医療ガバナンス学会 (2007年12月4日 14:25)
毎月最終金曜日のこの公判。どうやら証人尋問はこの日が最後となるらしい。証人は弁護側鑑定人の池ノ上克・宮崎大産婦人科教授だ。
池ノ上教授には2ヵ月前にプレスセミナーでお目にかかったことがある。その時に比べると明らかに表情が硬い。前回の岡村州博・東北大教授の公判は見ていないのだが、毎回、医師の証人が検察側の粘着的な尋問にゲンナリさせられているので、今回もそれが繰り返されるのかなと予感させる。
だが結論から先に言うと、池ノ上教授のあまりにも分かりやすく明解な説明に対して、さすがの検察側も因縁すらつけられなかったのである。
これまで何人もの医師証人が一所懸命に証言し、でも検察側に因縁をつけられた結果、一般人には何だかよく分からなくなってしまっていた説明が胸にストンと落ち、初めてクッキリと像を結んだ。裁判の早い段階で池ノ上教授の話を聴いていたら、医師証人たちも、あそこまでゲンナリさせられることはなかったのでないかと思った。それと同時に、やはり医師の方々も一般人への説明の仕方のトレーニングが必要かもしれない。
その明解な説明を堪能いただきたいと、書きたいところだが、午後の部が始まるところで裁判長から「記録を取っているので、もう少しゆっくり話してください」と頼まれるほど、池ノ上教授がすらすら滑らかに語るので逐語再現できない。要約・意訳でご勘弁願いたい。詳録は、いずれアップされる周産期医療の崩壊をくいとめる会サイトで、ご覧いただければ幸いだ。
午前9時35分、弁護側の主尋問からスタート。池ノ上教授の経歴を確認したあとで、一般論から本題へ入っていく。
弁護人 癒着胎盤と前回帝王切開との因果関係はどのようなものですか。
池ノ上教授 前回帝王切開で今回前置胎盤の場合、前回切開創に胎盤がかぶっていると、胎盤が脱落膜を介さずに直接筋層に食い込むことがあるため、傷痕と胎盤の位置がかぶさると頻度が高くなります。
弁護人 前回帝王切開創は通常どこにありますか。
池ノ上教授 子宮前壁の体部に横に一文字にあるのが一般的と思います。
弁護人 癒着胎盤の臨床的な診断方法はどのようなものですか。
池ノ上教授 病理的な診断もありますが、私は臨床医ですから、あくまでも臨床的な診断法を述べます。胎盤の色、子宮表面の血管の存在、胎盤剥離した際に出血が止まらない、血液が固まりにくいといったことを総合的に判断して診断します。
弁護人 手術を始めてから分かってくると理解してよろしいですか。
池ノ上教授 事前の画像も参考にはしますが、最終的には手術中の所見で総合的に判断します。
弁護人 胎盤の用手剥離が困難とか不可能ということは診断の材料になるでしょうか。
池ノ上教授 困難とか不可能ということと癒着とはあまり関係ありません。
弁護人 どういう意味でしょうか。
池ノ上教授 剥離できないということはありませんので。抵抗が強いか弱いかの違いだけで、抵抗が強くても剥離した後に大して出血しないことはあります。
弁護人 癒着が広いか狭いかはどうやって分かりますか。
池ノ上教授 剥離を始めてから初めて分かります。
弁護人 それは指先の感触で分かるのでしょうか。
池ノ上教授 広さというか抵抗の強さは指先で分かりますが、それと癒着とは一対一の関係にありませんので、剥離の困難さそのものは重要なファクターではありますが、決定的な要因とは考えておりません。
弁護人 用手剥離中にスルリと胎盤が剥がれても癒着胎盤ということはありますか。
池ノ上教授 まずないと思います。
弁護人 (宮崎大で池ノ上教授が扱った癒着胎盤症例)12例のうち子宮摘出したのは何例ですか。
池ノ上教授 5例と4例の合計9例です。
弁護人 5例とは何ですか。
池ノ上教授 術前の条件や社会的条件、胎盤が子宮表面まで貫通しているとか、もう新たな妊娠を望んでいないとか、そういうことで剥離に行かないで摘出した方がよいだろうという方もいますので、最初から子宮摘出したのが5例です。
弁護人 残りの7例は胎盤を剥離したのですね。
池ノ上教授 7例は剥離しまして、剥離し終わった後で3例は子宮を温存できました。温存を試みたが結果的に摘出をやらざるを得なかったのが4例です。
弁護人 途中で剥離をやめて摘出にうつったものはありますか。
池ノ上教授 ありません。すべて完了しております。
弁護人 剥離を途中で中止しないのは、なぜですか。
池ノ上教授 癒着があるかないかはやってみないと分からないわけです。そしていったん剥離を始めたら、癒着のない部分からも出血が始まっています。続行して全て取り終えることによって、止血の機序に期待するからです。
弁護人 どういう意味でしょうか。
池ノ上教授 3例は温存できているわけです。取り終えるには主にふたつの理由があります。剥離が終われば筋層が収縮してくるので血管を押し潰して止血されます。その機序に期待します。それから子宮摘出に移るにしても子宮の中に大きな胎盤が残ったままだと操作しにくいです。途中でやめても出血が止まるとは期待しにくいです。
(後略)
宮崎大が行った研究に関して質問が移る。事前の超音波診断で癒着胎盤の3兆候が見られた症例と、事後に実際に癒着胎盤と診断されたものとの関係を見たものだ。超音波で癒着の所見が1つでもあったものは13例あり、そのうち実際に癒着があったのは7例。所見1つだけのものは0/5。2つのものが0/1。3つ揃ったら、7/7 だったそうだ。
弁護人 検討した結果、どのような結論になりましたか。
池ノ上教授 3つ揃っていれば癒着の確率が非常に高い。3つ揃っていなければ、そういうことにならないということが言えます。
弁護人 子宮摘出との関係では、どんなことが言えますか。
池ノ上教授 1つ2つの所見からそのまま摘出すると、半数が非常不要な摘出になってしまうということです。
弁護人 この研究ではMRIについても検討していますね。
池ノ上教授 はい。
弁護人 なぜMRIを?
池ノ上教授 超音波を凌駕するような情報を与えてくれるか不確定だったので検討してみたのです。
(中略)
弁護人 癒着の所見があったのは何例でしたか。
池ノ上教授 7例でした。
弁護人 実際に癒着があったのは?
池ノ上教授 4例でした。
(後略)
質問は鑑定の中身に入っていく。
弁護人 誰から依頼されましたか。
池ノ上教授 弁護士の平岩先生です。
弁護人 資料として何を渡されましたか。
池ノ上教授 外来カルテ、入院カルテ、供述書、鑑定書とそれから県の調査報告書です。
弁護人 鑑定書とは?
池ノ上教授 杉野先生の病理鑑定書です。
弁護人 主に何を参考にしましたか。
池ノ上教授 外来カルテと入院カルテです。
弁護人 なぜですか。
池ノ上教授 周産期的に検討するには、客観的なものを資料にしたかったからです。
供述調書や鑑定書をほとんど参考にしていないということを、午後から検察側が盛んに追及しようとしたが、池ノ上教授は「人の意見や供述は客観的でない」と突っぱねた。まさにその通り。供述を積み重ねて判断を下す裁判官が、どう思ったか興味深いところだ。
ここから圧巻の見せ場が始まる。
弁護人 20450ccの出血ですが、どう見ますか。
池ノ上教授 かなり大量と思います。
弁護人 正常の経膣分娩だとどの程度の出血量ですか。
池ノ上教授 正常だと1000ccくらいです。
弁護人 それは羊水込みですね。
池ノ上教授 羊水込みです。
弁護人 帝王切開の場合はどうでしょう。
池ノ上教授 基本的に一緒ですが少し多めで1500ccくらいです。
弁護人 逆に出血が多い場合というのは、どのくらい出るものでしょう。
池ノ上教授 私たちの施設でも1万5千cc超えるものを経験しています。
以後しばらくメモが追いつかなくなったので要点を箇条書きにする。ほとんど独演会を聴いているような心持ちにさせた。
・婦人科の手術と比べる帝王切開手術の方が出血量がヒトケタ多いと言ってもよい。
・通常の手術で1000cc出血したら輸血を行うと思うが、出産の場合は2000ccの出血でも輸血しない。
・なぜならば、元々妊娠中は体内循環血液量が通常の1.5倍まで増えているので、出産が済めば増えた分の血液が出てしまうのは、ある意味正常なことである。
・一般の手術の場合、出血は血管が切れるためのもので、止血もその局所に対するアプローチとなる。しかし子宮と胎盤との間はまったく異なる。胎児側から臍帯を通じて胎盤内部へ血液が流れ込んでいる。胎盤へは、そこへ子宮からシャワーのように母親の血液が吹きつけていて、胎盤を通して成分交換を行っている。その血流量は、毎分450~600ccである。胎盤を外すと、血液を受け止める壁のなくなった子宮は、ちょうど「シャワーヘッドがオープン」になったようなもので出血し続ける。
・局所の血管が切れているわけではないので、出血を止めるにはシャワーの根元の部分を押さえつけるしかない。通常は胎盤が外れたところで子宮筋層の収縮が始まり血管を押しつぶすので流れが穏やかになり、そのうちに血液が凝固して止血される。
・前置胎盤の場合、筋層が薄い子宮頚部に胎盤が付着しているため、胎盤剥離後に筋層収縮が十分でなく出血量が多くなる。癒着胎盤の場合、胎盤が食い込んでいるために筋層が薄くなっており、同じことが言える。
・胎盤剥離後に子宮の収縮が悪い場合、医師が行う処置は、まず子宮マッサージと筋収縮剤の投与、それでも状況が改善しなければシャワーヘッドの面を手で押しつぶす双手圧迫やガーゼを用いての圧迫、筋層に糸をかけて人工的に寄せ集めるZ縫合、子宮に血液を供給している血管をケッサツすることなどがあり、どうしても止血できない場合には出血の根本原因となっている子宮摘出ということに
なる。
・ただし出血量がある閾値を超えると血液凝固因子が足りなくなり、どんなに血管を押しつぶしても血が止まらなくなり、さらに他に傷があるところからもジワジワ出血するようになる。これがDICとその後に起こる血液凝固障害である。
もし何を書いてあるか分からないとしたら、私の要約の仕方が悪いのであって、当日は非常によく理解できた。
そして愕然とした。
私は知らなかった。
胎盤を剥がした後の子宮が、傷をつけなくても1分間に500cc出血する臓器であるということを。おそらく多くの方が同じでないか。検察の見立ても、大量に出血したからには傷をつけたに違いない、という所からスタートしているはずだ。
医療者にとっては常識なのかもしれない。でも、誰かが最初からそのことを説明してくれていれば、話がここまでややこしくなることもなかっただろうと思うのである。検察側も、自分たちの見立てが根本からナンセンスであることに、間違いなく気づいたと思う。最初に聴かされていたら絶対に立件しなかったはずだ。
そして、そのメカニズムを知ってから、改めて加藤医師の当日の行動を眺めると、まさにするべきことを尽くしていることに気づく。あれだけ頑張ったのに、という医師コミュニティの声を、私は当日の行動に対するものではなく一人医長に対するものと受け取っていたが、そうではなかった。
尋問も加藤医師の判断・処置の是非へと移っていく。弁護士が術前のエコー写真を見せて、そこから癒着胎盤の所見が読み取れるか質問しようとしたのに対して、S検察官が「尋問範囲は術中のみのはずだ」「事前に準備がないので反対尋問できない」と、しつこく異議を述べたが却下された。あれだけ説得力のある一般論を聴かされていたら、裁判官としても「聴けることは聴いておきたい」と思うのが自然だろう。
弁護人 12月9日、36週6日目の画像所見から癒着胎盤の診断はできるでしょうか。
池ノ上教授 難しいと思います。
弁護人 なぜですか。
池ノ上教授 この写真は頚管の長さを測るための超音波検査のものと思いますが、前回帝王切開創と異なる部分を撮影していますので。
弁護人 要するに癒着胎盤診断のための写真ではないということでしょうか。
池ノ上教授 はい。
(中略)
弁護人 続いて12月6日の写真です。これを見て癒着胎盤を疑いますか。
池ノ上教授 こういう画像は、正常妊娠でもしばしば見られます。癒着胎盤に特徴的な所見とは言えないと思います。
弁護人 このような血流が写っていたらMRIを実施すべきですか。
池ノ上教授 先ほども説明しましたように、3つの兆候が見られた時に次のステップへ進むべきであり、たとえMRIを実施したとしても超音波を凌駕する情報が得られるということは分かっていないと思います。
(中略)
弁護人 開腹後ですが癒着胎盤かどうかは見て分かりますか。
池ノ上教授 一番は胎盤が子宮を突きぬけて見えることがあります。そこまで行かなくても、子宮の表面に血管の堅いゴツゴツした構造物が見えます。
弁護人 一見して明らかですか。
池ノ上教授 言葉でどこまで伝わるかと思いますが、通常の妊娠で見る血管とは全く異なります。
(中略)
弁護人 用手剥離を途中でやめることはないということでしたね。
池ノ上教授 ありません。
弁護人 画像を見て事前に子宮摘出を決めることもないということでしたね。
池ノ上教授 画像だけではありません。社会的条件なども考えたうえで、最終的には実際に手術をしてから決めます。
ついで麻酔チャートを見ながらの尋問である。
弁護人 14時26分に手術が開始されていますね。
池ノ上教授 はい、そう思います。
弁護人 児の娩出は14時37分ですね。
池ノ上教授 はい。
弁護人 母体の血圧・脈拍に異常はありますか。
池ノ上教授 何もありません。
(中略)
弁護人 14時40分の出血は羊水込みで2000ccですね。それほど多くはないですか。
池ノ上教授 はい、多くありません。
(中略)
弁護人 この間に子宮摘出へ移らないといけない事情は何かありますか。
池ノ上教授 麻酔チャートでは読み取れません。
弁護人 14時53分の出血量はいくらですか。
池ノ上教授 2555と記載されていますので、それと思います。
弁護人 この段階で特殊な処置が必要でしょうか。
池ノ上教授 この段階では、通常の帝王切開だと思います。
弁護人 胎盤剥離をやめるという判断をしますか。
池ノ上教授 私はそういう判断をしません。
弁護人 新潟大学の田中教授は、この段階で子宮摘出していれば救命が可能だったと証言されているのですが。
池ノ上教授 可能ではあると思いますが、この段階では子宮摘出しなければいけない状態ではありませんので、後方視的に見ればそう言えますが、前方視的に見れば、この先に何が起きるか分からないわけですから、血が止まらなくなるとは予想のつかないことですから。
弁護人 癒着と判断できますか。
池ノ上教授 できないと思います。
弁護人 用手剥離に移行したという加藤医師の判断に誤りはありますか。
池ノ上教授 ないと思います。
弁護人 先生がもし術者だったら剥離しますか。
池ノ上教授 剥離します。
弁護人 15時8分の出血量はいくらですか。
池ノ上教授 7675です。
弁護人 どうご覧になりますか。
池ノ上教授 これはかなりの出血が起きていると認識できます。
弁護人 15分間で5000cc出血している計算ですが、これはあり得ることですか。
池ノ上教授 あり得ると思います。先ほども説明しましたが、シャワーヘッドがオープンになっていて、そこから1分に500ccくらいは出ますから。
弁護人 (質問不明)
池ノ上教授 この時点で癒着胎盤と分かってきたと思います。
弁護人 癒着は事前に予見できますか。
池ノ上教授 予見できません。結果的に大量に出血して初めて癒着があったと分かるのです。
(後略)
そして、いよいよ結論である。
弁護人 止血操作は他に何かすべきでしたか。
池ノ上教授 一般的に産科がやる手技は全部行っていますので、特にありません。
(中略)
弁護人 応援を呼ぶ必要はありましたか。
池ノ上教授 応援を求めても求めなくても出血コントロールには関係なかったと思います。
弁護人 なぜそう考えるのですか。
池ノ上教授 スタンダードな医師がやることは全てやっていますし、誤った処置があるわけでもありません。助手に外科医がついていれば十分です。
(中略)
弁護人 全般として見て、加藤医師の処置に誤りがあったと思いますか。
池ノ上教授 一般的な産科医のレベルで見て、間違いがあったとは思いません。
弁護人 他に何かすべきことがあったと思いますか。
池ノ上教授 ないと思います。私も同じことをしただろうと思います。
(後略)
これで午前の部が終わった。
午後からは検察の反対尋問。今回も登場のS検事が最初こそネチネチやっていたものの、池ノ上教授がそのペースに乗らず、むしろ「ちょっと話してもいいですか」と質問を遮って、主体的に話を続けているうちに攻め手を完全に失ってしまったようだ。報告すべきやりとりも全くないまま、これまでの牛歩進行が嘘のように、休憩を挟んでも午後4時には尋問が終わってしまった。補足尋問する検事もいなければ、裁判官も一言も質問しない。
紛れようもない弁護側の完封勝利だった。
検察側は後から「資料も見ずに鑑定している」と会見したらしいが、完敗したことを誰よりも分かっていることだろう。
(この傍聴記はロハス・メディカルブログ<a href=”http://lohasmedical.jphttp://lohasmedical.jp”>http://lohasmedical.jp</a> にも掲載されています)