紹介:ボストンはアメリカ東北部マサチューセッツ州の州都で、建国の地として
の伝統を感じさせるとともに、革新的でラディカルな側面を持ち合わせている独
特な街です。また、近郊も含めると単科・総合大学が100校くらいあり、世界中
から研究者が集まってきています。そんなボストンから、保健医療や生活に関す
る話題をお届けします。
略歴:細田満和子(ほそだ みわこ)
ハーバード公衆衛生大学院リサーチ・フェロー。博士(社会学)。1992年東京
大学文学部社会学科卒業。同大学大学院修士・博士課程を経て、02年から05年ま
で日本学術振興会特別研究員。05年から08年までコロンビア大学メイルマン公衆
衛生校アソシエイト。08年9月より現職。主著に『「チーム医療」の理念と現実』
(日本看護協会出版会)、『脳卒中を生きる意味―病いと障害の社会学』(青海
社)。
「患者会のアドヴォカシー活動」
●患者会の力
アメリカの医療を眺めてみると日本とは異なる点がいくつもありますが、その
中でも患者や患者会の立場はかなり異なっているのではないかと思います。アメ
リカでは1950年代から患者団体や医療利用者団体の活動が活発に行われていて、
アドヴォカシー活動(当事者の正当な権利を獲得するための諸活動)を積極的に
行い、医療のあり方や政策にまで影響を与えています。
例えば1958年に設立されたアメリカ退職者協会(AARP)という高齢者団体は、
3500万人の加入者を誇り、2003年には高齢者の公的医療保険であるメディケアが
処方薬もカバーするようブッシュ政権に働きかけ医療制度改変を実現させてきま
した。そんな政策を動かしてきた患者会のひとつに、マサチューセッツ州ブレイ
ン・インジュリー・アソシエーション(BIA-MA:頭部外傷や脳卒中による障害を
持つ人々の団体)があります。今回は、BIA-MAのアドヴォカシー活動を中心にご
紹介したいと思います。
●マサチューセッツ脳損傷者協会(BIA-MA)
BIA-MAは、脳損傷者及びその家族のために1982年にNPOとして設立された、全
米脳損傷者会(1980年設立)の地方組織です。脳損傷は突然に起こることが多く、
また人によって歩行や言語に障害を持つなど様々な複雑な現れ方をするので、本
人も家族も急に混乱した状況におかれてしまいます。そこで途方にくれて満たさ
れないニーズを抱えた本人と家族のために、ある患者家族が会の設立を準備しま
した。
BIA-MAは次第に会員を増やし、現在はボストン(州東部)、ケープコッド(州
南部)、スプリングフィールド(州西部)など全州に渡って30のサポート・グルー
プがあります。2007年の年次レポートによると、年間予算は66万ドル(約6600万
円)で、歳入の内訳は85%が契約資金(後に詳述)で、寄付は3%、ファンド・
レイジング(バザーなど)は4%でした。また歳出の内訳は会議・教育費が42%、
支援・予防プログラムが38%、諸経費が11%でした。
●BIA-MA活動内容
BIA-MAの活動には、大きく分けて4つあります。
1)予防プログラムの推進:州の行政当局、学校、司法機関と共に、子どもや大
人に脳損傷の予防を教えるプログラムを開発する。例えば、シートベルト、チャ
イルド・シート、ヘルメットの着用についてのキャンペーン、飲酒運転削減の主
導など。
2)アドヴォカシー活動:脳損傷サバイバーとその家族のためのサービスを確立
するために州の司法当局や行政当局と連携し、実際にサービス向上や脳損傷予防
のための新しい立法をしてきた。
3)教育:年間を通じて、会議やワークショップを主催。それらは、年次会議、
スポーツ障害会議、医療者のワークショップ、家族とサバイバーのワークショッ
プなど。
4)サバイバーと家族の支援:社会的資源のリスト、州のサービス情報、医療機
関、住居、法的サービス、そのほかの情報を、サバイバーや家族に提供し、かつ
各種相談に応じる。さらに、電話か電子メイルによる「ブレイン・インジュリー
・ヘルプ・ライン」を設け、ソーシャルワーカーが各種の情報提供やカウンセリ
ングする体制を整備。また、全州に渡って30の家族とサバイバーのためのサポー
ト・グループがあり、出会いの場を提供。
●BIA-MAのアドヴォカシー活動
ここでは主な4つの活動のうち2)アドヴォカシー活動、特に下記の???に
ついて中心的に紹介します。
<アドヴォカシー活動>
1、揺さぶられっ子症候群法の通過の際に支援した。
2、シートベルト着用法の通過の際に助力した。
3、飲酒運転やスピード違反の罰金に上乗せして脳損傷治療のための資金として
徴収する仕組み、脳損傷治療サービス委託基金(HITS)を設立させた。現在さら
に基金の充実に向けて活動を行っている。すなわち、上乗せ徴収額は50ドル(約
5千円)だが、その半額しか基金には回っておらず、残りの7から800万ドル(7、
8億円)は一般基金にいっているので、全額を地域サービスや更なるサービスの
ためのスタッフの補填、脳損傷の帰還軍人サービスの援助のために使われるべき
であると運動している。
4、地域ベースあるいはその他の脳損傷者へのサポートを行う、全州脳損傷プロ
グラム(SHIP)の設立に助力した。このプログラムは、充分に管理の行き届いた
住居費用、デイ・サービス、個々人や家族のサポートなどに当てられているが、
2008年の予算は100万ドル(約1億円)であった。しかし、さらに25人から40人の
サービスを可能にするには、300万ドル(3000万円)アップの1300万ドル(約1
億3000万円)が必要なので、政治家や議会に対して予算をつけるように活動して
いる。
5、自立生活を実現するための集団訴訟。2007年5月17日、5人の当事者と
BIA-MAはアメリカ地方裁判所に、州知事と諸関連当局者を相手取った訴えを起こ
した。同6月18日には、もう一人の個人と他の組織も原告に加わった。この訴訟
は、脳損傷になった人々が、施設から出て、サポートを得ながら地域で暮らせる
ような適切な地域における代替策を州は講じていないので、障害のあるアメリカ
人法(ADA)ならびにメディケイド法に違反しているということを争点にした。
2007年10月に地方裁判所の出した裁定とそれに続く約6ヶ月の交渉の結果、
2008年の6月2日に、州当局者と原告側弁護士による和解が成立した。この和解を
受けて、現在約8000人のナーシング・ホームやリハビリ施設に暮らす脳損傷者の
うち、4分の1の約2000人が、より良いサービス環境の下、家族と共に元住んでい
た地域に暮らす道が開かれた。
●患者の声と医療政策
以上でみてきたように、患者の必要性を充たすことを実現するには、患者ある
いは患者家族自身が声をあげることが重要でした。BIA-MAのアドヴォカシー活動
は、まさに当事者とその家族が声をあげ、裁判で訴え、政治家や議会を動かして、
自分たちが必要と考える要求を勝ち取ってきたといえます。
ただしこうした成果は、長年にわたる当事者達の粘り強い活動の上に得られた
ものです。以前紹介したマサチューセッツ州の公的健康保険導入も、NPOによる
20年来の運動の結果として達成されたものでしたが、こちらも10年におよび運動
の賜物でした。
BIA-MAのディレクターのアイリーン・コラブ氏は、ご子息が10代後半の時に事
故で身体麻痺と高次能機能障害を持つようになり、会の活動に参加するようにな
りました。長期にわたる家族介護の軋轢から「どちらかがどちらかを殺すかもし
れない」という危機的状況に直面し、若い脳損傷者には家族から独立した生活が
必要と強く思い、自立生活運動を10年来続けてきました。そして福祉に理解のあ
る州知事デヴァル・パトリックが2006年11月に選出されると、それを好機と捉え、
半年後の2007年5月に州を相手取った裁判に訴え勝訴したのでした。
翻って日本でも患者たちは声をあげ始めています。おりしも今回8月の総選挙
では各党が医療制度改革に関するマニフェストを出していて、人々の意思がどこ
に向かっているのかを問うています。これからの医療がどうなってゆくのか、選
挙の行方に注目したいものです。