医療ガバナンス学会 (2015年6月19日 06:00)
この原稿は『月刊集中』6月号(5月31日発売号)からの転載です。
井上法律事務所 弁護士
井上清成
2015年6月19日 MRIC by 医療ガバナンス学会 発行 http://medg.jp
2.医療事故の定義
(1)進むべき目標
「医療事故」という概念は「医療過誤」や「過失」の有無に関わらなくなった。端的に言えば、「医療過誤」ではあっても「医療事故」に当たらないこともあるということである。また、「死因不詳」であっても必ずしも「医療事故」とは言わない。
この「医療事故」という概念を定めた目標は、すべての死亡症例に対して恒常的に「予期」の有無をチェックしていくことによって、カルテ記載などの充実化、事前説明の向上を図り、もって、漫然とした医療をなくして予期能力を高めて事前説明の充実をも目指していくことにある。したがって、先ずもっては、全死亡症例についての「予期」の有無をチェックする院内態勢を整えなければならない。
(2)予期しなかった死亡
「医療事故」の有無は、第一に、「予期しなかった死亡」かどうかのチェックから始まる。予期したかどうかの対象は、当該患者の死亡そのものであって、医療起因性はその予期対象にはならない。
予期したかどうかの判断プロセスは、先ずは、「診療録その他の文書」に「予期していた」と読み取りうる記載があるかどうかで判断する。もしも記載がなければ、次は、主治医等が患者や家族に「事前説明」していたかどうかのチェックに移らねばならない。「記載」もなく「説明」もなかったならば、最後は、主治医等からの事情聴取と医療安全管理委員会からの意見聴取を行う。その上で、最終的に管理者が「予期していた」かどうかを組織として判断するのである。
(3)医療起因性
「予期しなかった死亡」の判断に至ったとしたら、その時点ではじめて「医療起因性」(疑いも含む。)の判断プロセスに移行しなければならない。判断の対象となる事案は、「医療に起因し、又は起因すると疑われる死亡」だけである。つまり、施設管理等の「医療」に含まれない単なる「管理」は、もともと制度の対象とはならない。また、「療養」「転倒・転落」「誤嚥」「身体の隔離・身体的拘束/身体抑制」に関連するものは、管理者が特別に別途の「医療」に起因し又は起因すると疑われるものと判断した場合に限って、その別途の「医療」に起因性ありとなる。
医療はもともと個別性が強い。したがって、医療起因性への該当の判断は、疾患の特性・専門性や、医療機関における医療提供体制の特性・専門性によって異なるのである。
(4)大切なこと
医療法・医療法施行規則・通知にのっとって適切に判断するならば、「医療事故」への該当数は極めて少なくなることであろう。そして、それはそれで良いのである。これを法令遵守(コンプライアンス)と言う。逆に、もしも万が一、恣意的にもっと多くしたいなどと思って濫りに「医療事故」への該当数を増やそうなどと試みるならば、それこそコンプライアンス違反の誹りを免れない。
大切なことは、コンプライアンス違反を犯してまで前のめりに「医療事故」をピックアップすることではなく、診療録整備と事前説明充実であり、延いては医療現場の予期能力の向上なのである。
3.医療従事者の匿名化
省令(医療法施行規則第1条の10の4第2項)では、医療従事者の匿名化につき、明瞭な定めを置いた。管理者が医療事故調査・支援センターに院内調査結果報告書を提出する際、及び、遺族に院内調査結果の説明をする際、「当該医療事故に係る医療従事者等の識別(他の情報との照合による識別も含む。)ができないように加工」しなければならない、としたのである。この結果、医療従事者の名誉権のみならず、プライバシー権も医療法によって保護されることになった。
医療従事者に関しては特定(ある情報が誰の情報であるかがわかること)のものであってはならないことはもちろん、識別(ある情報が誰か一人の情報であることがわかること)のものであってもならない、と明示されたのである。つまり、名前に墨塗りしただけでは足りなくなった。識別特定情報が禁じられただけではない。識別非特定情報も禁じられた。医療従事者に関して許されるのは、非識別非特定情報だけである。さらに、照合される「他の情報」には、遺族に開示請求されうる診療記録も、遺族が知っている当時の診療状況や前後事情も含まれよう。それらの「他の情報との照合」によっても、非識別非特定が維持できるようなものでなければならないのである。
このことは、従来からの原因分析のやり方に大きな変革をもたらすことになるであろう。医療従事者の非識別非特定の原因分析報告であっても「価値ある」原因分析のやり方でなければならなくなるからである。