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臨時 vol 92 「日本心血管インターベンション学会パネルディスカッション報告(上)」

医療ガバナンス学会 (2008年7月9日 12:29)


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~ 医療事故調、主役は厚労省ではない。医療界の覚悟こそが問われている ~
ロハス・メディカル発行人 川口恭


先週金曜日の4日に名古屋市で開かれた日本心血管インターベンション学会の「変革期を迎える医療安全への対応 – 崩壊が進む医療の中でいま何が出来るかを考える -」というパネルディスカッションにお招きいただいた。発表者は全部で7人。せっかくの機会なので少々物議を醸すであろう発表をさせていただいたのだが、他の先生方の発表がまた素晴らしく、何も報告しないで埋もれさせるのは勿体ないと思うようになった。そこで上下の二回に分けてご報告する。当日は全員、丁寧語で話していたのだが、記録の都合上、語尾の丁寧語は省く。当事者として突き放して見ることもできないので注釈も加えない。
まずは、いわゆる医療事故調の問題について話した前半3人分。それぞれ、あまり今までに聞いたことのないような話だと思う。先頭バッターが私である。
「4年ほど前まで朝日新聞の記者をしていた。独立して現在は、『ロハス・メディカル』を毎月発行している。webメディアと勘違いしている方が時折いるが、webやブログは、あくまでも雑誌の宣伝のために片手間にやっていることで、紙が本業。紙が本業である証拠に、検討会を全回傍聴してブログやメルマガで報告しても、その間ずっと前田座長からは『インターネットに書かれちゃう』としか言ってもらえなかった。でも、雑誌本体に医療事故調のことを載せた時には、検討会の最終回で『ロハス何とかに、とんでもないことが書いてある云々』と言及してもらえた。
さて、本論。いわゆる医療事故調をつくるという話で、厚生労働省はしくじった。
1年間に13回の密度で検討会を開き、何回も試案を出し直して、それでも法成立のメドが立っていない。民主党からも対案が出てくることが決まっていて、参院で与党は少数派なので、秋の臨時国会でも厚労省案が国会を通らないことは確定している。
なぜ、こんなことになっちゃったかと言えば、一義的には厚労省が、司法という自分たちの権限が及ばない領域のことであるにも関わらず、必要な手順を尽くさず乱暴極まりない進行をしたから。
が、1年間追いかけているうちに、厚労省だけが悪いんじゃないな、ここで厚労省の悪口を言っているだけだと、きっとまた同じような問題が起きるな、と思うようになった。
今日はそのことについて、皆さんの耳に痛いことも申し上げたい。
そもそも、事故調をつくるという話は、最初に厚労省から出てきたわけではないと思う。
都立広尾病院事件で、医師法21条がそんなことになるなんて、と驚いた医療界が診療関連死の届出先を警察以外のところにしようということで厚労省を巻き込んでモデル事業を始めたんだけれど、その年度中に福島県立大野病院事件が発生してしまって、とにかく警察・検察の医療への介入を止めなきゃいけない、と。
いうことで、厚生労働省に「何とかしてくれ」と言ったんだと思われる。当時の医療界の常識からすれば、当然の発想・行動かもしれない。でも、これは私のような外部の人間から見ると非常に横着に見える。で、その横着さが、結局、厚労省の乱暴な進行も呼んだのでないか、と。いわば、今回の大混乱に関しては、医学会のリーダーたちと厚労省とが共犯なのでないかと思う。これだけ大混乱をきたしたにも関わらず、もし未だにその横着さに気づいていないとしたら、ちょっとお粗末すぎるのでないか。
何が横着なのか簡単に説明する。医療用語に例えた場合に、今回医療界のリーダーたちがしたことは、診立ても悪いし、治療態度も悪いと表現できる。何といっても、第1回の検討会で樋口委員から、『組織の目的は一体何なのか』という非常に本質的な問いかけがされていた。ところが最後まで、そこは曖昧なまま突っ走った。そこを明確にするとまとまるものもまとまらないからということだったのだろうが、結果として同床異夢になって、かえって医療側と患者側の溝が大きくなった。
治療態度の話はより深刻。大野病院事件がとんでもないと思うのなら、なぜ警察・検察と闘わなかったのか、広尾病院事件から、なぜ21条を何とかするという教訓が出てきてしまうのか。都病院局の隠ぺい体質を糾弾して医療者を守るべきだったのでないか。そもそも患者さんとちゃんと向き合ってきたのか。
面と向かって交渉するのが怖いから、面倒だから、ルールの方を変えたいって、そんな身勝手なことが通るわけがない。しかも、それを自分たちでやらずに厚労省にやらせようとした。それは横着すぎるだろう。
どうして、こんなにムシのよいことを要求して、それが通ると思ってしまうのか不思議だ。でもここ何年か医療者たちとお付き合いをしていく中で、ははぁこれだなと思うようになったことがあって、それは良い表現をすれば唯我独尊であり、悪い表現をすると社会に対して無関心すぎるということ。
象徴的な場面が、4月12日の医療議連のシンポジウムであった。お医者さんが多数集まって大変盛り上がったけれど、あの場にいたメディア関係者や一般患者は、非常に違和感を感じていた。中でも最たるものが、山形大の嘉山先生の言葉。今や改革の旗手として八面六臂の大活躍をされている、その嘉山先生が過去を振り返って「医療がこんなになるまで医者は何をしていたと言われるかもしれないが、医者は医療をやっていたんだ」と胸を張った。おそらく医療者たちの本音を代弁しているんだと思う。
しかし、「医者は医療だけしていればいい」と、誰が決めたのか? たしかに早く一人前になるため脇目もふらずという時期は必要だろうし、業界全体でも余計なことを考えずに済むに越したことはないと思う。そうは思うが、少なくとも社会はそんなことを要求してないはず。想像するに、おそらくインターン闘争とその後の処理で政治的な行動を慎むような力学が働いて、しばらくは事情をすべて分かったうえでの意図的な沈黙・無関心表明だったのが、そのうち本当の無関心に変わっちゃったのでないか。
あえて言うけれど、医療は社会のサブシステムであって、医療者だからといって、社会の構成員としての責務を免れるものではない。
社会から、医療だけしていればよいと要求されない限り、自分たちで勝手にこれだけしていればよいと決めつけるのは図々しい。少なくともサブシステムの当事者として、医療サブシステムが社会と調和して持続するよう行動する責務がある。その際に他のサブシステムと利害衝突が起こったならば、ちゃんと折衝しないといけない。そういう面倒なことを引き受けるためにこそ、リーダーというものは存在するはず。それなのに今回リーダーたちは一体何をしたのか、ということ。当然、学会だけでなく、日本医師会の責任も問われると思う。
もちろん全部を自分たちでやらなきゃいかんということではない。病気だったらお医者さんに頼るのと同じことでエージェントを使えばよい。
でも、問題は医療界には、厚生労働省の官僚しかエージェントと呼べる存在がいないこと。そもそも官僚は公益のため奉仕する存在なので、一業界のエージェントとして使ったら本来はいけない。しかも普段厚労省に大して協力もしてないクセに、都合のよい時だけ使おうとしても、思い通りに動いてくれるはずがない。そういう横着をするから、厚労官僚の側でもエージェントの領分を越えて自らの利益を図るようになり、いろいろ訳の分からないことになる。
今回の問題は、医療というサブシステムと司法というサブシステムとの間で衝突が起きているわけで、医療業界内だけでゴチャゴチャやっていても絶対に解決しない。医療以外のサブシステムは、みな必要な努力を積み上げて、その他のサブシステムと不断に折衝している。自分たちの要求を通したいと思ったら、他のサブシステムが努力しているのと同様に、ちゃんと実態をよく見極めて、必要な手間暇費用をかける必要がある。そのことに早く気づいていただきたい。それを嫌がる限り、横着と呼ばざるを得ない」
二番手は東京女子医大事件の被告人・佐藤一樹医師。
「(刑事事件の概要を説明)手術の前の外科医の診察姿勢に非常に問題があったと思う。事前に患者の診察を行わなかった。倫理的な問題ではなく、手術そのものに大きな影響を与えた。また術者は明らかにレベル不足だった。
死亡原因は、必ずしも裁判の重要な争点になるわけではない。重大な医学的な事実として(1)上半身だけに著明なうっ血が発生していた(2)静脈貯血槽が陽圧化して逆流したらしいと報道されているが、それでは上半身だけに強いうっ血の発生した理由が説明できない(3)術野での細かな術式については細かな問題があった。低侵襲心臓外科手術だったが、部分胸骨切開による視野は大変狭く、いろいろな方向に心筋を引っ張らないと手術ができない。この術式では上大静脈の脱血管は右心室(?)から入れるのが標準だが、本件では必要もないのに上大静脈に直接カニューレを挿入していた。このことが悲劇を呼ぶ一因となった。一審の判決文では、とりわけ上大静脈の脱血が悪かったとなっているが、この事実認定の詳細は何も書かれていない。
女子医大の内部報告書では、吸引ポンプの回転数の上昇が陽圧化の原因になったとなっているが、逆流が脱血管に発生したとしても、毎分100回の高回転というのは理論的にも臨床的にも何ら問題にならない。過度な吸引にはならない。フィルターの閉塞だけが唯一の原因。そうなるとフィルターの閉塞の予見性だけが刑事訴訟の争点になる。実は使用されたフィルターはレギュレーターのための純正フィルターではなかった。純正フィルターの使用説明書を弁護側は証拠申請したが、検察側が不同意にした。純正フィルターが適切に使用されていれば閉塞はなかった。本件で使用されたフィルターは別の目的のものだった。事故当時すでに退職していた技師長が、機械を守るために設置したものだった。では、その元技師長が悪いのかという話になるのだが、しかし一審判決では検察の全証人を含め、誰も予見できなかったということになっている。フィルターはそもそも必要のないもので、判決文では女子医大の人工心肺には瑕疵があるということになっている。しかし事故当時は学会でもフィルターについて問題意識を持っていた人はほとんどいなかった。静脈貯血槽の陽圧化はフィルターの閉塞が原因であるということは、事故直後に、現場の心臓外科医と臨床工学士との間では共通認識になっていた。技師がフィルターを使い捨てにせず繰り返し使用していたということがあって、担当講師から激しく叱責と責任追及を受けていた。
担当講師のカルテ改ざんという極めて遺憾な行為があったことによって刑事事件に向かっていった。証拠保全が行われ、遺族は心研の所長に死亡原因に関する調査を要求した。タイミングの悪いことに、心臓外科の主任教授が空席だった。遺族が内部報告を急ぐよう激しく要求を繰り返したことは各種の調書から分かっている。
現場の医師と組織との間には利益相反が存在する。私に言わせれば、女子医大の院内報告書は意図的・組織的に作り上げられた歪んだ内部告発である。非専門家によって作成され、心臓外科医はすべて無視された。そもそも院内調査の目的は、家族への死亡原因報告。現場の医師から形ばかりの意見聴取を行ったものの、その意見を全く無視し、現場医師を切り捨てた。この内部報告書は当事者である現場の医師には誰にも見せずに遺族だけに手渡された。絶対に許し難い行為だ。今後、医療界にどのような院内調査報告書が登場して来るか分からないが、報告書の発行の前に現場の医師の意見を聴かずに作成されたものは破棄されるべきと思う。
業務上過失は法人ではなく必ず個人が対象になる。端的にいうと、病院管理者と警察の利害は一致する。病院の特定機能病院指定が剥奪される代わりに、現場の医師を業務上過失致死に問わせるという手段で解決しようとした。瑕疵のある人工心肺というシステムエラーを、1個人の操作ミスというヒューマンエラーに置き換えようとした。本件だけでなく、院内調査報告書は捜査機関に対する内部告発と鑑定書の役割を果たす。検察官が起訴状に書き込むことは報告書に依拠する。本件の検察官は裁判途中で院内報告書の誤りに気づき訴因変更を行った。その結果として無罪判決が言い渡された。
私からの提言。医療事故の院内調査は病院組織による責任所在の決め付けの側面がある。客観性・中立性は担保されない。捜査機関に対する内部告発・鑑定書になる。外部専門家が存在しない院内調査は死因究明・責任追及過程が意図的に行われる可能性がある。先日発表された医療安全調査委員会設置法案大綱に関して、私は全面的に支持する立場にはないが、『医療事故調査を終える前に、原因に関係ありと認められる者に対し、意見を述べる機会を与えるべきである』との記載内容に関しては、今後絶対に重視させるべきであろうと考える」
三番手に登場したのは独協医大の寺野彰学長。弁護士資格も持っているらしい。
「今日与えられたテーマは医療事故の刑事事件化をいかに防ぐか。非常に大きなテーマで20分間に全部説明することはできないので、主に死因究明制度、事故調のことについて述べたい。
医療過誤の法的責任は言うまでもなく、民事、行政、刑事の3つで問われる。刑法で問題になるのは、211条の業務上過失致死傷罪。こんな法律やめてしまえという極端な意見もあるが、しかしこの法律を潰すわけにはいかない。もの凄く範囲の広い条文で、刑法の中でも重要な位置を占めているので潰すことはできない。ただ、これを変えられないかという考え方はある。実は、211条には2項がある。交通事故に対して特殊に扱っている。だから3項で医療を扱っても構わない。可能は可能なんだが、そうすると個別にどこまで作ればよいのかという話にもなって、医療は交通事故ほど普遍的なものではないと考えられており、まだそこまで至っていない。この問題について真剣な議論を続けていくと、3項をつくろうという動きが出る可能性はある。
民事事件は損害賠償請求になり、実際には行政責任が大きなもので我々にとって一番怖い。というのは刑事事件も大体が罰金で略式裁判が多いのだけれど、そうすると行政処分で医師免許を取り上げられるというのが一番怖い。だから本当に大事なのは行政処分なのだけれど、しかし我々の感覚からすると刑事責任というのは重大で、非常に心理的に参ってしまう。罰金で終わっても、執行猶予がついても、取り調べの過程で心理的に参ってしまう。無罪であっても実質的な刑罰になってしまう。刑法には、本来の姿・運用として、できるだけ謙抑的にするという大原則がある。医療に限らず、すべての分野でそうなんだけれど、しかし今は刑事がグっと大きくなっていて、それによって医療の萎縮が起きている。これを何とか断ち切らない限り、医療崩壊は現実味を帯びる。これを元のように刑事を小さく、行政を大きく直したい、ということ。
そういうことを今度の医療安全調査委員会が実現可能なのか、これが一番の問題なんだと思う。
起訴から公判までの所は今は申し上げない。異状死の届け出が捜査の端緒になることは間違いない。で業務上過失を認めてしまえば略式命令で罰金になるが、罪状を争うならば裁判になる。医師法21条は皆さんもよくご存じだと思うが、これ自身は元々は医療事故のためにあったわけではなくて、路上で見つかるような原因不明の死体に対しての届け出なので、このこと自体は必要。医師法21条をなくせ、廃止しろという主張もあるけれど、この法律そのものは一般的には必要な条文ということになる。これに医療事故が含まれるかどうかというのを、どう工夫するかになる。実際は法医学会がガイドラインを出しており、未だに頑固に言ってるけれど、これのお陰でだいぶ医療事故が異状死に入ってしまった。それを何とか変えようではないかという大きな流れの中で、途中経過はすっ飛ばすけれど、昨年の10月17日に厚労省第二次試案というものが出された。
実は私もその内容を公表された時点では、よく知らなかった。消化器外科学会の時に小松秀樹先生が特別講演で試案をかざしながら興奮して話された。そこで初めてこれは大変だというんで、〆切まで1週間しかなかったけれど、かなり厳しいパブコメを大急ぎで書いた。他にも色々な意見が出ていたけれど、私のパブコメが反対を盛り上げる起爆剤になったことは確かで、厚労省からは『そーっと作りたかったのになんてことをしてくれたんだ』と恨まれることになったけれど、やむを得ないと思う。
その後、数カ月間、いろんな議論をしているうちに今度は第三次試案が出てきた。これは、だいぶ第二次試案に寄せられたパブコメなどを反映して内容がずいぶん変わっている。最大限の努力をしたということは評価せざるを得ない。一点、非常に大きいのは遺族からの調査要請の部分。遺族の告訴権は侵すことができないので、実際問題としては捜査機関との関係で言うと、ここが大きい。問題点は個人的な責任追及をすべきかすべきでないか、ということについては、その目的はないとハッキリ書いてあるし、届け出対象の範囲も重要な点、それからこの委員会の設置場所を厚労省にするのかどうなのか、医師法21条の改廃の問題、一番大きいのは捜査機関との関係どうなるのか。
そうこうするうちに6月に法案大綱が出てきた。もともと法案にするような段階じゃないんだ、もっともっと議論しなくちゃいけないんだということを私も主張してきたのだが、自民党がつくってしまった。しかし続いて民主党の法案も出てくる、と。
委員会の設置場所は、個人的には厚労省しかないんじゃないかと思っている。そのうえでいかに厚労省の処分権と切り離すかだろう。届け出範囲はフローチャートで示されているけれど、これを実際に当てはめて分かるかというと極めて難しい。このことだけでも大変な議論が必要。実は法律論の中でも『過失』については、刑法の中の重要なテーマで昔からある。因果関係についても重要なテーマ。時代と共に変わってきている。そういうものを病院長に判断しろと言っている。病院長がもし判断を間違えたら罰則という内容になっていることは非常に大きな問題で、法案の文章ではそのように表現されている。パブリックコメントにも書いたけれど、こういうことでは病院長になる人がいなくなる。さらに、医療側でこういう判断をすることになると、透明性の問題が出るし、隠ぺいの温床として被害者遺族は当然信用しないであろう。
捜査機関との関係では調査報告書を出すわけだが、できるだけ行政処分に用いるのであって捜査機関には通知しないと言いながら、とはいえ結局通知せざるを得ない。患者さんからの告訴・告発は警察へ行くので、良くなったとは言いながら相当大きな問題であることは事実。捜査機関に通知するのは悪質な事例に限定するということなんだが、では悪質な事例とは何だということになる。故意は仕方ない、それからいわゆるリピーターっていうかな、これも仕方ない。問題は『重大な過失があった場合』どうか。普通の過失はいいけれど、重大な過失はダメという時に判断が非常に難しい。業務上過失致死傷罪に重過失というのがあるけれど、あまり議論する価値がないのでないかと思うのは、医療の場合、業務上に決まっているからあまり意味がない。あえて『重大な過失』と言う必要はないのかもしれない。今度の法案では、重過失は色々批判されたので表現をやめた、やめたけれど実質は何も変わっていない。21条に関しては、ただし書きで医療事故を外そうと工夫している。さっきも述べたように21条自身を削除するのはできないだろうと個人的には思っているので、この方法はいいのかもしれない。
で、第三次試案について学会の大多数は賛成している。私は第三次試案は医療側に偏りすぎた内容でないかと思う。そして、国会情勢から見て、厚労省案がそのまま通るとは思えない。できあがった法律は全く別のものになっている可能性がある。民主党案と厚労省案は全然違うので、厚労省案がそのまま通ることはないだろう。民主党案も理想論と言えば理想論だけれど、果たして可能性があるのかと言うと非常に大きな疑問を抱かざるを得ない。医師法21条を削除するなんてのはムチャクチャな議論だと思う。
さてまとめる。実際にこれが実施可能かというと、まずはマンパワーが足りない。今の医師不足、看護師不足の中で、これだけの医師を調査員として出すことはムリ。予算も年間2000例やると言っているが、一つの県で毎年40例を処理するだけのものが出せるか、これはとてもじゃないが相当の予算が必要である。100億円あればできるだろうと言っているけれど、本当にそれが毎年つくのかも分からない。今までに色々問題があったんだけれど、現段階で医療側の主体的協力が果たしてできているのか。もしこれが実施された場合、医療側でそれだけの人材を出して積極的な体制を組まない限り回らない。回らなかったら当然のことながら患者サイド、国民サイド、そして捜査機関サイドから『やはり医者はダメなんだ』という結論が出されてリバウンドが起こるであろう。反対の方向に大きく揺り戻しが来て、今よりさらに悪くなる可能性がある。この辺、医療側にボールが投げかけられているんだと思う。投げられてしまった以上、こちらも積極的にやっていかざるを得ない。ハメられたと言えばハメられたのかもしれないが、やらなかったら社会からの批判が相当強くなるのは覚悟しないといけない。
この医療安全調査委員会だけで刑事事件化を完全に防ぐことはできない。しかし、一つの進歩と取るかどうか。問題は、この医療安全調査委員会を医療側でリードできるか運営できるかいうことだが、日本医師会や学会などの態度は非常に曖昧で積極的な姿勢は見られない。我々は医療者として、このシステムができた時に積極的に医療側のイニシアチブで持って行けるのか、それだけの人材を派遣する自信はあるのか、それだけの覚悟はあるのか、ということが今問われているのだと思う」
(池上直己・慶應大教授、小松秀樹・虎の門病院泌尿器科部長などが登場する「下」につづく。)
(この傍聴記はロハス・メディカルブログ<a href=”http://lohasmedical.jp”>http://lohasmedical.jp</a> にも掲載されています)

 
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