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臨時 vol 194 「国立がんセンター中央病院シンポジウム」

医療ガバナンス学会 (2009年8月17日 16:43)


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        医療制度に阻まれた私の混合治療
              転移がん患者・混合診療裁判原告
              清郷 伸人(http://www.kongoshinryo.net)

1. はじめに
 タイトルにつけた「混合治療」は患者の気持ちを表している。混合診療は法律
用語ではないが、ほぼ定着した通称で変えるのは難しいが、正確な用語とは思わ
ない。私の主張は正しくは混合診療解禁ではなく、科学的治療原則解放というも
のである。
2. 病気の経過
 2000年12月職場の超音波検診で左腎臓に所見、神奈川県立がんセンターの診断
で腎臓に5センチのがん 2001年1月左腎臓摘出手術 2月インターフェロン開始
 6月CT検査で頭部蝶形骨とC7頸骨にがん転移、危険なため手術不可  7月米国
MSKCCとMDアンダーソンCCにセカンドオピニオン 8月リニアック放射線治療  9
月LAK(活性化自己リンパ球移入療法)とインターフェロンの併用開始  2005年
9月週刊朝日の混合診療記事 10月LAK急遽中止、現在に至る。
3. 現在までの行動の経過
 2005年10~11月メディア、国会議員等に窮状や質問状提出  2006年1月横浜医
療問題弁護団に提訴相談  2月同じく東京医療問題弁護団に相談、いずれも受任
拒否  3月本人訴訟で東京地裁に訴状提出(私の訴えの本質は「私の混合診療に
おいて、健康保険受給権が奪われることは間違い」)  5月ホームページ開設  6
月著作『違憲の医療制度』出版  2007年3月裁判開始  11月判決 2008年2月控訴
審開始 2009年9月判決予定
 私は偶々がんというポピュラーな重病に罹った普通の一般人である。仕事や家
庭でなんとか平常の生活を取り戻したいと真剣に闘病していた患者である。ある
日、そんな患者をドン底に突き落とす仕掛けがよりによって国からかけられた。
それは、がんの治療において一つでも保険で認められていない薬や治療を行うと、
一緒に行っている保険治療の保険も使えなくなるというもので、もし両者を混合
して行ったら保険が使えなくなるだけでなく、行った医療機関も保険指定を取り
消されるという残酷な懲罰が科されるのである。それは、がんを告知されて身体
的にも精神的にも重いダメージを受けている患者と家族に対して、さらに経済的
にも窮地に追い込むという非人道の極みとも言うべき制度である。
 その結果、腎臓がんが骨転移した私は主治医とよく話し合って選び、効果をあ
げて命を保ってくれている治療を続けることができなくなった。どのように考え
てもそれは不合理で納得がいかなかったが、だれも答えてくれない。法律や訴訟
の知識もない私だが、黙って従うことには耐えられなかった。私は提訴に踏み切っ
たが、これが裁判になることは普通はない。なぜならこのような問題は保険治療
では治せない重病患者しか直面しないし、その上に自らの混合治療を公表しなけ
ればならないという患者にとっても病院にとっても深刻なリスクがあるため表面
化することはないのである。だから裁判を起こした私も患者会を作ることはでき
ないのである。ただ弁護団は門前払いだったが、裁判所だけは問題を純粋に判断
し、取り上げてくれると思った。その意味で裁判は一市民、一国民の合法的最終
手段なのである。
4. 進行がん患者である私が必要とし、希望する治療を受けられないという問題
 腎臓がんの骨転移が確定し、セカンドオピニオンの結果、がんセンターでの治
療継続を選んだ私は主治医と協議し、放射線治療後にインターフェロン療法と
LAK療法を併用する治療方法を選んだ。主治医はLAK療法が自分のリンパ球を使う
ため副作用が軽微なのでQOLが保たれると述べた。LAK療法治療費が請求されない
のは不思議だったが、混合治療のことなど知らなかった。幸いがんは悪化しなかっ
た。その混合治療が奏効したか、医学的な因果関係は誰にも不明であるが、患者
の私にとっては結果がすべてであり、私は治療のおかげと思っている。
 4年後LAK治療が奪われて初めて混合治療が医療制度によって禁じられている
ことを知った。どのような理由から、何の目的で、何を根拠に禁じられているか、
徹底的に調べたが、私の命がかかった治療が奪われるに相当するものは見いだせ
ず、提訴に踏み切った。
 LAK療法は、2006年4月の医療制度改革で先進医療の見直しがあって、有効性
に疑問符がつけられ、落とされた経緯がある。それまでは特定承認保険医療機関
で保険診療との併用は可能だった。私のような進行がん患者には、有効性自体が
それほど明確に判定でき、それほど決定的に重要なものなのかと素朴に疑問に思
う。重病患者や難病患者が切望する先進治療の可否を決定する判断において、有
効率やエビデンスにグレー部分はないのか、一体何をもって有効とするのか。あ
るいは判定に数を調整するとかいう行政的判断が介入しているのではないのか。
プロセスは一切闇である。中医協は公開されているが、それらを審議する専門家
会議は秘密である。次にそのように密室で決められた不確定な有効性判定が安全
性ほどに決定的な要素なのか。また安全性の判定にも何が基準なのかなど同じ疑
いは可能である。実は安全性でさえ命のかかった患者には二次的である。患者の
理知と意志は相当なリスクを承知で数パーセントの有効性を求めて先進治療を受
けられる可能性を求める。国は患者が信頼する保険医の裁量と患者の治療選択権、
自己決定権を認めて、治療を広く解放すべきであり、保険財政の観点から先進治
療は当面自費としても、併用する保険治療には給付を行うべきである。
 ドラッグラグ、デバイスラグにしても、日本の承認が遅かったり、パスされた
りすることも問題だが、患者にとっては医師が使えないことが決定的に重要であ
る。先進国承認の抗がん剤など適応外使用も含めて堂々と行えるようにすべきで
ある。保険収載は並行して検討するとしても世界標準のものはすぐ解放し、混合
治療として始められるようにすべきである。
 混合診療というと、厚労省も医師会も学者も患者団体も医療の安全性が損なわ
れる、患者に危険な医療が実施される、実験的医療のモルモットにされるという
危惧が挙がる。一部にはそういう医師もいるだろうが、その一部のために大部分
の良心的な医師と窮地に陥った患者の命が犠牲になってもいいのか。メリットと
デメリットを冷静に考えてほしい。どんな安全な薬にも副作用はある。まして命
の懸かった治療薬である。正確な情報開示による患者の意志決定を優先すべきで
ある。そもそも安全性などほったらかしの自由診療、民間療法はどうなのか。医
療の安全性を担う法律は医師法、医療法、薬事法などがある。それで足らなけれ
ば立法して、保険医療機関では原則として混合診療を可能にすべきである。たと
え解禁になっても保険医療機関ではそのような民間療法は扱わないだろうが、た
だ想像されるほど民間療法が危険なものだろうか。がん患者などで様々な民間療
法を試している人は多いが、事故や死者は意外と聞かない。たまに事故や犯罪に
よる被害が報じられるが、大部分は効き目もなく副作用も弱いのではないか。む
しろ効果が大きく、副作用も強い保険薬や保険治療の方に事故や被害が多いとい
うのが自然な実態ではないか。リスクのない治療などありえない。効果とリスク
という矛盾の上に、結果を保証できない治療はバランスをとって行われるのであ
る。
 その視点を一歩進めると、風邪や高血圧症など軽度の感染症や慢性病(軽度と
は命の危機に直結しないという意味だが)は標準的な保険治療で十分だが、生命
や生活の懸かったがんその他の難病では十分ではないということである。世界標
準だが日本で認められず使えない約4割の抗がん剤だけでなく、実験的なものも
含め、様々な先進的治療を進んで受けたい患者もいる。国は個々の患者の治療選
択に基本的に介入すべきでない。その保険収載には介入できるとしても。科学的
でない民間療法などは論外だが、一定の技術水準の保険医療機関においては、主
治医と患者に医療の選択権を認めるべきである。すなわち混合治療を可能にすべ
きである。もちろん重要な前提条件は3つある。1、実施不可医療機関の規定、
2、実施の際の義務規定(患者への十分な説明と同意)、3、違反に対する厳罰
規定である。
 さらに医療の進歩のためにも公認された先進医療の臨床的なデータの蓄積は不
可欠である。そのために現在も治験や高度医療評価制度があるという反論がある
かもしれぬが、時間、コスト、手続きなどのハードルが高すぎて患者にとっては
机上の空論である。一体どれだけの患者が高度医療評価制度で救われた事実があ
るのか。国民の半分が罹るといわれるがん治療の最前線では「もう治療はありま
せん。ホスピスに行ってください」という絶望の宣告で患者は投げ出されている
のである。いや実はこのように宣告する前に、たとえ認められていなくとも世界
の標準薬や科学的な先進治療を患者のために行う医師は多いといわれる。しかし、
潜行して行われるそのような治療は危険性もあるし、臨床データの蓄積にもなら
ない。患者の安全性のためにも医療の進歩に資するデータの蓄積と公開のために
も潜行でなく、堂々と混合診療を行えるようにすべきである。
5. 治療選択権を解放することから生み出されるもの
 医療を別の角度から見れば、一つの産業である。聖職という先入観にはなじま
ないかもしれぬが、利益を出して雇用を生み、再生産を行っているのである。再
生産とは医療の継続であり、進歩である。日本医師会は医療産業に忠実な日本最
強の利益団体といえる。かれらが声高に叫ぶ国民皆保険制度は基本的には正しい
が、一切の自由を認めないのは人間性に反する共産主義である。その一つに混合
診療を解禁するより必要な治療はすべて保険に入れて、それ以外は禁ずべきとい
うのがある。しかしそれはユートピアである。日本国家が800兆円を超える借金
漬けで若い世代に送られる状況にあり、しかも国民はヨーロッパのように20数パー
セントの消費税を負担することもいやがっている。高額な先進治療や薬をすべて
保険に入れたら、財政はパンクし、皆保険はつぶれる。実際一部の人にとって皆
保険はすでに夢物語なのである。
 そもそも国家財政がひっ迫し、診療報酬を病院窒息死まで引き下げなければな
らないのは、国が800兆円もの借金をかかえているからである。しかし国民は
1400兆円の資産を持っている。それを握って決して離さないのは、将来が不安だ
からである。医療、介護、年金への不安、不信があるからである。社会保障の安
心を実現すれば1400兆円は出てくる。政治家が天下り官僚国家への不信を解消す
れば国民は負担増を受け入れる。しかしそのような政治家は出てきそうにないか
ら、現状での医療再生を考えなければならぬ。
 横山禎徳氏によれば、航空会社はビジネスクラスを編み出し、その利益でエコ
ノミークラスを継続しているという。医療も同じである。公定価格の保険診療は
国家財政と国民自己負担の原理から病院にとっては将来も持ち出し、赤字である。
そこに高度医療、先進医療を併用する混合診療を導入することによって、皆保険
を続けられる利益が生まれる。その混合診療を選ぶ自由を患者と病院に与えるべ
きである。
 今までの医療政策、医療制度は日本医師会や製薬企業など既得権を持った声の
大きなサイドを軸に決定されてきたといっていい。第一級のステークホルダーで
ある患者の声は弱かった。がんなどの難病、重病の医療における真のステークホ
ルダーは誰か。医師会や薬剤師会、学会、保険者団体、さらに患者団体という組
織ではない。ましてや政治家や厚労省といった国家組織ではない。成松東京大学
医科学研究所客員研究員によれば、それは第一に患者、次に予備軍である国民、
そして患者の利益の最大化を職業的な使命としている医療人である。NPO法人日
本医療政策機構が2008年4月に発表した世論調査結果では、一般国民の8割が難
病・重病患者への混合診療に賛成している。今までのステークホルダーが語って
いた混合診療反対という意見は、真のステークホルダーである国民の意見と乖離
しているのである。
 それなのになぜ日本の医療政策や医療制度は開業医や企業など供給側や厚労省
という調整側の利益に偏るのか。これについて日本の学者の分析があるのか知ら
ないが、1994年に出版された知日家ヴォルフレンの『人間を幸福にしない日本と
いうシステム』にこう記されている。「厚生省は病人を楽にしたり病気を治した
りすることが最優先事項だとは考えていない。他省と同じで、まず日本の産業の
保護を考える。さらに官僚は消費者より企業の保護を好むだけでなく、社会統制
力も手中に残そうとしている」それから15年経って厚労省は変わったであろうか。
6. おわりに
 このような患者サイドに立った講演を企画し、しかも患者自身による発表を実
現された国立がんセンターの土屋院長ならびにシンポジウム関係者に深く敬意を
表します。国立の中央病院という行政的にも難しい立場でありながら、がん治療
機関の総本山という強い権威を患者という弱いもののために使われる志は、私権
と実利に走る今の世にあって、誠に貴重であり、感動的であります。ありがとう
ございました。

 

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