野中 「田上先生に伺いたい。日米で検診率に差があるということだったけれど、これは医師の問題なのか、それとも国民意識の問題なのか。坂本先生に伺いたいのは、看護師の療養上の世話というのは大事なんだと思うし、そこを本当は期待されているが、その部分はどうやって育むのか。また、看護師は責任を取りたいのか、取りたくないのか。看護協会の久常会長とお話をした時には『指示待ち看護師を減らしたい』とのことだった。平均在院日数を短縮したら入院患者が倍増したとのことだったが、スタッフの数が変わらないのなら病床を減らす、病床を減
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~ 幹部官僚たちの前で舛添爆弾炸裂 ~
ロハス・メディカル発行人 川口恭
この日の趣旨は、「医師でない医療者からのヒアリング」だそうだ。陳述したのは歯科医師を代表して田上順次・東京医科歯科大歯学部長、看護師を代表して坂本すが・東京医療保健大教授、助産師を代表して堀内成子・聖路加看護大教授。いつもと違って事務局以外にも厚生労働省関係各局の恐らく課長クラスと思われる面々がズラっと並んで聞いていた。年度末で忙しいはずだから、聞くようにお達しが出たのだろう。たしかに聞いておかないと、後でビックリすることになる。
私は私で淡々と報告をしよう。陳述後の討論が非常に白熱して面白かったのだが、順序通りに報告しないと訳分からなくなるし、もちろん陳述も面白かったので、前篇として陳述部分をご紹介し、討論部は後篇に回す。
田上
「歯科医療の目標とは『食べる』『話す』という人間の根源的な機能を司どる器官である歯と口腔を生涯健康に保つことである。しかしながら、8020キャンペーンというものがあるけれど現実は8010である。20本の歯があれば比較的な健康な生活が送れるのだが、そうなっていない。では、なぜ歯が失われるのかというと、虫歯と歯周病の二大疾患がほとんどである。言葉を換えると、虫歯と歯周病とを予防すれば歯はなくならない。とはいうものの、これらは国民病とも言うべきものであり、多くの方が罹患している。病源菌はハッキリしており、しかも感染したから即発病ということではなく生活習慣との連関で発症に至る。その意味で予防法は確立されており、しかも簡単である。では、なぜできないのか、ということを考えてみたい。
端的に言うと、歯に対する関心が低いからである。年齢階級別の歯科受療率を示す。一番のピークは5-9歳のところにある。これは虫歯ができて親に行かされるものだ。しかし、その後ガクンと下がって、第二のピークは65?69の所に現れる。それまでの間、症状なく徐々に進んでいたものが、もうダメになって仕方なく来るという人たちだ。そして、その後、健康寿命を超えた人々の受療率は落ちていく。
次に歯科受診率の日米比較を示す。どの年代においても差が大きく若年層ではダブルスコア。米国では、定期的なケアとして通う人が多いのに対して、日本では悪くならないと受診しない。
ここから年代別の問題と対策を示す。幼児期は歯が生えてきて歯の表面にしか棲息できない病源菌に感染する時期で、両親に対して教育すること、食育が必要だ。学童期は永久歯が生えてくる。生えたばかりの永久歯は未熟で酸に弱い。しかもまだ生活習慣が確立していないのでリスクが高い。学校と家庭とで予防対策をすることとかかりつけ歯科医を持つことが大切だ。青年期は、だいたい健康なので歯に対する関心は病気よりも歯並びや歯の色、口臭のような美容やファッションなど社会生活に関連したものが中心になる。また自由度が高くなって生活習慣に問題が生じやすい時期でもある。体液性感染の防衛策を教育しなければならないのと社会生活面からの口腔衛生指導が必要だ。この時期はメディアからの影響を特にうけやすいので、そうしたメディア・企業・業界からの働きかけも有効であろう。虫歯の治療法はずいぶん進歩しており、昔なら削って金属を詰めていたものも、そうすると詰物をした周囲がまた悪くなって難度も削らないといけないし、悪くないところを削ると痛い、だから麻酔も必要ということだったが、最近は悪い部分だけを取り除いて接着剤で埋めてしまうような無痛治療も可能になっている。こうした歯科材料に関して日本は世界の最先端を行っている。ただし残念ながら、医療制度の問題から、こうした先端治療は諸外国の方が普及が進んでいる。
壮年期は、家族の健康を考える年代であるが、この時期は歯周病が無症状に進行していることが多い。定期的な検診とクリーニングが必要だ。中年期になると、生活習慣のリスクが上昇し、積極的な歯科的アプローチも必要だ。かかりつけ歯科医院でプロフェッショナルケアが必要になる。最近ではエビデンスも増えてきている、歯周病と全身疾患との関わりを知らせるのが有効であろう。さて『お口の健康について』満足していますかと調査してみたところ、満足している人は半分に満たない。では何が不満かと聴いてみると、上位3つは『歯の色』『口臭』『歯並び』という生活関連の項目で4番目に歯茎の状態、5番目に歯の痛みと病気が入ってくる。歯科医療も生活を重視したアプローチが必要なんだろう。
歯周病の人がどの程度いるのか、4ミリ以上の歯周ポケットを持つ人の割合で示す。無症状に進行し気づいた時は手遅れになっている。それから生活習慣病として最近注目されてきているのが、酸蝕症というもの。酸性の食品、飲物が世の中に蔓延しており、それによって歯が溶けてしまうものだ。歯のエナメル質はpH5.4程度から溶け始める。お茶類を除くと、炭酸飲料は言うに及ばず、100%の果汁ジュースやスポーツ飲料、ドリンク剤もすべて5.4より酸性だ。アルコール飲料も同じでビールを除くと、皆pH5.4より酸性だ。長時間少しずつ飲むと、歯がどんどん溶けていく」
ヒエー!と、思わず頬っぺたに手が行きそうになる。個人的には、この日一番衝撃的な話だったかもしれない。
「年代別の問題と対策に戻って、最大の問題の高年期。人生の完成期で人生を楽しみ収穫を得る時期なのだが、口腔環境が決定的に悪くなって、発語や咀嚼に問題の発生する時期でもある。唾液分泌が低下すると細菌感染の危険も増大する。対策としてはかかりつけ歯科医院でプロフェッショナルケアを受けること、健康寿命を超えると通院できない人も増えてくるので、そういう人に対しては訪問診療・在宅ケアも大切になってくる。手の運動機能が失われて、歯が磨けないとかいろいろなことが起きる。
特に後期高齢者の歯科医療について考察する。健康状態の悪化により歯科に通院できない人が増えてくる。また入院者が増加するけれども病院には歯科がないので、歯科医療サービスが途絶える。歯科は不採算部門なので、病院の経営が苦しくなると真っ先に閉鎖される。これには診療報酬の医科歯科格差が影響している。しかしながら、実は合併症予防の観点からも食事は極力経口摂取が望ましく、ところが口腔環境が悪化すると経口摂取できなくなったり、誤嚥性肺炎の危険も出てくる。長崎大が摂食嚥下チームというのを作って、口腔ケアの介入を始めたところ、介入前には52%だった経口摂取の割合が81%まで上昇した。病院に歯科関係者を投入することによって、病院全体の活性化につなげることができるのでないか、と提言したい。入院中の肺炎を中心とする合併症の予防に歯科医師を使うと、潤沢な歯科医を利用することで医師の過剰な業務を減らし、本来業務に専念させることができる。また歯科衛生士を病院で使ってもいい。在宅医療につながるし、歯学部を卒業したけれど国家試験に合格できないという人たちを衛生士として活用することもできる。
現在の日本の歯科医療の問題点を挙げる。まず一番苦労しているのが健康保険制度。安く治療を受けられるのは良いことかもしれないが、低すぎる評価が診療時間や治療の質低下に影響している。それから予防が保険適用外ということ。その裏返しで自費診療は高すぎる。数%の自費診療の患者さんから、保険分の治療費も払ってもらっていると言っても過言ではない。次に問題となるのが需給。対人口比では明らかに歯科医師は過剰だ。だが、患者にとって良い歯科医は不足している。質も併せて引き上げることを考えないといけない。それから定員削減と国家試験の合格基準引き上げを今後も強化・徹底することが必要だ。ただし歯科医の生活が安定しないと資質の高い人材の獲得は困難である。それから超高齢社会への対策の遅れもある。病院内・施設内は歯科が不採算診療であるために無歯科医地区だ。しかし口腔内の汚染が原因による肺炎は多発している。
ここで一つ試算してみたい。予防とケアを全国民に義務化したとすると、現在の歯科医療費が年間2兆5千億円で、歯科医院は全国に6万6千施設ある。1施設あたり1800人登録になって1日あたりでも7.5人。1人分の費用を年間5千円とすれば全部で6千億円、1万円とすれば1兆2千億円、残りの1兆9千億円もしくは1兆3千億円でその他の治療をするとしたらどうか。
限られた財源を有効に使うとするならば、予防と高齢者の管理はすべて保険で義務化し、歯科衛生士が独立して予防処置を担当し単独で病院に赴く、年代別のそれぞれの課題に即した保険プログラムを実施し、虫歯・歯周病・外傷など治療が必要なものには適正な評価をし、インプラントや再生、審美歯科は保険外に置いて民間保険を活用し、混合診療解禁を促進して医療費抑制と革新的材料や技術の開発推進を両立させたはどうか。日本は世界でも強い部分なのに、規制が強すぎてその強みが鈍化してしまっている」
坂本
「看護師の仕事のあるべき方向性と題して、お話をしたい。視点は4つ。まず、私はNTT関東病院にいたので、急性期病院の変化を感じてきた。次に医療制度改革の途中なんだろうが、医師も看護師も疲労困憊しているということ。それから看護師の仕事は何かということ。最後に看護師をいかに活用していくかということだ。
まずNTT関東病院で看護部長として10年間働いたが、その間、病院は激変した。平成9年に平均在院日数の短縮と紹介率に基づく評価というのが導入されてから病院の中が大きく変わってきた。それ以来、列挙すると平成12年に外来機能の分化促進があり、平成15年にアイケアユニット加算が導入され、平成18年にはDPC適用の拡大、地域連携パス評価に加えて大変大きな変化を起こした7対1看護導入もあった。その間の在院日数の短縮を追ってみる。NTT関東のデータだが、平成11年に19.2日だったのが、平成19年には10.6日になった。実に8.6日も短縮された。これを個別に見ていくと、患者の3分の1は3日以内、2分の1は6日以内、7割が9日以内に退院するということで、非常に入れ替えが激しいのと、それに加えて若干の長い患者をケアすることになる。トータルで見ると、入院患者数がほぼ倍増したことになり、つまりNTTは600床だが、以前と同じなら1100床の病院を動かしているのと同じことだ。患者の入れ替えが激しいので、看護師がそれに追われ、向き合って話すことより入れ替えにシフトしてしまい、『看護師の仕事は一体何なのか』という疑問の声も上がってきていた。どういうことか、簡単に言うと、いつでも何となく忙しいという感じで医師も看護師も気ぜわしくなった。ほぼ倍働いているような感じだから当たり前ではある。
一般的な医療現場は、課題が山積し絡み合って何から手をつけたらいいか分からない状況にある。そんな中で、まず私が指摘したいのは患者のタイプの混在だ。重症度の違うタイプの患者が、すべての病院に来る。たとえば、救命救急を要する患者から、外来へ紹介状を持って歩いてくる患者、外来へ紹介状を持たずに飛び込んでくる患者、何らかの医学的処置は必要だが急性期病院対応が必要ない患者だ。これには機能分化が必要でないかということを感じてきた。病院も機能分化していかねばならないし、病院の中も機能分化しないといけない。患者ニーズに応じたスキルミックスが必要だろう。デパートのような何でもありだとスキルミックスがうまくいかない。必要なところに必要な技量を持った看護師を投入する。でないと混乱する。院内のスキルミックスという意味では、病棟が忙しい忙しいだけでなく、私が個人的に思っているのは、外来看護師には外来・手術・病棟の調整を行う高度なスキルが必要だということ。入院が決まった段階で患者の形を整えるというかトリアージというか、ここに高度なスキルを持った看護師を投入する必要がある。そうすることで後が楽になる。
しかしスキルミックスと言ってはみたものの、患者も看護師もひとたび何か起きたならば医師を待たなければならないという現状がある。医師がすべての指示を出さなければいけない体制には限界がある。患者数が倍増し、入れ替えが増加する中で、すべての指示責任が医師に集中するのは無理。医師も疲労困憊している。だから急性期病院では医師を増やすことももちろん必要だと思うが、すべてが医師に集約されない状況が必要だ。そのためには看護師業務の見直しと看護師の裁量権拡大をしない限り難しい。
それでは看護師の仕事をどうしていったら良いのか。世の中の人が一般的に思い浮かべる看護師の仕事は、まずは医師の指示の下で実施する医療処置、与薬であったり点滴であったり駐車であったりと、それから療養上の世話である体位変換とか入浴介助とか車医師での移送などであろう。しかし実はそれに留まらない。24時間ケアをしながら、医師の説明を補充し、患者が気にかけていることを医師に伝え、家族との話し合いや相談に応じ、テレフォントリアージをしたりテレフォンメディシン、ケアギバーしたりしている。ここを強化したらいいと思う。これらの役割を総称して私が作った造語が「間隙手」というもの。医療に携わるプロフェッショナルはたくさんある。プロフェッショナルが増えれば増えるほど誰の役割だか分からない領域が出てくる。そこは看護師が気にかけて埋めていかないと患者にツケが回ってしまう。間隙手とは、単にプロフェッショナルと患者との間を仲介するのではなく、独立して動き、患者とプロフェッショナルとがスムーズにやりとりできるよう、問題を見抜いて両者に働きかけるものだ。
というのも、医師、薬剤師、看護師といろいろ職種はあるけれど、患者さんの最適化という目標は同じである。よく看護業界では「看護の目的」という言葉が出てくるけれど、それはおかしい。医療界が、機能の細分化したプロ集団だからこそ、全体を見ている人が必要で、その役割は看護師が果たすべきだと思う。看護師は決して医師の配下ではない。法的には配下だけれど、実態は主体的に動いている。それは看護師の地位向上とかそんなことではなく、患者さんのリスクを未然に防ぎ最適のケアを受けられるようにするには、主体的な判断と行動が必要だからだ。
これからの看護師は、医師や他職種、患者のパートナーとして、生活を支援しつつ、予防-治療-在宅を適切につなぐ間隙手としての役割を担うべきであろう。そのためにも、どんどん看護師を表舞台に出したい。今までは何をしているのかよく分からない形だったが、明瞭に見せる必要がある。米国の研究で看護師1人あたりの受け持ち患者が1人増えると死亡率が7%上がるというデータが出てきて看護業界に激震が走ったのだけれど、これは療養上の世話を細かくするかどうかというより、看護師が多ければ間隙手も増えその調整機能が高いからこそこのようなデータになったのだと思っている。たとえば認定看護師の成果だが、ある病院で1年に21件の人工呼吸器関連肺炎発生があったのが、認定看護師が介入して肺炎予防対策を改善したところ翌年には半年で3件になった。認定看護師のいい所は担当部署に留まらず出ていって相談に乗れるところ。いろいろなスキルを持ったナースが集まると、高い目標を達成できる。それでもなお医師の処方が必要であり、お互いに効率が悪い。これからの医療には看護師を活躍させる仕組みが必要であり、裁量権を与えるべきだ。いきなり与えるのが心配なら教育すれ
ばいい。
看護師に裁量権を与えるべきだという議論をする時に、医師が忙しいからという言い方をする人がいるけれど、患者にとってどうなのかの視点が必要だ。生活支援を行っているナースだからこそできることがある。たとえばがん患者の疼痛管理は、医師によってバラつきが大きく、運の悪い患者はなかなか痛みをコントロールしてもらえない。認定看護師に任せてもらえれば、そういう運の悪いことは起きない。
これから行うべきことを列挙する。まずコストがかからず今からでもできることは、看護師の仕事の領域を明確にして裁量権を与える。これは国から発信してもらえればと思う。『名前のある看護師』としての活動を広げる。いつまでも指示待ちでは勿体ない。もちろんそれには責任も伴う。『やりたくない』ではなく、責任を取るのが当然とするべきだ。それから家族や友人などのケアギバーの活用や研修・教育、特に薬理学教育の強化は必要だ。
コストが必要なこととしては、看護師を増やすこと。しかし少子化でもあるし、口で叫ぶほど容易なことではない。むしろ新しい職種を作り分業させることを優先させるべきだろう。まとめると、これからの医療は看護師を表舞台に出す必要があり、主体的に動く間隙手の役割を強化する必要があろう、そして患者も医師も看護師も皆WIN-WINの関係になることをめざしたい。WIN-WINの一例として妊婦検診で助産師外来を立ち上げた例を示す。月~金の予約制で1日13枠、待ち時間はなしだ。これをやって一番喜んだのが患者。それまで5分診療だったのが30分取ってもらえるようになってじっくり相談もできるようになった。次に喜んだのが医師。1日あたり2時間ゆとりができるようになり、その分ハイリスクの妊婦さんと向き合う時間が取れるようになった。しかし1日10人以上の受診者がいれば収支も合う。
実は昨日父が亡くなった。病院を後にしたのは、夜中の12時ごろだったが、看護師が、その車が見えなくなるまで深々と頭を下げていてくれた。そういう看護師の姿を誰が知ってくれているのか。昨日は患者の立場になってみて改めて感謝した。そういう看護師の姿をこれからも大事にしていきたい」
堀内
「新たな家族の誕生を支えるしくみということでお話をしたい。まず、いのちの誕生をめぐる現代の課題から述べる。いのちを育む身体づくりという意味で、女性が妊娠の準備をできなくなっている。タバコやストレス、それから便利になって、以前なら当たり前にしていた歩くしゃがむという基本動作が少なくなったこと、外食を中心とした貧しい食生活がある。次に価値観の面で、わが国では物質的な豊かさを大きく見て、目に見えぬ生命の尊さ・重さに対する評価がおろそかにされつつある。そして子供の虐待や女性への暴力が顕在化している。その一方で生殖補助技術が非常に発展したため、たとえばダウン症の妊娠を早期に知ることができ、産むかどうか決める選択の苦しさを味わうようなことも出てきた。それからお産のスタイルにしても、全部事前に決めた通りに運ぼうとする管理出産ととにかく自然出産と非常にバラエティに富む。母親側の感想も、もうコリゴリというところから、また産みたくなるまで様々だ。
出産環境の変化としては、研修医制度の変化と地域病院からの医師引き揚げに端を発した変化に手をこまねいているのだが、産科難民の発生や、二次三次の施設にお産が集中することによるケアの質の低下が起きている。
お産のうち全体の8割はローリスクの正常分娩、1割はハイリスク妊娠、残りの1割は経過次第ではハイリスクに変わりうるものだ。マタニティ・ケアシステムというのは大きく分けて3モデルある。テクノロジーモデル、ヒューマナイゼーションモデル、ヒーディング・モデルだ。前者は三次機関を想定しており、ハイリスク妊娠に対応するためのもので、治療重視で妊婦は治療者への依存が高く、身体感覚を失うという人もいる。対極のヒーディング・モデルはリーリスク妊娠に対して、助産所や自宅で産むというもの。ケア重視であり原始的な身体感覚を覚えるという。圧倒的多数は、真ん中のモデル。病院や診療所で産むものだ。ここで一番起きてはいけないことは妊娠と産む場所とのミスマッチ。ハイリスク妊娠がヒーディング・モデルへ行くことも、ローリスク妊娠がテクノロジーモデルへ行くことも、よくない。しかし現状ではローリスクのかなりが三次機関へ行っているという問題がある。
お産の行われる52%が病院で、47%が診療所、助産師・自宅が1%であるというのは皆さんも既にご存じのことと思う。一方で助産師の就業場所は75%が病院で17%が診療所である。意識調査を行ったところ病院勤務の5割、診療所勤務の8割が長く勤め続けたいと思っている。その要因を聞いてみると、助産師を尊重してもらえること、生活との両立ができることが上がってきた。医師との業務分担がうまくいけば長く働けるということだろう。
さて助産師には何ができるのか。医療行為の禁止の中で、『ただし、臨機応変の手当てをし、又は助産師がへその緒を切り、浣腸を施しその他助産師の業務に当然付随する行為をする場合は、この限りではない。』という注釈があり、これが何かという解釈が問題になる。ちなみに助産師が独立開業できる国として日本以外に米国、英国、フランス、オーストラリア、ニュージーランド、スウェーデン、イランなどがあるけれど、日本だけが会陰切開・縫合は『緊急処置として』という条件つき可。他の国は独自の責任で行うことができる。
臨機応援処置として、ある程度の裁量を助産師に認めてきたけれど、その具体的な内容は不明瞭である。そのため多くの出産施設で、正常経過をたどる妊娠・分娩であっても、裂傷があったら医師を呼ばなければいけないということになり、結局医師が立ち会うという形態が固定して産科医の労働条件悪化を招いてきたし、場合によっては待ち切れない医師による過剰介入を招いてきた。開業助産師のことを考えれば、会陰縫合などができたはずだが、しかし医師を呼べるのに医療行為を行ったら違法でないかと思ってしまうことで助産師が能力発揮を躊躇してきた。そこでぜひとも助産師の業務拡大をお願いしたい。一つは、正常な妊娠・分娩・産褥経過にある母子の健康管理は助産師が単独で行えるように、もう一つは正常から異常への移行の兆候が認められる場合、その予防的措置を行えるように。最後に緊急時の対応である。
具体的には、まず検査。妊娠期であれば、一般血液検査・貧血検査・鉄剤の処方・膣分泌物検査・超音波検査、新生児期であれば血清ビリルビンの測定、ガストリー検査、血糖検査など、要するに異常の早期発見のための検査実施を認めていただくと、もっと実践範囲が広がる。それからよくある健康問題への対処。GBSの場合の抗生剤静脈注射や出血時の血管確保と輸液、必要時の会陰切開と縫合それに伴う局所麻酔の使用、自然に生じた会陰裂傷の縫合、子宮収縮のための薬剤処方、後陣痛時の鎮痛剤の処方と実施、産後貧血のための血液検査と鉄剤の処方などだ。GBSでも抗生剤さえ投与できれば経膣分娩できるのに、それができないばかりに医師にお願いせざるを得ない。
周産期搬送のシステムは整えておいていただくのが大前提。そのうえで産科医・小児科医との連携を図り、約束指示や助産プロトコールの作成と合意あるいはコンセンサスを得た助産師ガイドラインの作成を課題と考えていて、他職種とも日常的な情報共有を行うためにスープの冷めない距離の関係を築きたい。それから実践技術に関する相互評価の仕組みの日本助産評価機構でやる。
権限拡大を要望するからには責任も伴うと考えている。これまで院内では責任のとり方が不明瞭だった。そのためにまず必要な教育は、臨床薬理学、新生児蘇生、リスク管理などのレベルアップ、会陰切開・縫合などの臨床実習、新人研修だ。それから助産師をもっと増やさないといけないのだが、助産師資格を得るには専修学校、大学、大学専攻科、大学院、専門職大学院など多様なコースがあるけれど、6~7倍の競争率のコースもあって、必ずしも課程に入れている人の数は多くない。昭和30年には助産師1人あたり31.3ベビーを受け持っていた。平成17年は1人あたり42.1ベビー。以前と同じ手厚さにするには、あと8700人の助産師が必要だ。
世界的に見て出産観は、生理から病理へと変わり、また生理/社会心理へと戻ってきた。お産の主人公も、女性から医師になって、また女性に戻ってきた。病理として扱われたときには圧倒的に帝王切開が多くなったけれど、生理であるならば極力医療は介入しないようにしようというのが現在の流れだ。過剰な医療の介入とは、たとえば妊婦検診の度に超音波検査を実施すること、英米では正常の場合は初期、後期の2回か初中後の3回かに制限されている。それから分娩監視装置をつけっぱなしにするとか、全例会陰切開してしまうとか。医療資源が多くないのだから、いかに効率よく配分するか、それがコスト削減にもなるし、母親として心地よくスタートしてもらうことにもつながる」
(この傍聴記はロハス・メディカルブログ<a href=”http://lohasmedical.jp”>http://lohasmedical.jp</a> にも掲載されています)