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Vol.106 理想的な医療事故の調査・検証

医療ガバナンス学会 (2015年6月1日 06:00)


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がん患者
清郷伸人

2015年6月1日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行  http://medg.jp


◆素朴な疑問
私は医療関係者でも司法関係者でもない普通のがん患者です。14年前に腎臓がんが骨に転移しましたが、医療のおかげで軽快と存命を得られており、医療事故の被害者でもありません。そんな私がなぜこのような文章を書く気になったかというと、現在進められている医療事故調査委員会(以下委員会、なぜか厚労省では医療安全調査委員会という呼称)の設立に関する議論を見ていると、これで本当に医療安全が確立するだろうかという違和感があるからです。

現在も大学病院やがんセンターなど大規模で高度な医療機関で医療事故は続発しており、このままでは事故がなくなるとは思えません。もちろん医療にリスクは付き物であり、有効な薬にはそれなりの副作用があり、医療行為の結果は不確定です。そのように想定できるものは医療事故ではありません。しかし想定外の医療事故という事象はできるだけ起こしてはならず、防がなければなりません。医師も人間であり、人間はミスを犯すものであり、病院のシステムも完全ではありません。さらに患者本位でない医療行為が医師によって行われる可能性もあります。そう考えると、医療事故をなくし、医療安全を確立するという目的に最適な方法は何かを徹底的に追及することが重要です。
私が委員会に関する現在までの議論で感じた違和感とは、議論が医療側と司法側のバトルの場と化していて、医療事故被害者・遺族の求める真実の究明と医療安全の確立が置き去りにされているのではないかという素朴な疑問です。

◆医療事故調査委員会の限界
そもそも委員会の設立が検討されるようになったのは、大病院による重大な医療ミスが起こり、これに対する病院の対応に被害者・遺族が不信感を募らせ、自浄作用の働かない医療界に対し、社会が要請したといわれています。(平岡諦「現場の医師から見た医療法改定の意味:2の1」MRIC vol.50 2015年3月16日)被害者・遺族が不信感を持つ病院の対応とは、医療事故や医療ミスに対し責任逃れや隠蔽の意図が見えるものです。医療側が起こした事案に対し誠実に対応し、自らに不利な真実も明らかにし、率直に謝罪するなら被害者・遺族も不信感は抱かず、院外の医療事故調査など要らないでしょう。被害者・遺族が最も求めているのは、医師の懲罰や責任追及よりも事故やミスの真実なのです。そして誠実な対応には、それらに対する徹底的な原因究明と再発防止の検討も含まれます。すなわち医療事故、医療ミスに関しては起こした医師や医療機関が一番詳しいはずであり、当事者が自律的に誠実に対応するのが理想的なのです。しかしそれが医療側に期待できないから第三者による院外の調査が要請されるというわけです。

こうした経緯で現在検討されている委員会は、学会、医療界や法曹界、有識者で構成され、その目的は医師の責任追及でなく、医療事故の原因究明と医療安全の構築とされています。委員会は個別事案ごとに設置され、病院からの届け出だけでなく被害者・遺族の訴えにも対応するということです。これで本当に原因究明と医療安全という委員会の目的が果たせるでしょうか。委員会が原因究明と事故との因果関係について追及する司法側の視点と防衛する医療側の視点の不毛なバトルにならないでしょうか。それでは被害者・遺族の求める真実の原因究明とそれに基づく医療安全の確立からは遠く離れたものになってしまいます。被害者・遺族は結論に納得せず裁判に訴えるかもしれません。これではどちらも不幸です。

◆遺族から見た理想的な調査委員会
患者・家族は、医師が最大の能力と良心に基づいて治療にあたってくれると信じて医療を受けます。困難な疾病に侵襲性の高い治療を行う場合は、事前の十分な説明によって患者・家族に選択権があたえられます。したがって治療が功を奏さず不幸な結果に終わったとしても、想定された不確実性として一応は納得します。しかし想定外の、医療の不確実性に基づかない結果に対しては、その事故やミスの真実の究明を求めます。それ以外に自分を納得させるものはなく、謝罪も再発防止もそこからしか始まらないからです。繰り返しますが、当事者である医師や病院が、それらの対応を正直に誠実に行うと信じられていないから、外部の第三者による委員会が要請されます。いわば次善の策です。しかしこれが正しい方向なのでしょうか。

医療事故の当事者でない学会や医師会や病院団体や法曹界、有識者等が集まる委員会(いわゆる第三者機関)で、被害者・遺族の求める真実の究明がなされるとは筆者には到底思えません。当の医師や病院を外して専門家で事故を調べて原因を明らかにし、再発防止や医療安全を図るといいますが、医療のような専門性、自律性の高い領域では、当事者と関係者による徹底した調査以外に真実の究明ができるとは思えません。すなわち院内事故調査が最も重要なのです。しかもその調査委員会には、病院関係者、外部の専門医の他に遺族も加わることが必要です。なぜなら真実の究明とそれに基づく医療安全の検討には事故の全容が解明されねばならず、そのためには直接の当事者である遺族の参加は不可欠なのです。しかし遺族は参加するにあたって、事故の責任追及や懲罰を求めることを放棄しなければなりません。さらに訴訟の放棄を誓約しなければならないかもしれません。厳しい自己克服ですが、医療安全という公益性のみを追求するという姿勢がなければ、院内調査委員会は機能しないのです。

現在は委員会(第三者機関)の調査報告書でさえ遺族に口頭または文書で公開するというあいまいな扱いです。まして院内事故調査は裁判も考え、もっと秘匿性の高いものになるでしょう。それらの調査報告は、結局報告のための調査に過ぎません。医療安全の検討、構築も教科書のような箇条書きが並ぶだけで、医療現場からは乖離します。事故の当事者である遺族を切り離した医療安全の検討は不完全です。院内調査報告書を遺族に秘匿する現在の議論など論外で、文書を手渡すどころか調査そのものに遺族が加わることが必要です。事故には遺族ならでは知りえぬ事実、真実があり、事故から医療安全を検討するには遺族ならではの視点があるからです。医療は高度に専門的ですが、事故は必ずしもそうではなく、患者取り違えや薬剤取り違えのような初歩的なものまで含まれます。内部だけの視点では落とし穴があり、外部の視点が有効な場合があります。何よりも遺族という医療の被害者の話を聞くという医療者の謙虚さが、本当の医療安全の構築につながっていきます。

◆故意に患者本位でない医療を行う医師の問題
最後に難しい問題に直面します。今まで論じてきた医療事故、医療ミス、医療過誤は、あくまで眼前の患者の個別の疾病を真摯に治癒しようとして起こったものです。その原因はさまざまでしょうが、患者本位の医療行為という原点は揺るぎません。しかし患者本位でない医療行為による医療事故、医療ミス、医療過誤があります。典型的な例は、和田心臓移植によるドナーと患者の二人の死亡です。和田医師は、日本発の心臓移植の成功という目的のために眼前の患者を利用しました。眼前の患者を治すという目的以外に医療行為を行い、発生した医療事故は故意によるものといえます。法的には合法とされましたが、患者の人権を毀損し、医師の最低の倫理にもとります。和田医師自身は、売名よりも本当に日本に早く心臓移植を根付かせようという善意があったかもしれません。しかし患者を手段とした医療行為による事故は、たとえそのような善意に基づくものでも故意であり、免罪されません。厳密にいうと、太平洋戦争中の731石井部隊やナチスの医師による人体実験も母国の勝利に貢献したいという誤った、危険な善意に駆られたものかもしれません。その意味では、時代を超えて医師が直面する厄介な善意です。しかし動機がそのような善意であっても、患者を非倫理的に手段とした医療行為によって引き起こされた事故は、故意に患者本位でない医療を行った結果ということになります。

しかし、故意に患者本位でない医療を行ったことによる事故に対しては、院内事故調査で真実を明らかにすることはできないと思われます。遺族が抱く病院や医師への医療不信を解明するには、結局司法の判断を仰ぐしかないでしょう。遺族をはじめとする社会が医療者不信を根強く抱く限り、現在検討されている医療事故調査委員会(厚労省では医療安全調査委員会)では問題の解決にはならないと思われます。遺族も参加する院内事故調査こそ解決への第一歩と信じます。
(2015/04/26)

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