医療ガバナンス学会 (2007年6月27日 15:47)
村上さんに関しては、最後まで事情がよく分からないままだったが、話をつぎはぎすると、どうやらこういうことらしい。
神奈川県の大学3年生だった息子さんが心拡大によって亡くなった。実は大学が行っていた定期健康診断では心拡大は判明したいたのだが、本人にその結果が知らされていなかった。
村上さんは和田所長がインタビューする形式で話をした。
和田「息子さんが亡くなって、まず何をしたいと思ったか」
村上「何が起きたのか事実を知りたいと思った。私にとって息子の死は理不尽なあってはならないことに思えた、二度と息子のようなことが起きないようにしてほしいと思った」
和田「まず裁判するつもりがないと宣言したというのが珍しい」
村上「最初からそうだったわけではない。パッと思いつくのは裁判。とはいえ、裁判のことなど何も知らない。調べてみたら、何が起きたか知りたいとか、二度と同じことが繰り返されないようにとかいった自分の願いを叶えるものではない、そういう気がしてきた。お金も時間もかかるし、息子の死を損害として金銭換算しなければならないのが気持ちに馴染まない。だったら最初からやりませんと。それに裁判では死の決め方が狭い。この時こうしていれば死ななくて済んだというのは全部明らかにしたかった」
この時点では「死の決め方が狭い」という言葉の意味がよく分からなかったのだが、後になって実に重大な意味を持っていたことに気づく。
和田「狭いとは」
村上「健康診断の結果を息子に知らせてくれていれば治療できたかもしれない、といった具合に、資料開示をかけてみると、ここでもしもう少し医療者が突っ込んで対応してくれていれば、死なずに済んだかもしれないということがゴロゴロしている。それをすべて握りつぶされた。その過程を検討して改めるべきは改めてほしい。
健康診断が、大学にとっては就職証明書を作るためだけのものになっていて、医療者にとっても大したものが出てこないと決めつけられていたように感じる。息子の死をケーススタディに再発防止の検討をしてほしい。
そう思って、医療機関の最高責任者や現場レベルの責任者に都合5回面会を申し込んだけれど、残念ながら誰にもお目にかかることができなかった。こちらは開示されたものが真実なのか疑義を持っていて、とても事実にたどり着けないという感覚を持った。そういう対応をするのは責任問題を恐れているからだろうと考えたので、だったら上の人に面会して責任追及や裁判はしないと伝えて、事実を聴きたいと思った。しかしあっさり断られてしまった。
こちらは怒り狂って全て文書にしてぶつけてしまった。それでもやりとりの肝心のところは曖昧だし、改善案もおざなりに感じた。だったらと事実解明はあきらめて、再発防止の一点に絞ってと提案したけれど、それでも現場の責任者からは『説明を尽くした』という文書での回答しか来なかった」
これまた凄まじい話である。例えるなら、丸腰で「話せば分かる」と近づいているのに、相手が銃を構えたまま砦から出てこないということだ。たぶん、こんな事例が少なくないのだろう。
村上「患者がまだ質問があると言っているのに、説明は尽くしたという医者がいるのか、と怒り狂った。医療者の良心に訴えていけば何とかなるのでないかという信頼が音を立てて崩れた」
和田「医療者の一人ひとりと話してみると、良心を持っているし、悩んでもいることが多い」
村上「しかし、その部分が何にも出てこなかった。医療者も苦しんでいるんだと感じ取れていたら、状況がまた変わったかもしれない」
和田「文書でやりとりしたのが問題だろうか」
村上「窓口が総務の部署で、医療者とは一度も話すことができなかった」
和田「話をできていたら、納得いく対応が得られたと思うか」
村上「まず、きちんと話を聴いてほしい。納得いくまで説明をして、そのうえで私の言い分を聴いて欲しかった。事案解明した説明と反省や後悔、あるいは力及びませんでという言葉と息子のようなことを二度と起こしませんという誓いの言葉があれば、納得できたのでないかと想像する。
会っても文書と全く同じ対応だったら怒り狂って何も言えなくなってしまうかもしれない。単なる謝罪だけなら受け入れられない。
会うのはいいことで解決する手段かもしれないけれど、お互いに準備をしてからでないと意味がないのでないかと想像する」
和田「どういう準備?」
村上「疑義を申し立てるのはよほどのこと。スーパーのレジ打ち間違えとは訳が違う。迷いに迷った挙句の行動なので、感情的に崖っぷち、ギリギリの所に立っている。マイナスの感情だけで、しかも自分自身を責める気持ちも根底にある。そんな状態だから、感情そのものをぶつけてしまいがちだし、自分が何を望んでいるのかすら分からなくなる。
医療者と会う前に、そういったマイナスの感情を脱ぎ捨てないと、脱ぎ捨てるのは無理だとしたら、せめて抑え込まないと。被害者が加害者と話をする図式ではうまくいかない」
和田「村上さんに『被害者』という言葉に違和感があると言われた。マイナスの感情を抑え込むことができたという意味では自分自身でメディエーションをこなしているのだろうか」
村上「私には、まじめに話を聴いて、しかも批判してくれる家族や友人がいた。その点で恵まれていた。周りに医者がいたのでカルテを読んでもらったし、弁護士の友達もいた。そうした人たちに支えられることで、自分の中でキリの良いところで終わらせることができた」
和田「医療者側も準備しなければいけないだろうか」
村上「鎧を脱いでもらいたい。組織、保身、体面、世の中を渡っていく鎧を脱いで、良心だけで対峙して、将来への誓いを立ててほしい。自分には、できないと思ったら、それも口に出してほしい。組織も、大きな度量で医療者にそれを許してほしい」
和田「医療機関との交渉では得るところがなかったけれど、文部科学省が対応してくれたとか」
村上「いろいろと文書にまとめて大学へ送った最初の項目が、健康診断結果の通知方法についてだった。大学の方法は明らかに問題があったけれど、調べてみると全国の多くの大学で同じ方法を取っていた。そこで文部科学大臣に手紙を出した。お役所だから期待していなかったのだけれど、『どういう結果であろうとも本人へ伝えるよう』全国の大学へ文書を発したとのお返事が来た。
たったひとつだけれど願いが叶ったと思うことにした。息子の死が価値あるものになるのは遺族にとって大きな意味がある。
私が伝えたかったのは、疑義を申し立てた人の気持ち。医療者には理解してもらえなかった。危険人物のように見なされ、相手は隙を見せないように身構えている。大きな溝を感じた。その構図では気持ちが伝わるはずがない。
医療者へ申し上げたい。疑義申し立てした人を固定観念で見ないでほしい。真っ正面で受け止めてほしい。それが問題解決につながる」
まさに圧巻の意見陳述である。ここから議論がどう展開していったのかは稿を改めることにする。
(つづく)
(この傍聴記は、ロハス・メディカルブログhttp://lohasmedical.jpにも掲載しています)