臨時 vol 56 野村麻実 「調査委員会ができれば訴訟は減る」に騙されるな
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□■ モデル事業で遺族の多くが納得していない ■□
国立病院機構 名古屋医療センター
産婦人科 野村麻実
医師会は厚労省に騙されている──。4月28日、このようなタイトルの文章を、「MRICメールマガジン」や「日経メディカルオンライン」などの媒体に掲載していただきました。この記事で私は、「調査委員会の結論が出るまで警察の捜査がストップするというのは単なる医師側の誤解だ」と指摘いたしました。なぜなら警察庁は、「遺族の告訴などがあれば、動かざるを得ない」と国会の場で証言しているからです。
そこで、次に気になるのは、警察が調査委員会の結論が出る前に動く可能性がどの程度あるのか、という点です。厚労省には、そのようなケースは実際にはほとんど起こらないという楽観的な考えがあるかもしれません。しかし、現在行われているモデル事業からは、そういった事態がむしろ頻発する可能性があるという事実が浮かび上がっています。今回の記事では、そのことをご説明したいと思います。
まずはおさらいです。4月4日に行われた厚生労働委員会での岡本充功議員の質疑
(http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/009716920080404004.htm?OpenDocument)において、「これ(調査委員会の調査)が迅速に進まない場合には、遺族の早く解決をしてくれという願いもあれば、当然警察は捜査に乗り出さざるを得ないという理解でよろしいのか」という岡本議員の質問に、米田刑事局長は「おっしゃるとおりでございます」と答えています。調査委員会の結論が出るまで警察の捜査がストップするというのは単なる医師側の誤解だったわけで、第三次試案は、私たち現場医師が医師会から説明されていた仕組みとは大幅に違っていました。
そうすると、「ならば迅速に医療安全調査委員会が動けばいいではないか」「医療者側がきちんとやりなさい」という声も出てくるでしょう。ところが、実際はそうはいかないことが、皆さんもご存知の「診療行為に関連した死亡の調査分析モデル事業」で判明しています。この事業は、現在厚労省で検討されている調査委員会の試験運用とも言うべき事業で、平成17年9月1日より開始されており、この2年半ほどの間に計66事例(5月1日時点)を扱っています。
モデル事業には色々な問題があるのですが、ひとつの問題は終了するまでに時間がかかり過ぎていることが挙げられます。調査結果を遺族に説明するまでに要した期間は、モデル事業中央事務局の最新(5月1日時点)の情報で平均10.1カ月(48例)となっています。モデル事業に関わったある医師に聞きますと、関与した案件2件のうち、1件は家族に結果報告するまで1年6カ月を要し、遺族から「どうしてこんなに時間がかかったのか」とクレームを受け、もう1件も調査開始から1年を超えていますがまだ報告できていないということです。さらに、愛知の例では、モデル事業の途中にご遺族が結局刑事告訴をして打ち切りとなってしまった例がありました。
この点に関して、厚労省の検討会(診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会)の資料にもありますが、「モデル事業から評価結果の報告を受けるまでの期間が長く、その間、遺族に対して十分な死因の説明ができなかったため、遺族との関係が悪化したとの報告もあった」(http://www-bm.mhlw.go.jp/shingi/2007/06/dl/s0627-6a.pdf)と指摘されています。また、先日の朝日新聞の記事(http://www.asahi.com/national/update/0426/OSK200804260078.html)で、「司法解剖の結果が開示されるまでに時間がかかりることが訴訟の一因になっている」という日本法医学会での発表が報じられています。上記で紹介した岡本議員の指摘は、杞憂にとどまらないのではないでしょうか。
重要な問題は他にもあります。調査結果が判明しても、遺族が納得してくれない可能性が非常に高いことです。大阪府モデル事業の調整看護師の話では、彼女が担当したモデル事業での案件8例の内、調査報告終了後に遺族の納得が得られたのはたった2件しかなかったそうです。大阪府モデル事業の地域代表者である阪大法医学教授・的場梁次氏が「2年間で14例調査が終わったが、遺族の納得を得られたのは半数行かない」と以前に言われたそうですが、その具体的数字のあまりの低さに驚きました。モデル事業でこれだけ遺族の納得が得られないのですから、第三次試案の調査委員会を制度化したところで、民事・刑事訴訟の抑制につながるとは到底思えません。
日本医師会の木下理事は、医療安全委員会をアピールするために涙ぐましいほどの努力を行っておられます。「刑事訴追からの不安を取り除くための取り組み」と題して、その1を日医ニュース第 1110号 (2007年12月5日発行)に掲載したのを皮切りに、その2、その3、その4と幾度となくPRして来られました。前回の記事(http://mric.tanaka.md/2008/04/28/_vol_52_1.html#more)でも述べましたが、その内容が客観的に見て虚偽に満ち医師を欺くものになり、挙句の果てに警察庁、法務省から「文書を交わしたことはございません」と答弁されてしまうのでは、あまりにも浮かばれません。
5月1日日本産科婦人科学会は「医療の安全の確保に向けた医療事故による死亡の原因究明・再発防止等の在り方に関する試案 ―第三次試案」に対する意見と要望(http://www.jsog.or.jp/news/pdf/daisanjishian_20080501.pdf)の中で「この制度は捜査機関が調査委員会の判断を優先させることを確実に保証し、加えて、遺族から警察に告訴が行われた場合や調査報告が遅れた場合に、警察が独自に捜査を始め、誤った判断で過失を認定し刑事訴追を行うことも防止できなければならない」旨主張しており、また木下先生の4回にも及ぶ呼びかけの題名「刑事訴追からの不安を取り除くための取り組み」からも現場医療者にとって、委員会設立に譲れない最重要事項であることは間違いありません。
厚労省は医師と医師会に対し、この制度のリスクとベネフィットを客観的に説明し、その上で再度議論を進めていくべきであると申し上げます。