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臨時 vol 28 「シンポジウム「患者の声と医療ADR」傍聴記(4)」

医療ガバナンス学会 (2007年7月11日 15:31)


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~ 資格や立場を取り払って、一人ひとりに戻る ~
ロハス・メディカル発行人 川口恭

さて国会議員2人の登場である。政治家と言うと色眼鏡で見る人が多いかもしれない。しかし、実際に話を聞けば見識のあることがよく分かる。

鴨下一郎衆院議員「ここまでどういう議論が行われてきたか承知していないが、対話型ADRを構築すべしというシンポジウムの趣旨については、まさにその通り。福島県立大野病院事件に大変ショックを受けた。政治も取り組まないといけない。厚生労働省も第三者委員会を作ろうと動き始めているので、その動きについてまずご報告したい。

本当は医療は安全・安心にかかれるものでなければならない。一方で医者は訴訟に対して防衛的になりがち。胸襟を開いて対話するためにも、いきなり警察・検察でない仕組みが必要」

鈴木寛参院議員「行政監視委員会に所属して医療ミスがどうやったらなくなるかといった問題を考えてきた。また福島県立大野病院事件で鴨下先生ともご一緒に医療者の請願を川崎厚生労働大臣に取り次いだりした。

この問題は相当根が深いというか、いろいろなレベルで様々な問題を含んでいる。医療現場のコミュニケーションの問題でもあり、医療機関のガバナンスの問題でもあり、霞が関・永田町の医療政策の問題でもある。この問題こそ熟議・熟論が必要であり、今日だけで解決策が示せるはずもないがキックオフとしたい。

医療崩壊、保身医療、委縮医療がどんどん広がっていて、みな善意で関与していて、加害者はいないにも関わらず被害者がいろいろなところに出ているという状況だと思う。また霞が関の議論が、我々の意図とズレてきていることも指摘しておきたい」

和田「鴨下先生からも言及のあった医療版事故調というか原因究明機関について、遺族としてどう評価するか」

佐々木「対話型ADRのことで頭がいっぱいなのだけれど、第三者機関は行政任せになるような気がする。遺族は情報を得ることができないし、医療者の顔も見ることができないのでは? 被害者はその場の議論でどんな気持ちになるのだろう、納得できるのだろうか」

村上「実はパブリックコメントを送った。書いたのは、死亡原因を広く取ってほしいということ。これからの医療を良くするためという観点に立って、行政とか保険点数の所まで遡って原因を広く取ってほしい、と。それから被害者・遺族の申し立てで調査に入ってほしいし、その結果を踏まえて対話の場を設けてほしい。そのうえで話し合ってほしいと書いた」

鴨下「第三者機関の議論は始まったばかり。こうした声は吸い上げなければならない。患者の疑問と医療者の言い分はすれ違いがち、何が重要か、罰することなのか、補償を受けることなのか、むしろ多くの方にとっては、なんでこうなっちゃったのか知りたいのだろう。当事者どうしで話してもらう。医療者は防衛的になりがちなので、お互い納得するものを見つける、患者が納得できる仕組みでないと意味がない」

ん?と思った。第三者機関の議論が結論ありきで突っ走っていることは耳に入っていないらしい。が、本題とずれるので、あまり深く考えないようにしておこう。

鈴木「村上さんのおっしゃった死亡原因を広く取るというのは非常に大切なこと。というのは先ほどから対話が大切だという話になっているが、医師が患者さんと10倍コミュニケーションの時間をとったとしても診療報酬は変わらない。もっとヒドイ例で言うと家族とのコミュニケーションも大切だと思うのだけれど、それに対しては診療報酬は1点もつかない。そんな中、マジメな医療者たちは自己犠牲を払って患者や家族と対話しようとするのだけれど、やればやるほど燃え尽きてしまう。原因といった時の食い違い、それは直接の死因なのか、それともその死因を発生させてしまったシステムの問題なのか、きちっとしておく必要がある。たとえば日本外科学会の調査では、実に外科医の7割が当直明けの手術を経験しているという。つまりほとんど徹夜明けで手術している。そんな状態でミスをした時にそれは果して医療者本人の責任なのか。本人を追及しても恐らく再発防止にはならず、リスクのある医療行為をやらなくなるだけ。二度と繰り返さないために何が必要なのか、という原点に帰ってくることが大切だと思う」

和田「だんだんマクロの話になっていくのだが、事故の当事者にとっては常にかけがえのないミクロの話。そういうミクロをすくい上げるのはメディアの得意分野なのかなという気もする」

黒岩「ミクロを取り上げやすいのはその通りなのだが、エモーショナルに動かして大きなグランドデザインを壊すことになる危険性が常にある。死亡原因を広く取る、というのは実に素晴しい表現。対話にはテクニック性もあるのだが、医療者の教育で教えているのか、などなど言い始めるとキリがない。一つひとつやっていくしかないのかなと思う」

和田「そういう意味でも一つひとつの被害から学ぶ、こういった機会が重要だと思う。では折角の機会なので会場の方、質問があったら」

会場1「大学で倫理学の研究者をしている。今日の話を聞いていると、これはもはや法律の世界ではなく倫理学の分野だと思う。倫理学的に言うと責任は応答可能性と翻訳するのだけれど、医療ADRでは誰が誰に応答するのか、主に医療者が患者・被害者に対するものと理解したが遺族・被害者に対して一般市民がどうレスポンスすべきとお考えか、レスポンスという言葉がなじまないとしたらどう下支えしたらよいのか」

和田「個々の体験に互換性はないので、応答する際には医療者とか被害者肩書が抜け落ちて、最終的には個と個のレスポンスになるのだろう。もっとリテラシーというかレスポンスを高める活動はNPOとしても必要になるだろう」

村上「パブリックコメントに、普通の人を入れてほしいと言った。普通の人の感覚を取り入れてほしい。医師や弁護士が持っているのは普通の人の感覚ではない」

黒岩「普通の人というのが一番難しくて、実際に探そうとしても難しい。先ほどの一般の人のレスポンシビリティは、外から見ているのだと思う。あそこの医療機関は患者の声をよく聴いてくれるという評判が一般の人も巻き込んでいくのでないか」

鴨下「事が起こってしまってからの話をしているが、倫理的には紛争を未然に防いだ方がよいに決まっている。情報応答性に欠ける医療現場では、どんどん不信感を増幅する。開業医が増えているのは、安全なところに逃げ込もうという医療者の心理があるので、リスクの高い行為をしている人へのサポートをしないと解決しない。医療ADRだけでなく総がかりで取り組まないと。そして、もっともっと広い意味で医療を担っていくのは皆さんが主体という考えを持っていただきたい」

会場2「まさに市民社会の創造なのだと思う。普通の人を探すのが難しいと言うけれど、それをあきらめていいのか。裁判員制度も始まる。あまりにも医療制度は偉い人だけで決められていないか」

鴨下「がん対策基本法のがん対策基本計画を議論する協議会は患者団体の代表も含めて構成した。皆さん苦労して、自分たちの想いはあるけれど全体のことを考えて意見を取りまとめている。ある人が新しい民主主義の第一歩だと言ったけれど、ぜひこの動きに関心を持っていただきたい」

まだ質問の手は上がっていたが時間切れ。最後に鈴木寛参院議員が講演した。

鈴木「一市民としてこの運動に参加していきたいと考えている。私の専門は情報学、その中でも情報社会学とコミュニケーション教育なのだが、医療には現代社会の抱える問題が凝縮している。不条理なこと理不尽なことがいっぱいある。学者としては現場の問題点を抽出したいと思うし、立法者としては対策を取りたい。

我々は日々様々なトラブルに巻き込まれる。個人ではほとんど解決できないので社会や組織というものを作ってきた。ベースには倫理があるべきなのだが、ここ200年ほどは法律や社会制度のような規範で解決しようとしすぎている。これがひずみの原因。というのも法律は、責任者を定め権限と責務を与えるという構造を持っている。その責務がどんどん広くなっている。無過失責任とか結果責任という言葉に代表されるように故意でなくても責任を問われる。そうするとどうなるか。誰もが責任あり立場に就きたくない、責任を取りたくないということで社会が崩壊する。医療崩壊はまさにその象徴。

インターネットにベストエフォートという概念がある。インターネットが出てくるまでの通信は、NTTやKDDといった電気通信事業者が責任を持って回線を保証していた。しかしインターネットに運営者はいない。誰も保証はしないけれど、自発的につながって、それぞれの立場で最善を尽くすというもの。最初のころのインターネットはブチブチ切れた。でも誰も責任を取れとは言わなかった。そういうものだと皆が理解していたから。

医療の世界にもベストエフォートの概念を導入するべきでないか。誰が最善を尽くすのか。それは医療者だけではない。患者も家族もメディエーターも、それぞれがそれぞれにできる最善で関与する。

その世の中をどうやって作るのか。そのためには法律や制度の可能性と限界を理解する必要がある。

世の中で立場をわきまえて行動するようになると社会人になったと言われる。しかし現代社会では、良い社会人であることがかえって禍いを招く。立場をわきまえるから、組織の目的に従順になって、普通の人の立場から遊離していく。

ADRの話をすると法律のプロほど反発する。法律の限界を認めたくないというか、万能であると信じたいから。しかし、立場を超えて普通の人として良心のみに従って行動したら、そうはならないはず。

本当は我々が幸せになるために組織を作ったのに、組織によって人々が不幸にされるという逆転現象の起きるところまで来ている。ここで普通の人とは何かということになるけれど、一つの立場に拘泥しない様々な立場を内包した存在、自分がなったことのない立場のことも慮ることができる、そんな人のことだ。

もう一度医療について、政策のつくりかた、医療機関の運営の仕方、日々の診療現場考え直す必要がある。医師と患者の対立構造が一番不幸。一つひとつの現場で最善を尽くすにはどうすればよいのか。

必要なものは①関与する人間の能力と志と倫理②知恵や方法論、この二つがあったうえで初めて③社会制度・システム・法律が出てくる。それも①②に対してポジティブフィードバックをかけるという目的を達成してこそ意味がある。

現在の医療はあまりにも過剰な責任によって、ベストエフォートの芽が摘まれている。もう一度普通の人に戻って、良心に誓って、本当にその行動でよいのですかと自問する。資格や立場を超えて一人ひとりに戻ることが大切なんだと思う。

そういう人の連なりである現場が増えることが大切。そしてつながる。

一緒に知恵を出し、一緒に勇気を出して、一つひとつの現場を作り出そう。一緒にやっていこう。私も一市民として皆さんと一緒に活動していきたい」

今までモヤモヤしていたものが一気に具体的な像を結んだ気がする。ロハス・メディカルと私もその中に加わりたいと強く願う。

最後に和田所長が「皆さん、それぞれの場へ持ち帰っていただき、一歩ずつ進んでいけたら」と総括して、幸せな日曜日の午後は幕を下ろした。

(この傍聴記は、ロハス・メディカルブログhttp://lohasmedical.jpにも掲載しています

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