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臨時 vol 29 小松秀樹氏 「厚労省第二次試案に異議あり」

医療ガバナンス学会 (2008年3月19日 14:05)


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            虎の門病院 泌尿器科部長 小松秀樹
※今回の記事はメディカル朝日08年3月号掲載されております。

昨年10月に厚労省が発表した「診療行為に関連した死亡の死因究明等に在り方に関する試案 第二次試案」に関して、私は強い疑念を抱き、さまざまな場で発言してきた。現場の医師たちの中にもとまどっている人は多い。ここで、これまでの経緯を概括的に述べることで、私なりの意見をまとめておきたい。
日本の医療機関は相矛盾する二つの強い圧力にさらされている。医療費抑制と安全要求である。医師は、医療費抑制による労働環境の悪化と患者との軋轢のために、士気を失い病院から離れはじめた。医療が産科、救急など脆弱な部分から崩壊し始めている。士気喪失の象徴となったのが、刑事司法の介入である

●刑法211条 業務上過失致死傷罪
介入の主たる根拠は刑法211条業務上過失致死傷罪である。1999年の横浜市立大学病院での手術患者取り違え事故を契機に、医療に刑事司法が介入することが多くなった。医療者の立場からみて医療行為を犯罪として処罰することには二つの問題がある。
●単純過失は罪か
2000年3月、京大病院で人工呼吸器の加温加湿器に消毒用のエタノールが誤注入され、患者が死亡する事件があった。当事者の新人看護師は加湿器の水がなくなったら、調乳室にあるポリタンクの滅菌水を使用するよう上司からアドバイスを受けた。ところが調乳室にあったよく似たポリタンクにエタノールが入っていた。複数の看護師が加湿器にエタノールを補充した。タンクをベッドサイドに運んだ新人看護師が、業務上過失致死罪で有罪になった。
この事故では明らかな誤りのために患者が死亡した。複数の看護師が誤りを犯したが、新人看護師のみが刑事罰を受けた。刑事司法では、死亡結果があって、注意義務(死亡結果を予見すべきで避けるべきだったこと)違反が存在することが法廷で認められると、刑罰を発生させることができる。
一方、ヒューマンファクター工学の認識では、人間は、疲労や、環境の影響のために、簡単に間違える。そこで、システムを工夫して被害が生じないように努力する。ところが、日本では、医療にかけられる費用が抑制され、これを現場の苛酷な労働で補ってきたという現実がある。
そもそも、現実に行われている全ての医療から、「この医療は業務上過失致死傷に相当する」として、ある特定の医療を切り取る「理念」と「方法」に問題がある。法律家は、法令と過去の業務上過失致死傷裁判の判決文で公表されているものしか研究しない。ところが、「非業務上過失致死傷医療」集合の中に、多数の過誤が含まれている。実際に、被害の生じなかった過誤が、1病院あたり、毎月50ないし70件、医療機能評価機構に報告されている。被害が生じたかどうかは、状況に依存しており、本人が悪質かどうかとは関連しない。また、罰を科すことで、人間が有している「誤りやすいという本性」を変えることはできない。さらに、処罰は証言を得にくくして、事故の原因調査を阻害する。
●結果の重大性と被害者側の処罰感情
福島県立大野病院事件では、帝王切開時、癒着胎盤による大出血で母体が死亡し、産婦人科医が逮捕・起訴された。
人間の死は不可避であり、医療には限界がある。医療は、結果を検証し、反省しつつ進歩している。病理解剖では、医師の診断が正しかったかどうかを検証する。常に反省をする以上、通常の水準の医療でも、結果が悪いとき、注意義務違反を言い立てることは難しいことではない。医療はその性質上、業務上過失致死傷で訴えやすい。検察は起訴するかどうかの判断について明確な基準を描けておらず、被害の重大性、被害者側の処罰感情を判断材料にしている。これは、不都合なことが起きたとき「悪いやつを探し出して罰しろ」と主張する「被害者感情」が、制御なしに一人歩きをしている日本の風潮に通じる。この事件で多くの医師の団体が抗議した理由はここにある。
●医師法21条について
刑事司法と医療の問題を複雑にしているのが医師法21条である。医師法21条は「医師は、死体又は妊娠四月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、二十四時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と規定している。そもそも、故意犯罪の発見を容易にするための規定だった。1949年、厚生省医務局長通知で「死亡診断書は診療中の患者が死亡した場合に交付されるもの」であり、「死体検案書は、診療中の患者以外の者が死亡した場合に、死後その死体を検案して交付されるもの」として、診療関連死は医師法21条の届出対象ではないと判断していた。
ところが、1994年の法医学会のガイドラインは、「診療行為に関連した予期しない死亡、およびその疑いのあるもの」まで異状死とした。このガイドラインの存在をほとんどの臨床医は知らなかった。また、一団体の主張に過ぎず、実質的に司法に影響はなかった。
99年の都立広尾病院事件とその報道を受けて、2000年、厚生省は、国立病院部政策医療課が作成したリスクマネージメントマニュアル作成指針に「医療過誤によって死亡又は傷害が発生した場合又はその疑いがある場合には、施設長は、速やかに所轄警察署に届出を行う」と記載し、医師法21条の解釈を変更した。その後の都立広尾病院事件に対する最高裁判決で、この変更が厚労省の手を離れた。
警察はその性質上、届け出があると、犯罪を立証しようと努力する。2000年以後、厚労省の指針にしたがって届け出を行なった多くの病院が、犯罪を前提とした警察の乱暴な捜査を受けることになった。しかも、先に述べたように、業務上過失致死傷は、医療との相性が良く、簡単に構成要件を言い立てることができる。後述する死因究明等の在り方に関する検討会の第3回会合での元検察官の発言によると、医療での刑事訴追の増加は、警察への届け出の増加に原因があるという。現在の医師法21条問題の発端は、報道に過剰反応した行政官の判断に起因している。
医師法21条については、本来の趣旨からみても、医療との関連で議論すべきではなく、かねてより大きな欠陥が指摘されている変死体の医学的検索制度、司法解剖制度との関連で議論すべきものである。医師法21条問題の主たる原因が厚労省にあること、官僚は無謬を主張する性癖があることから、厚労省の判断にはバイアスがかかる可能性が高い。一般社会の常識的からは、厚労省にはこの議論を取り仕切る資格がない。
●第二次試案の問題点
危機的な医療状況を背景に、医療事故を調査する第三者機関を求める声が高まった。05年9月には診療関連死調査分析モデル事業が開始された。立法化のために、07年4月、「診療行為に関連した死因究明等の在り方に関する検討会」が発足した。しかし、猛スピードでさまざまな意見が羅列されただけで、噛み合った議論はなかった。そもそも、医療事故調の目的が紛争解決、責任追及、再発防止のいずれなのかはっきりしなかった。検討会座長の刑法学者前田雅英氏の呼びかけで、07年8月14日の読売新聞朝刊の紙上で医療事故調について議論した。新聞社がつけた前田氏と私の主張に対する見出し、「法的責任追及に活用」と「紛争解決で『医療』守る」が、方向性の違いを如実に示す。
07年10月17日、検討会での議論が継続している中、厚労省は、突然、独自に第二次試案を発表した。その後発表された自民党案は、第二次試案と全く同じ枠組みだが、表現があいまいになり、解釈の幅が広がった。ここでは解釈しやすい第二次試案について議論する。
●「基本理念」への疑念
最大の問題点は理念部分である。「安全・安心」という言葉が使われている。安全という一つの状態は医療にはない。安全はリスクと同義で変数に過ぎない。また、安心は個人の心の問題であり、医療が提供できるものではない。第二次試案の前提として、このような患者側の主観的な願望の実現を、医療側の責任としている。この前提に無理がある。
理念の第三番目の項目がこの制度の基本的性格を示す。「予期しない死亡が発生した場合に、遺族の願いは、反省・謝罪、責任の追及、再発防止」であり、「これらの全ての基礎になるものが、原因究明」であるとしている。原因究明の目的は、反省・謝罪を求めること、責任追及、再発防止にある。文言上は、前田座長の主張どおり「法的責任追及」が主目的となっていると読み取れる。
●組織の前提に無理がある
中央に置かれる委員会は、医療従事者、法律関係者、遺族の立場を代表する者により構成される。のみならず、地方ブロックでの報告書原案作成段階から、法律関係者、遺族の立場を代表する者が参加する。
真相究明は、本来、真理の探究という意味で、学問そのもの、つまり、医学そのものである。医学的調査は、医学を基盤に、あらゆる予断なしに、また、規範に束縛されることなく、観察して、厳密に認識するところに特徴がある。
弁護士の井上清成氏によると、刑事における真相究明とは、刑罰という法律効果を発生させるために、犯罪構成要件という法律要件に該当する事実の存否を確認しようとして、刑事訴訟特有の手続を進めていくことである。また、民事における真相究明も、損害賠償という法律効果を発生させるために、要件事実という法律要件に該当する事実の存否を確定しようとして、民事訴訟特有の手続を進めていくことである。
つまり司法においては、科学と異なり、議論は構成要件、要件事実に絞られ、科学における議論とは全く様相が異なる。
感情や規範とは一切かかわりをもたない冷徹な医学的認識、法という規範に基づくとともに被害者感情の影響を受けることを是とする法的認識、「遺族の立場を代表する者」の感情に基盤をおく認識、三者は認識の基盤が異なる。厳しい対立が生じた場合、報道や政治の影響が強い場合、これら三者が納得して一つの報告書に到達できるとする前提には無理がある。
●処分が真相究明を困難にする
第二次試案は「行政処分、民事紛争及び刑事手続における判断が適切に行われるよう」「調査報告書を活用できる」とする。さらに、「行政処分は、委員会の調査報告書を活用し、医道審議会等の既存の仕組みに基づいて行う」とあり、行政処分拡大の方針を明確にしている。
事故調査と責任追及については航空業界での議論が先行している。国際民間航空条約の第13付属書は「調査の唯一の目的は、将来の事故又は重大なインシデントの防止である。罪や責任を課するのが調査活動の目的ではない」とする。また「罪や責任を課するためのいかなる司法上又は行政上の手続も、本付属書の規定に基づく調査とは分離されるべきである」と明記している。
調査報告書が責任追及に活用されると、院内事故調査委員会での議論が大きく変化する。03年ごろを境に、大病院には院内事故調査委員会が置かれるようになった。多くの病院で、医療事故をシステムの問題として捉え、ヒューマンエラーを処罰の対象としていない。医療事故について病院は患者側に極めて正直に話すようになった。第二次試案はこのような院内事故調査委員会における調査・評価を重視している。当然、院内の調査結果が調査報告書に盛り込まれる。となれば、院内事故調査委員会での議論が、個人の処罰に直結する。証言は極めて慎重なものにならざるをえない。日本国憲法38条には「何人も自己に不利益な供述を強要されない」と書かれている。必然的に事実が表に出にくくなる。現在、一般的に行われるようになってきた患者への率直な説明に支障をきたす。
処罰を前提にした調査は、科学的調査と異なり、遺族と医師の対立を高める。裁判手続と同様、調査経過そのものが、遺族の応報感情を高める。対立は遺族と医療従事者の間にとどまらない。病院の管理者と現場の医療従事者の間にも疑心暗鬼が生まれる。さらに、厚労省と病院の間の溝を深め、行政そのものに支障を来たしかねない。
●膨大なものになりかねない再発防止策
第二次試案では、委員会に「遺族の立場を代表する者」が参加し、「個別の事例の分析に加え、集積された事例の分析を行い、全国の医療機関に向けた再発防止策の提言を行う」。個別性を持った情報を元に、遺族の立場を代表する者が参加する委員会が安全対策を策定すると、膨大なものになりかねない。責任を伴わない権限は制度を壊す。事故情報は匿名化して、既存の医療事故防止センターの専門家の下に集め、重み付けをして、総合的に対策を考えるべきである。
●第二次試案発表後の経緯と、個人的な関与
07年10月17日の第二次試案の発表後、事態は急速に動いた。11月1日自民党の医事紛争処理の在り方検討会が開かれ、この席で、日本医師会、診療行為に関連した死因の調査分析モデル事業運営委員会(学会代表)の三者が第二次試案に賛成した。いずれも、事前に、第二次試案に賛成することを機関決定していた。多くのの医療関係者はこの経緯を知らされていなかった。意見を述べたのはこの三者だけだったので、自民党は、ほとんどの医師がこの案に賛成していると理解した。その翌日、日本内科学会と日本外科学会が、連名で第二次試案に賛同する意見書を発表した。通常国会での法案提出に向けて、意見を集約するための演出が着々と進んでいるように見えた。
従来の医療政策決定過程を踏襲したものと思われるが、現場の医療従事者の意見が欠落している。現場との対立があるとき、立場によってはこのプロセスは卑劣かつ拙劣に映る。私は、この動きを止められる可能性があるとみた。11月17日、第107回九州医師会医学会の特別講演で、第二次試案に反対を表明し、「日本医師会の大罪」(MRIC臨時Vol 54, 2007年。http://mric.tanaka.md/2007/11/17/_vol_54.html参照)と題する文章を配布した。
11月20日、日本医師会から私に会談の申し入れがあった。説明不足があったので、担当理事が説明したいとのことだった。社会に見えるところでの議論は大歓迎なので、口頭での説明ではなく、文書にして公表するよう求めた。日医は誠実に対応し、文書が発表された。双方の主張については、12月5日の日医ニュース1110号の「刑事訴追からの不安を取り除くための取り組み」(http://www.med.or.jp/nichinews/n191205k.html参照)と筆者の「日本医師会の法リテラシー」(MRIC臨時Vol 61, 2007年。http://mric.tanaka.md./2007/12/11/_vol_61.html参照 )を読み比べていただきたい。
●医療における正しさを誰が決めるのか
第二次試案は、実質的に「正しい医療」を厚労省が決めることを意味する。「正しい医療」は、本来、「医学と医師の良心」に基づいて専門家が提示すべきものである。これを社会が批判することでさらに適切なものになっていく。厚労省は「医学と医師の良心」によって動いているわけではない。法令には従わなければならず、しかも原則として政治の支配を受ける。メディアの影響も当然受ける。
しかも、ハンセン病政策のような過ちを繰り返してきた。ハンセン病患者の、90年に及ぶ隔離政策の歴史で、何人かの医師が異議を唱えた。患者をかくまった医師もいた。これらの医師は、科学と、良心に基づいて行動した。公務員は政治と現行法に従わねばならず、このような国家的不祥事に抵抗することが難しい。このゆえに、医師の行動の制御を国家に委ねることに問題がある。行政は、医療における正しさというような価値まで扱うべきではない。明らかに行政の分を超えている。
ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの学問についての説明が示唆に富む。「学問がその理論の仮説的性格と真理の暫定的な非誤謬性によって安んじて研究に携われるまで、学問研究の真理性は宗教的に規範化されていた」(「世界社会」村上淳一訳、桐蔭横浜大学法科大学院教材)。医学における正しさは仮説的であり、一時的にすぎない。この故に新たな知見が加わり、進歩がある。政府機関が宗教裁判のように権威で裁定してしまうと、判断が固定化され、学問の進歩を損ねる。医学による厚労省のチェックが奪われ、国の方向を過つ可能性がある。規範に基づいた権威による裁定は、医学-医療になじまない。医療システムの外で行なうべきである。
第二次試案が実現すると厚労省は医療の全てを支配する。旧共産圏で観察されたように、全体主義的統制医療は自律性を奪い、医療の進歩と国民への適切な医療の提供を阻む。現場にもたらした結果からのフィードバックで、厚労省の責任を問うようなシステムを構築することなしに、厚労省の権限を限界まで強化すると、現場と乖離した規範がまかり通り、適切な医療提供体制を壊す。
必要な対策は、患者の理解と納得を高めるように支援すること、患者が不信に思うような医療事故について第三者が科学的に調査すること、医療提供者との軋轢を小さくすることである。医療問題は複雑であり、対策の結果が期待通りになるとは限らない。取り返しのつかない失敗を避けるためには、多段階で時間をかけて、関係者の認識の変化を確認しつつ、慎重に対応していくべきである。

 

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