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臨時 vol 191 「小児科医が見た阪神大震災 6」

医療ガバナンス学会 (2009年8月14日 08:12)


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【2月8日-2月20日】中央区で見たこと

神戸市立中央市民病院・元修練医
濱畑 啓悟


灘保健所に出務中の2月に、8日から月、水、金の週3回、中央保健所にも出務
し、小児科の診療をすることになった。中央保健所では、大阪大学の小児科医療
班が24時間体制で診療を行っていた。それを中央市民病院の小児科が引き継ぐこ
とになったという。長田区、東灘区、灘区と保健所に入って医療体制の立ち上が
りを見てきたが、他の区の医療体制にも興味があったので、これは中央区の医療
体制について知る良い機会だと思った。

中央区は三宮駅周辺の繁華街の被害がひどかったが、ほとんどは非居住区で、
居住区の被害は少なかったようだ。また元々子どもの数は多くない所だ。阪大の
医療班は周囲の避難所も巡回して、当初は患者数も多かったが、この頃にはかな
り少なくなってきていた。そこで夜間診療は中止、巡回診療も順次縮小し、保健
所での昼間だけの診療に移るという方針が決まっていた。

まずは中央区の医療事情を把握するために、救護所の地図を作ることから始め
た。避難所を書いた地図はあったので、阪大のドクターや看護婦さんと一緒に避
難者数を書き込み、救護班の入っている避難所を24時間診療と昼間だけの診療の
所に塗り分けた。その頃中央区全体で24ヶ所の避難所に救護所が作られていた。
また中央区の西端には神戸大学病院があり、その他の病院も診療していた。東灘
区や灘区に比べて全体の避難者数は少なかったが、それでも1000人を越える避難
所もいくつかあった。また生田川沿いにテントを張って生活している人も相当数
いるようだった。
保健所内の救護所で待っていてもほとんど患者は来ないので、携帯電話を持っ
て出来るだけ避難所を見て回るようにした。2月10日、原付を使って中央区の西
半分の避難所に、小児科診療時間短縮のビラを配って回った。避難所にはお年寄
りや子供もいたが、この日回った中には妊婦や乳児は見られなかった。

JR神戸駅南に摩耶兵庫高校、市立盲学校、湊小学校の3校が隣接し、いずれも
避難所になっていた。それぞれに九州大学、沖縄県、労災病院の医療班が入り、
そのうち摩耶兵庫高校と湊小学校の2校では24時間診療をしていた。これはあま
り効率的な配置とは言えない。話を聞いてみるとお互いあまり連絡もないようだっ
た。

そんな中で2月13日、第1回の中央区の救護班連絡会議があるという。第1回と
聞いて耳を疑った。これまで灘区の体制が遅れていると思って走り回ってきたが、
中央区では震災後4週間経って初めての連絡会議とは、全く何をか言わんや、で
ある。会議ではこれまでの経緯と救護所医療の現状が報告され、区の医師会から
は救護班の早期撤収の要請がなされたが、撤収へ向けての今後の調整には相当時
間がかかるだろうと予想された。
2月15日、JR元町駅北側の神戸生田中学校に乳児が3人いると聞いて行ってみた。
一人は下痢をしていたが、大きな病気はなさそうだった。しかしよく聞いてみる
と、ほとんどお風呂に入れていないそうだ。そこで救護所にいる看護婦さんに、
たらいに電気ポットかストーブで沸かした湯を張って、週に2、3回でもお風呂に
入れてあげるようお願いした。

さらに社会保険センターという所に、生後2ヶ月の赤ちゃんが避難していると
聞いて行ってみた。その赤ちゃんは元気だったが、他にも生後6ヶ月の赤ちゃん
が2人いた。やはり中央区の避難所にも、数は少ないが現実に乳児がいることが
分かった。またこの時、2週間程前に水痘の子どもがいたという話を聞いた。
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2月17日、保健所内の救護所に4歳の水痘の女児が受診した。熱はなく元気だっ
たが、社会保険センターに避難しているという。幸いその子の家は片付ければ住
めるということだったので、自宅に帰ってもらうようにした。問題はこの水痘が、
避難所内での2次的な感染によるということ、そして同じ避難所に乳幼児がいる
ということだった。避難所内での水痘の流行も予想される。避難所での伝染性疾
患の流行は、疾患それ自体より心理的影響の方が強いかも知れない。とにかく早
急に対策を考えなければならないと思った。

さっそく小児科部長に連絡し、対策について相談した。社会保険センターの向
かいには山の手小学校があり、ここには中央市民病院の救護所が入っていた。そ
こで保健婦さん達と相談して、まず社会保険センターと山の手小学校の2ヶ所に
ついて調査することにした。対象は取りあえず6歳以下として、避難者リストか
らピックアップして、水痘の既往と予防接種の有無について調べることにした。
ワクチンの接種についても検討したが、接触から時間が経っていれば有効性があ
まり期待できないこと、ワクチンの絶対数が限られており接種の範囲が限定でき
ないこと、逆にパニックを引き起こす可能性があることなどから、あまり現実的
ではないということになった。
保健婦3人、看護婦1人と一緒にまず車で現地へ向かった。保健婦さん達に調査
してもらう一方で、新たな患者が発生したときのための隔離場所を確保しなけれ
ばならないと考え、山の手小学校の校長先生に、隔離用に部屋を一つ確保してほ
しいとご相談した。すると

「とんでもない。授業再開に向けて何とか最低限の教室を確保して、やっと来週
からの授業再開を通知した所なのに、いまさら教室を空けることは出来ない。」
とのことだった。震災以来避難者のお世話を続けられ、かなりお疲れのご様子
だった。

山の手小学校には当初東邦大学の医療班が入り、24時間診療をしていた。そこ
で東邦大学のDr.鶴井にご相談すると、この日まで当直室として使っていた和室
がちょうど次の日から空くので、ここを隔離用に使ってはどうかと提案され、さ
らに校長先生にお願いして下さった。校長先生は隔離目的に限定することを条件
に、和室の使用を許可して下さった。社会保険センターにも事情をお話ししてお
願いすると、1階の会議室を提供して頂けることになった。
調査の結果、社会保険センターでは震災直後から水痘が発生し以後も散発して
いたこと、山の手小学校に避難し社会保険センターにも出入りしていた20歳の男
性が、2月15日に水痘を発症し中央市民病院に入院していたこと、両避難所の乳
幼児はほとんどが水痘の既往がなく、予防接種もしていなかったこと等が明らか
になった。幸いなことに、結局その後両避難所とも水痘の患者は発生せず、大き
な流行にはならなかった。

普段なら水痘を見たら、「治るまで家でおとなしくしていなさい」と言う程度
だが、実際避難所にいるのは家のない人ばかりだった。結果的には少し大騒ぎを
しすぎたかも知れないが、この様な非常事態では水痘といえども通常とは全く別
の対応をしなければならないという事が分かった。中央保健所での小児科診療に
は合計6回出務し2月20日で終了した。

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