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臨時 vol 23 「シンポジウム「患者の声と医療ADR」傍聴記(1)」

医療ガバナンス学会 (2007年6月25日 15:51)


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~ まず話を聴くことから始めよう ~

ロハス・メディカル発行人 川口恭

表題のシンポジウムが早稲田大学で開催されたので傍聴してきた。期待以上に内容が濃く、かつ頭の中がクリアになるものだった。記憶が鮮明なうちに何回かに分けてご報告したい。ちなみにNHKのカメラも入っていたようだったので、何らかの番組になるのだろう。

会場は早稲田大学の南門を出てすぐのところにあるという小野記念講堂。小雨の中、地下鉄早稲田の駅を出て歩いていくと、商店街は、野球部の全国優勝を祝う張り紙ばかり。あれも早稲田で、これも早稲田、大したもんだと思う。着いて地下へ降りてみると、楽屋まで完備の実に立派なホールだった。

前置きはこれくらいにして早速報告を始めよう。まず和田仁孝早稲田大学紛争交渉研究所長が挨拶。

「被害者や遺族が参加する新しいタイプのADRをめざす。しかし、どんなに善意に考えたとしても、我々は専門家でしかなく、本当に被害者や遺族の声に答えることにはならない。いろいろな機会で被害者や遺族の声を聴く必要があるだろうということで、今回はここに焦点を当てて2人の遺族の方にお話をいただく。それを受けて我々のNPOがどう考えているのか説明し、さらにパネルディスカッションで議論したい。最後には国会議員も交えてさらに論議を深めたい」

いつものことながら、分かりやすいアジェンダだ。今からの2人の話を克明に記録することが肝要だなと合点する。

最初の佐々木孝子さんは、1994年1月に二男の正人さん(当時17歳)が、バイクの自損事故で救急病院に搬送されたのだが、十二指腸破裂を見逃された挙句、MRSAの院内感染によって事故後15日目に亡くなったという経験の方。

聴けば聴くほど理不尽極まりないと思う。しかし、感情を高ぶらせることなく低い声でゆっくり噛みしめるように話す。

「もう13年前になるが、三人兄弟の真ん中の子供を医療事故で亡くした。医療者に対して私は高級職、専門職として信頼と尊敬の念を持っているが、その時のことについては納得がいかなかった。バイクの自損事故で運び込まれた救急病院で、非常な腹部の痛みを訴えていたにも関わらず単なる打撲と診断され、食事に普通にさせていた。

9日目に造影検査をして初めて1.5センチの亀裂が見つかった。あまりに遅い診断だったし、それから行った長い手術の後、『食べさせたのが悪かった。食塩水で洗った』と言って、その晩は出てこなかった。翌朝になったら黄疸の症状が出ているので訴えたら『ここでは処置する設備がない。お母さんあらめてください』と。

そんなことを言われてあきらめる親がいるはずがない。慌てて済生会へ転院させようとしたら、その時になって『もう一度手術させてほしい』と言ってきた。転院させたのだけれど、2日目にMRSAの感染が分かって、正人がお母さんもうダメと指でバッテンを作った。

葬儀の後で、先生いったいどうなってたのですかと尋ねたら、分厚い文献を持ってきて、これにも載ってないので分からなかったと言われた。しかし、どうしても納得いかなかったので提訴することにした。医者を訴えるのはよほどのこと。

それなのに途中から弁護士が示談しましょう、と。1年ぐらい準備書面を交わしていて、『争点になる事実がないか』と言うから、いろいろ調べて救急の腹部外傷に関して鑑定してくれる医師が沖縄にいたので行ってみたら、レントゲンの中に教科書に出せるくらい十二指腸破裂に典型的な気腫像が見える、と。これを分からない医者が救急病院にいるのか、と。

それで、その旨を準備書面で出したら、相手からは『最初からわかっていたけれど、あなたが主張しないので言わなかっただけだ』という不可解な答弁書が出てきた。しかも弁護士から、『もう準備書面を書けないし、先にも進めることができない』と言われ、和解を勧められた。最初から和解する気なんでなかったので弁護士を解任して、どうしようかと思っていたところで、本屋さんで和田先生の書いた本人訴訟に関する論文を見つけて、本人訴訟で行こうと決めた。裁判長からは威圧的に『せっかく和解が見えて8合目まで行っていたのに3合目まで戻ってしまった。弁護士を決めなさい』と言われたが本人訴訟で行くと突っぱねた。

(裁判官も代わって)ようやく医師の証人尋問をできることになったのだが、出廷してきた医師2人の顔を見てハッとした。2人ともでっぷりとした体格だったのに、顔が半分くらいスリムになっていた。心が痛んだ。医師は私の顔を見ることもなく謝罪の言葉を述べることもなく、私の問いかけには無言だった。私は、遺族は一生癒されないのだと伝えたかった。

裁判は精神的に張り詰めた状態が長く続く。しかも相手側からは真実のない書面が出てくる。多くの被害者・遺族は、まず診療期間中に何があったのか知りたいと思っていて医者から聞きたいと思っているのに答えてくれない状況があると、それだったら公の訴訟という場に呼び出してもらおうという気になってしまう。しかし医療過誤が裁判に向いているかというと必ずしもそうでないと思う。

ADRのシステムは5年前に知った。ミスがあった時に医療者が説明し真摯に謝罪することによって、医療者は次の医療へと向かっていけるし、遺族も立ち直れると思う。そうすればマスコミにセンセーショナルに取り上げられることもなく、解決の道筋が開ける。

訴訟の後、北海道から九州までいろいろなところから電話がかかってくるようになった。多くの人が医療者への不満を漏らす。それをカウンセリングのように聴いてあげる。長い人だと1時間以上話す。ただ聴いてあげるだけでも、最後には少し気が楽になりました、ありがとうと言って皆さん電話を切る。

13年も経っているが昨日の如く息子のことを思い出す。当時88歳だった父が『誰にも迷惑をかけることなく逝ったんだから、あきらめなさい』と言ってくれた。その父も3年前に97歳で亡くなった。100年近く生きたとしても人は必ず死ぬ。息子の人生はたった17年だったけれど、その分凝縮して生きたんだと思うことにした。裁判の途中で病気になって1週間入院した。それが息子からの「自分の人生も大切にしなよ」というメッセージのように受け止められて、それからは前向きに楽しく毎日を過ごしていこうと思えるようになった。

医療者の使命感を尊敬している。どうか心やさしいケアをお願いしたい」

この医療事故は、民事の一審で佐々木さんが勝訴した後、医師2人が控訴し、「反省してない」と考えた佐々木さんが刑事告発して、最終的に業務上過失致死で医師2人の有罪が確定し、2人の医師は罰金刑とさらに業務停止3か月の行政処分を受けた。民事訴訟も医師側が控訴を取り下げる形で和解が成立したという。

なかなか言葉を発しづらい雰囲気の中、和田所長が「分かると言ったら失礼になる。でも学んでいきたい」と引き取って、次の村上博子さんの紹介へ移った。
(つづく)

(この傍聴記は、ロハス・メディカルブログhttp://lohasmedical.jpにも掲載しています)

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