医療ガバナンス学会 (2015年6月18日 06:00)
2012年から2013年には、中東を中心に、世界で流行しました。その際、中東からの滞在者からの感染がほとんどでした。ラクダの感染症と考えられていましたが、2013年にフランスとイギリスでの症例については、限局的なヒトヒト感染によると報告されています。ヒト、ラクダの他、ブタ、コウモリなどでも感染が確認されていますが、何分新しいウイルスですので、不明なところも多いのが現状です。MERS ウイルスの生体外での安定性については、低温で低湿度の場合、48時間程、安定性(生存性)が持続するとの報告があります。http://www.eurosurveillance.org/images/dynamic/EE/V18N38/art20590.pdf
典型的なMERSの症状は、発熱、咳で、下痢などの消化器症状もみられます。重症化すると、肺炎、敗血症、臓器不全(特に腎不全)などを併発し、命を落とすこともあります。乳幼児、高齢者、また、糖尿病、慢性肺疾患、がんなどで免疫能が落ちている人は重症化しやすいので、注意が必要です。WHOによれば致死率は27%程度ということです。
前述したとおり、2012年に発見された新しいですが、今までの知見に関してまとめてみたいと思います。
もともと、通常のコロナウイルスは、決して人に感染しやすいウイルスではありません。
それはMERSウイルスに関しても同様です。しかし、今回の韓国の例からわかるように、医療機関内では、ヒトからヒトへの感染が、一般集団と比して起こりやすいことはあきらかです。それは、医療施設内には免疫能が落ちた患者さんがいるからで、こうした状態の人は容易にウイルスのターゲットになりやすいからです。過去の報告でも、 一部の小児肺炎ではその原因ウイルスになっているとされており、乳幼児についての注意喚起も必要なところです。
http://www.biomedcentral.com/content/pdf/1471-2334-12-267.pdf
それでは、同じコロナウイルスであるSARS とは、広がりやすさ、重症さしやすさにおいて、異なっているのでしょうか。2002年~2003年のSARS流行から、風邪症候群を引き起こすウイルスと同じように飛まつ感染という形式で広がりを見せることがわかりました。飛まつ感染とは、咳やくしゃみなどの”しぶき“内にあるウイルスが、他人の口や鼻の粘膜から入り込み、ウイルスが増殖をはじめることです。この感染症式に関しては、MERSウイルスもSARSウイルス同じです。重症化のしやすさを示す一つの指標である致死率は、SARSが9.4%と報告されていますので、MERS の方が現状では高いことになります。
MERSは、ヒト、ブタそしてコウモリ等の間で、種を超えて容易に感染することが明らかにされており、SARSのコロナウイルスが、流行時にすでにコウモリに対する感染力を失っていたことと比較し、この点で大きな違いがあります。何を意味するかというと、仮にヒトでの流行が収束した後でも、他の動物の間で感染が受け継がれ、数年を経て、再度、ヒトに感染する可能性があるということです。
http://mbio.asm.org/content/3/6/e00515-12.full
それでは、ヒトへの広がりやすさはどうでしょうか。
医学雑誌The Lancetの2014年1月号に掲載された論文では、MERS ウイルスが、患者1人が感染させる強さ(Reproductive number、Ro)は、0.8~1.3価の範囲内であり、1価(1人の患者が、別の1人に感染させる力価)を大きく上回ることはないと結論付けて、感染力がそれ程強くないと評価していました。
http://www.thelancet.com/pdfs/journals/laninf/PIIS1473-3099(13)70304-9.pdf
しかし、2014年12月に発表された論文では、Roについて前述の論文より高めの評価となっており、致死率も考慮すると、SARSウイルスに匹敵するか、もしくは、それ以上広がりと重症化を想定する必要があると結論されています。
http://currents.plos.org/outbreaks/article/obk-14-0037-estimation-of-mers-coronavirus-reproductive-number-and-case-fatality-rate-for-the-spring-2014-saudi-arabia-outbreak-insights-from-publicly-available-data/
また、MERSの場合の感染拡大の場としては、今回の韓国での流行と同様、医療機関での患者との接触、医療従事者を介した感染というのが、今までの例でも指摘されています。それ故、我が国でも、医療機関での感染拡大に関して、十分に備える必要があります。
http://www.nejm.org/doi/full/10.1056/NEJMoa1408636
ところが、我が国のMERS対策の主軸は、検疫、すなわち、水際作戦です。この考えは、他国で発生した感染症を自国に入れない、あるいは、他の地域で発生した場合、他の地域での発生を食い止めるという考えと同じです。すなわち、この考えには「自国あるいは自分の地域だけはMERSから逃れることが出来る」という心情があります。しかし、これは危機管理の概念からはほど遠いものがあります。MERSが我が国に入るかどうかという議論はは、様々な要因が絡んではいますが、所詮確率論でしかありません。そうではなく、「入ってきた場合どうしたらその広がりを最小限に食い止め、出来るだけ早く流行を収束させるか」という対策に主眼を置くべきなのです。
韓国の医療機関で発生しているMERSコロナウイルス感染症を巡って、台湾が韓国への渡航制限を打ち出しました。
http://jp.reuters.com/article/marketsNews/idJPL3N0YW24W20150610
また、こうした中、日本でも、韓国への渡航が縮小してきており、その経済的インパクトは韓国のみならず日本にも影響してきています。
感染拡大を恐れるあまり、韓国内では休校もあいついでいます。
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150614-OYT1T50033.html
しかしながら、こうした感染封じ込め措置が感染拡大をどの程度防げるのかは、定かではありません。それは、渡航制限や国境閉鎖などに代表される、所謂水際作戦によって、完全に封じ込められた感染症は、今までに存在しないからです。特に口や鼻からウイルスが入ることによって感染する、呼吸器感染症に関しては、こうした対策が効果を示すという根拠は、その感染形式からも考えにくいのです。
14世紀から15世にかけて猛威を振るったペスト流行の際、ヨーロッパの国々は、流行地から来た船を40日間停めおきました。これが検疫(Quarantine)の語源となっています。しかし、結果的にペストから免れた国はありませんでした。また、呼吸器感染症として多くの命の奪ったスペイン風邪(インフルエンザ)に対しても、輸送機関の停止、国境閉鎖、集会の禁止などが行われましたが、その効果に関しては定かではありません。
感染症には潜伏期間という、無症状の時期があり、多くの感染症はその無症状期にも、他の人に感染します。ですので、どんなに国境(空港)でシャットアウトしようとしても、すり抜ける人は出てきます。実際、2009年の新型インフルエンザ(当時)流行の際も、他省庁、国立病院の医師などを巻き込んだ検疫強化が実施されました。しかし、初発例は国内で見つかった高校生でした。また、この水際作戦の効果が十分ではなかったという報告もあります。
https://www.dropbox.com/s/oshvz3wohlqn9a5/Sato_2009%20influenza_Eurosurveillance_2010.pdf?dl=0
検疫に代表される水際作戦の基本は、“国内にウイルスが侵入することを食い止める”ことです。このこと自体、極めて困難なことが、前述した歴史が物語っています。今2009年のインフルエンザ流行時、また今回の韓国におけるMERS流行に際しても、WHO(世界保健機関)は渡航制限などをかけてはいません。それは、水際作戦には限界があるとともに、海外封鎖を行うことは、人の流れを止め、経済活動に大きな影響を与えるからです。
我が国には感染症に係る法律が2つあります。それはすなわち、検疫法と感染症法です。検疫法に従って検疫強化がされますが、一たび国内発生が認められれば、感染症法が主流となり、実働は国から地方自治体に移ります。見方をかえれば、国内に入るまでは国家公務員である検疫官(厚労省職員)が主動であるため、国としては力を注ぎますが、国内に入れば検疫法は適応されないため、実働は国家公務員ではなく地方公務員や、医療機関になります。この状況では、国は通知文書などで、地方自治体に指導することが主な仕事となり、自ら防護服に身を包んで動き回る、という事もしなくなります。
この2つの感染症にかかる法律の棲み分けが、大きな問題となっています。すなわち、国は自らが活動する場面である”水際対策“に力を注ぐあまり、国内対応に対する関与が極めて希薄になっているのです。国内で発生した場合は、その地方自治体、ひいては患者が収容された医療機関が責任の受け皿となります。
MERSコロナウイルス感染症は、感染症法で、第2類感染症に分類されています。法律上は、特定感染症指定医療機関、第一種感染症指定医療機関の他、第二種感染症指定医療機関でも入院して診ることができます。
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou15/02-02-01.html
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou15/02-02.html
第一種と第二種指定医療機関の大きな違いは、空気感染を想定するかしないかです。すなわち、第一種(特殊も含む)感染症指定医療機関には陰圧設備があり、ウイルスに汚染した空気が外にでないようになっていますが、第二種感染症指定医療機関で、このような空調設備は必要とされていません。第二種感染症指定医療機関の総ベッド数は1716床(335医療機関)ですが、そのうち陰圧設備を備えているのは529床というデータがあります。
http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/2502/00063908/07%204kansensho.pdf
http://www.geocities.co.jp/Technopolis/7663/inatusitu.html
MERSコロナウイルスは2類感染症に分類されているため、第二種指定感染症指定医療機関に収容可能です。もし、MERS感染者が陰圧室のない医療機関を受診したとしたら、ウイルスで汚染した空気が院内に循環する確率が(第一種指定医療機関と比して)高くなることは想像に難くありません。第二種指定医療機関には感染症の患者さんだけが入院しているわけではなく、がんなどで免疫能が低下した人が多くいます。それ故、このような医療機関にMERS感染症を受け入れることは、法律上は問題なくとも、医療上大きな問題をはらんでいることになります。
全国には17万以上の医療機関があり、感染症指定医療機関と言われるのは、この中のごく一部にすぎません。また、医療機関ごとに、MERSや感染症に関する意識もまちまちです。韓国の症例でも明らかになったように、MERS感染者は、「自分はMERSに罹っている」と申告して医療機関を受診するわけではありません。風邪、インフルエンザに似た症状を示すことから、個々の医療機関が、自分のところにMERS患者が来るかもしれないという意識を持つことが、院内感染に対する重要な予防手段だと思います。また、そうした意識の定着と、この新たな感染症に対する知識を広げるために、国、地方自治体、学会など、医療機関に向けた徹底的な啓発活動が、何よりも早急に行わなければならないことだと思います。
繰り返しますが、検疫による水際食い止めに力を注ぐあまり、国内対応がおろそかになることは絶対にさけなければなりません。国は国家国民を守る使命があることを、再確認することが必要です。