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vol 8 第1回 「診療行為に関連した死亡に係る死因究明等の在り方に関する検討会」傍聴記

医療ガバナンス学会 (2007年4月22日 16:08)


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~ 組織を作りたい厚生労働省、そこに入り乱れる思惑 ~

(ロハス・メディカル発行人 川口恭)


あまり報道されていないので知らない人も多いと思うのだが、厚生労働省が『医療関連死の死因究明機関』を作ろうと動き始めている。そのこと自体に反対する人は多くないと思う。しかしながら『現場からの医療改革推進協議会』では、その議論のなりゆきに重大な関心を持っている。話の展開次第では、疲弊した現場をさらに苦しめ医療崩壊を加速させかねないと懸念しているからだ。

ということで、4月19日には募集されていたパブリックコメントに対して、5716人という前代未聞の大勢の賛同署名つきで意見書を提出した。その後で記者発表も行ったのだが、私の知る限りどこも報じなかったようだ。余りにもきちんと意見書の中身を説明しすぎたために、記者が記事を書けなくなってしまっ
たかなと思っている。つまり、記者側の一般的思考回路では、「霞が関」の政策的カウンターパートが野に存在するはずがないので、こういったものは対案提出ではなく意見具申としてしか捉えられないし、その形で書くような記事フォーマットしか持っていないのだ。

面白い対案が出てきたと捉えるだけのセンスのある記者がいなかったことを嘆くのは簡単だが、個人的には「意見具申」のフォーマットで書いてもらえるように、あまり意見書の中身を説明せず、大勢が賛同したということにポイントを絞って説明した方が良かったのでないかと思っている。ただし、それでは医療者・学者としての良心が許さないのだろうから難しいところではあり、記事にならなかったのはある意味必然かもしれない。いずれにしても、今後の展開次第では記者発表で蒔いた種が大きく花を開くこともあるだろう。

花が開くも開かないも、検討会そのものの議論にどれだけ影響を与えられるかにかかっている。そのためには、いつの間にか結論が出ているという事態は避けねばばらず、どのような議論が行われているか、広く皆さんに知っていただく必要がある。協議会の末席に連なる者として、検討会を傍聴してきたので、ご報告する。なお、しばらく待つと正規の議事録も公開されるので、公開後はそちらも
ご覧いただきたい。

検討会が開かれたのは厚生労働省9Fの省議室である。正確なサイズは分からないのだが、幅20メートル、奥行き40メートルくらいあるだろうか。かなり広い。100余りの傍聴席が設けられ記者を含めて傍聴は60人ほど。

冒頭、松谷有希雄・医政局長が「スピード感を持って議論していただきたい」と挨拶して始まる。これだけのテーマで結論を急がせるということは出来レースか? と身構えてしまったが、今日の各委員の発言を見る限り、そんなこともなさそうだ。今後きっと激しいやりとりになるに違いない。

座長には、事務局(佐原康之・医療安全推進室長)の指名で前田雅英・首都大学東京法科大学院教授が就いた。根回し済みだったら最初から座長席に座っておけば時間の節約になるのに、というのは民間の発想で、手続きが大事なんだろう、きっと。その前田座長、声が小さいのかマイクが遠いのか、ゴニョゴニョと何を言っているのか、よく聞き取れない。議事録を公開することで良いかも委員に諮っている。公開しないなんて許されるはずもないし、事前に通告しておけば良いことなので、これも時間の無駄だ。

不明瞭ながら、座長の冒頭発言で分かったこと。どうやら前田座長に本日与えられたミッションは「診療関連死の死因究明を行う中立・公正な組織を作る」方向でコンセンサスを得ることらしい。検討会を立ち上げている時点で組織を作ると決めているのだろうと思う。だけど、厚生労働省が作ろうと提唱した、にはしたくないわけだ。その後で前田座長が折々に繰り出した発言を辿ると、要するに厚生労働省は「スピード感を持って、第三者機関を作りたい」らしい。役所が組織を急いで作りたがる時には、ロクでもない狙いが隠れていることが多いので、この点に関しては、ちょっと注目する必要がありそうだ。

とは言うものの、こんなゴニョゴニョとしたペースで、これほど漠然とした話にどうやって「スピード感」を持たせるのかなと思っていたら樋口範雄・東京大学大学院教授が素晴らしい論点整理をしてくれて、一気に話が分かりやすくなった。

曰く

「中立的第三者機関をまず作れば良いという話ではない。作った後が問題で、何をすれば良いのか指針を与える必要がある。その際に二つのバランスが必要と考える。一つ目の大きなバランスは以下のようなことである。私が考える機関の目的は1、責任の追及、2、被害の救済、3、再発防止・今後の医療向上であるが、3つのうち前2者は過去に目を向けるものであり3つめは将来に向けての話である。そして機関が果たすべき役割の「真相究明」というのも過去に目を向けるか、将来に目を向けるかで方法論あるいは言葉の意味さえ変わってしまう。つまり、将来に目を向けた場合の「真相」は「今考えればこういうことが可能だ」
となるだろうし過去に目を向けた場合の「真相」は「その時点でその立場の人であったらこうなる」になる。厚生労働省において行われてきたモデル事業というのは将来に目を向けた話であったと私は理解している。しかし、この検討会で立ち上げる第三者機関というのは過去と将来のどちらかだけ目標とすれば良いというものではなく両方のバランスを取らなければならない。しかし、この大きなバランスを取るのは容易なことではなく機関を作ってしまってから考えなさいと言ってできることでもない。さらにもう一つの小さなバランスは責任追及の手法についてである。責任追及には、刑事、民事による損害賠償請求、行政処分がありこの3つの方法でうまくバランスを取る必要があるのだが、わが国においては、どの分野でも、このバランスは取れていない。世界的に見てもバランスの取れている国は少ない。このバランスを取るのも至難のわざである。この大小二つのバランスの取り方について検討会で指針を与えてあげる必要がある」

ちょっと長かったかもしれない。しかしモヤモヤがスッキリとしたのではないだろうか。

すかさず前田座長が「過去と将来のどちらかでなく両方必要だが、その両方を一つの組織で全部カバーすることはできないので、刑事システムなど他のシステムとの並存は検討しなければならない。いずれにしても、中立的第三者機関が欠けているという点には異論がないということでよろしいですね」と議論を引き取って、元の議題へと戻そうとする。

本当に両方のバランスを取ることが必要なのか、片方だけではいけないのか、そこも議論した方が良いとは思うのだが、ここからはずっと樋口委員の意見をベースに議論が進んでいく。

まず境秀人・神奈川県病院事業庁長が「一連のことを全て一つの機関で処理するのは、スペクトラムが広すぎると感じている。何が起きたか明らかにするのが第一であり、その際、古典的解剖で原因解明できるとは限らず、CPC的解析が行われる必要もある」と述べた。

次に木下勝之・日本医師会常任理事が続いたのだが、これは正直いただけなかった。「現場の医療サイドから求められているニーズは、医療関連死が刑事事件として扱われることに対する歯止めであり、この点について第三者機関に考えていただきたい」と述べたもので、医療関連死を刑事事件に問うことが何を惹き起こすのか説明せず、こんなことだけ言えば、やはり医師会は医師の特権を守ろうとしている組織でしかない、と国民から見られても文句は言えない。

実際、前田座長からも「気持ちは分かるし、制度ができることによって、医師が安心して踏み出せるというのも大事ではあるが、国民の側から、医師が自分たちの聖域を作ろうとしているように見えたらうまくない」と、やんわりたしなめられてしまった。

山口徹・虎の門病院院長が「モデル事業を通じて、第三者機関ができたからといってうまくいくとは限らないことを痛切に感じている。近年、多くの病院が医療安全に取り組むようになったが、その基本は再発防止のため、責任追及をしないかわりにヒハリハットなどのインシデント事例を現場から報告させており、第三者機関でも、再発防止に基本的スタンスを向けていかないと、病院の取り組みにも大きく影響しかねない」と少し話を補った。木下委員と発言の順番が逆だったら恐らく気にならなかったと思うのだが、やはり医療界の論理が前面に出ているような気色悪さは残った。

何か釈然としない気持ちを児玉安司弁護士の発言が救う。「ここ10年ほどで、医療界も法曹界も大きく変わった。そのことを互いにシェアしたい。まず医療界の変化から。2002年の医療法施行規則改正に伴って医療現場では多くの医療安全に対する取り組みが行われてきた。その代表選手がモデル事業だと思うが、極めて不完全な医療という分野の特性から、現場に疲弊感が積もっている。よく真相究明機関として対比される航空機事故調査委員会や海難審判と 医療には二つの異なる点があると思う。一つは、専門家が何人も集まって真剣にカンファレンスしても、なお分からない、そういうことが多々ある。暗闇の中を手探りで進むような不完全・不安定・不確実なものが医療であること。もう一つは、例えば海難審判がプロ対プロの決着であるのに対し、医療がプロ対市民の構図になること。事実を誰がどこまで定められるのかという問題とあいまって対話の促進が図られるような機関が必要になる。ついで法曹界の変化を紹介すると 裁判の平均的審理時間がここ10年ほどで劇的に短くなっている。医療訴訟の平均審理時間は10年前には40ヶ月だったが現在は全国平均でも26ヶ月になっているし東京地裁に限れば20ヶ月を切っている。しかも東京地裁での和解率は64%に上り双方の納得による解決が図られている。また東京地裁の場合、既に1人の鑑定人による裁断という方式は取られておらず、13大学から3大学3人の鑑定人に出てもらって、法廷の場でカンファレンスしていただき、その模様を原告・被告
が見ることで納得が得やすくなっている。東京の3弁護士会も合同で1月からADRプロジェクトチームを立ち上げており、仲裁センターを足場に近い将来、もう少し具体的なものを示せると思う。ということで、この検討会でも未来志向型に関与していきたいものだと考えている」

前田座長が我が意を得たりという感じで「裁判はまさに責任追及の場で、そちらでも厚生労働省の望む方向になっているということは、こちらの第三者機関とすり合わせできるということだろう」と応じた。「厚生労働省の望む方向」という発言は振り付けに従っていることを語るに落ちている感じはするのだが、まあ、あまり気にしないことにしよう。

続いて発言したのは、ロハス・メディカルでも大変お世話になっている辻本好子・コムル理事長。「医療界。法曹界だけでなく患者もずいぶん変わった。昔はただただ人を恨むだけだったけれど、最近はどうもそれだけでは済まないということを理解してきている。ただ、では患者・国民が納得できるだけの情報が報告されているかと言えば決してそんなことはない」。まさに、その通りだと思う。

高本眞一・東大心臓外科教授が続く。「医療に刑事責任を問うのは、医療の基本条件と相容れない。悪い結果が出たときには、背後にシステムエラーがあり、また患者さんの生命力がベースにある。それを誰か1人悪者にするのはおかしい。誤った時に医療だけが責任を取らされる。裁判官だって誤審するし、警官だって誤認逮捕するではないか。しかし、それを刑法で裁かれはしない。医療が高度化・複雑化して学ばねばならないことが増え、ただでさえ現場の医師は大変である。第三者機関が将来に目を向けるものになることを切に願う」。言っていることは、ごもっともだし、どうしても言わねばならんと決意を固めてやって来たのだろう。ただ、これを患者サイドが聞いた時にどう思うか、少々心配だ。

と思っていたら、豊田郁子・新葛飾病院セーフティーマネージャーが痛烈な一撃を放つ。医療資格者ではないそうだ。「不幸な結果が出たとき、患者側は過失があるという立場からスタートしているので、過失がないという前提で関与するとボタンの掛け違いになる。ボタンを掛け違えた結果、過失があったかなかったかに関わらず不幸な結果になることを数多く見てきた。患者や家族が再発防止を願うようになるのは事故からだいぶ時間が経ってからのこと。最愛の人を亡くした悲しみを受け止められずに、誰が一体何をしたのかという疑問・不信感を持つのは当然であり、その思いに応えるには再発防止目的の第三者機関だけでなく別のシステムを作って連携することが必要だと思う」

楠本万里子・日本看護協会常任理事は「キーワードは中立性・公平性だと思うのだが、今のところ議論が専門性に終始していると思う。その専門性を国民・患者さんへとつないで調整する役割の人が大切なんだろう。調整看護師の位置づけについても議論したいし、諸外国でどのような事例があるのか事務局にも調べてもらいたい」と述べた。正直、唐突すぎて、この流れの中にどう位置づけたら良いのか理解できない発言だ。木下委員といい、組織を代表してくると言わなければならないことが予め決まっていて、臨機応変にできないということだろうか。

と、混乱している所へ鮎澤純子・九大医療経営・管理学講座准教授がチャキチャキと登場して救われる。「1、第三者機関は患者だけでなく、医療従事者も強く願っている。現実に日本でもいくつか機関が試験的に動いている。2、第三者機関ができてからといって、医療機関が丸投げして済むものではない。まずは当事者がきちんと向き合うことが必要である。第三者機関ができることによって、検討の方法論などが医療現場へフィードバックされることも期待される。3、検討しても分からないことは必ず出てくる。分からないということを、どう国民の中で受け止めるのか、その議論や働きかけも必要である。4、樋口委員の述べた将来に向けた真相究明機関を持っている国というのは、私見では社会保障制度の整っ
ているところだと思う。医療事故に遭って、その後暮らせなくなるようでは未来志向になりようがない。原因解明を将来へ向けるためには社会保障制度もセットで議論する必要があるのでないか」

「4」は、財源措置を必要とする話なので、厚生労働省からするとイヤな提起かもしれないが、そりゃそうだと思う人も多いのではないか。

加藤良夫弁護士は冒頭に少し事務局に質問しているので発言していないのは、あと2人。座長は、どうやら、全委員にしゃべらせるつもりらしい。ブービーで登場したのは、山本和彦・一橋大学大学院法学研究科教授。「民事訴訟が専門である。医療訴訟には限界があるとかねてから考えていた。審理機関が短くなったといっても25ヵ月である。民事訴訟全体では7~8ヵ月に過ぎないので、やはり長い。しかも上訴率が40%に上る。この原因は訴訟の場では専門的・中立的事実解明が行われ難いからで第三者機関でそこが行われれば、その後で仮に訴訟が起きても早期決着が図られる。また訴訟では権利義務関係の法的確定しかできないので被害者の求めるものを全て拾えるわけではなく、ADRも必要なんだと思う。それがワークするためにも原因解明機関があって連携することは大切だと考える」。実際に第三者機関ができたら法律家たちの良い商売のタネになる、ということがいみじくもよく分かる発言である。そうねえ、これから弁護士も増えるもんねえと思わざるを得ず、この力学で議論が変な方向へ進まないようチェックしておく必要があると思った。

そしてトリを飾ったのが南砂・読売新聞編集委員。この御仁、多くの厚生労働省検討会の委員に名を連ねており「御用記者」の言葉がまさにピッタリ当てはまると思うが、開いた口が塞がらない迷言で会議をしめくくってくれた。「医療の持つ不確実性と国民・患者との期待値がズレている現実を感じる。たとえば500グラムで産まれた子供が無事退院したという話が、どんな子供でも助けられて当然となってしまう。最先端の医療が報じられると、それが国民の医療に対する現状認識になってしまう。そして、そのズレが医療不信の根底にあると思う。たとえ、どんな組織を作っても期待値と現実とのズレをすり合わせることができなければ恐らくうまく機能しないと思う」。

どこが迷言か。言っていることは全くもって正しい。のではあるが、「あなたが言うな!」である。国民に誤解させている張本人じゃないか!! マスコミがそういう報道しかしないから、『ロハス・メディカル』のような媒体が存在できる面もあるので言いたくはないが、「記事を読んで誤解する国民の側に問題がある」
とでも言うつもりだろうか。自分のことは棚に上げてよくもまあ、である。

とにもかくにも、こうしてピッタリ2時間が経過し散会となった。各委員のキャラクターと主張は大体わかった。さらに組織を作ることには同意であっても、その方向性に関しては千差万別で互いに利害が交錯し、かなりガチンコの激しい議論になりそうなことも分かった。次回以降も報告していきたい。

なお、この傍聴記は、ロハス・メディカルブログ(<a href=”http://lohasmedical.jphttp://lohasmedical.jp”>http://lohasmedical.jp</a>)にも掲載されています。

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