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臨時 vol 56 千葉大法医 岩瀬教授 法と医学の狭間で思うこと:医療事故調設置に関連して

医療ガバナンス学会 (2007年11月30日 14:27)


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千葉大学大学院医学研究院法医学教室
岩瀬博太郎


東大法医学教室は、30年以上母校出身者を輩出してこなかった教室であった。研究や業務に専念するあまり、人材育成という医学にとって重要な点に無頓着であったためだろう。恩師である高取健彦先生は、北大から東大に赴任されたが、東大の教授就任の際には、東大出身者を養成することを約束されたという。そこで、誘われたのが今から15年前の私であった。

法医学教室に入局後、私は随分と多くの関係者に可愛がっていただいた。当時警視庁の検視官であった、加藤修孝さんもその1人だ。彼をはじめ、警察の検視官は、我々医師とは育ってきた環境も随分と違うので、彼らから学ぶことは多い。彼らから教わったことは、今でも私の考えに大きく影響している。

まだ、法医学教室に入局して数年というある夜、加藤さんに誘われ、二人で、恵比寿駅そばの居酒屋でお酒を飲んだことがある。そのとき、加藤さんから教えていただいた話は、忘れることはできない。

警察官は、我々医師とは異なり、法学的な素養も要求されている。そのため、警察の昇任試験では、刑法例題が出題されるのだという。その例題は、以下のような問題なのだそうだ。

「Aは、Bを拳銃によって殺害しようとした。Aによって発射された弾丸は、Bには当たらなかったが、連れていた犬にあたり、Bはそれにショックを受けて心筋梗塞を発症し、その場で死亡した。それを確認したAは現場を立ち去った。Aに問われうる罪責について述べよ。」

答えは、殺人なのだという。医学部を卒業したてで、医学の素養しかなかった当時の私には、何とも理解不能であったが、法医学で経験をつむにつれ、場合によっては、そうした医学から見ればトンでもないような法適用も国民の権利維持のためになされうる場合もあることが理解できるようになってきた。しかし、現実には、このような事例は、めったにないし、実際にこのような事例で殺人が認定された事件を私は知らない。

一方で、これと類似の事件は多く経験する。「AとBが口論となり、AはBを傷害してやろうと意図して、顔面を殴打した。Bは、殴られた際のストレスで、心筋梗塞となり死亡した」というようなケースだ。この場合、傷害されたことによる心理的ストレスと、心筋梗塞発症との因果関係が成立するかが問題となる。仮に、我々法医学者が、因果関係ありと判断すれば、傷害致死になってしまうだろう。しかし、現実には、我々法医学者は、医学的に、因果関係の成立は不可能と判断するので、この件が、傷害罪で立件されることはあっても、傷害致死で立件されることは殆どありえない。法医学が司法の暴走を止めているのだ。このように、法医学は、死因診断という医学的部分と、その後の法的な判断をつなぐ重要な役割を担っている。この部分で、医学的判断を誤れば、その後の司法判断も誤るのは当然である。

一人の人の死を巡って法的な判断が必要になった時、法医学的な過程を過つことがなければ、医学的に不当な判決は無いと信じる。しかし、法医学が貧弱であれば、死因診断を過ち、医学的に不当な判決もありうるだろう。以前、変死体で発見されながら、司法解剖もせずに、検案した臨床医により心筋梗塞とされていた事例で、あとになって、保険金目的の殺人である可能性が発覚した事例があった。判決では「被疑者が死者を水も飲ませないなど放置し、それにより血液がどろどろになったため、心筋梗塞で死亡させたものである。」として保護責任者遺棄致死罪で有罪となった事例があったが、この事例も、法医学の関与がなかったため、医学的に異常な判決がでてしまったよい例だろう。

医療事故が発生したとき、医師や、看護師が、業務上過失致死被疑事件として立件・起訴される場合がある。このような場合も、他の刑事事件と同様に、死因の診断と、医療行為の妥当性の判断という医学的に胆といえる部分は全て医師の判断に依存している。中でも、医療行為の妥当性の判断に関しては、医療が多様化した現在は、法医学者ではなく、臨床医の判断に任されることが多くなった。仮に医療関連死に関する刑事判断が不適切になるとしたら、死因の診断と、医療行為の妥当性の判断という医学的判断の部分が不適切だからに他ならないとも考えられる。法医の立場から見ていると、医療行為の妥当性を判断する臨床医の先生に、法医学的な素養が十分あるのか、心配な面もある。感情的に、あるいは、捜査当局の都合に合うように、医師を批判するだけの鑑定が出ている場合も散見されるようだ。案外、「敵は味方にあり」なのかもしれない。このような、我々法医の危惧が当たっているか否かは別として、医師が、現行の刑事手続きを医学・医療の観点から不当と考えるのであれば、死因を巡っての医学的判断と、その刑事司法への伝達方法という、法医学的な過程を適性化すべきだというのが本来の議論のありかたではないだろうか。法医学的なものの考え方の見直しこそが必要なのだと思う。

しかしながら、最近の医療関連死の議論を見ていると、法医学が軽視されていると感じる。医療関連死の問題が議論され、厚生労働省は、医療版事故調査委員会(事故調)を設置するという試案を発表したものの、その検討会委員に、法医学者、病理学者が含まれていない。法医解剖や病理解剖を行う人員・設備の充実による死因診断の適性化という点も、委員の中から何度も意見が出たにもかかわらず、棚上げされたままで殆ど議論されなかった。このままでは、誤った医学判断の上に、誤った刑事・民事の判断がされることは十分予想されることだ。しかも、将来設置されるとされる事故調は、諸外国のコロナー制度や監察医制度とは異なり、医療事故のみを探し出すことを任務とする機関である。このような機関を作ったうえに、死因診断という医学判断の胆の部分を軽視したのでは、この機関が将来どのような機関になるのかは、賢明な方には容易に予測できるだろう。最近、「日本医師会の大罪」という文書を書かれた小松秀樹先生もそれに気づかれた1人なのかもしれない。

医療関連死に関して、医師の目から見て、民事・刑事両面で医学的に不当な判決が出ていると考えるのであれば、何が原因でそのようなことが起きるのかを、もう一度ゆっくり考えてみてはどうだろうか。医師法21条を改正し、届け出先が警察でなくなったとしても、事故調が過失ありと疑えば、警察が介入せざるを得ない。厚生労働省の力だけでは、刑法で医師のみを免責するような法改正がされないためである。事故調を作ろうが作るまいが、これからも刑事司法が医療の過失の判断に関わることは続くのである。

我々医師は、病院や大学という狭い社会に棲んでいるせいか、その外側に存在するより広い社会の中に生きていることを忘れてしまいがちだ。警察捜査が不当と揶揄するのも自由が、なぜ彼らがそのような非医学的と思われる行動を取るのかに関しても考えを巡らせるべきだろう。

私に、そのようなことを教えてくれた加藤さんであったが、B型肝炎ウィルスのキャリアーであったため、40代後半で肝硬変・肝ガンを発症し、昨年50代半ばで他界されてしまった。検視官であるという立場上、医学的な勉強もかなりされていたので、自分の病気のことは大分わかっていらっしゃったようで、亡くなる直前は随分と痛々しかった。「先生、私はあと何年生きられるんでしょうかね?」との携帯電話越しに聞いた声が、私にとっての彼の最後の言葉だった。医師は、自分が致死的な疾病に罹患したら、どうなるか分かる分、一般の方よりも、辛い部分もあるだろう。彼もその点、医師と同じだったのかもしれない。彼からいただいたご指導に感謝するとともに、心から、ご冥福をお祈りしたい。

 

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