有する患者に対する急性期医療において」というように定義するとすれば、救急診療科だけを他の診療科と区別することになるが、その理由を合理的に説明できると思われない。法の下の平等(憲法14条)の観点からの問題も生じうる。
● 大村私案の意義は刑法の見直し論議を開始したこと
以上で述べてきたように、本私案による刑法改正の意味は極めて乏しく、合理性も疑わしいものであるといわざるを得ない。しかし、機能不全に陥ろうとしている医療を救うためには刑法の見直しが必要であるとの議論が自民党で行われたということの意味は決して小さいものではない。もっとも、医療と刑法の関係は、より広く、誰が、どのように、正当な医療か否かを判断し、どのような制御ないし統制を行ってゆくべきかという問題全体の中で議論されるべきである。長期間にわたる本格的な議論が必要である。拙速な議論に惑わされ、本格的な議論が潰されるようなことがあってはならない。
* 原田國男「選択刑としての罰金刑の新設と量刑への影響」刑事法ジャーナル6号15頁以下参照。